9.この気持ちを・・・
先輩方に絡まれて怖い思いをさせてしまったので、この日は解散することとなり、愛美さんは自転車で家路に向かい、電車通学の僕は駅へと向かった。
僕たちの学校から駅前まで、まっすぐ歩けば徒歩10分、通学路の途中からは商店街になっていて商店が並んでいる。ただシャッターが閉まっている店も多く、開いている店も渋すぎて高校生には入りにくい。途中で寄るとすればコンビニかファミレスくらいしかないのだが・・・。
「あっ、あれは!!」
小さな書店から出てくる小さな人影を見つけて思わず駆け寄った。
「美野里さ~ん。こんばんは。」
「ああ、中村じゃないの。」
なにげに美野里さんに直接会うのは久しぶりだ。偶然会えたのがなぜだかうれしい。
「お買い物ですか?」
「うん。そろそろ東大の赤本がいるかと思ってね。お店に置いてなかったから、注文をお願いしておいたんだ。」
「やっぱり東大なんですね。あれっ?東大の赤本だったら、イオンの書店に並んでましたよ。それかAmazonで買うとか。わざわざこの店で注文してもらわなくてもすぐに買えるのでは?」
この書店は小規模な個人商店だし、赤本の品ぞろえがないことくらい予想できそうなもんだが・・・。
「・・・・何言ってるのよ。商店街で買わなきゃだめに決まってるでしょ。少しでも商店街のお店にお金を落として商売を存続できるようにしないと。」
「えっ?意外です。てっきり美野里さんだったら商店街のお店がなくなっても、『企業努力を怠った結果よ』とか『時代の流れに逆らうのは中島みゆきでもできない』とか、そんな冷たいことを言うのかと思ってました。」
美野里さんは一瞬だけキッと僕を睨んでから、フッと表情を緩めて駅の方に視線を向け遠い目をした。
「この2年あまり、暑い日も寒い日もずっとこの商店街を歩いて学校に通ってきた。この景色をずっと見ながら。中村もそうでしょ。」
「はい・・・僕はまだ1年ちょっとですけど。」
「この景色も思い出の一つとして目に焼き付いているはずよ。でも卒業して、何年かしてまた戻ってきて、この思い出の景色が変わってたらどうかしらね・・・。」
「・・・・。」
「それにこの商店街には、それぞれお店を経営して、私たちの学校生活を支えながら、生活をしている人たちもいるのよ。そういった人たちがいなくなるのは寂しいでしょ。」
美野里さんはふと商店街の先を見ながら遠い目をした。その目には何が見えてるんだろう・・・。
「まさか美野里さんの口からそんな言葉が出るなんて・・・。」
「ちょっと・・・私を何だと思ってるのよ・・・。」
「フフッ・・・僕はわかってますよ。意外にも人の心は持ってるって・・・。」
「だから意外ってなによ!」
僕を叩こうとしたのか美野里さんが右手を上げたので、両手で防御姿勢を取るとなぜか美野里さんはその手を振り降ろさなかった。
「・・・・?」
「それ、雁宿サイダーでしょ?この商店街で作ったご当地サイダーの。実は私が企画したのよ。高校入学直後からずっと商工会に出入りして商店街振興に関わっててね。でも、生産量が少ないから、そこのタバコ屋か酒屋でしか買えないのよね。なんだ。中村もちゃんとわかってて、商店街でお金を使ってるのね。」
そういえば僕の右手には、さっきタバコ屋のおばあさんからもらったサイダーの瓶がある。タバコ屋のおばあさんの恩返し。ありがとう。
そのまま僕は美野里さんと一緒に歩き出したが、さっきからなぜか胸のあたりがうずく。あの赤い本のせいかもしれない。
「そういえば・・・美野里さんはやっぱり卒業したら東大に行くんですよね。」
「そうよ。来年東大に入って、学生のうちに会社を立ち上げて、それでおじい様みたいにその会社を大きくすることが私の夢だからね。」
「さびしくなりますね・・・。」
その言葉が思わず口から零れてしまった瞬間に、「しまった」と思い横の美野里さんを見ると、聞き逃してくれなかったようでニヤニヤと笑っていた。
「なにそれ?どういうこと?なんでさびしいの?」
「い、いや・・・。なんでもないです・・・。」
「なになに?私が東京へ行くのがさびしいってこと?」
美野里さんのニヤニヤが加速している。
「なんでもないですって・・・。」
「なに言ってんのよ。素直になりなよ。」
「いや、美野里さんがいなくなると、この街も平和になるなって思っただけです。」
ゴスッ!!その瞬間、痺れるような電気が走った。
美野里さんが僕の太ももに向かって強烈な膝蹴りをしたのだ。
「グワッ・・・、ちょっと・・・モモカンって、昭和の不良じゃないんですから・・・。」
「中村が素直じゃないせいよ。安心して。中村が東京に出てくるまで1年待っててあげる。・・・・それで・・・・私の右腕として働かせてあげるから。」
「美野里さんの右腕って・・・血塗られた拳が紅に染まってしまいそうですが・・・。」
ゲスッ!!
「二度目のモモカンはさすがに耐え切れない・・・。」
思わず崩れ落ちた僕の上から、美野里さんの力強い声が聞こえて来た。
「素直じゃないけど、中村だってそうしたいんでしょ。私が先に東京に行って準備しておくけど、ちゃんと右腕の席は空けとくから。」
「はい・・・。」
「よしっ!決まりね。じゃあ、いつもの喫茶店に寄っていきましょう。中村もたまにはキリマンジャロでも注文して商店街にお金を落としてあげなさいね。」
そう言ってうずくまったままの僕に構わず、ずんずん進んでいく美野里さんの背中を見ながら、このまま美野里さんを追いかけて卒業した後も手助けをするのも悪くないと思い始めていた。
★★
夏休みも終盤になり、文化祭まであと1か月弱に迫った。一般の生徒は準備に大忙しだが、僕たち生徒会は段取りをほとんど終えて、一息つくことができていた。
懸案だった花火の費用も美野里さんがOBや地元企業に粘り強く寄付をお願いしに行ってくれたおかげで十分過ぎる金額が集まった。
一緒に行ってないのでどうやってお金を集めたのかわからないが、本当に美野里さんの手腕は素晴らしい。
いや本当にどうやったのかと思うくらい集まった・・・。
どうやったんだろ・・・反社会的な行為だけはしていないでいて欲しい・・・。
そうぼんやりと考えながら廊下を歩いていると、向こうから西原先生が走ってくる。
先生が廊下を走るんですか・・・と思ったが、表情は切迫しており、そんなツッコミを受け入れてくれる余裕はなさそうだ。
「あっ、中村くん。ここにいたのね。花火のことで大変なことになったのよ。」
「えっ?まさか美野里さんが本当に恐喝を?それともマネーロンダリング?」
「えっ?恐喝?マネーロンダリング?城内さんがそんなことを・・・?まさかそんな・・・。」
西原先生の顔面がさらに蒼白になっている。どうやら違ったらしい。
「何でもありません。何があったんですか?」
「ああ、うん。実は花火が中止になりそうなのよ・・・!」
「え~っ!!」
西原先生の説明によると、花火の当日、消防団に出動待機をお願いしていたのだが、正式にお断りの返事があったらしい。
しかも、もしもの時に消防団が出動できないなら安全面に不安があるとしてとして商店街の役員も反対し始めたとか・・・。
「どうして急にそんなことになるんですか?消防団には消防署からお願いしてもらうことになってましたよね。」
「う~ん、その言葉に甘えて任せておいたら、消防団とか商店街のうるさ方たちが、何で学校から直接挨拶がないんだってへそを曲げちゃったみたいで・・・。」
ぬかった・・・。確かに挨拶がないと怒る人がいることは予想しておくべきだった・・・。
西原先生を通じて改めて消防団と商店街の役員に挨拶に行きたいと申し入れてもらったところ、その日のうちに話を聞いてもらえることになった。
ただ、西原先生が電話で話した印象では、怒りはまったく解けていないようで、とりあえず話だけは聞いてやるという姿勢のようだ。
夕方、西原先生と僕で商工会の詰め所に行くと、消防団と商店街の役員がずらりと並んでパイプ椅子に座っていた。
僕はもちろん西原先生よりも年上の人ばかりだ。
気のせいか西原先生が震えているように見える。
美野里さんにも連絡もしておいたが、オープンキャンパスで東京に行っているらしい。ここは僕たちで何とかしないと!!
「こ、この度は、こちらからお願いすべきところ・・・挨拶が遅れて申し訳ありません・・・。なんとか消防団の皆様に出動待機をお願いできませんでしょうか。」
震える声で謝る西原先生の隣で一緒に頭を下げる。
これで機嫌を直してくれないかと思ったが、顔を上げても役員の皆様方は渋い表情のままだ。
「あのねえ。消防団は、みんなボランティアで消防団活動してて、普段は別に仕事をしてるわけ。花火は日曜日の夜なんだって?出動待機するってことは、貴重な休みをつぶすことになるんよ。だから簡単に言って欲しくないな~。」
中央に座って腕組みしている短髪のおじさんがむっつりした表情のままつぶやいた。おそらく消防団の役員さんなのだろう。
「商店街としても事故があったら困るしな。そもそも学校で花火なんて打ち上げる必要あるんかね?」
商店街の役員らしき白髪のおじいさんも硬い表情だ。
「あの・・・10年くらい前までは、毎年文化祭で花火を打ち上げていたと聞いています。その時は商店街の方にも好評だったと・・・。なんとかそれを復活させていただけないでしょうか・・・?」
僕がおそるおそる口を挟むと、居並ぶおじさんたちがいっせいに僕の方を見た。すごいプレッシャー・・・。もう吐きそう。
「たしかに10年前までは商店街も花火に協力してたよ。だけど、それを復活させる必要あるんかな~。あの頃と違って雁宿高校の生徒さんは商店街の店なんか素通りして、みんなイオンとかチェーン店で買い物してる。商店街を通り道くらいにしか思ってないんじゃないか?それなのに花火だけ協力してくれなんて虫が良すぎないか?」
商店街の役員らしきおじさんの言葉をきっかけに、「そういえばうちの店の前で買い物もしないのに高校の生徒がたむろしてる」「ゴミ箱に勝手にゴミを捨てた」など、役員の間から次々と不満の声が出てきた。
「しかも、協力をお願いするのにこんな若い先生と生徒だけで来て・・・。人としての礼儀がなってないんじゃないの?」
中央に座った商工会長の一言に返す言葉はなかった。隣の西原先生も神妙にうなだれている。
西原先生、何とか言ってくれないかな・・・?あれっ?なんか少しにんまりしている。
もしかして「若い先生」とか言われて嬉しかったのか?
空気も最悪だし、西原先生は相変わらずポンコツだ。
これは万事休すか。
そう覚悟していると、ガラッと扉を開ける音がした。
「すみません。遅くなってしまって。みなさんもお疲れ様です。」
振り返ると、そこには勝手知ったるという感じで詰め所に入ってきた美野里さんがいた。
「美野里ちゃん。」
「ああ、美野里ちゃんか。」
そこかしこでそんな声が漏れた。気のせいかもしれないが、最悪だった雰囲気が一気に緩んだ感じがする。
美野里さんは、入口からゆっくりと歩いて僕の隣に立ち、一礼した後におもむろに口を開いた。
「花火の件、正式にご挨拶にお伺いすることが遅れてしまい申し訳ありません。以前の例会で少し提案させていただいた商店街振興施策の一つとして考えているものです。花火を機に学校と商店街の関係を強化するとともに、地域のイベントの目玉として他地域から集客する機会とできればと思っています。」
立て板に水のような調子で説明すると、「ほお~っ」「あれか~」という声が漏れた。
正直、学校では冷たく感じる美野里さんのビジネスライクな口調もこういった場では、とても頼りがいがあるように感じる。
「まあ、美野里ちゃんがそう言うなら・・・と言ってあげたいところだけど、休日に消防団が出動するのは大変なんだよ・・・。今年は中止にして、来年からとかいうわけにはいかないかな・・・?」
消防団の短髪の役員さんは、さっきのむっつりした表情とは一変して相好を崩しながら、美野里さんの機嫌を取るように言った。
「再開初年度であり準備に至らぬ点もあったと思います。申し訳ありませんでした。ただ、これを課題として改善しながら、何年も続けていければと思っています。ぜひ今年から再会できるよう、ご協力をお願いします。」
「う~ん、でも今からというのは・・・団員の中にはもうその日に予定を入れている人もいるわけだし・・・。」
美野里さんのおかげで会場の空気はだいぶ好意的になったようだが、それでも反対意見は根強いようだ。商店街はともかく、消防団の人たちは反対すると強く決めている雰囲気を感じる。
美野里さんは会場を見渡した後、急に口元に手を当ててうつむいた。
急に黙り込んでしまったので、商店街や消防団の役員の皆さんが心配そうな表情で美野里さんを覗き込んだ。
その瞬間、美野里さんの瞳からポロリと涙がこぼれた。
「私は・・・3年生です。私の祖父は・・・きっと今年の花火が見られるのが最後です・・・。勝手なお願いを言っているのはわかります。でも、なんとか今年から再開させてもらえませんでしょうか・・・・。」
一筋、二筋と涙を流しながら、とぎれとぎれの声で訴えかける美野里さんの言葉は僕の心を揺さぶった。
「・・・ちょっと、美野里ちゃんがあんなに頼んでるんだよ。英俊、なんとかしてあげられないのかい?」
後ろの方に座っていたおばあさんが声を上げた。あっ、あれはこの間サイダーをくれたタバコ屋のおばあさんだ!
「いや、母さん・・・俺はその日は予定があってさ・・・。」
「予定って、また釣りに行くとかでしょ?いつでも行けるじゃないの!美野里ちゃんがこれまで商店街のためにどれだけ頑張ってくれたと思ってるのよ!!」
「いや、もうツレと約束して、宿も予約してるし・・・。」
「ほんっとに情けない・・・。」
どうやらタバコ屋のおばあさんと消防団の短髪の役員さんは親子らしい。
おばあさんがヒートアップしてきて、親子げんかに発展するかもしれないと思ってハラハラしていると、その前に商店会の役員のおじいさんが間に入ってくれた。
「無理言ったらかわいそうだよ佳代さん・・・。でも、誰か英俊の代わりに出動してくれそうな人はいないのかい?」
「いや~、隆弘もその日は出張みたいで。俺と隆弘以外は新入団員ばかりだから、どっちもいないのに出動させるのはちょっと・・・。」
そのまま英俊さん(?)は困り切った表情で黙り込んでしまった。こうなると打つ手なしか・・・。
「じゃあ、私が代わりに出動するよ。」
後ろの方に座っていたロマンスグレーな紳士が沈黙を破って手を上げた。
暑い中スーツをピシッと着ているし、この会場に入った時から何か場違いで目立つ人だなと思っていたけど発言をするのは初めてだ。
「えっ?伊集院さんが・・・。大丈夫なの?」
「なに。これでも若い頃は消防団にいて団長をしていたこともあるし、これから何回か訓練に参加すれば大丈夫。」
「それはさすがに悪いですよ。訓練にも参加してもらうとなると、だいぶ時間を取ってしまうし。ご迷惑でしょう・・・。」
恐縮した様子の英俊さんに対して、その紳士は人差し指を立て、横に振った。
「心配ご無用。私が若い人を助けてあげたくなっただけだから。それに・・・うちのキリマンジャロの味がわかる人に悪い人はいない。ねっ?」
そう言ってその紳士は僕の方を見てウインクした。
思い出した!あのレトロな喫茶店のマスターだ!
いつも店の空気に自然に溶け込んでるから気づかなかったけど、こんなダンディな人だったんだ!
「ありがとうございます。みなさん。ありがとうございます。」
美野里さんが涙を流しながら頭を下げたため、僕も慌てて頭を下げた。
「頑張ってね!美野里ちゃん!」
「花火楽しみにしてるよ!」
好意的な応援の声とともに、どこからともなく拍手が起きた。
どうやら消防団の人にも商店街の人にも協力してもらえそうだ・・・。
あの状況からひっくり返すなんて、この人は本当に・・・すごい・・・。