山からの恵み
ベルとベガを拾った数日後、シファと共にウィリアムとレイチェルは史郎の集落を訪ねた。馭者席に三人で座り、お喋りに花を咲かせる。
「史郎たちは元気?」
「ああ、随分顔色も良くなったよ。あのー、コメ? が良いんだな。オレが持ってくとすっげぇ感謝される」
シファには定期的に食料を運んで貰っている。挨拶程度なら日本語でやり取りも出来る様になった。
史郎の集落に到着すると、皆が出迎えてくれた。
『こんにちは史郎!』
『みなさんもこんにちは!』
『ようこそお越しくださいました。ウィル様、チェリー様。シファ様もいつもありがとうございます』
史郎の挨拶に他の者も頭を深々と下げる。
『いいよ、いいよ。皆さんも頭を上げてくださいね。食べ物と調味料を持って来ましたよ』
前回持ち込んだ味噌と醤油が無くなる頃だろうとまた壺に移し替えて持って来た。空いた壺は持ち帰り次の分を補充する予定だ。
『お米もありますからね』
『本当に何から何までありがとうございます』
『さぁ、はこんでしまいましょう』
レイチェルとシファの後に数名が続く。
『史郎、畑を見せてくれる?』
『はい。どうぞ』
小屋の裏側に回って畑へ移動する。前回来た時よりも畑の面積が少しだけ広がっていた。
『蕎麦の実が育っておりますよ』
畑の奥の方に移動すると、思いの外成長した葉がニョキニョキ伸びていた。
『おお! こんなに育ってる!』
蕎麦の成長が早い事は知っていたが、ここまでとは思っていなかった。
『もうしばらくすると花が咲くそうです。実がつき収穫まではあとひと月半程だそうです』
『粉には出来そう?』
『すり鉢を今作っています』
『すり鉢!』
『ご覧になられますか?』
『うん!』
小屋の一つに案内され、そこでは数名の男性が作業していた。
『硬い木を探して切り出し、くり抜いている最中です。しっかり食事を摂れるようになったお陰で力仕事がラクになりました』
『良かったねぇ』
『本当にありがとうございます』
作業中の男達も頭を下げ謝辞を述べる。
『寝込んでいた者も皆元気になりました。今は畑を広げ、少しでも収穫を増やせるよう頑張っております』
ウィリアムは笑顔でうんうん頷いた。
『今ここに居ない者は山へ水汲みと採取に出ております』
『沢があるって言ってたね。沢までどれくらい?』
『私が歩いて半時程でしょうか』
『はん、じ?』
『ええ、と――すみません。時間なのですが、この国の表し方が分からず……』
『僕も歩けるかな?』
『山道なので少々辛いかと思いますが、行けなくは無いと思います』
『今からそこに行きたいんだけど案内して貰える?』
『私は構いませんが――』
ウィリアムが山へ入ると言ったらシファとレイチェルも付いて来る事になった。食事の煮炊きは集落の人達で行える様になったので必要無い。
史郎を先頭に山へ入る。
大人一人が通れる幅の分、通り道が出来ていた。
『迷う者が出ない様に沢までは草を刈ってあります』
草を刈り、枝を払ってある。時折木に印が掘ってあった。
『この印は採取で道を逸れた時の目印です』
『よく考えられてるね』
ゆっくり山道を歩く。長い裾野が続いており、斜面はとても緩やかだ。
「チェリーお嬢大丈夫か?」
「うん、まだ平気」
シファが最後尾、その前をレイチェルが歩く。
『あちらに採取している者がいます』
史郎の指差した場所に女性が二人いた。こちらに気付き、頭を下げる。
『ここではどんなものがとれるの?』
『野草や山菜、きのこですね』
『史郎の国にも同じものがあったの?』
『似ているものはありましたね』
少しずつ斜度がきつくなって来た。
レイチェルの息が上がる。
「よし、お嬢抱っこな」
「まだ」
「ダーメだ」
シファが片腕の上に抱き上げた。
「ムリしない」
「ありがと」
『あと少しで沢です』
「あとちょっとでつくって」
「もう少し頑張れウィル坊」
「僕は大丈夫!」
抱き上げられ視界の高くなったレイチェルが何気なく目をやった先に子供がいた。
「こども?」
「うん? ああ、あの子か。史郎んトコにいる子だな」
双子よりは年下、ウィリアムよりは年上くらいに見える男の子だ。
「え、子供?」
「あれ、言ってなかったっけ? 一人だけいるんだよ」
「聞いてない!『史郎、集落に子供がいるの?』」
『一人います。ああ、あそこに』
史郎の指差す先はウィリアムの身長では見えなかった。察した史郎が『失礼します』と背後からウィリアムを抱き上げる。
「おお! あ、ほんとだ! 子供だ!『おーい、こんにちはー!』」
ウィリアムとレイチェルで手を振る。子供と一緒にいる男女が頭を下げ、子供もそれを真似する様に頭を下げた。
『あの子供は話せないのです』
『えっ⁈ そうなの?』
「あのこはなせないんだって」
『耳は聞こえてるのかな?』
『聞こえていると思います。音には反応しますから』
ウィリアムを下ろし、史郎はまた歩き出した。
『あの子は食べられる野草や木の実に詳しいんです』
『あら、すごいわ「あのこたべられるやそうやきのみにくわしいんですって」』
「すごいなー」
『彼がいなければ私たちはここにたどり着く前に餓死していたでしょう』
『名前は?』
『分かりません。勝手に名前をつけるのもどうかと…坊や、坊主と呼ばれています』
『そう…あ、水の音だ』
『はい、もう見えて来ますよ』
その言葉通り、沢が見えて来た。
岩の隙間から水が湧き、大樽程度の大きさの浅い水溜まりになっている。
『ここまで来るのは大変だね』
体感で一時間無い程度、大人が歩いたら三十分程だろう。水汲みに往復一時間はかなり過酷だ。
『背負子を使って運んでいます』
沢の側に木と植物の蔓で作った背負子と蓋つきの深い桶が二つ置いてある。
『水を汲む前に辺りを散策して食材や資材を確保しています』
「こんなトコに湧き水あるなんてなー」
「シファも知らなかったの?」
レイチェルを下ろしたシファが沢に手を入れながら頷いた。
「こっち側は全然手付かずだよ」
サビール領は山と森に三方を囲まれた地だ。もう一方には海がある。平地の多い森を切り開き、少しずつ開拓されて来た。農業を中心とした小さな村が一つだけの領地では、開拓に人手を割けない。それでも先代の頃までは少しずつ少しずつ開拓に手を付けられていた。
バルナバートが継いでから――今代の王になってから治政が不安定になり、開拓に手を付けられなくなった。
「こどものころにやまにあそびにきたりはしなかったの?」
「子供の足でここまでは来ないからなぁ。それに山と森には勝手に入るなって子供の頃はそりゃーもう厳しく言われるんだよ」
「あぶないものねぇ」
「そうそう。ウィル坊とチェリーお嬢も勝手に入るなよ? ここらに危険な魔獣はいないはずだけど、ボンデとバルバルなんかは出るからな」
「ぼんで?」
「ばるばる?」
レイチェルとウィリアムが首を傾げる。
「ボンデはうちの親父みたいなヤツ」
その説明で熊なんだな、となんとなく理解する。
「バルバルはー…こんくらいの大きさで、前歯が大きくて危ない」
シファの広げた両腕は大型犬程の大きさだった。
「かむの?」
「何もしなければボンデもバルバルも臆病だから大丈夫。でも子育て中とか自分の身に危険が迫ったりとかの時には狂暴になるんだよ」
「こわーい」
「だろ?」
『ボンデが熊みたいな生き物で、バルバルがこれくらいの大きさの前歯が大きい生き物だって』
『熊は見た事は無いが…そのバルバルというのは茶色い毛で腹は白いでしょうか?』
「シファー。バルバルって茶色い毛でお腹は白い?」
「そうそう。んで歯は武器に使えるくらい硬い」
『そうだって。歯は武器に使えるらしいよ』
『ああ、それなら何度か罠に掛かって食べた事があります』
『へぇー食べられるんだ。自分の身に危険が迫ると狂暴になるから気を付けてだって。ボンデも』
『分かりました』
沢の付近を少し散策し、集落へ戻った。
以前来た際にエヴィニスに作って貰った竈には屋根と風除けが設置されている。女性が数人集まって料理をしていた。
「あ、あの子いた」
山の中にいた男の子が竈から少し離れた場所で茣蓙の様な物の上に採取物を広げていた。
ウィリアムとレイチェルは駆け寄り、側にしゃがみ込んだ。
『こんにちは、わたしはレイチェル』
『僕はウィリアムだよ』
男の子が驚き目を丸くする。
「チェリー」
「ウィル」
自分を指差し、何度も言う。それでも少年は声を発しなかった。
「うーん…通じないか」
「史郎にはうまくいったけどかんたんにはいかないね」
「今は何してるのかな?」
きのこや野草を選別するかの様に選り分けている。
ウィリアムが選り分けられたきのこの一つを手に取ろうとすると、ハシッと手を掴まれた。
「え?」
男の子が首を左右にブンブン振る。
「たべられないんじゃない?」
ウィリアムはきのこから手を退け、反対側にある草を指差し食べる素振りをして見せた。
コクコクと、縦に首を振る。
今度は先程止められたきのこを指差し、食べる素振りをすると、又ブンブン横に首を振った。
「こっちにあるのがたべられて、こっちにあるのはダメなのね」
「すごいねぇ」
「なんでそんなにわかるのかしら?」
「感? シックスセンスが強いとか?」
男の子がビクリと体を強張らせた。
『*シックスセンス?』
「え?」
『*シックス、センス――ねぇ、この言葉が君らにはわかるの⁈』
彼が話す言葉は、紛れも無い英語だった。