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私は“猫”であることを誇りに思う

王都はざわついていた。


「異界渡りの“猫”が演壇に立つらしい」


「天職“猫”? 聞いたことないね」


「ああ、あれだろ。“寝るのが仕事”ってやつ」


「笑わせるなよ。真面目に生きてる人間に失礼だ」


石畳の道を歩く三咲の背中には、冷たい視線が突き刺さっていた。


でも、彼女は歩みを止めなかった。

傍にはシュリとリオンがいる。セドリックも、遠くからその姿を見守っている。


大広間の前には、報道用の魔導石が浮かび、会場の中だけでなく、王都の各地にも演壇の映像が映し出されるらしい。


――王族主催の式典に、“猫職”が登壇する。


その事実だけで、すでにこの国にとっては異例だった。



演壇の裏で、三咲は深く息を吐いた。


「怖い?」


セドリックが尋ねた。


「うん。怖いよ。……でも、後悔したくない」


「なら、行ってこい。“猫”の歩き方でな」


「……それ、ちょっと格好いい」







軽く微笑み合って、三咲は壇上へ向かった。


「次にご登壇いただくのは、“異界渡り”にして天職“猫”を持つ、朝比奈三咲殿――」


司会の声と共に、彼女が現れると、会場がざわめいた。


「……本当に“猫”なんだな」


「見た目は普通の女じゃないか。働いてなさそうだが」


「この舞台で、何を語るつもりかね」


三咲はその視線を感じながら、まっすぐに演壇へ立った。


黒猫が、勝手に壇の隅に座って丸まり、あくびをした。







彼女は、小さく笑ってから、ゆっくりと口を開いた。


「はじめまして。私は朝比奈三咲。“猫”という天職を授かった者です」


会場の空気が、ピリッと張り詰めた。


「正直に言えば、私はこの職に絶望しました。“猫”なんて、ふざけてる。“何の役にも立たない”――そう言われて、宿にも泊まれず、仕事ももらえなかった」


「それでも、私はこの国で生きてきました。ギルドにも断られ、職場でも笑われて、日陰でひっそり息をしていた毎日でした」


「でも、ある村に辿り着いて、私は見ました」


「制度からあぶれた人たち。“守り手”として命を守ろうとして罰せられた兵士。声を失って、“歌い手”の職を剥奪された少女。愛する人を泣いて見送っただけで、“看取り人失格”とされた女性」


「彼らは皆、自分を責めていた。“私は役に立てなかった”“だから存在する資格がない”と」


三咲の声が、少し震えた。

だが目は、まっすぐに客席を見据えていた。


「私は、彼らの隣に座って、話を聞いて、手を握りました。ただ、それだけしかできなかったけれど、それだけで――泣いていた人が、笑いました」


「私が何かを“してあげた”のではありません。私がそこに“いた”ことで、彼らが自分を許すきっかけをつかんだのです」







「“役に立つ”って、なんですか?」


静寂の中で、その問いは鋭く放たれた。


「たとえば、“猫”は何もしません。昼寝をして、気まぐれに歩いて、好きなところで丸くなる。でも、猫が側にいるだけで、心が和らぐ人がいる。“何もしない存在”に、救われた人が、ここにいます」


三咲は胸に手を当てた。


「私はこの“猫職”に、ようやく誇りを持てるようになりました。だって、私は誰かの“正しさ”に合わせて自分を変えなくてもいい。このままの私で、“いていい”って、初めて思えたから」


「だから私は、問いかけます。この国の“天職制度”は、本当に“人の人生を支えている”と、言い切れますか?」


場内に、重い沈黙が流れる。






そのときだった。


「戯言だ!」


一人の男が立ち上がった。

軍服を着た、年配の高官だった。


「“癒し”だの、“そばにいる”だの――そんな曖昧なものが、社会を動かせると思っているのか!」


「この国を支えてきたのは、“正しく職を果たす者”たちだ。猫などというふざけた天職が、人のためになるものか!」


冷たい怒声に、空気が揺れた。


三咲は一瞬、言葉を失いかけた。


でも、ふと、膝の横で丸くなっていた猫が、小さく「にゃあ」と鳴いた。


三咲は、前を向いた。


「……あなたの言う通りです。曖昧です。はっきりした成果も、形にもなりません。私は戦えませんし、建物も作れません。数字にもなりません」


「でも、曖昧であっても、“痛み”は、あるんです。無視された悲しみ、切り捨てられた孤独、消されかけた声――それを救う手段が、“曖昧な存在”だったら、私はその役割を全うします」


「人が生きるのに必要なのは、成果だけじゃない。孤独に寄り添う存在、泣いてもいいと思わせてくれる空気、命の傍にある静けさ。それが、“猫”の仕事です」


「それがこの国に必要ないというなら、私は、この国のあり方そのものを、問い直させてもらいます」


重い言葉が、会場の天井に響いた。






数秒の静寂ののち――最前列の女性が、静かに立ち上がった。


「私の妹も、“読み手”として図書館に勤めていました。でも、本の世界に没頭しすぎたと解雇され、二度と笑わなかった。あの子にも、あのとき、猫がいてくれたら」


そう言って、ゆっくりと拍手を始めた。


誰かが、続いた。


「俺は、家の名のために“騎士”をやらされた。だけど、心が壊れて動けなくなった。そんな俺に、意味があると……誰も言ってくれなかった」


「“猫職”のような在り方が、俺にもあれば……」


ぽつり、ぽつりと、拍手が波紋のように広がっていった。


三咲は、深く頭を下げた。


「私は、誰かを変える力はありません。でも、“変わってもいい”と思える時間を届ける力はあると信じています。猫なりに、これからもこの国に、寄り添っていきます」








演壇を降りるとき、シュリが手を握ってくれた。


「……かっこよかったよ、“猫”」


リオンもぽつりと呟いた。


「……お前、やるじゃん」


セドリックは、静かに頷いた。


「世界を変えるとは、誰かをねじ伏せることじゃない。“いてくれてよかった”と思わせる力だ。……君がそれを見せてくれた」


その夜、こねこのしっぽ亭には、見知らぬ訪問客がいくつかあった。


「猫職って、ほんとに登録できますか?」


「“役立たない”けど“いてくれる”って、……すごく欲しかったかも」


人知れず、静かに、しかし確かに――

“猫職”の灯が、王都にともり始めていた。

次で最終話のため、今日また投稿いたします。

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