平和な日常
ムフォルメ王国――建国二百五十年を越える王政国家で、四大陸地の一つ、通称【ユンリカの地】の下半分を治める国。国境沿いを【王国の四つ守り手】と呼ばれる至方辺境が護り、国の中央に王都、王都を中心に囲む様に四層で区分されている。
王都中央には王族とごく限られた高位貴族、それらに仕える使用人のみが居住している。
一層は高位貴族が多く居住する地。
二層は高位貴族の中で序列が下位か金を持たない家、中位貴族の中で序列が高いか金のある家が軒を連ねる。
三層は中位貴族、下位貴族でも序列上位の家、裕福な平民が住んでいる。二次産業の拠点も多い。
四層が一番広く、人口も多い。下位貴族、地方貴族と一次産業に従事する多くの平民が暮らしている。その四層を取り囲む様に辺境領があり、四層と辺境領は近くても別物だ。辺境領は辺境領で、四層とは異なる。
陸地続きのユンリカの地の上半分と海を挟んだ通称【ユルルカの地】を、オルハドル公王国が統治している。ムフォルメ王国とオルハドル公王国の国境には広く深い【モルダンの森】と呼ばれる魔物の溢れる森が広がっている。一般人が陸路を行くには困難な程魔物の溢れる地で、通常オルハドル公王国との行き来は青の守り手か黄の守り手の領地から出る船が使用される。魔物の闊歩する森を行くよりも安全で、危険は少ない。
しかし、危険な反面モルダンの森が与えてくれる恩恵も多い。魔物の素材だ。魔物から採れる毛皮や牙、魔石等は魔道具を使う上でも欠かせない素材だ。
冒険者達は危険を冒して森へと入る。
生きる為、金を稼ぐ為、強さを求め、より高みを目指し。
或いは復讐か、死に急ぐのか――――
シファとウア、ウィリアムは三人でヌルエ小屋を建てていた。
ククと喧嘩ばかりするので、ヌルエ小屋は裏庭の最奥、鳥小屋とは一番離れた場所に作る。数匹増えても、三匹が成獣になってもゆとりがある広さで小屋を建てる。餌箱と水入れはウィリアムが土魔法で作った。みっしり硬く、水も通さない土器を想像したらその通りに作る事が出来た。小屋の前を柵で囲み広場も作る。
「おお~! すっごい牧場っぽい!」
「牧場じゃあないけどなぁ」
「引っ越しさせようか」
ポパイをシファが、オリーブとオリーをウアが抱き上げ新しい小屋へと移動する。ウアに抱かれた二匹は怯えて震えていた。
「ウアは怖くないのに」
「親父はボンデに似てるからなぁ」
新しい小屋へ放つと、三匹は一目散に隅へと逃げた。
「はいはい、出てくから怯えんなって」
小屋を出て、元の飼育場を解体する。糞尿で汚れた土はウィリアムが魔法で深く混ぜ返して埋めた。
***
「うん、これならだいじょうぶ!」
レイチェルは父から土産に貰った大きなガラス瓶にラーダとサワードウを作った。ラーダに種の起こし方を教える為、魔法は使わず瓶を熱湯消毒する方法で。起こし方とかけつぎを覚えればレイチェルが管理する必要は無くなる。
「粉と水でこうも膨らむんだねぇ」
「サワードウはいきものよ。ごはんをあげるとげんきになるの」
「そう言われるとなんだか可愛く見えてくるねぇ」
「ふふふっ、そうでしょう? まいにちパンをやくなら、まいにちごはんをあげてね」
「ああ、わかったよ」
(これでようやくサワードウづくりからかいほうされる!)
毎日小瓶に種を少しずつ移してはえさを与える作業からの解放をレイチェルは喜んだ。
(たいへんだった! まいにちまいにちまいにち! いったいなんびんつくったか!)
「じゃあ、きょうははんじゅくオムレツのれんしゅうする?」
「ああ、頼むよ先生。今日こそは成功させたいね!」
「がんばってラーダ」
「どう、にぃに?」
レイチェルの部屋で魔法訓練中、ウィリアムは難しい顔をして腕を組んだ。
「うーん…イメージはあるんだけどなぁ」
ローテーブルの上には父から土産で貰ったカバンが置いてある。ここ数日、ウィリアムはカバンに空間収納の能力を付与しようと悪戦苦闘していた。
「どんなイメージ?」
「え? そりゃあ四次元ポケットでしょ」
国民的アニメの、誰しもが一度は憧れるあのポケットだ。
「まぁ、ほしいけどね、うん。もっとちいさいイメージにしたら? さいしょからむげんしゅうのうじゃなくて」
「それじゃ意味無くない?」
「ちいさいっていっても、たとえば…にわしごやくらいとか」
「それならこのカバンより大きいから良いか」
ウィリアムは両手をカバンの上に翳し目を閉じた。
(庭師小屋――このカバンの容量はどんどんどんどん広がって、庭師小屋くらいは入るようになーる。なーる…どんどん、どんどん――)
カバンに催眠術でも掛けているかの様だ。レイチェルはじっと見守った。
「あ――」
どうとは言えないが、カバンから漂う感覚が変わった。何か不思議な気配がする。
ウィリアムはそっと目を開けた。
「出来た?」
「にぃに、できたとおもう。なんかカバンがヘンなかんじする」
「えっ? そんなの分かるの? 何も感じないんだけど!」
「ためしになにかいれてみて」
ウィリアムは立ち上がり、なにか入れる物を探した。
「何か、大きいの。大きいのー」
「いすは?」
「椅子か!」
レイチェルが指差した椅子を両手で持って運ぶ。
「カバンもってけばいいのに…」
「確かに!」
ウィリアムはカバンの口を広げ、椅子を入れようとした。
「普通に入んないんだけど…」
「せもたれにかぶせてみたら?」
カバンの口を大きく開き背もたれにかけると、それはするする飲み込まれていった。
「おお! 手品みたい!」
座面までたどり着いたが、カバンには変形の跡も何も無い。しかし、座面で引っ掛かった。
「うーん、これ以上入んないなぁ」
「じゃあ、そのカバンはいま、カバンのくちからはいるおおきさのものしかいれられないってことかな」
「おう…想像力の敗北…」
カバンを上へ上へ引き上げると、背もたれが元通りになる。
「あと出来るのは容量の確認か」
空間収納から米五キロを取り出してはカバンへ入れる。十袋程入れた所で止めた。
「うん、容量は想像通り、庭師小屋くらいになってそうだね」
「つづけるのめんどうになった?」
「庭師小屋いっぱいの米はちょっとねぇ?」
「今後の課題は口より大きい物でも入れられる様にする事かな。あと容量を増やす?」
「ようりょうはまりょくいれてたらふえそうじゃない?」
「異世界あるあるだ?」
「そうそう」
「まぁ、でも。記念すべき第一号マジックバッグ完成だね!」
二人は両手を叩いた。
***
「うん? マジックバッグ?」
「そう! 庭師小屋くらいの量なら入るよー。でもこの口から入る大きさじゃないとダメなんだよねぇ」
執務室に突撃して来た末二人がまたしても爆弾を投下して来た。
「えーっと、ウィル? ウィルが作ったの?」
「うん。ほら、僕、空間収納の能力持ってるでしょ? それを付与したらマジックバッグになんないかなーって」
「なんないかなぁ、で作れるものじゃないんだけどねぇ…」
両親は額を押さえたり、頬に手をやったりと悩まし気だ。
「マジックバッグですか…容量にもよりますが、三層に家が買えますね」
「おう…」
「ドラン、それはすごくたかいの?」
「そうですね…この屋敷の食費、生活費等、運営に於ける諸々全ての一年分くらいですね」
「それなりのおねだん?」
「ウィル、どうしてマジックバッグを作ったの?」
「父さま達は納税に行くと野営が多いでしょ? 食べ物も限られるし…でもマジックバッグがあれば家から食べ物も飲み物もいっぱい持って行けるよ。このカバンに入れておけば腐らないから」
「腐らない?」
「うん」
「まさか時間停止付きですか?」
「僕の空間収納はそうだから、そうだけど…」
「ウィル、時間停止付きなら二層に家が買えるわ」
シン――と部屋の中が静まり返る。
「バレないように使いましょう! どうせ使うのは僕じゃないし!」
ウィリアムは開き直った。
そう、使うのは自分では無い。ウィリアムには空間収納があるから必要ないのだ。
「お母さま」
レイチェルは母の前にトテトテ進み、片手を伸ばした。
「何かしら?」
サンテネージュがしゃがみ込み、レイチェルの手を覗き込む。
「まぁ、これは、紙?」
どら焼きの入った和柄の紙袋を正方形に切って折った、燕の折り紙だ。
「おりがみっていうの。つばめっていうとりをつくったのよ」
「まぁ、すごいわ。上手ねチェリー」
「よわいぼうぎょまほうのふよがしてあるから、いっかいくらいならふせげるわ」
再び沈黙が下りた。
「はい、お父さまにもどうぞ」
「あ、ああ。ありがとう」
「これはドランに」
「私もいただけるのですか? ありがたく頂戴いたします」
「おまもりにもっていてね」
「ええ、大事にいたします」
「チェリー、防御魔法の付与されたお守りなんて…どうかしら? 家がどこに買えるかしら?」
「ぜんりょくでごまかせばだいじょうぶ!」
防げた後なら風魔法でも水魔法でも使って防いだ事にすればいいのだ。
「うちの子達は傑物だねぇ」
ハハハ――と父の乾いた笑い声に末二人はにっこり微笑んだ。
「収穫頑張るぞー! オー!」
「おーっ!」
ウィリアムとレイチェル、ラーダ、ウアの四人は裏庭の畑に集っていた。
本日はトマトと枝豆の収穫日だ。トマトの収穫をラーダとウアに任せ、ウィリアムとレイチェルは枝豆の収穫をする。枝豆は収穫が少しでも遅れると豆が硬くなり美味しさが落ちるので、そうなったものは採らずに残して大豆にする。せっせと収穫すると、籠四つが山盛りになった。
「すごい!」
「残りは大豆になるまで放置だねー」
「トマトも大量だよ! すごい量だ!」
「ウィル坊、ティカロも収穫出来るぞ」
「おー! 収穫しちゃおう!」
ウィリアムとウアの二人でティカロも収穫する。その間にレイチェルが水魔法でトマトと枝豆を洗い、調理室へラーダと運んだ。
「えだまめはんぶんはしろうのとこに」
麻袋に似た、荒い布地の袋は麦を入れる大袋、それより二回り程小さい中袋、中袋の半分の大きさの小袋と種や調味料を入れる種子袋の四種類がある。そこら中に生えているススキに似た植物を刈り取り水に三日浸け、叩いて繊維を解すと粘りが出る。その繊維と粘りを混ぜ、専用の型枠に流し込み一晩置き固まったら取り出して乾燥させる。すると麻袋に似た、荒い布地の袋が出来上がる。袋の大きさの規格は国の決まりで、その大きさの袋に入れて納税や売買をしなければ法令違反となり罰せられる。
「バラン、ぶくろだっけ?」
「そうだよ。バラン草から作るからね」
洗って風魔法で乾かした枝豆を、中サイズのバラン袋へ入れる。これは史郎の集落へ分ける分だ。
ラーダは大量のトマトのヘタをくり抜き、尻に十字の切れ目を入れ、湯剥きの用意をしている。ケチャップを作る準備だ。
レイチェルはありったけのにんにくの実とセロリを風魔法でペーストにする。
「便利だねぇ、魔法…」
「いつかまどうぐつくってくれるってにぃにが」
「おや! それは楽しみだねぇ!」
ラーダが二十個分のトマトの湯剥きを終えた。
「潰した方が良いかい?」
「まほうをつかわないならつぶして、ザルでこしてにつめるわ。でもきょうはわたしがまほうでやるからだいじょうぶ。なべにいれてくれる?」
ラーダはトマトを普段スープを作っている大鍋へ入れた。
「み、みえない…」
踏み台に乗っても、円柱の上に長い鍋の中を見る事が出来ない。レイチェルはムッと唇を引き結んだ。
「あーりゃ。抱っこして良いかい? それでも魔法は使えるかねぇ?」
「うん、だいじょうぶ」
ラーダに後ろから抱き上げて貰い、鍋の上に両手を翳す。ブレンダーを意識して、トマトを細かくペースト状にしていく。量が多い分少し時間が掛かったが、しっかりペースト状になった。
「よし。ラーダ、これにあのボウルのなかみもいれてひにかけて。こげないようにまぜながらね」
「わかったよ」
ラーダがケチャップの鍋を火にかけていると、ウィリアムとウアがティカロを手に調理室へやって来た。
「ティカロも大量ー!」
「おお、すごいねぇ。ほんとに大量だ!」
「籠に入れて食糧庫に置いておくねー」
「頼んだよ!」
ついでにトマトも十個程は浅籠に入れて食糧庫の棚へ保管する。空間収納からいくらでも取り出せるが、自分達で作ったものはそれはそれでちゃんと食べたい。
「残りのトマトは僕のと合わせて史郎んとこと村に配ろうかな!」
まだ青さが残る硬めの物を選んで史郎の集落への分をバラン袋へ入れる。
「これは明日持って行く分」
まだまだトマトは大量に残っている。ウィリアムはそれを全て空間収納へ仕舞うと、ウアに提案した。
「今から村に配りに行こ?」
「ああ、いいよ」
「じゃあ背負い籠で行こう!」
「荷車じゃなくていいのか?」
「うん、大丈夫! 籠から出すフリするから!」
ウィリアムとウアは籠を背負い、村へと下りた。昼食用の卵とニセネギの中華スープと黒プチパンも空間収納に入れてある。
村へと到着し、ドランに借りた鍵で集会場の建物へ入る。
「どう配る?」
「ウア、机を前に持って来て。入口の方に」
「分かった」
ウアは長机一つを軽々持ち上げ出入口の近くへ運んだ。
「ここで来た人に配ろう! 扉は開けておいて、中が見える様にして。村の人に宣伝して貰えば良いかな」
ウィリアムは空間収納からトマトを取り出し、浅籠に積んで机に並べた。五山並べ、自分とウアの背負い籠にもトマトを入れておく。畑で作ったトマトと長野で買ったトマトを混ぜておくのも忘れない。
「よし、じゃあちょっと僕宣伝して来るね!」
「俺も行こうか」
「ううん! ウアは誰か来た時の為にここに残って!」
「ああ、分かった」
「じゃ、行って来ます!」
ウィリアムは軽い足取りで走り出した。昼近い時間だ。自宅に帰って昼食を摂る人も多い。
「あら、ウィルさま?」
「あ、こんにちは! お昼ですか?」
「ええ、今から家に帰って」
「集会場でうちで採れた野菜を配ってます! 良かったら寄って行ってください!」
「あら! じゃあ寄って行こうかしら」
「会った人に伝えてくれると助かりますー!」
言いながらウィリアムが駆けて行く。
その後も会う人、会う人に「集会場で野菜を配っています」と伝えて回った。三十分程走り回った所で集会場へ戻ると、何人か人が集まっている。
「ウア、ただいま!」
「ああ、おかえり」
「ウィルさまこんにちは」
「こんにちは! どうぞ、トマトです! 持って帰って下さい!」
「ありがとうございます。これは前にスープでいただいた野菜ですか?」
「はい、ミネストローネスープはこのトマトを潰して作ったスープですよ」
「スープ以外にはどう食べればいいですか?」
「そのままでも食べられますよ。切って塩を少しかけて食べても美味しいです」
「早速食べてみますねぇ」
ウアが家族の人数を考慮しトマトを数個手渡す。
「ありがとうございます」
「誰かに会ったら伝えて貰えると助かります!」
「ええ、伝えておきます」
両手にトマトを抱え、村人達が帰って行った。
「お、いいね! 減ってる、減ってるー」
トマトを籠に並べていると、次から次へ村人がやって来る。ウィリアムとウアは忙しく対応に追われた。
「ふぅー、落ち着いたかな」
「ああ、粗方来てたと思う」
一時間程経ち、人足も途切れがちになった。普段から村へ頻繁に出入りするウアは大体の人と顔見知りで、家族構成もなんとなく把握している。
「よし、お昼にしよう!」
手を洗い、卵とニセネギの中華スープと黒プチパンを取り出し、少し遅い昼食にする。
長机の山積みトマトを目の前に、黙々と食事を摂る。
「ラーダが最近本当に楽しそうだ」
「そうだねー」
「ありがとう、ウィル坊。ラーダに料理の楽しさを返してくれて」
「僕はちょっと食材あげてるだけだよ。チェリーの方がラーダを楽しませてるんじゃないかな?」
「ああ、チェリーお嬢さまにも感謝しているよ」
「それにまだまだ満足はしてない!」
「はっは! そうか、まだまだか」
「モチロン! 見ててウア! もっと美味しいもの食べさせてあげるから!」
「ああ、うん、そうだな。楽しみだ」
「じゃあここで一つ――」
ウィリアムは空間収納からマヨネーズの入った瓶とスプーンを取り出した。
「はい、トマト持ってー。一口齧ってー」
「そのまま?」
「うん!」
言われるがまま、ウアはトマトを豪快に齧った。
「はい、そこにマヨネーズをかけます!」
スプーンで掬ったマヨネーズを剥き出しになった果肉へ落とす。
「さ、食べて食べて!」
また豪快に齧ると、ウアは目を細めゆっくり咀嚼した。
「美味しいでしょ?」
「ああ、美味しいな」
「トマトを冷やすともっと美味しいんだよ? 今度やろうね」
「ああ――」
ウアは丸々二つのトマトを食べた。その美味しさを夜に妻へ語ると、少し拗ねられた。
翌日、レイチェルとウィリアムはマヨネーズをたっぷり作らされ、冷やしトマトの提供を強請られたのだった。




