奥様は山へ狩りに
狩猟日が終わった翌日、ムクフに荷馬車を牽いて貰い集落へ向かう。マンマはお休みだ。馭者席にサンテネージュも並んで座った。
集落に到着すると、聞いていなかったサンテネージュの参加に史郎が慌てる。
『ごめんねー。昨日話したら行きたいって言ってさぁ。腕は良いから気にしないで!』
『ウィル様…気にするなと言われましても』
「ウィル?」
「母さまが来てビックリしてる」
「あら。ごめんなさいね? でも猟は少し得意なの。私のことは気にしなくて良いわ」
「奥様、なにも、できませんが…」
史郎は深々と頭を下げた。
「本日は、よろしく、おねがい、もうしあげます」
「まぁ、こちらこそ。すごいわねー、そこまで話せるようになったのね」
サビール家雇用組の三人は、数名の者と一緒に村へと出向いている。夜間の燻製小屋の見張りが出来ない分、他に手伝える事を手伝いに行っている。
「ウィル、あの見えているのが?」
「そう。史郎達が作った家だよ。史郎、家を見せて貰ってもいい?」
「はい、どうぞ、こちらへ」
史郎が先頭を歩く。領主の奥方がやって来たと集落の者達にも緊張が走る。土下座しようとする者にウィリアムは慌てた。
『膝はつかないで! 頭も上げて! 僕の母さまだけど、今日は山に狩りに来ただけだから! 少しだけ家を見学させて貰うだけだから!』
「あらぁ?」
「サンテネージュ様に皆が頭を下げようとしているのをウィル坊が止めてます」
「なんだか申し訳ないわね」
サンテネージュは微笑みを浮かべ皆を見回した。
「どうぞお気になさらず。ご自身のお仕事を優先させてください」
『気にしないで、自分達の仕事を優先してって!』
ウィリアムが訳すと、皆その場で固まり史郎を見た。史郎が頷くと恐る恐る自分の仕事へ戻る。
「母さま、すごいでしょ? この家」
茅葺き屋根の家の前に立ち、ウィリアムは得意気に母を見上げた。サンテネージュは目を丸くして言葉を失っている。
「その気持ち分かりますよサンテネージュ様。オレも驚きました」
「――す、ごいわね。屋根は燃えないのかしら? 風で飛ばない?」
「燃えやすくはあるけど、カンタンには燃えないよ。風で飛ばされない工夫はしてるみたい」
「なかにもどうぞ」
史郎が引き戸を開け中へと案内する。
「まぁ、広いわね…」
「三階建てなんだよ」
「三階まであるの? 凄いわねぇ――」
サンテネージュが一部吹き抜けになっている天井を見上げた。
「この家はここで靴を脱いで上がるんだよ」
「靴を、脱ぐのね」
「そうだよ。史郎達の国の文化なんだ」
「どうしましょう…」
この国では風呂に入る時とベッドへ入る時以外は靴を脱がない。家の中は気になるが、靴を脱ぐのは躊躇いがある。
「母さま、家の中に入るのは今度にしましょうか。室内履きを用意して上がりましょう」
「ええ、そうね。そうするわ」
サンテネージュは残念そうにしながら家へ上がるのは諦めた。
史郎、ルイ、善太、荷物持ちに利介が同行する。史郎と善太を先頭に、沢への道から山へと入った。
「ウィル坊、ムクフに乗るか?」
「んーん。大丈夫」
今日もムクフの手綱はウィリアムが手に持っている。以前山へ入った時よりも見通しが利く。家を建てるのに木材を切り倒したお陰だろう。
『史郎、薪の確保は出来てる?』
『はい、薪用の木材も切り出しています。乾燥には少し善太の力を借りていますが』
善太の風神の力で木材の乾燥を進めているらしい。
『みんな、まき、拾うしてる』
『はい、採取の時に一緒に枝も拾っています』
『沢を越える辺りまで進みます。その方が獲物が多いので』
『わかった』
沢に辿り着くと、サンテネージュは驚きに小さく声を溢した。
「史郎達はここの水を汲みに来てるんだよ」
「そう。ここまで水を汲みに来るのは大変ね」
『休憩しますか?』
「母さま、休憩する?」
「いえ、大丈夫よ。進みましょう」
史郎は頷き、沢から離れ山を登った。史郎と利介が邪魔な草を払いつつ先を進む。
集落から二の半(二時間)程離れた所で、先頭の史郎と利介が止まった。静かに前方を確認すると、鹿に似たクルングが二頭、落ちた木の実を食べている。
シファとサンテネージュが弓を構え、矢を番える。ビュン――と同時に放たれた矢はクルングの首と眉間を貫いた。眉間を貫かれた一頭はバタリと倒れ、首に矢を受けたクルングはフラつきながらもまだ立っている。シファはすぐに二矢目を放った。
「ちょっと苦しませたな」
二矢目を受けて倒れたクルングにシファは微かに眉根を寄せた。男四人でクルングの後ろ脚を藁紐で括り枝の上へ吊り上げ血抜きを行う。その間にウィリアムとルイは少し離れた所で木の実を拾っていた。胡桃そっくりな木の実が熟して沢山落ちている。中くらいのバラン袋いっぱいに採れた。
サンテネージュは血抜きの間にバータを一羽狩っていた。
血抜きを終えたクルング二頭をムクフの背へ乗せ、獲物を探し山を歩く。枝に止まっていたグルーペアサン二羽を善太が、バルバル一頭をサンテネージュが仕留めた。
『奥様は本当にお上手ですね』
『狩人姫って呼ばれてるんだって』
『そう呼ばれるのも分かります』
――アォー、アォー!
甲高い声の奇妙な鳴き声に、一同の足が止まった。大人達が一斉に警戒する。ムクフも首を伸ばし辺りを見回した。
『子熊の鳴き声だ』
「ウィル坊、離れよう。仔ボンデの声だ。親を呼んでる」
来た道をゆっくり引き返す。いつ親に遭遇してもおかしくない。
「ウィル、危ない時は魔法を使うわよ」
「はい」
――ガサガサガサ
左側の斜面から大きな灰色の毛が見えた。
「くっそ、マジかよ!」
シファが腰のナイフを抜き背にウィリアムとルイを庇う。
「ゆっくり、後ろに下がるんだ。背を向けるな!」
『*ゆっくり下がって。背を向けるなって』
ウィリアムとルイからじりじり後退る。サンテネージュはいつでも火魔法を放てるように左手を翳した。
静かにゆっくり、ボンデと距離を取る。ボンデはジッとこちらを見たまま動かない。
突然、左の斜面の木々が揺れたかと思うと、対峙していた熊が転がった。
――ウグァウ!
――ヴァーッ!
二頭のボンデが取っ組み合い、牙を剥き出しにしている。立ち上がったボンデは二メートル程で、最初に対峙していたボンデの方がやや小さい。
――アグゥァァァァ!
――ウグガァァァァァァッ!
咆哮がビリビリと鼓膜を突き刺す。じりじり距離を取っていた一行の方へ、やや小さいボンデが転げ飛んで来た。
『*ヒィッ!』
「っわ!」
「下がれ! みんな下がれ!」
――アグァァァァァァァッ!
転がされたボンデが四つ足で突進する。再び二頭が取っ組み合い、鋭い爪が毛皮を裂いた。
――グァァァァァ!
やや小さなボンデは暴れ狂い、組み合っていたボンデの首に噛み付いた。噛まれた方も振り解こうと必死で爪を立てる。
――グ、ウゥゥッ……
首からダクダク血を垂れ流したボンデがドスン、と倒れた。それでも首を噛んだまま、やや小さなボンデは離さない。
息を殺し暫く様子を窺っていると、やや小さなボンデが先に倒れたボンデの上へ折り重なるように倒れ込んだ。荒く動いていた背がゆっくりになり、やがて停止した。
利介がゆっくりボンデへ近付く。バルバルの歯で作ったナイフを構え、二頭の絶命を確認した。
『両方死んでる。血抜きしても?』
『えーっと「シファ? 血抜きしても良いかって」』
「うん? ああ、そうだな…」
――アォー、アォー
――アゥ、アーゥ!
タカタカ走り寄って来たのは二頭の子熊だった。体長は八十センチ程で、ヨチヨチはしていない。
『お前らの母ちゃんか?』
やや小さなボンデに縋り付く仔ボンデに利介が尋ねる。
「シファ、あの仔ボンデたちは自分たちだけで生きていけるの?」
「まだ無理だろうな、あの大きさじゃ。根の節を越えられない」
「そっか…どうするの?」
「殺すしかないわ。それが恩情よ」
シファはナイフを握り直し、仔ボンデへと近付いた。利介も悟ったのかナイフを持ち直す。
「ちょっ、ちょっと待って!」
ウィリアムは慌てて走り出し、仔ボンデの前に立った。背に庇い、両腕を大きく広げる。
「ウィル坊、これは無理だ」
「でも流石に可哀想過ぎるって!」
『ウィル様、どんなに可哀想でも熊は熊だ。今はまだ小さいが、愛玩動物じゃないんです』
『分かってるよ。分かってるけど…』
ウィリアムはチラと仔ボンデを振り返った。
『まだ子供だよ…』
「ウィル、可哀想だけどこれが自然の摂理よ」
「…大きくなるまで屋敷で面倒見ちゃダメ? この子たちが成長して、自分たちだけでも生きていけるようになるまで。僕が責任持って面倒見るから」
「ウィル坊」
「お願い! 大きくなるまで!」
ウィリアムはシファを、それからサンテネージュを見た。しかし空気は変わらない。
すると、ムクフがゆっくりウィルの元までやって来た。
「ムクフ?」
鼻先で優しくウィリアムの肩を押し退ける。ウィリアムは横に数歩ズレた。母熊に泣き付く仔ボンデをジッと見つめ、鼻先でグイグイ押して転がした。
「なにしてるのムクフ」
――ヒィン
――アーゥ
――ヒィーン
――アゥ…アーゥ
仔ボンデ二匹がムクフへ向かってアウアウ鳴いている。ムクフはブルルと鼻を鳴らし、仔ボンデの頭を蹄で押さえ付けた。
「ムクフ⁈ 踏んじゃダメだよ」
――ウルルルル
――アウ
――ウウ
ムクフが体の向きを変え背を向けると、仔ボンデは何度か母熊の体を振り返りながら離れ、ムクフの足元へ走った。前脚の間をウロつく二頭を優しく鼻先で突いている。
「もしかしてムクフが面倒見るって言ってくれてるのかな?」
「かもなぁ…まぁ、ニュウセならボンデにも勝てるけどなぁ」
シファはどうするのかとサンテネージュに目で訴えた。大きな溜息を一つ吐き、仕方ないと首を横に振る。
「ウィル、今回は連れて帰っても良いわ。二匹が大きくなるまでよ?」
「母さま! ありがとう! ちゃんと面倒見るって約束する!」
「それはムクフに任せような」
『*ウィル、どうするんだ?』
『*屋敷に連れて帰って良いって!』
『*そうか! 良かったな!』
ルイも仔ボンデが助かった事を喜び、屋敷に行った際は世話を手伝うと申し出た。
仔ボンデの前で母熊の血抜きをするのは忍びなかったので、ウィリアムとルイはシファとムクフと先に山を下りる事になった。サンテネージュは残って狩りを続けると言うので置いていく。
集落へウィリアムとルイ、仔ボンデを送り届け、シファはすぐさまムクフに跨り山を駆け上って行った。
「ほた、おまえらはこっちだよおいで」
ウィリアムが声を掛けるとトコトコ二頭がついて歩く。
『かわいい』
『今だけだよ。大きくなったら、ああなる』
二人は萱作りをしている女性達に混ざった。作業するウィリアムの周りを仔ボンデがウロウロ歩き回る。
『あの、この子熊は?』
『親が違う熊と争って死んじゃったんだ。このまま山へ置いて行っても死んじゃうから、自分たちだけで生きていけるようになるまで僕の屋敷で面倒見ることにしたんだ』
『そうでしたか…』
『かわいそうねぇ~。でも、かわいい』
熊の姿形を可愛いと思うのは世界共通なんだとウィリアムは思った。
ウィリアムが集落の人達と昼食を食べ終える頃、熊の腕を両肩に担いだ利介が山から下りて来た。ムクフの背には新しい獲物が何匹かぶら下がっている。母熊の姿が見えないのでどうしたのかと尋ねると、集落の手前に置いてあると言う。
『ウィル様が子熊を連れて帰った後で、こちらへ運びます』
史郎は仔ボンデを優しい眼差しで見つめた。




