第六話
体内に力が漲ってくる。
戦いの神レノックギールの力を借りた肉体強化だ。
魔術師たちのように詠唱をする必要はなく、意識するだけで瞬時に肉体強化される。
そして一気に地面を蹴った。
爆ぜるように土煙が舞い起こり、視界がぶれ、一瞬でウッドウルフたちの正面へと移動する。
意表を突かれたかのように怯んだウッドウルフたちへ、腰に据えた大剣が横殴りに襲いかかった。
ウッドウルフは集団で狩りをする魔物だ。
少なければ数体程度だが、多いときだと二十体以上の場合もある。その数は群れのボスの力によって増減し、力が強ければ強いほど群れの数も大きくなる。
そして今回襲ってきたウッドウルフの数は十体程度であり、そこまでボスの力は強くはない中堅規模だ。
だが中堅といっても十体もの魔物の数がいる。
ビーレは知らないが駆け出しの冒険者なら四人から五人は集まらないと対処できない規模だ。それでも一人から二人は何らかの怪我を負う事もあるし、不運に見舞われれば首を噛まれて死ぬ場合もあるし、対処を誤れば全滅だってあり得る。
(すごい……)
その群れに対してリッケルは軽々と大剣を振るう。
集団で襲うウッドウルフは、基本二体ずつペアで襲ってくる。しかも正面と背後からだ。
それをまるで背後にも目があるよう的確にウッドウルフたちの攻撃のタイミングをずらし、一体ずつ仕留めていく。
大剣が生き物のように前に後ろに、時には真横から大振りで牽制し、剣の幅でウッドウルフの爪を防ぎ押し返し、更には足で蹴り飛ばす。
ビーレは宿主の中にいるとき、視界を共有する事が出来る。
その視界は全体を見渡すように正面を見据え、視界内に何かしら動きがあれば即座に対応を行っている。決して一体だけを見るのではなく、常に全体を見るようにしていた。
(もしかしてリッケルは騎士団より強いのではないでしょうか)
ふとビーレは中央騎士団たちの姿を思い浮かべた。
騎士団、とはいえ実戦は殆どやったことのない者ばかりだ。
これが辺境の軍であれば実戦経験者も多いだろうが、中央には魔物が殆どいないので戦う機会も滅多にない。そしてこの大陸には国が一つしかないので他から攻め込まれた経験もないし、国自体が豊かなので盗賊なども滅多にいない。
辺境の騎士と中央の騎士とでは強さに差がある、とは聞いたことがあるが、リッケルの戦いを実際に見ていると納得出来る。
ビーレがそう考えながら観察していると、いつの間にかウッドウルフたちの数が半減以下になっていた。
最初はこんな数の魔物に勝てるのか疑問だったし心配もしたのだが、この調子なら大丈夫だろう。
しかし突然少し離れた箇所からうなり声が響いた。それを合図に周りのウッドウルフたちが波を引くように後退していった。
逃げたのかしら、と思ったがそれは誤りだった。
他のウッドウルフより一際大きな個体が現れたからだ。
「ん? 十体程度の群れのボスにしては思ったより大きいな。芽吹きだしそろそろ縄張り争いが苛烈になる頃だからそれに負けたか?」
ウッドウルフは冬眠する魔物だ。冬眠から目覚める雪解けに獲物狩りと縄張り争いが始まり、芽吹きには勝ち負けがはっきりする。
リッケルたちが今いるのは街道だ。街道といっても使う者はリッケルくらいしか使わないが、ほぼ一月に二回から三回は隣町まで行っている。つまりリッケルの臭いがこの街道に濃く残っている。
ウッドウルフからすれば同一の臭いが濃く残っているということは、その臭いの主がここを縄張りと称している、つまりボスという事になる。狩りはより弱い獲物を基本的に狙うので、強い個体のボスがいるような場所ではなく、多種多様で様々な臭いが均一に残っている強い個体のいない場所を選ぶ傾向が多い。
だがそういった狙い目の場所は争いが激しい。
おそらくリッケル達の前にいるウッドウルフも、それに負けた為に群れの数が十体程度まで減らされ、そしてリッケルの縄張りへと追い出されたのだろう。
ちなみにウッドウルフが村を滅多に襲わないのも数十人という人間の臭いが強く残っているから、すなわち強い個体に率いられた群れの縄張りと認識しているからだ。もちろん極度の飢えに達するとその場限りではないが。
ぐるぅ、と一声唸るとゆっくりとリッケルへ近寄っていく群れのボス。
対するリッケルは大剣を腰に据え、そして腰を落とした。
(だ、大丈夫でしょうか。あんな大きな狼相手に)
リッケルの身長は二メートル近い。しかし前にいるウッドウルフのボスは高さこそビーレよりも低いが体長ならリッケルにも負けないだろう。
ビーレ自身は意識体であり襲われても攻撃は当たる事はないし、万が一宿主が死んだとしても、次の聖女へ転移するだけだ。だがビーレは生まれてからも魔道具となってからも、魔物に直接狙われたことなどない。聖女が魔物に狙われるような場面など中央に居る限り起こらない。
所々傷を負っているようだが、その迫力と獲物を狙う眼光は、初めてこうした体験をするビーレにとって恐怖だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「さあ来いよ」
挑発するようにリッケルは不敵に笑った。
それに触発されたかのようにウッドウルフが空へと跳んだ。
(待ち受けてる相手に飛びかかるって格好の的じゃないか)
図体はでかいが戦術がなってない。空だと地面とは違い動きがどうしても一直線になるからだ。
確かにこれだと縄張り争いに負けて追いやられても仕方ないだろう。
(あとは上空から襲ってくる相手にタイミングを合わせて大剣を振るだけの簡単なお仕事ですっと)
しかしリッケルは忘れていた。
彼の中にビーレという素人がいることを。
(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い)
体長二メートルの大狼が口から涎を垂らしつつ空から襲ってくるのだ。
その迫力は戦ったことの無いものからすれば恐怖だろう。
恐怖の感情に捕らわれたビーレに、リッケルの身体が警報を上げる。
(しまっ……!)
一瞬ビーレの恐怖に引きずられるように、身体が硬直する。
その間にウッドウルフの巨体がリッケルを押し倒した。
倒れる直前、咄嗟に首を横に逸らしぎりぎり爪を避けることに成功したものの、肩に両足を乗せられる。
(あっちゃー、しくじった)
口を開いてリッケルの顔をかみ砕こうとするウッドウルフ。涎が滴り落ちリッケルの顔にかかる。
「くせぇ口開けて顔近づけんなよ!」
カウンターのようにリッケルの頭突きがウッドウルフの鼻を叩く。
ギャン、と悲鳴を上げるが、かけた体重はずらさない。余程空腹だったのだろうか必死だ。
「ビーレ落ち着け!」
その間にビーレへと声をかけるものの、全く反応がない。
(まあ素人がこのウッドウルフ見たらそりゃ怖がるよな)
リッケルはこの状況下でも内心は余裕だった。
なにせ彼はまだ全力を出していない。
癒やしの女神が心棒の度合いによって回復術のレベルが異なるように、戦いの神レノックギールにもレベルがあるのだ。そして彼は普段レベル二までしか使っていない。レベルを上げると精神的に疲れる、という理由もあるのだがレベルを上げすぎるとより肉体強化の度合いが高まり、楽になるのだ。
楽になってしまうと、それは鍛錬にならない。
(今の状況下で落ち着かせるのは無理と。先にこいつだけ倒すか)
一端目を塞ぎ、そしてレノックギールの力を更に解放する。
ぶわっと神の力が体中を駆け巡る感覚がし、そして今までとは比べものにならないほど満ち溢れた。
そのまま力任せに、腹筋するように起き上がり肩に乗せられた前足を撥ね退ける。そして自由になった右手がウッドウルフの首を掴み、締めあげる。
「女の子を怖がらせた罰だ」
立ち上がりながらそう言った途端リッケルの腕が膨れあがる。
ウッドウルフの首からミシミシと骨の軋む音が聞こえ、口から泡を吹き出す。
必死に前足でリッケルの身体をどかそうとするも、その爪はリッケルの分厚い胸に傷一つつけられなかった。
レノックギールの肉体強化レベル四。
リッケルが出せる最大の強化だ。
そして冒険者ギルドの依頼でランク三以上、街規模の危険と推定される依頼の推奨レベルが四だ。つまり最上位に位置する冒険者たちと同等であり、そう滅多にいない。
その効果は自身の身体能力を五倍以上まで跳ね上げ、身体を鉄の鎧と同等の堅さへと硬化する。
リッケルが上半身裸で鎧を着ていないのは、この硬化という能力があるからだ。
ごきり、と嫌な音を立てぐったりとなるウッドウルフ。
足下に落ちた大剣を拾い上げたあと、ウッドウルフの身体を空へと放り上げ、そして大剣を一閃させた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
首を落としたウッドウルフを逆さに持ちながら歩くリッケル。
ジャイアントスイングのようにウッドウルフを回転させて血を強制的に抜いたあと、このように持ち運んでいるのだ。
肉は臭く堅いので売れないが、それなりに大きなウッドウルフであることから皮が高く売れるのだ。このウッドウルフ一匹の皮と魔核だけで、十日は食事付きの高級宿に泊まれる位の金が入るだろう。
思わぬ臨時収入を得たリッケルが上機嫌なのに対し、彼の横には沈んだビーレが俯きながら歩いていた。
「落ち着いたか?」
「はい。聖女を補助する道具が取り乱し、あまつさえ邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「道具言うな」
「私は女神クロノレーファが造りし魔道具です」
そう言いながら顔を上げリッケルを見るビーレ。それは初めて見たときのような、人形のように感情を出さない表情だった。
一日付き合って分かった事実。
彼女は感情が薄い。
リッケルが頭を撫でた後くらいから彼にはよく感情を見せる事があるし冗談も言うが、祖父と対面した時は今のような表情だった。
最初は教会のトップに位置するため感情を抑えているのかと思っていたが、元々感情が薄い、いや感情を忘れているような雰囲気を持っている事が分かった。
二千年も魂を魔道具として生きてきた影響だろう。リッケルの元の世界だと二千年前といえば弥生時代である。途方も無い刻をこの少女は生きてきたのだ。
(人間が人より長生きするような魔物、例えば吸血鬼とかに変化すると、徐々に感情が消えていくとか小説で読んだことあるけど、人という精神がそんな長生きに適応していないからその影響なんだろうな)
そしてなぜ自ら道具を自称するか。
それは楽だから、なのだろう。
道具に徹すれば余計な事を考えずに済むからだ。
逆に考えればすり減った感情や思考を守るための自己防衛、とも言える。
別にリッケルは彼女を救いたいとか、魔道具となっているから助けてやりたいとか、一方通行に押しつけるつもりはない。
ただ、選択肢を与えたいだけだ。魔道具としてこのまま生きていくのか、それとも人として生きたいか。
人生はコンティニューできないが、二千年も頑張ってきたのだ。たかだか何十年しか生きていなかったリッケルが二度目の人生を強制スタートしたのだから、彼女にももう一度選択肢があっても良いではないか。
本当に魔道具から解放できるのか、解放できたとしても人として生まれ変われるのか、それとも消滅なのか、その辺りは分からない。でも女神に聞くことだけならタダなのだし、何かしら条件や代償が必要であれば自分が出来ることであればやるつもりだ。
そして選択肢を与えるとしても今のすり減ったままの状態ではなく、人並みの感情があった状態に戻したい。
となると、今回の出来事は逆に言えば恐怖という感情を思い出したのだ。災い転じて福と成す。これを機にビーレにはもっと多くの感情を思い出してほしい。
「あのなビーレ、このウッドウルフを怖いって思ったんだろ?」
「は、はい」
未だ恐怖を感じるのかリッケルが手に持った首のないウッドウルフに一歩後ずさる。
「恐怖を感じるのは生物としての本能だ。自分より強い相手を怖いと思うのは当たり前なんだよ。お前は人の感情を持っているんだ」
「ですが……」
「身体は道具かも知れないが心は人だよ、ビーレは」
「…………」
再び俯いたビーレの頭を軽く撫でると、徐に抱きかかえた。
急激に感情を思い出させるのも良くはないだろう。
気晴らしにちょっと走ってやるか。近所のガキどもはこうやって肩に乗せて走ると喜んでくれるからビーレも楽しんでくれるだろう。
「きゃっ、な、何を!」
「戦闘で思ったより時間がかかった。このまま走るぞ」
「ふぇぇぇ?!」
突然肩に乗せられたビーレは混乱する。他人に触れられ、あまつさえ肩に乗せられた経験など記憶にない。
更にビーレを左肩の上に、ウッドウルフを右手で持ったリッケルが地面を蹴りながら飛ぶような速度で走り始めたのだ。しかもまるで馬車に乗っているのと変わらない速度だ。はっきり言えばあり得ない速度である。
この男は常識外れな事ばかり言ってくるし、突然訳の分からない行動をする。しかもクロノレーファ様、神様が制限した意識体の自分に触れられるのだ。本当にこの男は人間なのか疑問に思う。
そして先ほど、心は人だ、などと言われたが、ビーレ自身にはもう分からない。
遙か遠い昔、自分が魔道具でなかった頃の記憶はもう殆どない。歴代聖女たちの顔も名前も半分以上忘れている。
自分が魔道具になった経緯は知識として知っているが、その頃の記憶が殆どないのだ。本当に自分が人だったのかすら今では疑問に思う。
そう考えると自分もこの男も似たようなものかも知れない。
「っていうかお前軽いな。飯ちゃんと食ってるのか?」
「私は意識体ですから重さもないですし、食べる必要もありません」
「ふーん、じゃあ視覚を共有できるのなら味覚も共有できるのか?」
(本当にこの男は想定外の問いかけばかりしてくる)
今までの聖女にも、一緒に食事しようと誘われた事はあるが、食べられない、と答えれば残念そうにするだけだった。
だがこの男は味覚を共有出来るか聞いてきたのだ。味覚なんて考えたことすら無かった。
「試したことはありませんが、おそらく可能と思います」
「じゃあ一度試してくれ。もし共有できるのなら今夜はビーレの好きなもの頼むわ。臨時収入もあったことだし、豪勢に行こうぜ」
俺が食えばビーレも味わえるってよく考えればものすごくお得だよな、一人分の金で二人が楽しめる、という声がリッケルの口から漏れた。
そんな考えに至るのがビーレには信じられない。
思わずクスッときた。ならば少しからかってみよう。
男性は甘い物が苦手と聞いたことがある。
「それってリッケルが単にたくさん食べたいだけなのでは?」
「そそそそんな事決してありませんわよおほほほほ」
「そうですね、ものすごく甘いお菓子を希望します。むしろ今夜はお菓子パーティでもしましょう」
「えー。甘い物は高いのですよビーレさん。なにせ辺境だから砂糖が手に入りにくくて」
「臨時収入があったのですから少しくらい良いではないですか。それとも私のお願いを聞いてくれないのですか?」
「ぐっ、分かった。男に二言は無い。食ってやろうじゃないか。あ、ちゃんと飯も食うからな」
「はい」
さっきはとても怖かったが今は楽しい。
風を感じることが出来ないのは残念だが、流れる景色を眺めるのも楽しい。馬車とは違った感覚だ。
この男とは昨日会ったばかりなのに、驚くような出来事が連続で起こる。どれも予想外すぎてどう対処すれば良いか分からないし、この男が本当に聖女となるに相応しいのかも分からない。
クロノレーファ様に私の事と聖女の事を尋ねるために聖女の間へ行くそうだが、一体クロノレーファ様へどのように尋ねるのか怖い。寛容な方なので怒りはしないだろうが、それでも無礼を働けばどうなるか分からない。でも私もどのような意図で、この男を選んだのかはクロノレーファ様に尋ねたい。
その返答如何ではこの男が聖女でなくなり、私が別の聖女へ転移することも考えられる。
もしこの男と別れても、次の聖女がこの男のような人だと、それは楽しそうだ。
そう考えついたビーレだったが、楽しい、という感情が生まれてそれを望んでいる事に気がつかなかった。