プロローグ
その男は世界に於いて、救いようのない救世主であった。彼が救世主と呼ばれる理由はたった一つ。彼は一人で無制限に人を殺すことができたからという点に絞られる。それはまさに人知を超越したとも言える奇跡の力だった。故に、彼は救世主と呼ばれ世界に必要不可欠な存在であった。
歴史書を好む者であれば彼を救世主などとは思えないことだろうが、これは現代世界の事実なのだから理解はできてしまうだろう。かつては罪であった殺人行為をよもや正義と捉えてしまう時代が来ようとは、歴史書の中の旧人類は思っても見なかった。或いは、空想に過ぎないなどと思っていたに違いない。しかし、新人類たる我々は一概に旧人類の愚行を恨むことは許されないのだ。なぜなら我々は、限りない進化を掲げた旧人類から生まれ、更なる進化を託された生命であるのにも関わらず彼らの意志を裏切り、彼らへの退化を望んでいるからだ。
我々新人類と、祖先である旧人類との最大の違いは命というモノの在り方。弱く脆く死にやすかった祖先と比べ我々はたった二つの事象を除いては死ぬことがない、その事象とは未殺人者、または救世主による殺害である。旧人類の愚行により進化を遂げた我々は、死ぬことの無い命と一度だけ同族を殺害できる権利を得たのだ。これが自然に生ける動物たちであれば、一度だけの殺害権利を自己の最期として正しく行使したはずだ。しかし人類というのは、最高峰の知能を有して尚もそれができない生物であった。
定めだというように、我々は誤った。
鳥が空を飛び、魚が海を泳ぐように、進化したその瞬間から殺害権の在り方を誰もが理解していたのにも関わらず、誰かは誰かを殺害した。その瞬間から、平等に与えられたはずの自己の死は失われた。
それは結果から見たら人類絶滅の可能性が急激に下がったのだから喜ぶべきことなのかも知れない。けれどこれはもはや本能なのだろう、かつての人が死を恐れたように我々は死ねないことに恐れを抱いていた。