第三話
クロノマギアは元から魔道具として生まれた訳では無い。クロノマギアの人格は初代聖女と言われたビーレナイアという少女だ。
彼女は類い希なる才能で人の身でありながらクロノレーファの力を扱えた、つまり魔法を使う事ができたのだ。だがその反動は大きく、わずか十三歳でこの世を去った。
彼女の死後、その知識や才能を惜しんだ女神クロノレーファは魔道具としてビーレナイアを蘇らせ、そして歴代聖女のサポートをさせたのだ。
しかし魔道具とはいえ、ある意味人を蘇らせる事は世界の摂理に反することであり、いくら女神とはいえ無条件で行使することは出来なかった。それ故、ビーレナイアに制約を設けた。
その制約の一つに他人と触れ合えない、つまり生者に影響を与えることができない、というものがある。
アンデッド、いわゆる生者を脅かす死者の魔物とは異なる事を明確にする為である。
彼女は魔道具となって二千年以上、他者と触れあう事ができなかった。
会話は出来るものの、人のぬくもりを感じられない彼女の感情は徐々に失われていき、滅多なことでは動じないようになった。
それが突然頭を撫でられたのだ。
驚きと共に感情が溢れだし、そして泣いてしまったのも無理はあるまい。
なにせ彼女はクロノマギアとなったのが十三歳、精神的にはまだ子供なのだ。
いきなり少女に泣かれ、慌てふためいたリッケルシュタインだったが、泣きながら彼女にそう説明されると憤慨した。
「こんな子供を二千年以上も他者から触れられないよう閉じ込めるなんて、どこが癒やしの女神なんだよ!」
「いいえ、私自身も望んだのです。クロノレーファ様は悪くありません。それに私は二千歳以上で子供ではありませんし、あなたより遙かに年上です」
「ロリ婆かよ」
「何でしょうか、少し腹の立つ言葉ですね。それよりなぜあなたは私に触れられるのでしょうか。もしかして制約が外れたのかと思ったのですけど、ここにある木箱に触れる事はできませんのでそれも違いますし」
「あー、そりゃ多分俺の前世がこことは違う世界に居たからじゃね?」
リッケルシュタインは元々こことは異なる別世界で生まれ、そして死んだ後こちらの世界へ転生してきたと、説明された。
推測になるが、魂は別世界のものであり、こちらの世界で生まれた魂とは異なる。そのためこちらの生者とは見なされず、クロノマギアの制約に引っかからないのではないか。
そう伝えたものの、クロノマギアはつい先ほどリッケルシュタインがやったように手を軽く振った。
「またまたご冗談を。そんな荒唐無稽な話しを信じろと言うのですか? 実はあなたが神の代理人だったと言われた方が納得できます」
「なんなの? 俺が神様やその親族に見えるってか?」
「……ごめんなさい、無理でした」
「謝んなよ!?」
そう叫びながら目の前の少女が屈託なく笑う姿を見るリッケルシュタイン。こうして見るとごく普通の少女に見える。
殆ど感情らしい感情を浮かべなかった最初とは大違いだ。
(やっぱクロノレーファと直接対峙して、クロノマギアである彼女を解放できるのか、聖女という役割を他者に譲れるのか、この二つを聞く必要があるな)
前者はもちろんのこと、後者もリッケルシュタインにとって押しつけられたようなものだ。
衣食住は国から支給され死ぬまで安定した職業とはいえ、聖女の力を使えば使うほど寿命が短くなるなど呪いに等しい。
そのような役割は他に望んでいるものへ移譲したほうが互いに幸せである。
「まあいい、それより直談判が必要だ。おい、クロノレーファと会話できる場所ってどこだ?」
「様をつけてください、クロノレーファ様と。クロノレーファ様と会話するには中央教会にある聖女の間に行く必要があります」
神を心棒し、その力を借りるには普段から神の意志が感じられるような行いをする必要がある。
例えば戦いの神レノックギールであれば、誰かを守る強い意思を持ちながら戦い続ける。それを続けていくと、不意に神の意志が感じられるようになり、そして自然と神の力を借りる、すなわち魔術が扱えるようになる。
だが神と対話するにはそれ相応の場が必要だ。レノックギールなら大陸一険しいと言われるレノック山脈の頂上だし、大地の守り神ベルダレクトであれば大陸を南北に三割裂いているベルダ峡谷だ。
もちろん多少の心棒者程度が訪れただけで対話することなど、神が気まぐれを起こさない限り不可能だ。その神への篤く深い心棒が必要不可欠である。
だがリッケルシュタインにはクロノマギアがいるのだ。宗旨替えしなくとも何とかなるだろう。
「結局中央に行かなきゃいけないのかよ」
「聖女になる決意が出来ましたか? なんなら女性にしてあげますよ?」
「ならねーよ! 百歩……いや一万歩譲って女性になったとしてもこの姿のままなんて、どこにも需要ねーよ」
「大陸は広いのです。もしかするとあなたの姿を気に入る男性がいる可能性も、ごく僅かですがあると思います」
「涙浮かべて笑いながら言う台詞じゃねーよ! それにそんなホモ野郎がいるなんて気色の悪い事言うな!」
「だって……おかしいですもの。今まで歴代の聖女はみんな大人しく慎ましい方ばかりでしたし、教会の人たちも全員腹黒い人ばかりで、あなたのような人と会話したのは初めてですから」
クロノマギアの、教会の奴らは腹黒いという言葉にリッケルシュタインは、やはりか、などと思った。
(爺さんが教会に居た三十年以上昔も教会は腐ってたと言ってたけど、今でも同じなんだな。しっかし教会は腹黒いなんてワンパターンな展開だよなぁ)
リッケルシュタインの村にも一人かなり年の経た薬剤師兼神官が住んでいる。
昔は教会の司祭だったそうだが上層部の腐敗に腹が立ち教会を辞め、こんな辺境の地まで流れ着いたらしい。
リッケルシュタインの両親は彼が小さい頃、魔物に襲われ亡くなった。その後彼を引き取ったのがその薬剤師である。この世界の一般知識から文字、風習、地理など全て彼から習った、いわばリッケルシュタインの師であり第二の親だ。
中央に行くことは良い。彼がいない間、村の治安は冒険者に頼めば数ヶ月なら大丈夫だろう。
リッケルシュタインは暇があればここから歩いて一日の距離にある比較的大きめの街に出向いている。そこには冒険者ギルドの支部があり、たまに倒した魔物の素材を売って小遣い稼ぎをしているから顔は知られているし、依頼料についてもこんな田舎じゃ金があっても使い場所がないのでそれなりに貯まっている。
この村から中央まで徒歩だとおおよそ六十日程度かかるが、途中乗り合い馬車を使えばその半分くらいで着くだろう。
向こうで三十日ほど滞在しても季節一つ分もかからない。
唯一の心残りは、残していく親代わりの薬剤師だ。薬の知識があり年齢に見合わない健康さを保持しているものの既に七十歳を超えており、いつ亡くなっても不思議ではない。
だが聖女は国にとって必要な存在だ。
そうそう聖女の力を発揮するような場面は無いだろうし、力を使えば使うほど寿命が短くなるので教会としてもなるべく最低限しか使わないよう命じている。
だがいざという時に頼れる聖女の力は大きい。出来るだけ聖女がいない期間は短い方が良い。
それに季節一つ分中央へ旅行にいくだけ、と考えれば気が楽になる。それくらいなら万が一爺さんに何かあったとしても、彼の手持ちの薬で延命は出来る。死に間際には間に合う。
「爺さんに中央へ行くことを伝えてくる。一応俺は行く気だが、爺さんが反対したらどうなるかは分からん」
「分かりました、ご家族の方に報告するのは当然です。でも聖女は神々の定めたことですから、神々の意思に反対はなさらないと思いますよ」
「あー、爺さんも昔中央教会に居た事があるって言ってたからなぁ。お前の姿見たら多分反対出来ないだろうな」
「そうでしたか。もしかすると私の見知った方かも知れませんね」
そう言ったものの、基本的に彼女は聖女とともに聖女の間か聖女の自室に居て、あまり外に顔を出さない。年に数回、癒やしの儀式のため外へ出る程度だ。
その儀式にはたくさんの教会の者がついてくるが、聖女や彼女と直接会話できるものは最低でも大司教クラスであり、助祭や司祭クラスだと名前どころか顔すら知らない者が大半だ。
リッケルシュタインの祖父が教会でどの立場の者だったのかは分からないが、おそらく向こうはクロノマギアの顔を知っているが自分は知らないだろう、と推測する。
「まー、あの爺さんだしどうせ下っ端だったんだろうから、お偉いさんであるお前が知ってるとは思えないけどな。とりあえずいくぞ」
「分かりました」
そしてクロノマギアはリッケルシュタインの後について家を出た。
家、と言っても木と藁で出来た簡素な家であり部屋も一つしかなく、扉も取っ手の付いたものではなく単なる筵を立ててあるだけだ。雨は凌げるがすきま風は防げない。
クロノマギア自身は寒さ熱さは感じないが、これでよく体調を崩さないものだと感心する。
そして彼の祖父が教会にいた、という事実がある事を思い出し、おそらく病気などになっても祖父に治癒して貰っていたのだろうと推測した。
病気を治癒できるものはかなりレベルの高いクロノレーファの信者だ。
神を信仰し、心棒すると神の力を借りる事が可能となる。しかしどの程度力を借りる事が出来るのかは、心棒の度合いと行動、そして熟練度で決まる。
そしてそれは大きく五つのレベルに分けられており、レベル一だと簡単な切り傷を癒やす程度だが、レベル五になると死亡寸前の者ですら完全に治癒することが可能となる。病気の治癒となるとレベル三相当でありこれは大司教、領主や辺境伯など高位貴族お抱えの癒やし手並みの実力を持っている事になる。
ちなみに枢機卿や教皇になるには治癒のレベルはあまり関係なく、どちらかと言えば経営手腕や政治的配慮が物を言う。
(もしかすると本当に私の知っている方かも知れませんね)
大司教クラスならクロノマギアが知っていても不思議ではない。
しかしそのクラスまで登ると複芸など簡単にしてくる。何を考えているのか分からないのだ。
(面倒ごとにならなければ良いのですが。それにしてもここは本当に辺境の地ですね)
意識を切り替えて景色を眺めた。
田畑があるものの面積は小さく、おそらくこの村を賄う程度しか耕してないのだろう。
そして遠くに森があるのが見えた。
(あの森で狩りをし、田畑を耕して生活をしているのですね。一望する限り限り十程度の家屋しかありません。と言うことは人口もせいぜい三十人から四十人程度ですか。いえ、辺境だと子沢山のご家庭もありますし、一概には言えませんね)
人口が少ない村では子供も重要な働き手だ。そして見る限り土地はまだまだ余っている。
確かかなり昔に、人の地を広げようと辺境伯が開拓者を募った事があった。だが計画はあまり進まなかったと聞いている。
それは中央と食料庫と呼ばれる地域だけで十分人口を維持し、賄える事が出来たからだ。それに辺境へ行けば行くほど魔物も数多く生息しているので開拓するにも非常に困難という事もある。
それでも一部の人は新天地を求めて旅立ったと聞く。
もしかするとこの村はその人たちの子孫なのかも知れない。
(ここ数百年は中央に閉じ篭もって外へは滅多に出ることが叶いませんでしたが、こうして見るとこの大陸はとても広いと実感します。何年かに一度は各地を巡幸した方が良いかもしれません。きっと今後誕生する聖女の刺激にもなるでしょう。他に気になる点ですがみな薄着ですね)
今は芽吹きの月なのに、みな半袖でありながら汗を流しているし、リッケルシュタインなど上半身裸だ。
この世界では一年は六つの月に分けられており、一月が六十日だ。つまり一年が三百六十日となる。そして月はそれぞれ名前がつけられており順に、雪解け、芽吹き、七色の雨、花の君、赤の山、凍える夜となっている。つまり、春先、春、雨期、夏、秋、冬だ。
芽吹きは春の季節だが、これだけ薄着という事はかなり南側に位置する事になる。
(南と言うことはオレイドル辺境伯領の先でしょうか。あの地から中央都市までだと、馬車を使っても三十日程度はかかるでしょうね)
「あそこが爺さんの家だ」
クロノマギアが村を観察していると、リッケルシュタインが一つの家屋を指さした。
大きさはリッケルシュタインの家より余程大きい。薬剤師も兼ねているし、おそらく病人の寝床や薬などの倉庫があるのだろう。
壁は泥を固めたようなものになっており、リッケルシュタインの家のようにすきま風は入らない工夫がされているし、簡易だが扉もちゃんと取っ手のついた木で作られている。
彼は勝手知ったる家とばかりに、扉を開けて中へ入っていった。
「爺さんいるかー?」
「なんじゃ、うるさい奴がきたの」
いくら家族といえど他の家なのにこのようにずかずかと入り込んで良いのだろうか、と思いつつも彼の後に続いて中へと入っていく。
中は思ったほど暗くは無かった。壁の上部が一部木で編んだ柵のようになっており、そこから光が差し込んでいるのだ。
そして近くには藁で編んだカーテンのようなものが置いてある。夜になるとそれで柵の部分に蓋をするのだろう。
「ちょっとばかり中央に行きたいんだけどさ」
「はぁ? いきなり何を言っておるのだお主は?」
部屋の中央には腰を下ろした、口と顎に豊かな白い髭を生やしている老人がいる。
リッケルシュタインも同じように腰を下ろしながら話していた。
「ん? 誰かいるのか?」
「ああ、この子なんだけどさ……」
老人の目がクロノマギアの姿を捕らえる。
最初は探るような目つきだったが、唐突に目を見開いた。どうやらクロノマギアの事が分かったようだ。
驚愕に口をあんぐり開けている老人の顔。その顔をクロノマギアは知っていた。
ゆっくり老人の前まで歩いてリッケルシュタインの横に並ぶ。
そしてちらと横目で彼を見る。座っているにも関わらず、自分とそう大差ない高さに少しむっとして口を尖らせてしまうものの次の瞬間、そんな感情が生まれた自分に少し驚いた。
慌てて表情を戻し老人の顔を見る。
「エラギシズ卿、お久しぶりです」
「ク……ロノマギア……どの?」