殺人権と意志
「それが狂気というものだろうよ」
見つめた死体が声を上げたかと思った。生き返るという神秘以上の奇跡が一瞬だけ頭を過って、すぐに消え去った。
血みどろの中から起き上がったのは見覚えのない老人だった。殺したすべてを覚えているとは言えないけれど、その老人に限っては絶対に殺していないと言い切れた。
これまでに殺した何者とも、ようやく巡り合った神秘の少年とも違う雰囲気を感じた。
「千賀陸玖瀏……」
少年の告げたそれが老人の名前らしかった。
老人が視線を少年に向けて首を横に振って見せたが私にその意図はわからない。
「死ねなかったろう?」
「この人にはもう殺人はできませんよ」
「殺人権がないと言いたいか。ここの死体を見たよ、どれも完璧に自殺だろう」
「これだけの人間が殺人権を残したままこの人に殺られたって言うんですか」
二人の問答が理解できなかった。老人は私の殺しを自殺だと言い、少年は一度きりの殺人の話をしているようだった。
「そうだ。彼女の意志は世界に干渉し、殺人権のあるものが偶然ここに集まった」
「なら僕はどうしてこんなところに来たんですか! この人が殺せる人だけを集めてる!? そんなことができるなら今頃世界中で救世主の偽物が横行していたって不思議じゃない!」
私の話をしているようなのに私のことは何も解らず、けれど少年が怒鳴っている理由は解るような気がした。
世界は理不尽だ。
死にたい人間が死ねず。神秘を見たい人間が殺す。
「お前さんがここに来た理由は儂の方じゃからな。彼女、藩の娘を探す必要があった上に患者の望みを叶えてやるのが儂の仕事だ」
「殺しも蘇生もできないあなたに何ができるって言うんです!」
「言うたよな。彼女はまだ殺せる」
私を見て老人が告げた。
「心臓を一刺しだけでいい」
蚊帳の外だった私に投げられたのは黄金に煌めく小振りのナイフだった。
「殺人権があれば痛みで自ら死に至る。そうでなければ世界の理通り再生する」
ナイフを拾い上げた私に躊躇いなどなく、まだ何か叫んでいた少年を一突きした。
「佐波は謝っていたよ。私だけ愛されてごめんと、残していってごめんと」
「佐波……」
黄金のナイフを胸に刺したまま仰向けに倒れた少年は老人の言葉に泣いていた。その美しさに見惚れて、次に起こるであろう更なる神秘に心躍らせ、私はゆっくりとナイフを抜いた。
少年を覗く私は子供のように顔を煌めかせていただろう。
けれど、胸の傷は治らず二度と起き上がることもなかった。
「藩の娘よ、彼は死んだよ」
老人は私からナイフを取り上げて宥めるように言う。
「お前さんの父は医術師だった。医師というには志が違えていたからそう呼ばれていたよ、それ以上に狂人だとも」
狂人め。とは自ら死んだらしい人々に何度か言われた覚えがあった。
「そしてお前さんはその志、狂気という殺伐の意志を引き継いだのじゃろうな」
「それが何だと言うんです」
「儂に必要なものだ」
「……ふふ」
あまりの傲慢に笑ってしまった。
笑うとは実に不思議だった。意志に関わらず呼吸が不安定になった。
「狂気殺伐が欲しい? いいですよ。なら私には神秘をください」
「よかろう」
二つ返事で神秘を約束され、私は足元に転がるかつて神秘だったものを見た。
今までの亡骸より遥かに美しいその頬を撫でて私は脅すように告げる。
「こんなつまらないものだったら許しませんよ」