狂人と天使
三大の神様は協力して世界を正しく回そうとは考えていなかった。
ただ、愛しき人類が求める世界を作ろうという意志がそうさせていた。その危うい世界の均衡はやはり永遠とは程遠く、人類への想いが弱く、或いはより強くなるにつれ崩れ始めていた。
リゼスタは世界の成り立ちを話すうえで救世主の生い立ちを語り終えるところだった。
「悪しき人を葬るために未来視っていうチカラを利用した。彼は確かに世界中を怖がらせた殺人鬼だったけど、その真相は殺人鬼を狩る殺人鬼だったってわけ」
「その正義感が認められて、今の世界で唯一人を殺せるようになったと?」
来栖は問いながらも、さしたる興味はないように鋭利に整えた爪を眺めていた。
「間違ってはいないね。ただ、千賀が知った通りあれは純粋な殺人とは違って命を与えることで死に至らしめているけどね」
リゼスタはそう言いながら陸玖瀏を横目に見ると、老医師は妻だったソレから目を離し溜息を吐いた。
「問題はそんなことじゃあない。その未来視とやらがどうして突然消えた?」
その言葉に来栖が何か思い出したようにリゼスタに目を向けた。
「うん。それも含めてちゃんと話すつもりだよ……でも、その前にやることができちゃったね」
何が。と、陸玖瀏と来栖がリゼスタの視線を追う。
「随分早いね。レイティ?」
三人の視線の先にあるのは扉の破壊された部屋の入口。そこに誰かが居るわけではない。少なくとも、陸玖瀏と来栖の二人にはそう見えていた。
「おそいのは、リゼだよ。ノエンのせっかち、知ってるでしょ?」
幼い少女を思わせる声があった。
声は確かに視線の先から聞こえた。けれど、姿が見えない。その現象に興味を持った来栖が近づき、扉のあった場所を超えた。
「大丈夫。お姉さんも、すぐに救うから」
今度は後ろから聞こえた声に来栖が振り返るも、やはり姿はない。
「見えない、ではなく姿そのものが存在していない?」
自分の見解を確認するようにリゼスタに問うも、応えるのは姿なき声だった。
「わたしは確かにここにいるよ」
その言葉と同時に来栖の目の前には空色のワンピースを着た少女が立っていた。
少女は顔を上げ青い瞳で来栖を見据えていた。リゼスタの時同様突然出現した少女を来栖は反射的に殴打しようとし、その右腕は振り上げたまま停止した。
来栖の狂人さを知る陸玖瀏はその状況に驚いたが、一番驚いているのは自分の身体が自分の意志通りに動かない来栖自身だった。
「お姉さん。ごめんね。こんなに傷ついて」
陸玖瀏にもリゼスタにも意図の掴めぬ少女の言葉と来栖にだけ見えた青い瞳から零れる涙。
「な、なにを……やめっ!」
堪えるように叫んだ来栖だけがその言葉と涙の意味を理解させられた。
狂人の頬を涙が伝い、ようやく動いた身体はその場に蹲った。
「もう大丈夫だからね」
嗚咽を漏らす狂人の頭を撫でながら少女は繰り返しそう言った。
何も言わず見守るだけの陸玖瀏にリゼスタが告げる。
「彼女も神意の一人、レイティ」
背を覆う白い髪が重力を無視し翼のように浮くその後ろ姿に、陸玖瀏は天使という存在を思い浮かべていた。