第七章
鑑定室は無機質だった。
窓はない。
天井の均質な白色光が落ち、影を作らない。
机上には実体顕微鏡、蛍光X線分析装置、赤外線リフレクトグラフィ装置、可搬型X線透過装置。
コードは整えられ、余計な紙はない。
ここでは、感情は不要だ。
残るのは構造と数値だけ。
「原則は非破壊検査です」
鑑定士が淡々と告げる。
「必要に応じて微量採取を行います。その際は書面での同意が必要です」
「同意は私が行います」
村木は即答した。
契約書には真正性確認のための合理的範囲内の検査が明記されている。
画廊への事前通知義務はない。
合法の範囲内。
独立鑑定。
キャンバスが固定される。
最初はX線透過撮影。
像がモニターに立ち上がる。
木枠。
タックスの配列。
下層の構図線。
「描き直しの痕跡があります」
鑑定士が示す。
「制作過程の修正であれば自然です。ただし――」
「ただし?」
「支持体の釘孔が二重です。旧孔の外側に新しいタックス痕があります」
村木の視線が鋭くなる。
「張り替えの可能性?」
「少なくとも一度、再張りが行われています」
次に赤外線リフレクトグラフィ。
下描きがより鮮明に浮かぶ。
構図自体は既知の作家の癖と一致している。
「画面はオリジナルの可能性が高い」
鑑定士の言葉は慎重だ。
続いて蛍光X線分析。
数値が表示される。
「白色部分、チタンのピークが高い」
「問題がありますか」
「チタンホワイトは一九二〇年代以降普及しています。問題はバリウムとの比率です」
「どういう意味です」
「この配合は一九七〇年代以降に一般化した工業的混合比に近い」
菜々緒が腕を組む。
「制作年代は一九五〇年代前半でしたね」
「はい。完全には整合しません」
さらに赤色部分。
「カドミウムは検出されています。ただし有機系安定剤の痕跡が確認されました」
「当時は一般的ではない?」
「必ずしも。後年の補修、あるいは加筆の可能性があります」
断定はしない。
だが齟齬は増える。
「支持体の年代測定は可能ですか」
「放射性炭素年代測定が可能です。ただし通常は外部の加速器質量分析施設に委託します。正式報告は一~二週間」
「速報は出せますか」
「枠は事前確保しています。本日中に較正前の概算値なら」
「実施してください」
微量の繊維が採取される。
密封。
識別番号の付与。
オンライン送信。
待機。
静寂。
数時間後。
端末が短く鳴る。
鑑定士が画面を確認する。
「速報値です。較正前放射性炭素年代、一九八三年中心。誤差幅プラスマイナス十二年」
「制作年との差は」
「少なくとも二十年以上」
「確率分布は」
「一九六〇年代以前に位置する確率は五%未満」
室内の空気が変わる。
「結論は」
「支持体は制作年代と整合しない可能性が極めて高い。正式報告書は後日提出されます」
「裏貼り紙の接着剤も分析しました」
鑑定士が続ける。
「結果は」
「合成樹脂系。ポリ酢酸ビニル系接着剤。近年型です」
空白の四時間。
再梱包センター。
法人契約。
線が閉じる。
「速報に基づく鑑定書は発行できますか」
「暫定評価として可能です。正式値追記条項を付します」
「法的効力は」
「十分あります」
菜々緒が静かに息を吐く。
「全部は替えてない」
「画面はオリジナルの可能性が高い」
鑑定士。
「ですが支持体は後年のもの。再張り、あるいは移植の可能性があります」
つまり――
本物の絵肌。
だが別のキャンバス。
価値の操作。
そのとき。
廊下で足音。
早い。
扉が強く叩かれる。
「開けろ」
鑑定士が顔を上げる。
マイクが前へ出る。
扉が開く。
男が二人。
スーツ。息が荒い。
「その作品は依頼主の所有物だ。即時返還してもらう」
「鑑定中です」
村木は冷静に答える。
「契約に基づく正当な検査行為です」
「依頼主は撤回した」
「書面は」
「ない」
沈黙。
菜々緒が一歩前へ。
「遅い」
低い声。
マイクが男たちを見据える。
「速報値は出た」
男の視線が揺れる。
「支持体は一九八〇年前後だ」
数値は出ている。
確率分布は動かない。
「撤回は受理できません」
村木。
「暫定鑑定書は発行されます」
男の一人が歯を食いしばる。
「……後悔するぞ」
「法的手段でどうぞ」
静かだった。
やがて男たちは下がる。
扉が閉まる。
沈黙。
「焦ったな」
マイク。
「はい」
村木は端末画面を見つめる。
制作年代と素材年代の齟齬。
二重釘孔。
近年型接着剤。
偶然ではない。
「次は?」
菜々緒。
「副代表と法人代表に正式通知します。正式報告書到着前でも足ります」
証拠は揃い始めている。
本物を使った価値操作。
支持体の入れ替え。
空白の四時間。
法人は器。
副代表は軸。
戻る道はない。
あとは――
公開か、取引か。
科学は断定しない。
だが、逃げ道も作らない。




