新しいわたしたち
空腹に目を覚ましたウィリアムは、紙を捲る微かな音にそちらを見上げた。
「ああ、おはよう。目が覚めた?」
ベッド横、枕元のすぐ側で椅子に腰掛けて本を読む父、バルナバートと目が合う。真っ直ぐな黒髪に藍色の瞳をした、痩せ型の壮年。切れ長の目元には微かに皺が寄っている。
「おはよう、父さま」
ウィリアムが掠れた声で言うと、バルナバートはサイドテーブルの水差しからグラスに水を注ぎ片手をウィリアムの背に添えて抱き起した。
「沢山泣いて、そのまま寝てしまったから喉が渇いてるだろう? ほら、ゆっくり。気を付けて飲むんだよ」
口元にあてがわれるグラスに両手を添え、ゆっくり水を飲む。グラスを持つバルナバートの手は日に焼け、荒れている。とても貴族とは思えない手だ。
「もっと飲むかい?」
「うん」
ウィリアムが頷くと、嬉しそうに水差しから二杯目の水を注ぎ入れた。二杯目の水も飲み干した所で、ウィリアムのお腹がグーッと鳴る。その音を聞いたバルナバートは嬉しそうに微笑み、藍色の瞳に膜を張った。
「今スープを温めて持って来るよ。それまで横になるかい?」
「ううん。起きて待ってる」
バルナバートはウィリアムの背に枕とクッションを差し込みラクな体勢を整えると部屋を出て行った。
「病気はもう治ったけど、ガリガリ」
自分の身体を見下ろし、その細さに驚く。隣のベッドで眠るレイチェルも痩せこけている。
「みんな、痩せてたね……」
父も母も、姉も双子の兄も細かった。
「飢饉か……国の支援は——ほとんどなかったんだろうな」
ウィリアムの記憶と思い出に、実里の人生経験と思考力が結論付ける。幼い二人は何も聞かされていない。王都から離れた国の端、下級貴族の貧しい領地等、取るに足らないと判断されたのだろう。
「これは……僕のチートが火を噴くぜ!」
グッ、と小さな拳を握り締め決意する。
(食料自給率アップ! 食事改革! 領民も家族もみんなお腹いっぱいに美味しいもの食べて健康に!)
オーッ! と、拳を天に突き上げた時、レイチェルが目を覚ました。
「あ、おはようチェリー」
「おはよぉ、おねえちゃん……にぃに?」
「どっちでもいいよいっちゃん」
ウィリアムはそっとベッドから両脚を下ろした。少しよろけながらも、自分の足で立てる事に感動する。
「立てる! おぉー」
「ふふふっ。立てたねぇ。わたしも立てるかな?」
「あ、チェリーはダメだよ! 転んでケガしちゃうかもしれないよ!」
「はぁい」
「起きれる?」
レイチェルが体を起こすのを手伝い、父を真似て背中に枕とクッションを挟む。ウィリアムは両手でなんとか持ち上げた水差しからグラスに水を注ぎ、両手で持ってそっとレイチェルの口元に運んだ。
「ひとりじゃ持てないかもしれないからね」
ゆっくりとグラスを傾け、レイチェルが飲み込む動きに合わせてソロソロと角度を変える。ほんの少し零れてしまったが、咽る事は無かったので良しとした。
「まだ飲む?」
「ううん、もういい」
サイドテーブルにグラスを戻し、ウィリアムは部屋を見回した。客間の家具を入れ替えて整えられた、二人を看病する為の部屋。シングルサイズのベッドが二つ並び、それぞれ枕元にはサイドテーブルと椅子が置かれている。ベッドが並ぶ反対側には、三人掛けのソファーが二つとその間にローテーブル。ソファの上にはブランケットが畳まれ置いてある。
「ねぇ、いっちゃん、チェリー」
「うん?」
「僕たち、愛されてるねぇ」
「そうだね……お父さまもお母さまも、やさしくてあったかいね」
「うん。いっぱい幸せにしてあげようね。家族も、使用人も、領民も! みーんな」
ウィリアムは両手を上げ大きく円を描いた。
「うん! あ、おねえちゃん——」
にっこり笑ったレイチェルが途端に顔を曇らせる。
「どうしたの?」
「おねえちゃん……おとこの子になっちゃったよ? ごめんね……わたしが、おんなの子に生まれたいって、おねがいしたからだよね」
レイチェルの泣き出しそうな顔にウィリアムは笑って首を横に振った。
「ぜーんぜん! なんも違和感ないし、なんなら男の方がいい! こっちの世界じゃ女の人は髪伸ばさなきゃいけないっぽいし、スカートよりズボンがいい! それにチェリーすごい美少女だよ! 赤い髪とかマジ異世界!」
「それいったらにぃにもびしょうねんだよ? くろかみで金いろの目してるの。金いろの目、すごいキレイ」
「マジ?! えー見たい! 鏡ないかな鏡」
ウィリアムは再び部屋を見回したがそれらしい物は見当たらなかった。
「無いかぁー」
「あとでてかがみでも持ってきてもらえばいいよ」
「うん。でもねぇー……みんな痩せ過ぎだよね?」
「それわたしもおもった」
「飢饉があったっぽいよ。そのあと病気が流行って、領地は貧しいんだと思う」
レイチェルのベッドサイドに腰を下ろしながらウィリアムは腕を組んだ。
「あのさぁ、長野の道の駅で色々買い物したでしょ?」
「うん。それがどうかした?」
「私のねぇ、空間収納に全部入ってるっぽいんだよねぇ」
「えっ?!」
「しかもそこに入ってる食べ物は使っても減らないっぽい」
「なにそのチート!」
「ほんとに……神様ありがとう!」
ウィリアムは両手を擦り合わせ拝んだ。
「だから、動けるようになったらまず家族と使用人のみんなにお腹いっぱいごはん食べて貰って! 次は領民に炊き出ししようと思ってる」
「なんでへらないってわかるの?」
「空間収納の中身を思い浮かべると、何がどれだけあるかって頭に浮かんで来るの。名前と数が。その数の横に、無限マークがついてる」
「え、すごい……」
「因みに、後ろの席とトランクに置いてあった鞄とか荷物全部入ってる」
「うわぁー」
レイチェルの可愛らしい顔が若干引き吊る。
「ありがたいけどチート過ぎるよね。しかも、この空間収納生き物も入れるっぽい」
「は?」
「緊急避難場所として使えるみたいなんだよねぇ」
「そののうりょくは……」
「うん。まだ隠しておくつもり」
「あくようされそうだもんね」
「チェリーの聖魔法も多分……強いんじゃないかな」
「き、きをつける」
二人が見つめ合い大きく頷いた時、扉が控えめに叩かれた。
ゆっくり開いた扉から、母のサンテネージュが顔を覗かせる。
「あら、二人共起きてたのね」
「鍋ごと持って来て正解だったね」
サンテネージュの後ろから、大きな木製のトレイに小さめの鍋とスープボウル、スプーンとナプキンを載せたバルナバートが部屋へ入って来る。
「待ってて。すぐにスープを用意するから」
トレイをローテーブルに置いたバルナバートは手早くスープをボウルに注ぎ、サンテネージュへ手渡した。受け取ったサンテネージュはベッドサイドに椅子を寄せ、レイチェルの隣に腰を下ろす。
「はい、あーん」
「えっ…」
「ふふっ、あーんして貰いなよ、いっちゃん」
「う、うん」
レイチェルは少し恥ずかしそうにおずおずと口を開け、スープを飲んだ。
「どう?美味しい?」
「うん、おいしい」
「良かった…」
瞳を潤ませたサンテネージュが嬉しそうに微笑む。
「ウィルには僕があーんしてあげるからね」
ウィリアムの隣に腰を下ろしたバルナバートも嬉しそうにスプーンを持ち上げた。
「あ、僕は自分で食べられるよ」
「えっ…でも」
途端に悲しそうな顔をするバルナバートに、ウィリアムは大人しく食べさせて貰うことにした。
レイチェルは一杯、ウィリアムはおかわりして一杯半のスープを平らげた。弱った胃はそれだけで満たされてしまう。
「母様達もお食事して来るわね?」
二人にスープを食べさせ終えた両親は、名残惜しそうに部屋を出て行った。
「今っていつなんだろう?あさ?おひる?」
窓から入る日の光にレイチェルが小首を傾げる。
「朝っぽいけどねぇ。ねぇ、ねぇ、いっちゃんとチェリーどっちで呼ばれたい?」
レイチェルのベッドの上、足元の方であぐらをかいて座るウィリアムは腕を組みながら尋ねた。
「しょうじきいうと、わたしのなかにあんまりレイチェルのきおくがないんだよね」
「あー。チェリー五歳になったばっかだし、飢饉と流行病のせいで寝込んでる時間が長かったせいかもねぇ…こんな小さいのに…可哀想に」
「おねえちゃんは? どっちのきおくがおおい?」
「私もやっぱ実里の記憶の方が多いよ。ウィリアムはとは生きて来た年数が全然違うからねぇ。でもウィリアムとして覚えてる事も多いかな? 思い出も記憶も、ちゃんとこの中にあるよ」
自分の胸元をポンポンと軽く叩き、ニコッと笑う。
「じゃあ、にぃにってよぶね」
「うん。僕はお姉ちゃんでもあり、お兄ちゃんでもあります!」
「ふふふっ。すっごくたよりになるねぇ。じゃあわたしはいっちゃんでもあり、チェリーでもあるんだね」
「そうだね! で? どっちの呼び方がいい?」
「うーん。チェリーかな。でも、ときどき――ふたりでいるときにいっちゃんって、よんでほしいかも」
「オッケ―! 任せて! どっちでも最愛の妹だから!」
右手の親指を立て、二カッと笑うウィリアムにレイチェルも同じ様に仕返した。




