革命なんて、私には似合わないと思ってた
王都の中央広場では、春祭りの準備が始まっていた。
石畳のあちこちに色とりどりの旗が掲げられ、屋台の骨組みが並び始めている。三咲はロッサに頼まれて、焼き菓子用の材料を仕入れに市場へ出かけていた。
「……あの匂い、シナモンロールかな」
鼻をくすぐる甘い香りに、思わず立ち止まる。近くのパン屋では若い女性がせっせと生地をこねていた。
何気ない、でもどこか満ち足りた光景。
そう――「誰かの天職」がうまく機能している、理想的な風景だった。
けれど、自分は――
「“猫”がなにをするのか、まだはっきりわからないままなんだよなあ」
ぽつりと呟いたその瞬間、視界の端で何かが動いた。
数人の子どもたちが、路地の奥へと走っていく。追いかけていた兵士たちの怒鳴り声が、空気をざらつかせる。
「おい、そこの奴ら、勝手に荷を触るな!」
「くそっ、また浮浪児か!」
子どもたちがぶつかって倒した木箱の中から、リンゴが転がり出た。
群衆はざわめき、冷たい視線が集まる。
「……あれは、盗んだのか?」
三咲が一歩踏み出そうとした、そのときだった。
「やめろ。その程度で刃を抜くな」
低く、よく通る声だった。
群衆がざわめき、道を開けるように後ずさる。
現れたのは、一人の青年。長身で黒髪、白と銀を基調にした衣を身にまとい、背中には家紋の入ったマントを羽織っている。
「……王族?」
三咲が思わず呟いた瞬間、兵士たちが慌てて敬礼する。
「セ、セドリック殿下!」
「謝罪はいい。子どもたちに食事を与えて帰してやれ。箱の代金は俺が払う」
「は、はっ……!」
兵士が慌てて去っていき、セドリックと呼ばれた青年は、ちらりと三咲を見やった。
まるで、すべて見通しているような、鋭く澄んだ目だった。
「君、異界渡りか?」
「……はい。“猫”です」
言った瞬間、我ながら自虐的な響きに小さく苦笑してしまった。だが、セドリックは笑わなかった。
むしろ、目を細めて、静かに言った。
「……いい天職だ」
「え?」
「この国では“働く者”しか価値を持たないように思われがちだが、本来、天職とは“その人らしくあること”の象徴だ」
「それって……あなたみたいな王族でも、そんなことを思うんですか?」
セドリックは小さく笑った。
「だからこそ、だよ。俺の天職は“交渉人”。人と人の間に立って、調停する役割だ。……だが、王族であるというだけで、俺の交渉はすべて“権力”で潰される」
言葉の端に、苦さが滲んでいた。
「兄たちは“戦士”や“司令”といった天職を持っていて、俺はいつも“言葉だけ”だと笑われてきた。……俺にとってこの天職は、自由でも誇りでもない。ただの鎖だ」
静かな口調で語られるその言葉は、誰よりも深い絶望を抱えていた。
「……でも、それでもあなたは、あの子どもたちを助けた」
「俺は、今でも信じたいんだ。天職が“力”ではなく“在り方”だと。……君の“猫”という職も、たぶん、そういう種類のものだ」
三咲は、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
この人も、私と同じだった。誰かの期待に、自分の本当の心が潰されそうになった人。
「……王子、なんですね。どうして、私なんかに……」
「君は“異界渡り”で、“猫”で――そして、誰より自由に見えたからだよ」
「……自由、ですか?」
「そう。“生き方”を自分で選べるという意味でね」
セドリックは、口元にわずかな微笑を浮かべて言った。
「もし君が望むなら、俺の元で働いてみないか?」
「えっ」
「君の在り方は、俺たちの国が忘れてしまった“大切なもの”を思い出させてくれる気がする」
しばらくの沈黙。
三咲は迷った。彼の言葉に、確かに心は揺れた。でも――
「……私、誰かの役に立ちたくて“猫”になったわけじゃないんです」
「……」
「私は……ただ、“私であること”を諦めたくなかった。だから……もう、誰かの道具にはなりたくないんです」
セドリックは、その言葉をまっすぐ受け止めた後、やわらかく頷いた。
「……ならばそれでいい。その答えを、今の俺は、少しだけ羨ましく思う」
風が吹いた。
二人の間に、一瞬だけ、言葉では表せない空気が流れた。
その夜、三咲はこねこのしっぽ亭の屋根裏で、丸くなった黒猫と一緒に横になりながら、目を閉じた。
――革命なんて、私には似合わない。
そう思っていた。
でももし、社会の仕組みが誰かを傷つけているのだとしたら。
もし、自分の存在が、ほんの少しでも誰かの支えになれるのだとしたら。
「……猫なりに、やれることを、やってみようかな」
月の光が差し込む中、三咲は静かにそう呟いた。