13.私たちは何を見せられているのか?
とうとう卒業式の日が来てしまった。
あの日、喫茶店で翔太さんから文化祭の日のことを聞いて、もはや私の手には負えないと思い、すぐに郁美さんに相談した。
だけど、その後も美野里さんと翔太さんが仲直りをした様子はない。さすがの郁美さんでも無理だったか・・・。
体育館で卒業式の開始を待つ間、席から美野里さんと翔太さんを探したら、すぐに見つけることができた。今日の卒業式で翔太さんが送辞、美野里さんが答辞を読むことになっているため、二人だけクラスから離れて、先生の横に並んで座っていたからだ。
でも、せっかく並んで座っているのに、さっきから会話どころか目も合わせない。せめて最後くらい・・・少しくらい会話を交わせばいいのに・・・。
今日を最後に、美野里さんだけではなく他の3年生とも学校で会うことは無くなる。だから今日は存分に思い出を懐かしみ別れを惜しむつもりだったのに、二人の様子が気になって卒業式の厳粛な雰囲気に浸ることができない。本当にはた迷惑な二人!!
「送辞!在校生代表、中村翔太!!」
「はい。」
そうこう考えているうちに式は進み、送辞の時間となったようだ。ずっと心配している私の気持ちも知らず、飄々とした顔で壇上に上がっていく翔太さんの顔が憎らしい。
翔太さんは演台の後ろに立つと、原稿らしき縦長の白い紙を開き、そしてそのままそれを演台の上に置いて息を吸った。
送辞の内容はもはや聞くまでもない。翔太さんに頼まれて何度も原稿チェックをしたので、もはや私も内容を諳んじることができるくらいだ。
「3年生のみなさん、卒業おめでとうございます。今日という喜ばしい日を迎えられたことをお祝い申し上げます。目を閉じると、これまでに出会った様々な先輩方の姿が思い出されます・・・・。」
原稿では、この後、郁美さんとか、倉本先輩とか、たくさんの先輩との交流エピソードを挙げていくことになっているが、ご丁寧にも美野里さんのエピソードだけは全く登場しない。
原稿をチェックする際に、少しは美野里さんの話を入れてくださいと何度もお願いしたのだが、翔太さんは頑として聞いてくれなかった。
まるで出会ってすらいなかったかのように扱われた送辞を聞いて美野里さんがどう思うか考えないんだろうか・・・?
「・・・・・・・・。」
あれ?翔太さん黙っちゃった。えっ?こんなに早くに飛んじゃった?しかも目を閉じてる・・・。
目を閉じて何秒、いや何十秒黙っていただろう。周囲もざわざわし始めたところで、ようやく翔太さんが口を開いた。
「今この場で目を閉じても、いくら考えても私の中で思い浮かぶ先輩は、ただ一人しかいません。」
あれ?原稿と違う。
「私がその先輩に会ったのは、高校1年生の冬でした。それまで、その人のことは噂でしか聞いたことがありませんでしたが、その噂は最悪でした。自分勝手で、攻撃的で、それでいて悪いことばかりに粘着質でしつこくて、しかも暴力でけが人を続出させ、後輩を転校させ、先生を退職させ、あらゆる生徒や先生にも嫌われていると聞いていて・・・そんな人とは絶対に関わりたくないと思っていました・・・。」
翔太先輩はそこまで話すと言葉を区切り、何かを決意するかのように一つうなずいてから話を続けた。
「だけど、ある日の学校からの帰り道、その先輩に突然捕まってしまい、頼まれて生徒会長選を手伝うことになりました。いや、むりやり巻き込まれたと言った方が正しいかもしれません。でも、その先輩から老い先短いおじい様に、最後の思い出として文化祭で花火を見せてあげたいという思いを涙を流しながらに伝えられ、ああ噂とは違って、実は家族思いの情に篤い人なんだ、こんな人ならば助けてあげたいと思い、協力を約束して生徒会長選挙を手伝い、生徒会長になった後も副会長として支えてきました。でも、そんな僕の純粋な思いは裏切られました。」
周囲がまたざわざわし始めた。この人は何を言い出すんだろう。
ふと先生たちの席を見ると、西原先生がおかしいくらい取り乱している横で、美野里さんが腕と脚を組み、目を閉じながらニヤリと不敵に笑っている。
「その先輩は、実は自分の野望のためだけに花火を打ち上げようとしていただけでした。後で知ったのですが、おじい様はまだ元気で、別に花火が見たかったわけではなく、その先輩が文化祭での花火打ち上げを成功させることを、その先輩が起業する会社へ出資する条件として提示していただけだったのです。その先輩から折々に見せられた涙も、全部ウソ泣きでした。しかも、さんざん僕に協力させたあげく、僕を忠実な下僕くらいにしか思っていなかったこともわかって・・・。ああ、あの先輩はやっぱり噂通りの人だったんだ、人の心がわからない悪魔なんだ、人情に篤いなんて虚像だったんだと気づいて幻滅し、僕は距離を置くことにしました。」
そう言うと翔太さんは目を閉じた。周囲の生徒がとうとう私語を始めたようで、「あれって生徒会長の城内さんのことだよね~」「生徒会長選の時、老い先短いおじい様のために花火を見せたいって言ってたよね」「ひどい、私たちだまされてたんだ~」といった声が聞こえて来た。
ハラハラしながら壇上の翔太さんを見つめていると、翔太さんは目を見開き、美野里さんの方をちらりと見てから、軽く微笑んだ。
「だけど・・・そんな風に思っていた僕が間違っていました。実は人情に篤いとか、家族のことを大事にしているとか、地元の商店街のことも考えて献身しているとか、それは全部、僕が自分への言い訳のために都合の良いように作った虚像でした。彼女の評判がどれだけ最悪でも、暴力や迷惑を受けても、僕が彼女を助けることは間違っていない、だって本当は彼女は優しい人なんだから・・・、純粋に人のために頑張っているんだから・・・ずっとそんな風に自分で自分に言い訳していました。でも、本当は・・・。僕にとってそんな言い訳は必要なかった。美野里さんが本当は優しいかどうかなんてどうでもよかった・・・。」
翔太さんの断固とした口調に、ざわついたり私語をしたりしていた周囲が水を打ったかのように静まり返った。私も固唾を飲んで次の言葉を待った。
「僕は・・・本当は惹かれていたんです。ありのままの美野里さんに!!自分のことしか考えていなくて、損得でしか考えず人を利用することしか考えてなくて、無責任で自分で言い出したことも全部丸投げして・・・。人の気持ちも考えないで正論で押してきて、でも自分が不利になったり、気に入らないことがあればすぐに暴力に訴えて・・・。はっきり言って頭で考えたらすぐに距離を置くべき人であることは明らかです。だけど・・・だけど素直に僕の心と向き合ったとき・・・正直な僕の気持ちはこう言っていました。この人が好きだ。この人に付いて行きたいと・・・。」
翔太さんがそう言った時、一瞬の静寂の後、聴衆の間で激しいどよめきが起こった。
翔太さんはそれが収まるのを待たず言葉を続けた。
「・・・・僕は感謝しています。そんなかけがえのない先輩に出会わせてくれたこの学校を。そしてみなさんも、自分の中のそんな人を思い出してもらえればと思います。ご卒業おめでとうございます。」
強引に総括して一礼すると、拍手が鳴りやまぬ中、翔太さんは演台を離れ、ゆっくりと歩き、そして美野里さんの前を通る時、一瞬だけ視線を交わした。
「つ、続いて、と、答辞。卒業生代表、城内美野里。」
「はい!」
動揺と戸惑いが隠せていない西原先生の震える声に答え、それから隣に座った翔太さんに肩パンと肘打ちを一発ずつ食らわせると、美野里さんは、いつものように眉に皺を寄せ、唇の端を片方だけ歪ませながら壇上に上がった。
あれ?美野里さんの手に原稿がない。ふと美野里さんの席を見ると、折りたたまれた白い紙がそのまま席の上に置いてあった。
「先ほど、生意気な2年生に、さんざん自分勝手だとか、暴力的だとか言われていた3年生。それは誰のことかな・・・?私の周りには思い当たる人がいないんだけど・・・。」
美野里さんは、おもむろにそうつぶやくと、やはりニヤッと笑って翔太さんの方に視線を送った。
「先ほどの2年生は、自分が思い浮かぶ先輩は一人しかいないと言っていたけど、私もこの場で思い浮かぶ後輩は一人しかいない。彼に言わせれば私には友達が一人もいないらしいからね・・・。」
そう言って美野里さんは肩をすくめると、周囲からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「しかし、私にも言わせてもらうと、その後輩もひどいものだった。さっきは、あたかも自分が一方的にいじめられていたかのように話していたけど、私に対しても、全校生徒から嫌われているだの、ありのままの姿を見せたら誰にも好かれないだの、遠慮なく好き勝手言ってくれてたよね。もしかして私相手にだったら何を言ってもいいと思ってた?私だってか弱い乙女なんだからそんなこと言われると傷つくんだよ。」
その瞬間、3年生を中心に笑い声が起きたが、美野里さんがそちらの方向に向かって一睨みするとまた静寂が戻って来た。
「しかも、彼は頑固者だ。自分が考えたとおりに動かないとねちねち文句を言ってくるし、失言を謝っても、ずっと許してくれず、口もきいてくれない。半年以上もだよ!正直、こんな頑固で陰険な奴こそ、全校生徒から距離を置かれてしかるべきだ・・・。」
そう言って、美野里さんはハハハッ~と引き笑いをした。ただ、先ほど一睨みがまだ効いているのか、それに応じて笑い出す人は一人もおらず、静寂の中で美野里さんの笑い声だけが体育館に響いた。
「何度こんな奴なんか知らない、どうなってもいいと思ったことか・・・。」
そう言うと、美野里さんは翔太さんと反対方向に目をやり、しばらく口を閉ざし、やがて何かを決意したかのように正面を見て口を開いた。
「私は、もともとこんな田舎の学校に入るつもりはなかった。私がこの学校に入ったのは祖父の指示だったからだ。中学の時、祖父に起業をしたいと決意を伝え、そのための後ろ盾になって欲しいとお願いした時、厳しい祖父は私に条件を3つ出した。この3つの条件を達成して、私の力を証明できたら後ろ盾になってやる、私が立ち上げる会社にも出資してやると言ってくれた。条件の一つ目はこの学校に通って、往年の文化祭とその象徴である花火を復活させること、二つ目は学校前の商店街の復興に力を尽くし商店街の役員から信頼を獲得すること、そして・・・三つ目はこの学校で信頼できる仲間を見つけることだった。正直、三つ目は楽勝だと思った。だって、適当に私の言うことを聞くヤツを捕まえればそれでいっちょうあがりでしょ?それこそ優秀な私の下僕になる奴なんて山ほどいるはずだし。もっとも、そう思ってこれはと思うヤツに適当に声を掛けたら、なぜか転校したり、学校に来なくなってしまったこともあったけどね、ハハッ・・・。」
そういえば、美野里さんに、しつこく迫られて転校した先輩とか不登校になった先輩がいたという噂を聞いたことがある気がする・・・。これ・・・笑いながら話していいことなんだろうか・・・。
「苦労したけど、3年生の文化祭までには、なんとか一つ目と二つ目の条件はクリアした。後は三つ目の条件が残った。祖父から出された条件は信頼できる仲間を見つけること。だから別にあいつにこだわる必要はない。むしろ頑固なあいつにこだわって時間を浪費することは得策じゃない。合理的に考えれば、他の生徒会のメンバーから適当に見つくろって、脅してでも仲間だと言わせればそれで条件達成。晴れて祖父に後ろ盾になってもらえる。そう割り切ればよかった・・・。」
私はそう聞いてブルっと身震いがした。もしかして・・・私と壮一君が狙われていたのだろうか?
「だけど、あいつ、中村のことをあきらめきれなかった。自分でも何でこんな不合理なことをしているのかわからなかった。自分のビジネスのパートナーにするなら、あんな頑固なやつじゃなくて、下僕のように私の言うことを素直に聞いてくれる奴の方がいいに決まってる・・・。だけど・・・だけど・・・どうしてもあきらめきれなかった。頭ではなく、自分の心に素直になった時、私が一緒にビジネスをしたい、パートナーになって欲しいと思えるのは彼だけだった・・・。」
美野里さんはぐっと息を飲んで、一気に吐き出した。
「中村!私のパートナーはお前しかいない!だから私は絶対にあきらめないからな!」
美野里さんは、ビシッと翔太先輩の方に指を出すと、そのまま唐突に話を打ち切り、礼もしないまま、おもむろに壇上から降りて席に戻って行った。
もはや答辞の形式を取り繕うつもりもないらしい。
私たちはいったい何を見せられたんだろう・・・?
周囲も同じ思いのようで、しばらく戸惑っていたが、やがてパラパラと少しずつ拍手が起こり、美野里さんが席に着くころには万雷の拍手となった。




