第四話
「俺だけのけ者かよ」
リッケルシュタインは外を歩きながらぶつぶつと口の中で文句を幾度も言い放った。
近所の子供たちが、今日はリッケルの機嫌悪いねー、さっき一緒にいた女の子に嫌われたんだよ、今一緒に居ないもんね、振られちゃったんだ、リッケルかわいそー、近寄らないようにしようね、などと言っているが彼は気がつかない。
彼の祖父とクロノマギアは互いに知っていた。そして徐に祖父はクロノマギアへと跪き、両手を重ね合わせて祈るような姿勢をとった。
おそらくあれが教会の敬礼のポーズなのだろう。
知識としてクロノマギアは聖女を補助する魔道具であり教会の偉い人と言うことは知っていたが、自分の第二の育て親である祖父があのような姿勢を取るのを目の前で見て、改めてクロノマギアという存在が遠く感じられた。
そして一分ほどその姿勢を保っていた祖父が唐突にリッケルシュタインへ外に出ていろと命じたのだ。
「教会内部の事だから部外者の俺に聞かせる話じゃないってのは分かるけどさ。一応俺って聖女(ただし仮)という地位なのだから一緒に聞いててもいいはず。いや、聖女なんてやりたくないから部外者扱いの方が都合は良いんだけどさ」
リッケルシュタインも前世では社会人だったし、そのため情報制限の重要さは分かる。知る必要のないもの、知れば逃れられない、という事もあるのだ。
だが感情は納得できない。
こういう時は一人でのんびり休むのが一番だ。
中央へいく荷物準備でもしようか、とも思ったがあの二人の話し合いの結果によっては行かない可能性だってある。
それに荷物といってもそれほどあるわけではない。
旅に最低限必要なのは、水、食料、武器、テント、ランプだ。
特に水が重要で且つ一番重い。
何しろ人は一日に五リットルの水を飲む。七日分だと三十五キロもの重さになるのだ。それに加えて食料やらテント、武器を背負うとなると五十キロを超えるだろう。
ただしリッケルシュタインにとってはその程度の重量ならさほど重くはない。ただ嵩張るのがやっかいだ。
樽に入れて背負うのが一番手っ取り早いが、戦闘になったら邪魔になるだけだし、万が一壊れでもしたらそれでおしまいだ。
腰にぶら下げるタイプの革袋ならそこまで邪魔にはならないが量は少なく、せいぜい一日分、節約しても二日分しかもたない。
こういうとき、創造の神チルミレイファを心棒している魔術師が居れば楽になる。
幾度か冒険者ギルドで魔術師と話したことがあるが、彼らは荷物を収納できる魔道具を自作することができる。大きさは作成者の腕と使用者の魔力量によって差はあるものの、最低のものでも十キロ程度、最高級だと百キロほどの荷物を格納できるのだ。
だがリッケルシュタインは基本的にこの村の近辺を活動範囲としており、遠出しても徒歩一日の隣町までだ。そのため、あれば便利にはなるがそこまで必要性を感じられなかったし、そもそも高い。何しろリッケルシュタインがこれまで貯めた金の八割ほどが飛ぶ金額だ。到底買えない値段である。
(荷車を引っ張っていくか? それも邪魔になるしなぁ。馬車が借りれれば一番良いのだが、この村に余分な馬など居ないし)
やはり隣町の冒険者ギルドへいって、そこで馬車を借りるのが一番良いだろう。
ちなみに世の中の冒険者たちは基本的に馬車を持っている。馬が走れないような土地へ行く場合は、荷物持ち専用の人を数名借りたりする。もちろん金のない冒険者は、遠出せずに近場で済ますが。
旅行者はどのようにして荷物を軽減させているのか全く分からない。乗合馬車を継いで移動するはずだが、おそらく乗合馬車の停留所に水などが売っているのだろう。
そう考えながら自宅へ戻ってきたリッケルシュタイン。
まず壁に立てかけてある大剣を持ち上げた。
この大剣は二年ほど前に隣町へ来ていたドワーフから譲られたものである。
何の因果かは知らないが彼と腕相撲で勝負をすることになり、結果的に負けてしまったもののなぜか非常に気に入られてしまい、この大剣を貰ったのだ。
ドワーフ製の武具は非常に高い。この大剣もおそらく市場で買えば全財産を叩いても手が届かないだろう。
(ドワーフってほんとに子供くらいの身長しかないくせに、馬鹿力なんだよな)
腕相撲は肉体強化を切った状態で行うのが普通なのだが、そのドワーフは、それじゃ勝負にならんから全力でこい、と言い放ったのだ。
そしてリッケルシュタインは文字通り全力で挑んだが、残念ながら一歩、いや二歩及ばなかった。
このわしが人間相手に苦戦するのは実に三十年ぶりじゃ、記念にこれ持って行け。
そうドワーフは言うと、足下に転がっていたこの大剣を軽々とリッケルシュタインへ放り投げたのだ。
(何が苦戦だよ。始終余裕だったくせに)
二年前のリッケルシュタインの体格は百八十センチ少々。今あのドワーフと再戦すればもう少し粘れるだろうが、勝てるイメージは見つからない。
更にドワーフの多くは鍛冶の神レットノットを信仰している。つまり肉体強化などというある意味卑怯な術無しの素で、肉体強化をしたリッケルシュタインに圧勝したのだ。
あの時ドワーフから感じた威圧感は一生忘れられない。
(だが、この大剣のおかげで俺は随分と助かった)
この大剣の重さは三十キロ。まず人が持つような武器ではない。
片手剣の重さがせいぜい二キロあるかないかなのだ。両手剣でも重くて四キロから五キロの間だろう。
いくらリッケルシュタインでも子供の体重くらいある剣は素だと扱えきれない。肉体強化があるからこそ、何とか扱えるレベルだ。
だがそれだけ重いからこそメリットも大きい。
まず頑丈さ。リッケルシュタインがこの大剣を使い始めて二年経つが、一度も刃こぼれを起こしたことがない。また幅は五十センチ近くもあり、これだけで盾代わりになるし、切れ味も大剣とは思えないほど鋭い。大剣は重さで叩き切るのが普通だが、この大剣は銅製の鎧程度なら容易く断ち切る。
そして使い終わったら丁寧に磨いておけば、殆どメンテナンスが要らない。
年に一回くらいは鍛冶屋へ持っていけ、とドワーフに言われたこともあり今まで二回持ち込んでいるものの、鍛冶屋の亭主もメンテナンスが殆ど不要ですね、と言っていた。
重いので扱いにくいものの、先手必勝一撃必殺のリッケルシュタインにはぴったりの剣だ。
そんな事を思いながら鞘から大剣を抜き、動物の皮で作った布で丁寧に磨き上げていく。
この世界に時間潰しするものは少ない。パソコンも無ければネットも無いのだ。本は高価だし、そもそも辺境の地に本など滅多に流通しない。
だからリッケルシュタインは空いた時間はほぼ鍛錬か、あるいは武器のメンテナンス、家の掃除、そして前世の趣味であるカレー作りをやっている。
ただこちらの世界でのカレー作りはなかなか難しい。
前世ではスパイスからルーを作っていたが、そのスパイスも結局店で売られている加工されたものである。実際の薬草は見たことが無いし、どのようにして加工するのかも知らない。
(でも幸い爺さんは薬剤師だった。おかげで色々と教えてもらえた)
最初は散々だった。
取ってきた薬草類の殆どが毒のあるものか、食べることができないものばかりだったからだ。もし祖父が居なければ、きっと毒草を食べて死んでいただろう。
そこから半年以上研究してようやく完成したカレーは、まずかった。
未知のスパイスをどのように配合していけば良いのか分からないのだ。それでは成功するほうがおかしいだろう。
少しずつ配合を変えて試して行き、最終的に満足する味が出せるようになるのに四年かかった。
それでもその成果は大きかった。
肉の臭みをなくすようなスパイスも手に入ったし、何より胡椒が一番大きい。これで料理の幅が増えたからだ。
今では守衛団のリッケルシュタインではなく、料理のリッケルシュタインと呼ばれる方が多い。
(あとは米が手に入れば最高なんだよな)
残念ながらこの村や隣町ではパンが主食であり、米という存在がない。
パンで食べるカレーもいいのだが、やはりカレーライスが一番であろう。
(なんだかカレーの事考えてたら腹が減ってきた。あとで肉でも焼いて食うか)
などと思っていた時、突然すぐ側にクロノマギアが現れた。
咄嗟に手に持っていた大剣を反射的に自身の前へ盾のように掲げる。
クロノマギアも突然目の前に鈍く輝く、自分の身長とそう大差ない大剣を突き出され思わず飛び退いた。
「きゃっ!?」
「うぉっ!? ってなんだお前かよ、脅かすなよ」
「いきなりそんな大きな剣を目の前に持ってこないでください、驚きます」
「いや、だってすぐ近くに突然何かが現れたらそりゃ咄嗟に防御しちまうさ」
突き出した大剣を収めて、再び磨き始める。それを興味深そうに眺めるクロノマギア。
彼女はこうした武器を殆ど見たことが無い。
儀式で外に出るとき護衛として中央騎士たちも同行することがあるものの、中央と呼ばれる地域は治安がすこぶる良いのだ。魔物も滅多に現れないし、常時中央騎士が巡回して治安維持を行っている。
盗賊はまれに出現するものの、誰も聖女とクロノマギアの一行を襲うようなものはいないので、騎士たちが抜刀した姿を見たことがない。
「こんな大きな剣を扱えるのですか」
「ああ、肉体強化無いと無理だがな。それより爺さんとの話しって終わったのか?」
「はい、今日はゆっくり寝て明日出発しろとの事でした。それと出発前に寄るように、だそうです」
「爺さんの欲しい土産もの一覧でもくれるのか?」
「私には分かりかねます」
ふーん、と相づちを打ったあと磨き終わったのかリッケルシュタインは鞘に大剣をしまった。
そして元あった場所へ剣を立てかける。
「そういえばお前さっき突然沸いてでたよな。瞬間移動できるのか?」
「私はあなたの魂と繋がっているのですよ。一瞬であなたの側へ移動する事など造作もありません」
「移動する前に一言声をかけてくれ。心臓に悪い」
「心臓に毛が生えていそうな人が何を心配しているのですか」
「生えてねぇよ! 見たこと無いから実際はわからんが……言っとくけど胸を裂いて見せないからな」
「見たくありませんよ!」
「マッドな気質を持っているかも知れないからな。それはそうと……」
マッドとは何でしょうか、とクロノマギアが質問をしようとした矢先、リッケルシュタインが大きな手でクロノマギアの頭を鷲づかみした。
そして息がかかるほど顔を近づける。
「あなた、ではなくリッケルシュタインと呼べ。長けりゃリッケルでいい。近所のガキどももそう呼んでるし」
「え、えっと……その……ち、近い……です」
「リッケル、だ」
「あ、はい。リッケル、近いから離れてください。私の目が汚れてしまいます」
「お前泣かすぞ?!」
そして手を離して照れたように俯くリッケ。
リッケルがこんな強引な手段をとって自分の名を呼ばせるようにしたのは、クロノマギアという存在をついさっき遠くに感じたせいだ。
(まだ出会って一日も経っていないのに、なぜ俺はこんなに気にするんだ。思春期のガキじゃあるまいし)
実際十四歳なのだから十分思春期なのだが、前世では社会人やっていた立派な大人だったのだ。精神が引きずられているのかもしれないし、仲間外れされた事に対する単なる嫉妬なのかも知れない。
色々と悩みながら、結局口に出したのは言い訳だった。
「近所のガキどもを叱るときはこうして頭を掴んで顔を近づけると大抵泣いて謝ってくるんだよ」
「リッケルのような髭が生えてる大男に顔を近づかれたら普通泣きますよ。私は大人ですから泣かないだけです。それと」
そういったクロノマギアは仕返しとばかりに顔を近づけようとする。
が、圧倒的に身長が足りないため、クロノマギアの目にはリッケルの胸しか見えない。
むー、と一言唸ると空に浮かび上がり、そしてずいっと顔を近づける。
「な、なんだよ」
「私の事は、お前やクロノマギアではなく、ビーレナイアと呼んでください」
「長い。ビーレでいいか?」
「そう呼ぶ事を特別に許して差し上げます」
「ちっ、上から目線うぜぇ」
「ふふっ、こうすれば実際に上から目線になりますね」
更に上へと飛び上がる。が、しかし天井に顔が入り込んだ。
あ、と可愛らしい声が上から漏れるのがリッケルの耳に入った。
「何やってんだよ」
呆れたように呟いたリッケルはビーレの足を掴み、天井から引き抜く。
(確かにこいつ、じゃなくてビーレは偉い存在なのかも知れないけど、こうした行動は子供だな)
そう考えると来が楽になった。
そうだ、俺のやることは単純だ。第一にビーレをクロノマギアという魔道具から解放すること、第二に聖女の役割から下ろさせて貰うことだ。
それを直談判しにいけば良いだけだ。
「ま、今日のところは寝るか」
「そうですね。私は眠る必要はありませんが、リッケルは十分睡眠を取ってください。のたれ死んでも私が困りますから」
「なにげに酷い事いうなよ。俺は方向音痴なんだから本当にのたれ死ぬかも知れないんだからさ」
「……地図買いましょう」
「そ、そうだな。で、俺が寝ている間、ビーレはどうするんだ?」
「私はリッケルの中にいますよ」
「……は?」
「私はこうして意識体を外に出すことも出来ますけど、普段は宿主の中にいます。最初もそうでしたよね」
そう考えると確かにそうだった。
違和感を感じて鏡代わりの盾をのぞき込んだら自分以外の誰かが居たのだ。
だが正直他人が身体に同居している感覚はなんとなく心地悪いし、何より女の子が自分の中にいると考えると恥ずかしい。
「出来れば中には入らないでくれ」
「なぜですか?」
「えっとな、なんとなく恥ずかしい」
「……ふーん、恥ずかしいのですか。私には理解出来かねますね」
にやり、と笑うビーレ。
次の瞬間ビーレの身体が突如消え、そしてリッケルに違和感が生じた。
「あっ! ちょっ、おまっ!」
(やはり宿主の中が一番楽ですね。意識体を外に出すのにも少々力が必要ですから)
「いやお前が楽になるのはいいけど、俺が困るんだよ!」
(どう困るのですか? 恥ずかしい、なんていう感情ならそのうち慣れますよ。歴代の聖女だって、一年も同居していればみな納得して頂けましたから。それに私に見られては困るものがあるのですか?)
「ねーよ! いや風呂は困るが」
(別に私はかまいませんよ)
「俺がかまうんだよ!」
こいつサドだ。全て分かっててわざとやってる。
そう強く思うリッケルだった。