6.いよいよ選挙当日
選挙戦当日、僕と美野里さんは演説を控えて体育館のステージ袖にいた。
隣には郁美先輩と郁美先輩の応援演説をする予定の男子の先輩がいる。
「翔太君、だいぶ頑張ったみたいだね。」
唐突に郁美先輩が話しかけてきた。これから演説を控えているというのに落ち着いた様子でいつもの笑顔を絶やしていない。さすが場慣れしている。
「郁美先輩の一手には困りましたけどね。こちらの戦略が台無しです。」
「フフッ・・・。ジャイアン効果とハロー効果を組み合わせた戦略だったんでしょ?甘いわね。誰が戦い方を教えたと思ってるの?古来より、弟子が師匠を超えた例はないってことを教えてあげるわ。」
「いや、歴史上、弟子が師匠を超えた例はたくさんあると思いますけどね。」
「言うようになったじゃないの。ところで、最後に確認したいんだけど、もし城内さんが当選しても副会長にならない決意は変わらないの?」
「はい・・・それはちょっと・・・。」
「そっか、わかった。じゃあ悔いのないように頑張りましょうね。ウフフッ」
郁美先輩が微笑んだところでちょうど時間となり、司会を務める選挙管理委員の紹介で、先に演説する郁美先輩と応援演説する男子の先輩が壇上に上がった。
しばらくして郁美先輩の演説の声が聞こえてきたが、やはり堂々としている。演説内容も、時代の変化や生徒の安全のため、ミスコンなど時代に合わないイベントは変えていこうという説得力のある内容だ。
僕が舞台袖で郁美先輩の演説に聞きほれていると、唐突にふくらはぎを蹴り上げられた。
「グッ・・・ガッ・・・突然のカーフキックは危険過ぎるのでさすがに勘弁してください・・・。」
痛みのあまりうずくまる僕に対して、腕組みをした美野里さんが見下ろしてくる。
「演説前なのに、敵とずいぶん仲良さそうにしてたじゃないの・・・。」
「向こうから話しかけられたんですよ。それに同じ高校の先輩後輩なんだから敵って・・・。」
「フンッ・・・。」
まさか郁美先輩も自分が演説している舞台袖で、対立候補がこんな低レベルな仲間割れが起こしているなんて想像していないだろう。
そのまま落ち着いた感じで演説を終えたようで、拍手が聞こえてきた。いよいよ僕たちの番だ。
事前の打ち合わせ通り、まずは僕が応援演説をする。
痛む足を引きずりながら演台の前に立つと、全校生徒の姿がよく見えた。
大半はだらけ切っている。さすがに私語をする生徒はいないが、退屈そうで早く終わらないかという雰囲気が漂っている。
そんな中、僕に強い視線を向けてくる女子生徒が目に入った。大曲木愛美さんだ。
うん。こうやって期待してくれている人がいる。頑張らないと。
「つい数か月前まで、僕は城内美野里さんのことを避けていました。」
この一言で始まった僕の演説に聴衆はざわついた。よしよし、狙い通り関心を持ってもらえた。
僕はざわつきが収まるのを待ってから言葉を続けた。
それまで美野里さんと会ったことはなく噂だけを信じて勝手に怖がっていたこと、実際に会った美野里さんは誤解を受けやすいけど、本当は絆を大切にする人情に篤い人であること、在りし日の活気のあった文化祭を取り戻そうと頑張っていること、そのために生徒会長となろうと決意したこと、などをとつとつと語ると、少し雰囲気が変わった気がした。
「皆さんにお願いしたいのは、城内美野里さんその人を見て評価してあげて欲しいと言うことです。無責任な評判ではなく、自分の目で見た城内さんを思い出して評価してあげてください。かつて無責任な噂を信じて誤った判断をしていた僕から、切にお願いします。」
そう言って演説を打ち切った。先ほどまで退屈そうな表情をしていた生徒も、多少は興味を示した表情をして拍手をしてくれている。大曲木さんは手が痛くなるんじゃないかと思うくらい強く拍手してくれている。どうやら多少は刺さったかな。
僕が壇上脇に置かれたパイプ椅子に戻ろうとすると、立ち上がろうとする美野里さんがメンソールのような白い錠剤を口に含む様子が見えた。
さすがに緊張して口が渇いちゃったのかな?
僕とすれ違って演台の前に立った美野里さんは、司会に紹介された後、聴衆を睥睨するかのように見回した後、口を開いた。
「私の祖父と祖母はこの高校の卒業生でした。1964年、ちょうど東京オリンピックの年に二人は高校3年生でした。」
あれ?僕が書いた原稿と違うぞ?僕が書いた原稿は謝罪から入っていたはずだが・・・。でも話し始めた以上、もはや見守ることはできない。
「私は物心つく前から祖父や祖母に高校時代の話を聞かされていました。祖母が文化祭のミスコンで優勝して、その美しい姿に心惹かれた祖父が、自身が文化祭実行委員長として打ち上げた花火の下で祖母に告白して結ばれた話は、私にとってシンデレラや白雪姫のよりも素敵な夢物語でした。いつか私もそんな夢物語の住人になりたい。そう思って私は小さな頃から雁宿高校に入ろうと心に決めていました。」
聴衆を見ると、こいつは突然何を言いだしたんだと戸惑っている雰囲気だ。ただ、関心を持ったのか徐々に話に引き込まれているようにも見える。
「・・・しかし、いざ入学したらどうでしょう・・・。祖父が始めた花火はとっくの昔に中止になり、祖母が競ったミスコンもすっかり縮小していました。いや、それだけじゃない。文化祭自体がすっかり形骸化してしまっています。私が夢見た雁宿高校はこんなところだったのでしょうか・・・。」
ここで美野里さんは、なぜか突然演説を止め、数秒間、虚空を見つめて静止した。背後に座っている僕に美野里さんの表情は見えない。
「・・・・・去年の文化祭に初めて祖父を招待しました。祖父を喜ばせたいと祖母と同じミスコンに出ることにしました。祖父は期待どおり喜んでくれて、ずっと前から楽しみにしてくれていました。後から聞いたのですが、模擬店の利用券がミスコンの投票券になっていることを知って雁宿高校の文化祭に行く知り合いにも、ぜひミスコンでは私に投票してくれなんて頼み込んでくれて・・・。優しい祖父でした・・・。」
美野里さんがここでゴホッと一つ咳払いをした。それにしても豪快な咳払いだな・・・。
「だけどいざ文化祭に来て、ミスコンがすっかり縮小されて出場者の顔すら見えず、花火もなくなっていることを知って往時との落差にひどく落ち込んで・・・その日からすっかり元気を失ってしまいました・・・。」
ここまで言って、また美野里さんは静止した。すると急に聴衆がざわめきだした。美野里さんはハンカチを取り出して目に当てている。もしかして泣いてる?
「祖母は3年前に亡くなりました・・・。だからもうあの花火を見ることはできません。祖父も高齢です。今年の文化祭が最後かもしれない。そんな祖父のために、せめて今年だけは、かつての活気のある文化祭を見せてあげたい・・・。」
涙で乱れがちな口調でそう言うと美野里さんはまた静止してハンカチを目に当てた。
「がんばれ~!」
突然、誰かが声を掛け拍手を始めた。それにつられて拍手の輪が広がった。
「こんな私情で生徒会長になりたいと言うのは間違っているかもしれない。だけど、最後に祖父の望みをかなえたい。在校生のみなさんにも、かつての私が憧れた文化祭を経験して欲しい。そんな思いから生徒会長に立候補しました。至らない点もあるかと思いますが、中村君など周囲のサポートを受けて頑張りたいと思います。よろしくお願いします。」
そう言って美野里さんはゆっくりと一礼した。その瞬間、爆発的な拍手が巻き起こった。
戻って来た美野里さんを見ると頬に涙の跡がある。
すごい。僕はこの人を見誤っていたのかもしれない。
もしかしたら、これはいけるかもしれない。
後は生徒からの質問しか残っていないが、全校生徒の前で質問するような奇特な生徒は普通いないし、勝っても負けても僕の役割はここまでだ。そう思いながら心地よい疲労感と達成感に浸っていると、なんと質問のために手を上げた生徒が現れた。あの大曲木愛美さんだ。
「あの・・・。城内先輩の応援演説をした中村先輩に質問があります。」
「うぎゃ!?」
予想しなかった展開に驚き、奇声をあげながら席を立ち、フラフラと演台に向かった。
「中村先輩は、これまでずっと城内先輩の選挙戦を支えてきたと思います。もし城内先輩が当選したら副会長として城内先輩を支える覚悟はありますか?」
「あっ・・・えっ・・・?」
どうしてこんなこと聞かれるんだろう?
「私は、城内先輩が変わったのは中村先輩のおかげじゃないかと思っています。いつも城内先輩に蹴られたり、叩かれたりしてるのに献身的に尽くして・・・。そこまで城内先輩を敬愛して、支えてきた中村先輩が副会長になってくれるなら、私も城内先輩に投票して、生徒会に入りたいと思います。いかがでしょうか・・・。」
どうしよう。正直、美野里さんの下で生徒会活動なんてしたくない。副会長になることも既に断っている。でも・・・ここで断れる雰囲気じゃない。これを断ったら、きっと美野里さんに、僕のせいだって落選の責任をすべて押し付けられて、どんな仕打ちを受けるかわからない。
「はい。そのつもりです。1年間、城内会長を支えるつもりです。」
「ありがとうございました。」
言っちゃったよ~と思いながらパイプ椅子に戻ると、隣の席の美野里さんが満面の笑みを浮かべていた。
「それでは、他に質問がないようでしたら、投票に入りたいと思いますが。」
「はいっ!!」
今度は意外なところから手が上がった。壇上の反対側にいた郁美先輩が手を上げたのだ。
そして、そのまま演台に立つと、容易ならざることを言い出した。
「城内さんのやる気はわかりました。城内さん一人では不安でしたが、中村君が支えるのであれば安心です。中村君の能力は1年間一緒に生徒会で働いてきたのでよくわかっています。したがって、私は立候補を取り下げたいと思います。」
ええ~っ!?という感じで体育館がざわめきに包まれた後、選挙管理委員会で対応を話し合いを行うこととなり、10分間の休憩となった。
休憩時間中、僕は郁美先輩に駆け寄った。
「郁美先輩、僕を罠に嵌めましたね。」
「なんのことかな~?」
「郁美先輩は、もとから生徒会長なんてやるつもりなかったんですよね。受験勉強のために生徒会長になるのは避けたいってずっと言ってましたもんね。」
「ウフフッ、そうね。私は将来政治家になりたいし、そのためには東大か京大、最低でも早稲田か慶応には行く必要があるのよね。でも、生徒会長になったら時間がとられちゃうし、歴代の生徒会長も浪人してるし・・・、内申点も去年副会長をやったことで十分稼いだしね。気が進まなかったのは事実かな~。」
郁美先輩は微笑みながらしれっと認めた。
「ずっと他の人に押し付けたいと思ってたけど、さすがにあの美野里さんじゃあ先生も他の生徒も納得しない。候補者が一人の場合でも信任投票で落選する可能性が高い。だから僕を美野里さんに付けて、副会長として支えさせることで信任させようとしたってことじゃないですか?おおかたシンパである倉本先輩から美野里さんに僕のことを吹き込んでもらって・・・。」
「う~ん、どうかな~。それは翔太君の憶測じゃない?でも確かに城内さんの性格は心配だけど、そういったところも翔太君がいれば大丈夫じゃないかな~って思ったのはあるかな~。」
「あの大曲木さんの質問も郁美先輩の仕込みじゃないですか?みんなの前で僕から言質を取るための。」
「あの子は中学の後輩なのよね~。もしかしたら城内が当選しても翔太君は生徒会に入らないかもって伝えたら不安になっちゃったのかな~、ウフフ~」
「じゃあ、なんでわざわざご自身で選挙に出たり、新聞部とかを使ってミスコンの不正を告発したんですか?そこだけわかりません。」
「言っとくけど私も聖人君子じゃないからね。城内さんの不正を認めない態度に腹が立ったことは否定できないかな~。不正を隠したままで信任されるなんて許せないしね~。それに結果として二人で試練を乗り越えたから、絆も深まったんじゃないの?これでお互い簡単に見捨てられなくなったんじゃない?」
なんてことだ・・・。つまり僕たちはすべて郁美先輩の手のひらの上で踊らされていたということか・・・。
僕はすべてを悟り、郁美先輩に一礼した。
「ありがとうございます。大変勉強になりました。やはり郁美先輩は僕の師匠です。」
「あら、ありがとう。そう言ってくれるなら将来は私の夢を手伝ってくれるとうれしいわね。ほら、そろそろ休憩時間が終わるわよ。席に戻りなさいな。」
郁美先輩はそう言って、ニコニコしながら僕に小さく手を振ってくれた。
「選挙管理委員会で話し合った結果、候補者が1名のみとなりましたので、信任投票を行うことにします。生徒の皆さんは、城内美野里さんが生徒会長にふさわしいと思う場合にはお手元の投票用紙に○を、相応しくない場合には×を書いて投票箱に入れてください。集計結果は明日発表します。」
選挙管理委員からそう発表されると、隣の席の美野里さんが右手を突き出してきた。殴られると思い反射的に顔をかばうと、美野里さんの手は僕の胸の前で止まった。
「なによ、失礼ね。握手よ、握手。これからもよろしくね。頼りにしてるから。」
「ああ、はい。」
僕が軽く美野里さんの手を握ると、美野里さんは力加減という概念を知らないかのような力で握り返してきた。
痛い、骨が折れそう・・・。やっぱり暴力だ・・・。これからもこれが続くのか・・・。
なお・・・信任投票の結果は大量の無効票を出した上で、わずか2票差で信任という薄氷の勝利だった。
あんなに1、2年生の好感を集めるために頑張ったのに、しかも感動的な涙の演説までしてこの結果とは・・・あの人どんだけ嫌われてたんだ!?