表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/8

番外編:春のあわいにて

王都の春は、猫にとっても心地よい季節だった。


中庭にはハーブが茂り、猫たちが昼寝場所を争って小競り合いをしている。


「……仲いいのか、悪いのか」


縁側でハーブティーを片手に、三咲は笑った。


そのとき、店の扉が軽くノックされた。


「いらっしゃ……あ」


立っていたのは、深緑の外套に身を包んだ青年――セドリックだった。


「こんにちは。今日は、ちょっと気分転換をしたくてね」


「まさかのお忍び訪問? 王族のくせに、猫に会いに来るだけとは」


「君に会いに来たと言ったら、信じるか?」


「……それは、ちょっとズルいですね」


にやりと笑う三咲と、真顔のセドリック。

風が、からかうように吹き抜けた。



縁側に並んで座った二人。


セドリックが手にしたカップの湯気が、ゆらりと揺れた。


「この香り、懐かしいな……」


「レモンバーベナ。気持ちが緩むんですよ。好きなんですか?」


「……子どもの頃、乳母がよく煮出してくれていたんだ。あの人は……ちょっとおかしな人だった」


「どんなふうに?」


「王宮に仕えているのに、“猫のように生きなさい”って私に教えたんだ。“好きなときに寝て、好きなときに目を覚ましなさい。誰かの膝を取ったら、たまには譲りなさい”って」


「……それ、乳母というより猫そのものですね」


「まったくだ。でも、あの人は不思議と、誰にも嫌われなかった。何をしても堂々としていて、他人の評価に踊らなかった」


三咲はそっと目を細めた。


「……素敵な人ですね。猫みたいに」


「君も、少し似ている」


「えっ」


「誰かの期待に応えようとするより、自分の歩幅で生きている。その生き方に救われる人間が、実は多い」


三咲は少し視線をそらして、照れくさそうに笑った。


「褒めすぎですよ。猫にでも懐かれたんですか?」


「懐かれたというより……寄ってきて離れないだけだ」


足元で猫がにゃあと鳴いた。


しばらく風に吹かれたあと、三咲がぽつりと聞いた。


「……セドリックさんって、恋愛とか、したことあるんですか?」


彼は意表を突かれたようにまばたきした。


「なぜ?」


「いや、なんとなく。“制度”とか“使命”とか、固い言葉ばかり使ってるから」


「……あるよ。一度だけ、ほんの短いものだったけど」


「へえ。どんな人?」


「風のような人だった。ふわっと現れて、さっと去っていった。……手を伸ばしたときには、もう遠くにいた」


「切ないですね」


「でも、思い出すと今でも、風が気持ちよく感じる。そういうのも、悪くない」


三咲は、ほんのり頬を赤らめた。


「じゃあ、私も……気持ちいい風になれたらいいな」


セドリックが、少しだけ驚いたように三咲を見た。


「……もうなってるよ」


その言葉に、三咲はしばらく沈黙した。


日が傾き、猫たちが再び伸びを始める。


「……そろそろ戻らないと、サボってるのがバレる」


「サボってたんですか」


「堂々と“視察中”と言い張るつもりだ」


立ち上がったセドリックが、帽子をかぶりながらふと聞いた。


「三咲」


「はい?」


「……この国に、また風が吹くとしたら、もう一度、君と歩いてもいいか?」


三咲は、軽く笑って応えた。


「風はいつだって、猫と一緒にふらっと現れるんですよ」


「なら、吹く日を楽しみにしておく」


セドリックは軽く頭を下げて、扉の向こうに消えた。


風が抜けたあと、猫が膝に乗ってきた。


三咲はその温もりを抱えながら、小さく笑った。


「……あれ、今のって、もしかして、告白……じゃないよね?」


猫は答えず、あくびをして丸くなった。


恋が始まるときって、こんなふうに、風と猫と沈黙だけがあるのかもしれない。


あと少し。あと一歩。


それでも、たしかに心が近づいている――。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ