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短編集『妄想の卵』

初雪

作者: 立川マナ

 初雪が街を白く染めるころ、心の奥にぽっかり開いた穴に飲み込まれそうになる。漠然とした虚しさに襲われて、私はベッドから飛び起き、銀世界の中を逃げるように一人でひた走る。

 そうして、気づくと私はここに立っているんだ。深々と降り積もる雪に一筋の足跡を残して……。

「また来ちゃった」

 そう呼びかけても、答えてくれないことは分かっているのに。

「もう三年だね」

 つい、話しかけてしまう。

 目の前のただの石に、何を期待しているのか。どれだけ待っても、そこに彼の幻が浮かび上がるわけでもなく、黒髪のやつれた女がうつろな目でこちらを見つめているだけ。

 こんなところに座り込んでも無駄だと、頭では分かっているのに。つい、身体が彼を求めて来てしまう。初雪に凍える街の中で、彼のぬくもりを探して彷徨ってしまう。

 でも……そっと墓石に触れても、感じるのは無機質な冷たさ。最期に触れた彼の手の感触を思い出し、そのたびに、頬に伝う自分の涙の暖かさを知る。そして、思い知る。自分だけ、こちらに遺されてしまったのだ、と。

 彼の墓石の前でうずくまり、身体を覆っていく初雪の冷たさを感じながら目を瞑る。

 毎年、毎年、こうして祈るのだ。このまま、雪に埋もれて、彼のそばで眠れたら、と。

 でも――。

「初音!」

 いつも、私を呼ぶ声が邪魔をする。

「またか」

 呆れたように怒号を響かせ、乱暴に雪を蹴る音が近づいてくる。安らかに眠る魂を叩き起こさんばかりの粗暴さ。いつだって穏やかで優しかった彼とはまるで正反対。

「近所迷惑だよ、涼」

「近所ってなんだよ? 死人しかいねぇってのに」

「罰当たりなこと言わないで」

 彼の墓石を再び見やると、ダッフルコートを着た長身の青年が映りこんでいた。彼にどことなく似ているけど、別人。目つきの悪さなんて、大違い。彼は、もっと優しい眼差しで私を見つめてくれた。

 日に日に痩せていく彼とは対照的に、涼は逞しく成長して、今じゃ百八十センチの大男だ。まるで彼の生気を吸い取っていったかのように思えて、そんな涼が腹立たしかった。ただの八つ当たりだと、分かっていも……。神様なんていう存在よりも、涼に怒りを向けるほうがずっと簡単だったから。

「もう三年だぜ」墓石に映る涼は、短い髪に積もった雪をはらうように顔を振った。「いつまで、そうやってる気だ? 俺らも来年で大学卒業だ。就活とかいろいろすることもあんだろ」

「……ほうっといて」

「ほうっとけるかよ。兄貴だって浮かばれねぇっての。成仏できねぇで彷徨ってたらどうすんだ?」

「……」

 軽々しくそんなことを言える涼が信じられなかった。 

 私と同い年で、彼より一つ下の涼は、なにかというと彼に反抗的だった。そんな弟を、彼は笑って許していた。「あいつには借りがあるから」と照れたように涼をかばっていたのを覚えている。どんな借りなのか、結局、教えてもらえなかったけど……。

 それでも、涼が彼を慕っていたのは分かってる。年頃の男の子だったし、素直に『お兄ちゃん』に甘えるほうがおかしいんだろう。表に出していなかっただけで、本当は彼を心から愛していたと思う。私と同じくらい……。

 なのに、涼は一度も涙を見せなかった。

 彼の死に目でも……彼のお葬式でも……涼はツンとすました顔で黙っていた。――ちょうど、今みたいに。

「どうして……涼は平気なの?」

 つい、そんな無神経な質問が転がり出ていた。

 ずっと、聞かないようにしていたのに。平気なわけないのは分かっているのに。

 結局、八つ当たりなんだ。向けようの無い怒りを涼にぶつけてるだけ。どうせ、涼は鼻で笑って聞き流してくれると私は知ってるから。

 ――でも、しばらくしても、涼のせせら笑いが聞こえてくることはなかった。

 降り続ける雪だけが、この真っ白な無音の世界で時が流れていることを証明しているようだった。

「……ったく」

 やがて、涼の舌打ちが聞こえて――、

「!」

 いきなり、背後からぎゅっと何かに包み込まれた。

「なに……」

 振り返ると、涼の横顔がすぐ目の前にあって、私は呆気に取られた。すっと伸びた睫毛に乗った粉雪まではっきりと見える。その澄んだ瞳には彼の墓石が映り込んでいた。儚げな横顔――それが死ぬ間際の彼のものと重なって、私はたまらず顔を逸らした。

「涼、離して」

 身じろぎしても、涼はぴくりとも動かない。もともと小柄な私が、中学のときからバレーで鍛えている涼の力に対抗できるわけもなかった。

「ちょっと、じっとしとけって」

 涼がそう囁くと、慣れない匂いがした。タバコの匂いだとすぐ分かった。

「涼、いつからタバコ……」

「黙っとけって、まじで」

 涼はぎゅっと一層強く私を抱きしめ、俯くように私の肩に顔をうずめた。

「涼?」

「兄貴の前で、お前に風邪ひかせるわけにはいかねぇだろうが」

 兄貴の前――涼がそう言ったのが、意外だった。彼を捜してふらりとここに現れる私を、涼はバカにしていたから……。

「お前の気が済むまで、こうしててやっから」

 いつも通りぶっきらぼうな声は……でも、心無しか震えているようにも思えた。

 だからだろうか。涼を引き剥がす気になれなくて、「勝手にすれば」と言って、私は大人しく涼の腕の中に収まった。

 大きな涼の身体は私をすっぽりと包み込み、雪も冷気も遮って、二人の間に熱を封じ込めた。まるでかまくらの中にでもいるような心地よさ。

「あったかい……」

 つい、つぶやいていた私に、涼はフッと鼻で笑った。

「生きてるからな」

「なに、それ。自慢げに言うこと?」

「お前はバカみてぇに冷てぇ」

「バカってなによ」

「いつまでたってもあったまんねぇ。イラついてきた」

「そんなことで、イラつかないでよ」

「あー……マジ、イラつく」

「じゃあ、離せば――」

 振り返った私は、ハッとして言葉を切った。

 ガタガタと震えているのは、自分の身体だと思っていた。でも……。

「涼……?」

 私の肩に顔をうずめたまま、「あー、寒ぃ」と涼はごまかすように笑っていた。その声は不自然に揺れて、首元に感じる彼の息づかいは荒々しかった。

 寒さのせいじゃないことは、考えるまでもなく分かった。

 私は声をかけることもできずに、呆然と彼の墓石を見つめた。そこに映っているのは、やつれた女と、その女にすがる打ち拉がれた男。


 そういえば……いつもここに来ると、涼がどこからともなく現れて、私を連れ帰った。蒸し暑い真夏の昼下がり、梅雨の憂鬱な夜、落ち葉と夕焼けが紅く地面を染めるとき……どんなときでも、涼は現れた。どうして、私がここに来るのが分かるんだろう、て不思議だった。私の親が涼にこっそり教えているのだろうか、なんて思っていた。

 でも……違ったのかもしれない。

 私だけじゃなかったんだ。彼のぬくもりを求めて彷徨い続けていたのは……。


 私はそっと涼の手に触れた。かじかんでいても、暖かい手。私よりもずっと大きくて逞しくて……でも、私と同じ、熱を持った手。

 ふきつける風の冷たさの中に、つうっと頬を伝う暖かなものを感じて、私は微笑んでいた。

「涼、帰ろう」

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― 新着の感想 ―
[一言]  こんな風に作品を簡単に書けてしまえる立川マナさんがうらやましいです。遅れましたが、久しぶりです。    初雪をイメージさせた世界観と二人の間にある恋愛(?)。亡くした兄貴のことを思う初音…
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