記憶の断片。
ガールズラブです。
百合です。
ついでにつまんないです。ごめんなさい。
それではどうぞ。
『さよならは言わずに別れましょうね。』と、彼女は言いました。
これは、屋上で出逢い、屋上で別れた彼女と私の物語―
『世界は、汚れている。』そんな言葉を不意に思い出す。
ツクリモノの世界に、誰も彼もが満足してる。
屋上に寝そべる私は、氷のようにどこまでも青く透き通るようなはたまた人間のエゴと欲と排気ガスにまみれたような、綺麗なのか汚いのか解らないようなそんな空を眺める。
ある日から一日の大半を屋上で過ごすようになった。
『私は空気だ。存在はしていても、透明で透き通る誰にも見て貰えない。そんなものだ。』
きっと、私が居なくてもこの空間の時間は動いてる。
私は起き上がって、屋上の手すりに手を置く。
炎天下、照りつける太陽の中に融けてしまったようなそんな錯覚に陥る。
白くて、ただひたすら白くて。
私のセカイに色彩が無いように、このセカイもまた、色彩が無いのかもしれない。
「…いっそ、全てを終わらせてみようか。」
手すりは、太陽の光をうけて熱く輝いている。
熱くて、熱くて堪らない。
火傷をしてしまいそうなくらい、熱くて。
「…まだ、私に感情はあったのね…。」
訳もなく可笑しくて、自然と笑みが零れる。
(樹…。)
私は黄色いテープで囲まれている校庭を見下ろす。
大好きだった彼女―樹が屋上で命を断ったのは、ほんの三日前。
樹はほんわかしていて、そこにいるだけで自然と人が集まる。そんな不思議な魅力をもった少女だった。
ふわふわとしている長い栗色の髪を下ろしていて、いつも柔らかい微笑みを崩さない彼女の周りには、必ず多くの人がいた。
私はそんな樹に憧れて、樹の側に居たくて、良く樹を誘って屋上でつまらない話をした。
その時に樹がよく凭れていた銀色の手すりは、太陽の熱をうけて熱く、光輝いている。
まるでこの手すりを越えてしまうと、別の世界へと行ってしまうような、越えたらもう戻ってこられないような、そんな感覚に陥る。
(結局私は臆病者なのね…。)
あの日も、臆病者の私は彼女を助けてあげられなかった。
彼女が何を考えていたのか、何が起こっていたのか。
(何も知らなかった…。)
悔しくて、悲しくて、大好きだった彼女を守れなかったのがただひたすら悔しくて。
時折思い出す、楽しかった記憶の断片。
熱くなったコンクリートに涙が溢れて消えた。
一度涙が溢れると、自分じゃもう止められなくて。
嗚咽と涙が止まらない。
「ううっ…!」
温かい涙が、頬を伝う。
私は、生きてる。
…どうして?
「もう、こんな世界で生き続けるのなら」
いっそのこと、終わらせてしまおうか。
そう呟いたら、何もかもがどうでもよく思えた。
銀色の手すりを乗り越え、屋上の縁へと立つ。
「樹…。」
貴女を守れなかった罪を、貴女の苦しみに気付けなかった愚かさを
私は今日、終わらせるから。
「ダメッ!」
ぐい、と酷く強い力で引っ張られた。
体の感覚や視覚がおかしくなり、バランスを崩して、手すりに思いきり体と頭ををうちつける。
「!」「きゃあっ!」
慌てて後ろを見ると、小柄な少女が手すりの隙間から私の制服の裾を掴んでいた。ココア色の柔らかそうなふわふわの髪が視界に映った。
樹とは違う、ココア色の髪。
―樹じゃない…。
私は薄く唇を噛む。
『どうして死なせてくれないの!?こんな世界に、私がいる意味なんて無いのに!樹が居ない世界なんて、私は耐えられないのに!』と心の中で叫ぶ。
辛くて、苦しくて、ただ苦しくて。
それと比例するように、また樹が愛おしい。
「…止めないでよ。」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
私は目の前の少女を見据えて言う。
「止めないでよ!樹が居ない世界なんて、苦しいだけ!
私が居なくても、この世界は廻るんでしょ!
でも、私の世界は…!」
言ってから、目の前の少女と初めて出会った事を思い出す。
でも、目の前の少女は優しい微笑みを浮かべたまま柔らかい声で言う。
「居なくても良い人なんて居ないわ。貴女から死んじゃいけないわ。」
ほら、その言葉。
もう何回も、何十回も言われた言葉。
『居なくても良い人なんて居ない。』なんて。
『自分から死んじゃいけない。』なんて。
もう何回も、何十回も言われたよ。
そんな薄っぺらな言葉なんて、もう信じない。そんな優しい言葉の裏には、必ず自己満足が隠れてる。
「自己満足?」
私は目の前の少女に問いかける。
「え…?」
「自己満足?死のうとしている人間を止めて、『私は優しい』って思いたいの?…それって、かなり人を傷つけるよ?
結局は淋しい世界なんだもの。
終わらせたって、構わないでしょ?」
目の前の少女は大きく目を見開き、絶句した。
表面上は変わらないこのセカイは、今日も誰かを絶望させる。
―…そう、変わらない。終わらない。
彼女が死んだ事も、私が彼女を好きだったことも。
全て…全て変わらない。
終わらない。この苦しみと後悔は、きっと私が老いても転生して生まれ変わっても。
変わらずに、終わらずに私の心を襲うんだ。
「変わらない。この苦しみは、永遠に。」
呟いたら、理不尽なこのセカイがモノクロに見えた。綺麗な言葉も、青空も、着ている制服の色も。
「もう、駄目なんだ…。」
「そんなことない!」
ふと、太陽のような…いや、太陽に向かって咲く向日葵のような何処までも明るく、何処までも強い意志をもつような声が聞こえた。驚いて彼女を見ると、泣きそうな、それでも意思の強そうな顔で
「そんなことない!そんなことないよ!
変わらない未来なんて、絶対に無い!
終わらない苦しみなんて、絶対に無い!」
泣きそうな顔が、樹とかぶる。
『わーん、虫嫌い~っ!』『テスト、駄目だったよぉ~っ!』
『お化け嫌い~っ!』
『さよなら、静羽…。』
「やめてよっ!もう、たくさんだっ!樹は戻らないんだよ!?樹が居ない世界なんて、樹の笑顔がない世界なんてモノクロなだけだよ!」
被害者ぶってるのは解ってる。戻らないことも解ってる。こんなの八つ当たりだって解ってるけど。
でも、でもこの世界が戻らないのも、樹がこの世界に居ないのも、誰かのせいにしないと今度こそ世界が壊れてしまいそうで。
『さよなら。静羽…。』
『さよなら…』
『さよな…』
屋上から落ちていく樹。
落ちていく姿が見えた気がして、
「樹…っ!」
屋上の端に再び立ちなおす。
煩い。煩い。煩い。
声も、音も、空間も全てが静寂に包まれる。
色彩は相変わらずモノクロだ。
落ちていく感覚。空気が頬をかすめる。
人は死ぬ間際は、嫌に色々と考えてしまうものだ。
すると、温かい、人の体温というものが伝わる。
強く、しっかりと掴まれている感覚。ぎゅっと手を握られると、人間の反射神経で動いてしまう。
「モノクロな世界も、世界には変わりないんだよ!終わらせるのは、ダメだよ!」
―モノクロな世界も、世界には変わりない。
終わらせるのは、ダメ…?
その瞬間、樹がいつも言っていた言葉を思い出した。
『生きるとは、別れがつきものなんだって。でもね、別れがあるからまた人は強くなれるんだって。』
樹は言った。樹はどんな別れも怖がらなかった。
強く、ただひたむきにそれを受け入れていた。
自分の苦悩や、悲しみをひた隠しにして…。
私は、空に浮いている自分の足を見る。
血の通った人間の足。
生きている、人間のもの。
手を掴んでいる彼女の手もまた、同じように温かく同じように生きている。
私達は、生きている。
すると、瞳に映ったのは、青く、どこまでも青く澄んでいる綺麗な青空。
もう、見ることを忘れた空。
正しいことは、なにもなかった。
でも、死ぬことを許してくれなかった。
樹も、彼女も。
そして、この青空も。
「仕方ないな…。」
此処にいるものたちが、死ぬことを許さなかった。
「生きるよ。これから。」
―樹。貴女に出逢えなくても。この世界に貴女が居なくても。
私は手を掴んでいる少女を見る。
この人が死ぬことを許してくれなかったから。この世界が許してくれなかったから。
今日も私は、生きていきます。
彼女は微笑んで言う。
「…おかえり。」
私もつられて
「…ただいま。」
私達は、二人で協力して屋上まであがる。
「やだ。汗びっしょり。」
「私も。」
二人で顔を見合わせると笑いがこみあげてきて
「ふっ…」
「くすっ…」
「「あははははははははははははははっ!」」
私と彼女は屋上で笑い転げた。
青空に、私達の笑い声が吸い込まれて消えていった。
「私、心菜。」
二人とも笑い転げて、しばらくたつと彼女のほうから自己紹介をしてきた。
「私、静羽。」
「ね、静羽。」
心菜は少し寂しげに
「…もう、絶対に死なないで。」
彼女の肩が、声が震える。
「心菜…。」
同じだ。
今の私と。
もう一度、樹が現れて、また死んでしまったら、きっと私はもう一度死んでしまうだろう。
今度こそ、本当に。
でも…
「…うん。」
守りたいと思ったから。強くなりたいと思ったから。
だから私は、もう二度と自分で命を絶ったりなんてしない。
私は、この笑顔を、この笑顔をもつ彼女の未来を守りたいから。
「心菜…。」
「?」
「私、生きるから。何があっても絶対に生きるから。」
「うん…。」
「だから心菜も、生きて。生きて、私の傍で笑っていて。」
心菜は微笑む。
「うん。一緒に生きよう。二人で生きていこう。」
そうして二人で指切りをした。
私と心菜の約束。
繋いだ手が温かくて、私達はいつまでも手を繋ぎながら、何処までも広がる青空を眺めた。
―そう、想像もしていなかったんだ。
心菜、貴女と別れる日がくるなんて。
心菜に教えられた地図に沿って、人の多い大通りを歩く。
「嘘だよね…?心菜…?」
心菜のクラスで噂になっていたことを思い出す。
Tシャツが汗で肌にくっついて気持ちが悪い。
―心菜ちゃんの家、今日引っ越しなんだって。
―噂だと夜逃げする予定があったんだけど、心菜ちゃんが泣いて嫌だって言ったんだって。
まるで他人事のように話すクラスメイトに強烈な不快感を感じる。
そして、気付いた。
結局心菜は他人なんだって。結局人間の本質は変わらないんだって。
でも、他人だと思えなくなるほど、私は心菜と一緒に居すぎた。
それと同時に、気付いてはいけない思いにも気付いてしまった。
私は、心菜のことが…
心菜の家に着いた。
…いや、正確には心菜の家だったところに着いた。
「なんでよ、心菜…。」
やっと、やっと本当の気持ちに
気付けたのに。
心菜の家には『売却済み』と書かれた張り紙が貼ってあった。
心菜に貰った家の地図を握りしめる。
『いつか遊びに来てね!』
心菜の丸くて可愛らしい字と、デフォルメされたウサギの書かれた地図に私の涙が落ちて滲む。
雨が降ってきて、紙が濡れる。
雨に濡れながら、私はただ泣き続けた。
どうしてもっと早く気付けなかったのか。
これじゃ、樹のときと同じじゃないか。
解らなくて、彼女の苦しみに気付けなかった自分が悔しくて。
私は何度も何度も泣き続けた―
また、心菜はあの寂しそうな微笑みで笑ったのだろうか。
また、誰にも弱音を吐かず一人で耐えていたのだろうか。
もう、キミに届かない。
大好きだって言葉も、守るからって言葉も。
手を伸ばしても、もう届かない。
触れることも、もう出来ない。
『ね、静羽…。』
あの時の言葉はこのことを指していたのだと初めて気付く。
『さよならは言わずに別れましょうね。』
「なんでよ…。」
貴女が言った言葉の意味を理解していなかったなんて。
「言い訳も出来ないじゃない…。」
―幸せだよ。私。この時が一番幸せ。
―居なくても良い人なんて居ないわ。
私はその場に泣き崩れた。
ごめんね、ごめんねって何度も繰り返し叫んだ。
心菜。ごめんね。
気付いてあげられなくて、本当にごめんね。
鈍感で、本当にごめんね。
自分の鈍感さが恨めしくて、許せなくて。
何度も何度も、ごめんねって叫んだ。
数年後。
知り合いを頼り、ようやく心菜のことが少し解った。
心菜は今、北海道の親戚の家で暮らしているらしい。
名前も楠心菜から夕日坂心菜に変わったとその人は言っていた。
『夕日坂』…。
なんだか心菜にぴったりな名前だと思った。
太陽みたいで、暖かい心菜に。
そうして、私は旅費を貯めて心菜に会いに行った。
地図も何もない旅行とも呼べない遠出。
心菜の知り合いにメールをしてもらって、この場所で会うことになった。
心臓がバクバクして煩い。
止まれ、心臓。
私は大きく息を吸い込んだ。
空気は、地元に比べると冷たくてでもとても澄んでいた。
もうすぐ、貴女に会える。
そう考えると、自然と口元が緩む。
今度こそ、伝えよう。
あの日に伝えられなかった言葉を。
「静羽…?」
あの時と変わらない、澄んだ声で呼ばれて、驚いて振り返った。
「心菜…。」
目の前に居たのは、少し大人っぽくなった心菜。
私達はお互いに歩み寄り、あの頃と変わらない笑顔でいった。
「「大好き。」」
感想、ポイント、アドバイス等頂けると幸いです。
此処まで読んでくださり、誠にありがとうございました。