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第三話

 第三話


 撮影アシスタントの仕事が入ってないときは、いつもカメラをぶら下げて街を歩き廻るのが俺の日課だった。自慢じゃないけど、ファインダーから覗いた風景はどれも自分の世界のように映るんだ。倒れた自転車や転がったごみ箱はもちろん、古びて剥がれかかった看板だってファインアートなオブジェに早変わりする。感性のアンテナがハイポジションになると、魂が昇天して芸術の神様にもなれたし、カルティエブレッソンやダイヤンアーバスの霊魂が宿ったこともあった?

 17才の春、あの瞬間からすべての価値観が変わった。

 高校からの帰宅途中、あの日はめずらしく日没前の時刻だった。俺はいつも通る工場跡地を曲がり、多摩川の河原を覗く小道に差し掛かっていた。突然照りつけた強い西日のせいで目が眩んだ瞬間、光の輪の中から少女が現れた。俺は足を止めて魅入ってしまう。


 少女は自転車を止めて斜光に輝く河原を眺めていた。

 まるで光に包まれた女神のようにたたずむ長身のシルエット。

 光の帽子をかぶった栗色の髪と光輝く横顔が眩しい。

 少女の背景では明るい緑色の粒々が輝く。


 その日を境にして、俺の視界に映るあらゆる風景は魔法にかけられたように光輝いた。すでに風化したはずの工場跡地が宝物の倉庫になり、道端に忘れ去られた花々が金色の花粉を飛ばしていた。青空の色が毎日違うことも知った。空気の色も違う。風の匂いさえも。

 その頃から俺はあることを意識しはじめる。『写真』つまり写真を撮るという行為だ。一瞬の輝き、偶然の出逢いを描き留めるにはこの手法しかありえない。俺は写真の世界にのめり込んでいった。

 住みはじめて3年になる代官山の街並は俺にとって一番のロケ場所だった。閑静な街並みの中に何気なくたたずむアンティーク店、渋谷系原宿系とは明らかに一線を引く個性豊かな洋品店、キッチュでかわいい雑貨屋、昼夜様々な景観を楽しませてくれるこだわりのレストラン、いろいろなレシピが混ざり合った魅惑的で楽しい風景が、子供のころに目を輝かせながら色を入れていった塗絵画集のように、色鮮やかなイメージ写真となって俺のポートフォリオに収まっている。


 いつものように俺は愛機のコンタックスを首から下げて代官山の路地裏を歩いていた。

 すぐ先のオープンカフェの店頭を大勢の人垣が囲んでいる。どうやらムービーのロケ撮影が行なわれているらしい。俺は尾行中の私立探偵顔負けの忍び足でクルーの背後に廻り込んだ。ムービーカメラマンの後方から撮影風景を覗いてみると、見覚えのある有名女優がアリフレックスの前に立っていた。昼中だというのに5灯の大型HMIライトが女優の四方を取り囲んでいる。不思議なくらいの無風状態。俺は彼女の名前を想いだしてみた。

「はい!それでは本番お願いします!」

「本番いきます!」「本番!」

 一斉にライトが灯った。照らし出された女優の身体は発光体のように青白い輝きを放っている。光のレベルはますます強くなる一方で、すぐにでも臨界が起こりそうな気がした。俺はタイムスリップした女優の身体が眼前から消え去る光景を想像していた。

 すると突然スイッチが入ったように、光に包まれた少女の映像がリンクした。

 光の帽子を被った栗色の髪……光輝く横顔……

 俺の身体は眩い発光体に吸い寄せられるように歩み出していた。無意識のうちにカメラを身構える。ゆっくり、ゆっくり、一歩ずつ女優との距離は近づく。200ミリズームレンズを透過してファインダー画面いっぱいに女優のクローズアップが映し出される。俺は無我夢中でシャッターを切っていた。

  カシュン!カシュン!カシュン!カシュン!カシュン!カシュン!どうしたことか、人さし指がシャターボタンに吸い付いて離れなくなる。秒間6コマのモータードライブは瞬く間に36コマの画像を撮り終えてしまった。周囲の情景は時間の隙間に堕ちたように止まったまま、俺だけを静観している。いま俺が見たものはいったい?単なる偶然の出来事だったのか。あるいは都合のいい幻覚なのだろうか。ファインダーに映し出された女優の表情は間違いなく俺に向かって微笑んでいた、ように見えた。

「失礼しました!」そう叫ぶなり俺は全力で女優の脇を走り抜けていた。

「おい!何だ、いまのは!」誰かが大声で怒鳴った。

「ったく!撮り逃げかよ!」

「誰なんだあいつは?」

「気にするな。ただのカメラ小僧だろ」

 耳にこびりついた撮影スタッフたちの苦言を振り払うように、俺は無我夢中で走りつづけた。あの女優のクローズアップショットが脳細胞にフィックスしたまま離れない。無理に振りほどこうとすると視界の大半が欠落してしまう。3次元からの逃避。俺はどこまで来たんだろう?時間の裏側に迷い込んでしまったのではないか。よく見ると見覚えのある景色の中にいた。ここは自分のアパート前だと気づく。

 冷静になって自分が今とった行動を検証してみる。俺自身、禁断の写真を撮ったという罪意識はまるでなかった。むしろこれは必然だったとさえ思う。映画のロケシーンという形に変えて、記憶の淵から蘇ったあの日の光景を撮影したに過ぎないのだ。





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