3.だから私は生徒会長になりたい
涙ながらに走り去った郁美先輩を悠然と見送り、生徒会室に残った城内先輩は、勝手にどかっと会長専用の椅子に腰を下ろした。
早くも選挙戦に勝ってこの椅子に座ることが決まっているかのような余裕の態度だ。
「じゃあ、明日までにどうしたら選挙に勝てるか戦略を考えてきてちょうだい。わかった?」
城内先輩は椅子の肘掛けにもたれかかりながら、当たり前のように僕に指示を出した。
でも、すんなりこの指示を聞くわけにはいかない。
「申し訳ないですが、僕は城内先輩の選挙を手助けすると決めたわけじゃありません。」
「なに?どういうことよ。この間約束したでしょ?キリマンジャロと引き換えに。」
「キリマンジャロの借りは郁美先輩をご紹介したことで返したはずです。それにお金もお返しします。」
僕は、ちょうど1200円を入れた封筒をカバンから取り出し、城内先輩の前に置いた。
「ふ~ん・・・。生意気なことをするじゃない。じゃあ、どうしたら手伝ってもらえるの?教えてちょうだい。」
城内先輩は少しムッとした表情になり、椅子に座ったまま僕を見上げてきた。
「そもそも僕は城内先輩がなんで生徒会長を目指しているのかわかりません。半端な気持ちで生徒会長を目指しているなら、郁美先輩が生徒会長になった方がいいと思います。こんな気持ちではとても応援できません。」
城内先輩の厳しい視線に負けないよう、目をそらさず力を込めて見返したら、城内先輩が少したじろいだ。
「私は・・・花火をあげたいのよ。」
「だから、そんな抽象的な理由で生徒会長になりたいなんて納得できませんよ。」
「違うわ。文字通り花火をあげたいのよ。今年の文化祭で・・・。」
そう言って城内先輩は立ち上がり、過去の卒業アルバムが保管されている棚に近づき、その中から勝手に一冊を引き出した。
「知ってるかしら?かつて雁宿高校の文化祭では花火を打ち上げていたのよ。」
「それが何か?」
「その花火を打ち上げ始めたのは、1964年、ちょうど東京オリンピックの年だった。その花火を企画したのが私の祖父・・・。」
城内先輩が開いて差し出してきた卒業アルバムのページを見ると、花火を背景に楽しそうに笑顔でピースする男女が写っている。教科書に載ってるような昭和の青春像みたいだ。
「祖母も同じ高校でね。祖父が、ミスコンで優勝した祖母に花火の下で勇気を出して告白したら思いが届いて結ばれたらしいわ。それで花火の下で告白したら成功するなんてジンクスができたって、まだ私が小さかったころから、祖父は楽しそうに語って聞かせてくれたのよ。」
「はあ・・・。」
「だから、私も同じような青春を味わえると期待を抱いてこの高校に入学したんだけど、昔とは違って文化祭も縮小されて、花火もなくなっていた。去年文化祭に来た時に、花火がなくなったと聞いた時の祖父の寂しそうな顔といったら・・・。」
ちょうど窓から入ってきた夕陽が城内先輩の白い頬にあたり、反対側に陰がさした。その陰翳が何とも幻想的な美しさだ。
「花火の下で告白された祖母はもう亡くなってしまった。告白した祖父は祖母が亡くなってからは元気がなくなって、今年の文化祭が最後になるかもしれない。だから、今年の文化祭では祖父に二人の思い出の花火を見せてあげたい。そんな一心だったんだけど、こんな私情で生徒会長を目指すなんておかしいかな・・・?」
そう言いながら城内先輩は、夕陽の赤い光を受けながら弱々しく笑った。
「そうだったんですね・・・。おじい様のために・・・。」
「いや、悪かったよ。こんな私情のために君を巻き込んだのは迷惑だっただろう。もう大丈夫だ。一人で頑張れるよ。」
そう言って微笑んだ城内先輩は、口に手を当て、急に苦虫を嚙み潰したような顔をした後、ポロリと涙をこぼした。
おじい様の最後の思い出のためにこんなにも・・・・もしかしたらこの人は傲岸不遜な態度のせいで誤解されているだけで、本当は家族思いで、絆を大切にしたすごく人情に篤い優しい人なのかもしれない。
だったらそれを見捨てて立ち去ることなんて、僕にできるだろうか?他の人のために泣いている女性を放っておけるだろうか?
「わかりました。」
「うん?」
「わかりました。僕も手伝います。城内先輩が生徒会長になって文化祭で花火を打ち上げられるように手伝います。」
思わず口からこぼれ落ちてしまった僕の言葉に、城内先輩は涙を流しながらも、表情をほころばせた。
その時の城内先輩の笑顔は、いつもの皮肉っぽい笑顔とは違って表現しがたいくらい尊く、美しかった。
「本当?ありがとう・・・。恩に着るよ。」
「はい。生徒会長に当選できるよう一緒に頑張りましょう。」
夕陽が差し込む生徒会室で、涙を流しながら微笑む城内先輩が僕の手を取りながら、ぽつりと感謝の言葉を漏らしたこの瞬間のことを、僕はきっと一生忘れないだろう。
★★
4月、それぞれ進級して3年生と2年生になった美野里さんと僕は、新1年生の教室に来ていた。
「高校の数学といっても難しいものじゃないわ。まずは教科書に載っている数式を覚えて、それを当てはめて簡単な問題から徐々に解いていけば慣れるわよ。ほら、ここはこう解くのよ。」
「わ~!そうするんですね!なんか解けそうな気がしてきました!!」
「美野里さん、僕は化学がよくわからないんですけど・・・。」
「ノートを見せてもらえるかしら。なるほど、これはね・・・。」
放課後であるにもかかわらず教室には30人近く集まっており、みんな美野里さんに親し気に話し、好印象を持ってくれているようだ。
こうやって美野里さんが新1年生から勉強などの相談に乗っているのも4月後半に予定されている生徒会長選挙の対策の一環である。
しかし、ここまで漕ぎつけるのも大変だった・・・。
★★
話は2か月ほど前に遡る。
あの日、生徒会室で美野里さんが老い先短いおじい様の最後の希望を叶えるため生徒会長を目指していると聞き、その情に心打たれ、共感して協力を約束した僕は、美野里さんが生徒会長選に勝つための戦略を考えた。
「はっきり言って、このままでは郁美先輩に勝つのは難しいと思います。」
「本当にはっきり言ってくれるじゃないの。分析した理由を聞かせてもらえるかしら。」
「分析も何も・・・。お二人とも学校内での抜群の知名度ですが人気は対照的ですよね。郁美先輩は温厚で良識的で友達も多くて絶大な人気を誇っていますが、美野里さんは暴力的で、人の心がなく、そのせいで人望もなく、友達すらいなくて孤立してますよね。」
「ファッ・・・・!」
「なんでそんな驚いた顔をするんですか?もしかして自分が置かれている状況について自覚がなかったとか?」
「違うわよ!そうじゃなくて・・・中村が急にそんな遠慮のないことを言い出したことに驚いたのよ。この間まではずっとおどおどしていたのに。」
「僕が協力する以上、必ず勝たせたいと思っています。そのためには遠慮なんてしてられませんよ。」
僕が断固とした口調で言うと、美野里さんはうなずいてくれた。
「それでは続けますね。美野里さんが不人気である理由を分析すると、そもそもその性格に難が・・・。」
「わかった。私が人気がないことは十分にわかってるから・・・。これ以上の問題点の指摘は私の繊細な心が耐えられない。先にどうしたらいいのか教えてくれる?」
美野里さんは僕の前に手のひらを突き出して話を遮った。図太そうだけど、意外に批判されることには弱いのかもしれない。
「はい・・・。だから美野里さんのことをよく知っている新3年生の票は絶望的だと思います。新2年生も城内先輩のことを知っている人はきっと票を入れないでしょう・・・。」
「だから絶望的な状況はわかってるから、どうすればいいのかって聞いてるの!無理って言うだけだったら誰でもできるでしょ!」
美野里さんは目に見えてイラついた態度を示してきた。
「はい。なので美野里さんを直接知らない生徒をターゲットに、ジャイアン効果とハロー効果を組み合わせた戦略を取ろうと思います。」
「ジャイアン効果とハロー効果?なにそれ?」
美野里さんはきょとんとした顔をしている。これは一から説明してあげないといけない。
「ジャイアン効果とは、ギャップを利用して好印象を獲得する心理効果です。ドラえもんのテレビ版では友達から搾取するなど山賊みたいなことばかりしているジャイアンが、映画版では意外にも仲間思いの姿勢を見せることにより、視聴者が好印象を抱いてしまうという認知の歪みを利用した作戦です。」
「それが私と何の関係が?」
「新2年生の間でも美野里さんの評判は最悪です。昭和の頃のテレビ版のジャイアンみたいな嫌われ方をしています。しかし、新2年生のほとんどは、悪い評判を聞くだけで実際には、僕みたいに本人と接したことがないはずです。そんな新2年生に映画版のジャイアントとまでは言わないまでも、少しでもマシな態度で接したらどうなるでしょうか・・・?」
「なるほど、私の最悪な評判と実際に接したギャップの分だけ好印象を稼げるってことか・・・っておいっ!!それは私に対して失礼過ぎないか?」
美野里さんのノリツッコミに構っていると日が暮れるので無視して話を進める。
「したがって、美野里さんには態度を改めていただいた上で、新2年生と親しく交流していただき、好印象を稼いでいただきます。」
「ちょっと・・・無視して話を進めないでくれる?まあいいわ。それでハロー効果っていうのは何?」
「これも認知バイアスの一種で、たまたま先に目に入った特徴に引きずられた先入観により認知が歪む心理効果のことを意味します。新1年生に対してはこのハロー効果を利用した戦略を考えています。」
「まさか、新1年生が私の悪い評判を聞く前に、家柄とか、成績が学年トップだとか、ミス雁宿高校だとかそう言った特徴で先入観を抱かせて、私が実像とは異なり立派な人だと認知を歪ませる作戦とか・・・?」
「そうです!よくわかりましたね!勘のいい人は・・・」
「嫌いだよ!なんだよそれ!?なんでそんなディスられなきゃいけないの?まるでありのままの私だったら支持されないって言ってるみたいじゃん!」
美野里さんは心底心外といった雰囲気でぷんすか怒っている。しかしここは大事なところだからはっきり言っておかないと。
「はい。僕ははっきりそう言っているんです。ありのままの美野里さんだったら誰にも支持されません。」
僕の言葉を聞いた瞬間、美野里さんは口をつぐみファッと息を飲んだ。そして飲み込んだ息とともに、何か罵詈雑言を吐き出そうとしたので、僕は右手をかざしてそれを止めた。
「まずは聞いてください。本当は美野里さんもわかっているはずです。美野里さんを知っている人からはどう思われていて、ありのままの姿で初対面の人と接したらどう思われるかを・・・。」
「チッ・・・。」
「そういう態度です。僕は美野里さんが当選するために全力を尽くします。だから、美野里さんも変えられるところ、いや変えられないところも含めて変えてください。せめて外面だけでも。」
僕は真剣な目で美野里さんを見つめた。もしこれで美野里さんが、「自分の性格は変えられない」とか「そんなことはできない」と言ったら、その場で生徒会長選挙を降りるという決意を込めて・・・。
「チッ・・・。わかったわよ。中村の言う通りだわ。」
美野里さんはプイっと横を向いて、しぶしぶといった口調で僕の言葉を受け入れてくれた。
チッ・・・!選挙戦を降りる機会を逃したか。
「それで新2年生との交流はいつから始めるの?こうなったら明日からでもいいわよ。」
「いえ・・・。交流会は4月からにしましょう。」
「ハッ?バカじゃないの?今は2月よ。4月まで2か月近くぼんやりしてろって言うの?ノロマ過ぎるでしょ。」
美野里さんの悪態に対して僕は首を2回振った。
「ジャイアン効果もハロー効果も、初対面の美野里さんに好印象を抱いてもらうことが大前提です。しかし、今のまま交流したらどうなるでしょうか?きっと美野里さんの地金が出てしまって、悪評を裏付けてしまいかえって逆効果になります。」
「グッ・・・。」
美野里さんは何かを言おうとしたようだが、唇を噛んでこらえてくれた。
「4月までの2か月間は美野里さんの外面を少しでもマシに改造するために使います。ほら、鏡を見てください。そんな眉間に皺を寄せて唇を歪めているようじゃ、とても人気は出ませんよ。郁美先輩の自然な笑顔を見習ってください。」
「チッ、うっせ~な!」
「ほら舌打ちとか言葉遣いとか、それによく『ハッ』とか『フフン』とか鼻で笑ったり、相手を小馬鹿にしたりしてますけど、そういったところも改めてもらいますから。」
「・・・・・。」
「やる気あるんですか?」
「わ~った、わかったから。やるよ。」
美野里さんは憮然とした表情で不満そうな態度を隠そうともしていないが言葉では応じてくれた。
「それじゃあ、明日から放課後に毎日練習しましょう。美野里さんも予定を空けてくださいね。」
「わかったから。ところでさっきから気になってたんだけど、なんで急に名前呼びになってるの?」
「いけませんか?」
「いけないってことないけど・・・家族以外に名前で呼ばれることなんて初めてかも・・・。」
美野里さんは頬を染めて少しはにかんだ。
「ああ、いい笑顔ですね。その調子です。じゃあ名前呼びにも慣れておいてください。親しみを持ってもらうために、みんなにも『美野里さん』って呼んでもらうことにしますので。」
「はっ?」
「そういう態度はだめですよ!新2年生、新1年生に下の名前で呼ばせれば、心の距離が縮まることが期待できます。ほら、郁美先輩はいつもフレンドリーでみんなに下の名前で呼ばれてるじゃないですか。僕が下の名前で呼べば、みんなも下の名前で呼びやすくなりますので。後輩の僕に下の名前で呼ばれるのはお気に障るかもしれませんが我慢してください。」
「・・・・・。」
美野里さんはまた眉間に皺を寄せて憮然とした表情になってしまった。後輩に名前で呼ばれるなんてプライドが許さないのだろうか・・・。
これは外面だけでも改造にするのに手間がかかりそうだぞ。