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サイレント・マーメイド  作者: たま
14/14

エピローグ

「つまらないつまらない」


 ぶつぶつと、しかし家の中のものに聞こえるように大声で言っているのは赤金の髪に褐色の肌の大男でした。ちっとも似合わない可愛らしいエプロンをつけた男は、しかめっつらのまま目の前で煮えたぎっている鍋にローリエの葉を2枚投げ入れました。


「あのサトリの力が消えただなんて。人の心をひっかきまわす力がなくなってしまっただなんて、なんというつまらなさだ」

「うるさいぞ、レイヴン」


 それに答えたのはふわふわとしたチェリーブロンドの髪を持つ魔女です。めずらしく台所にやってきた魔女はしばらくうろうろと戸棚やら籠やらをのぞいておりましたが、やがて小箱の中に入っていたクッキーをみつけ、ぱくりと飲み込みました。


「あっこら。つまみぐいするなよババア! それは食後にしろ」

「おなかがすいた」

「だから今昼食を作ってんだろうが! だいたい朝起こしたのに起きなかったお前が悪い。というか夜はちゃんと早く寝ろ! 」

「うるさいぞ、レイヴン」

「俺は正しいこと言ってんだろうが! 」


 ぎゃあぎゃあとわめく使い魔に向けて、寝癖がついたままの髪の魔女はしれっと言いました。 


「少しとはいえ自分の魔力を使ってしまったからすごく眠いのだ。仕方ないだろう」

「ふん。別に使うこともなかっただろうが。サトリの力を少しだけ残してやるなんて契約外のことをするから無駄に疲れるんだ」

「契約外というわけではないよ。ナイフを探すだなんて簡単なこと、サトリの力との交換では割に合わない。サトリの力がどうしてもあまっちまうのさ。だいたい契約外のことなんてあたしにはほとんどできない」

「だったらその余った力は俺にくれればよかったのによ」


 レイヴンが振り向いてにやりと笑います。可愛くもない、それはそれは邪悪な笑みでした。しかし西の魔女はそれに動じることもなくあっさりと頷きます。


「ああそれでもよかったね。そうすればお前はあたしの心が読める。夕飯のメニューはあたしの好きなものになるのだろうから」

「そんなことに使わねえよ! というかむしろ嫌いなメニューばかり作ってやる。ざまあみろ」

「なんていじわるなことをいうのだろう」


 テーブルの下に潜り込んだ魔女は、箱の中からなにかを取り出しながらしみじみといいました。


「あの残った力はスオウとやら残しておいて本当によかった。おまえになんてやっていたら夕飯のメニューがにんじんだらけになってしまう」

「いや、にんじんは食えよ。栄養があるしうめえじゃねえか。今すぐキャロットケーキ作ってやるよ」


 すると魔女がレイブンの前に何かをそうっと置きました。みるとそれは昨日レイヴンが裏の畑から収穫しておいた、色つやの良いまるまるとしたおいしそうなかぼちゃでした。


「にんじんはいやだ。このかぼちゃで作ったパイにしてくれ」

「わがまま言うんじゃねえよ、くそばばあ! 」




 マリンはとろとろとまどろんでおりました。

なんせ今日の枕は特上のものなのです。少しばかりかたいけれどもじんわりとあたたかくてとても幸せな気分になるのです。

幸せな気分で夢と現実のはざまでとろとろとしていると、ときおり思いだしたようにかさついた大きな手が頭を撫でてくれました。それはマリンが起きているときには決してされない行為でしたから、マリンはだから夢の淵に意識をひっかけたまま、がんばって起きてその感触をあじわっておりました。


「おい、いいから早く寝ろ。明日はうんと歩くことになるのだからな」


呆れたような声がすぐ上から降ってきます。ああ、そうでした。寝たふりなんてスオウにはきかないのです。彼はもうふつうの人間ですけれど、なぜだかマリンの声だけは聞こえるのですから。

 マリンは眠い目を少しだけあけてスオウを見上げました。頭上に広がる漆黒の空にはきらきらと無数の星がまたたいています。木の幹に背中を預けて座るスオウのすぐそばに焚いたたき火の色は、優しい光で男の顔を照らしておりました。だからでしょう。仏頂面のスオウの顔も、いつもよりやさしげにみえました。

こんな間近でスオウのこんな顔を眺められるなら旅も野宿も悪くはないわ、と単純なマリンは男の左ひざに頭を置いた姿勢で思いました。そうして「地面が硬くて頭が痛くて眠れないわ」と無茶なことを言ってみて良かったとも思いました。


――あたし、生きていてよかったって、ほんとうに思うわ。

「そうか」

――だけどあたしってどうして生きのびることができたのかしら。西の魔女が情けをかけてくれたのかしら……。

「いや、あの魔女は契約の魔女だ。契約通りにしか動けない。だから……」

――だから? 


マリンがスオウを見上げると、スオウもその漆黒の瞳をマリンに向けておりました。漆黒の瞳は苦笑とともに、なにかを悟ったかのような色が溢れておりました。


「契約どおりだったんだろう。俺だってまだ認めたくないが」

――よくわからないわ。

「わからないならいい。いつかちゃんと説明してやるから、今日はもう寝ろ。

――うん。


 ひゅうと夜風がかけぬけていきます。マリンは毛布を引き寄せて、頭の下のスオウの体温を逃がさないようにしました。ぬくぬくとそれにひたっていると、驚くくらいすぐに眠気はおそってきます。ああ、もうすこし起きていたいのに。なんだかもったいないわ。マリンはそう思いました。



――……スオウは料理のお店を開くのよね。


 うとうととしながら尋ねます。スオウがソフィアの館を出ることを決めたのがいつなのか、正確なことはマリンにはわかりません。けれども突然の別れにびっくりしているマリンに向かってスオウはこう言いました。お前も一緒に来るか、と。


――あたしがんばって手伝うわ。じゃがいもをたくさん剥くし、もう火だって起こせるのだもの。

「ああ」

――きっと少しは役に立てるわ。そうなるように頑張るわ。あたし、いっしょうけんめいがんばるから……。

「ああ……頼りにしている」


 スオウが苦笑まじりの声を上げます。それはとてもやさしい響きだったのでもっとお話をしていたかったのですけれど、マリンの意識はもうほとんど夢の中に落ちこんでおりました。

 大きな手がマリンの頭をやさしく撫でます。マリンはくすぐったくてふふ、と笑いました。そうして幸せそうな笑顔のまますてきな眠りにすこんと落ちたのでした。







 あるところに人魚の娘がおりました。

 人魚の娘は人間になり、そうして恋に破れました。


 あるところにあやかしの若者がおりました。

 あやかしの若者は恋に破れ、そうして人間になりました。


 ふたりは出会い、そうして互いに不器用な感情を育みました。

 


 いつかどこかで、声は出せないけれど明るい笑顔の看板娘の居る料理店があったら、尋ねてみてごらんなさい。「あなたはいま幸せですか?」と。

 娘さんはきっと、あなたがこれまで見たこともないようなとびきりの笑顔を見せてくれるでしょう。




 そうしてその笑顔が、きっとこの物語の結末なのです。





「サイレント・マーメイド」完

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