これだからチートは
蕎麦の種が手に入ったのは偶然だった。実里といち花は長野で人気な道の駅に立ち寄り、そこにあったガレット専門店でガレットを食べた。大変美味しく、自宅でも再現しようと二人で盛り上がり、売店で販売されていたそば粉を購入したら、サービスで小袋に入った蕎麦の種が貰えたのだ。食材判定されている為、小袋に入っていた数は数十粒程だったが、せっせと空間収納から取り出しては小さな巾着袋に移し替え、史郎へ手渡した。因みに、コシヒカリを購入した際にもサービスで稲穂を一束貰っている。こちらもいずれは栽培したいと思っている。
史郎の集落へ炊き出しに行ったその日の夜は、ミセリアーテと双子とのお別れ夕食会の予定だ。翌日には三人共学院へ戻ってしまう。
ウィリアムとレイチェルは気合十分に調理室に居た。
「今日はご馳走にするって言ってたけどどうするんだい?」
「今日はねぇ~」
ウィリアムがフフンと、得意気な顔をする。
「ピザ祭りを開催しまーす!」
イェーイ! と、レイチェルと揃ってパチパチ手を叩く。
「ピザ?」
「とっても美味しい食べ物です!」
「どうやって作るんだい?」
「作り方はチェリーが知ってるけど――今回は作りません!」
「作らないのかい?」
「僕の空間収納から飛び出します!」
ウィリアムは空間収納から四角く薄い箱を二つ取り出した。
「マルゲリータとクアトロフォルマッジでーす!」
二つの箱を開け、中をラーダへ見せる。
「これがピザって食べ物かい?」
「そう! 薄いパンの上にソースとチーズを乗せて石窯で焼いた食べ物!」
「やっとピザが食べられるのね!」
このピザ二種類はガレット専門店のあった道の駅で購入した物だ。テイクアウトで購入し、翌日トースターで焼き直して食べようと購入していた物だった。
「これはもう焼かれてるから食べる前にちょっと温めるだけで大丈夫! だからサラダとスープを作ろう!」
「ラーダ! きょうのスープはしんさくよ!」
「ホントかい⁈」
「ええ! かぼちゃのポタージュをつくりましょう!」
本当なら牛乳やら豆乳やらが欲しい所だが、無いのでかぼちゃと人参擬きのティカロを茹で、潰して裏ごしし、味付けをするシンプルな物だ。
レイチェルの指導の下、ラーダが調理に取り掛かる。ウィリアムはその横でレタスを千切り、ミニトマトを切ってサラダの用意をする。
(今日はいよいよ甘い物もデザートに出すんだ~)
レタスを千切りながらウィリアムは込み上げる笑みを我慢出来ずニヤつく。
(最近はちゃんと食べる様にしてたから胃に重たいピザもようやく解禁出来るし! 甘い物も! みんなビックリするかなぁ~)
自分とレイチェルだけで食べるのは後ろめたかったので、カバンの中身をチェックした際にチョコレートをこっそり食べて以来食べていない。今日食べたクラッカーと醤油せんべいは後で皆にも食べて貰う予定だ。
サラダの用意を終えたウィリアムは空間収納からピザの箱を取り出し続けた。
(みんな何枚食べるかなー? ナポリピッツァだからなぁ。生地は薄いし。僕とチェリーは二人で一枚で良いし…とりあえず一人一枚ずつとしてー。ウアとシファは二枚くらい食べられるかな?)
ウィリアムは先程出した一枚ずつと合わせて、合計十六枚のピザを取り出した。それぞれ八枚ずつ、箱を積み重ねる。
「この箱は何で出来てるんだい?」
かぼちゃとティカロをそれぞれ鍋で茹でながら、ラーダはピザ箱を指差した。
「段ボール? えーっと丈夫な紙?」
「紙? へぇー? こんなしっかりした紙があんのかい!」
興味深そうにピザ箱をラーダが触る。
「これも魔物木から出来てんのかい?」
「まものぼく?」
レイチェルは小首を傾げた。
「この世界――全部かは分かんないけど、うちの領地があるムフォルメ王国とその周りの国では魔物の木から紙が採れるんだよ。魔紙って言うの」
魔物木はその名の通り魔物の木だ。種類は色々あり、中には攻撃的な物も居る。討伐対象だったり、少し気を付ければ普通に伐採出来たり様々で、魔物木から採れる魔紙は薄ら魔力を帯びており、丈夫である。その分高価な為、重要書類等でしか使用されない。
「切った木を専用の道具で薄く切り取って、専用の薬液? に浸して紙にするんだって」
ウィリアムは父に聞いた話を思い出しながらレイチェルに説明した。
「そっかぁ。じゃあねぇねたちはどうやっておべんきょうしてるの?」
「アレだよ」
ラーダが調理室の壁を指差す。壁には数本釘が打ち付けられていて、上部に穴の開いた長方形の板が釘の数だけぶら下がっている。少し太めの短冊の様な形だ。
「いた?」
「そう。木版って言うんだよ。覚え書きなんかはあんなのに書くんだ。必要無くなったら削ってまた使うんだよ」
「ようひしとかじゃないんだ…」
「チェリーお嬢様は羊皮紙は知ってんのかい? 賢いねぇ。羊皮紙もね、数が取れないし魔紙より安いって言っても高価なんだよ。ここじゃ執務室くらいかねぇ? あるのは」
「じゃあ、おべんきょうのお下がり? はないの?」
「お勉強のお下がり?」
「んーと…ねぇねがならったことをにぃにたちにお下がり?」
「あー、ちょっと難しいかもねぇ」
ラーダは苦笑を浮かべ、そっとレイチェルの頭を撫でた。
「チェリーお嬢様が学院に通えるくらいになったらきっと良くなってるさぁ」
レイチェルはコクンと頷き、かぼちゃを湯から上げるよう指示を出した。
いつもは食堂室で一家が、調理室の一角にあるテーブルで使用人達が食事をするのだが、今日はお別れ会という事で、食堂室に使用人用のテーブルと椅子を運び込み、全員揃っての夕食となった。
かぼちゃのポタージュスープが仕上がった所でコンロ下の焼き窯にピザを入れ、温め直す。ピザ箱に戻して包丁で切れ目を入れ、冷めないようにウィリアムの空間収納へ戻して行く。
「ウィル坊ちゃま、チェリーお嬢ちゃま、皆揃いましたよ」
執事のドランとメイド長のサリーの娘、アリゼが二人とラーダを呼びに来た。
「運ぶのはこれだけで良いのですか?」
スープの入った鍋とサラダ、各種皿やカトラリーだけが用意されたカートにアリゼが小首を傾げる。
「あとは僕のに入ってるから大丈夫!」
「まぁ…本当に素敵なお力ですね」
「でしょー? じゃあ行こー!」
食堂室へ四人で移動すると、皆がソワソワ待っていた。メイド達ですぐにスープとサラダが配られる。
「あれ?…これだけ?」
今日はご馳走を用意するから楽しみにしてて! とウィリアムとレイチェルに言われていたフォルティスが悲し気に呟く。
「違うよ! 冷めないように僕の空間収納に入れてあるんだよ!」
「ああ、なんだ、そっかぁ~」
フォルティスがホッと息を吐くと、皆も静かに安堵した。ウィリアムは空間収納からピザ箱を取り出すと、メイド達に手渡した。まずは五枚ずつで良いだろう。減ったらまたその時出せば良い。
「赤いのがマルゲリータ、白いのがクアトロフォルマッジだよ」
「ピザっていう食べものなのよ」
レイチェルが箱の開け方を教え、蓋を畳んで下部に挟み込んで見せる。メイド達も真似して蓋を畳み、テーブルへ並べていく。
「うっわ! なんだこの匂い!」
「すっごいお腹が減る香りだわ…」
「さぁ、皆、戴こうか! ウィル、ご挨拶を」
バルナバートの声に皆が力強く頷く。
「はい! ミリー姉さま、フォル兄さま、エヴィ兄さま、気を付けて行ってらっしゃいませ! 次に三人が帰って来る時までに、チェリーとラーダと一緒に美味しいごはんを増やしておきますね! 乾杯!」
ウィリアムは緑茶の入ったグラスを掲げた。事前にサリーが用意してくれていた、冷めた緑茶だ。皆もグラスを掲げ、乾杯、と口々に言い合う。
「ピザは手で取って食べてください! 熱いので気を付けて!」
皆、やはりピザが気になるのかサラダもスープもそっちのけでピザに手を伸ばす。
「チェリー、これは取ったらどうするの?」
「このまま手でもって、ガブって」
レイチェルが表して見せると、ミセリアーテは少し目を見開いた。
「まぁ…ふふっ、それがお作法なのね」
「もし食べづらかったら、フォークとナイフで食べるほうほうもありますわ」
「いいえ、ガブっといくわ、ガブっと!」
「あついか――」
「熱っづ!」
熱いから気を付けてと続けようとしたレイチェルの声が、フォルティスの声に掻き消される。
「ああなりますよ」
「気を付けるわね」
「ふーふーしたらいいの」
レイチェルが愛らしい仕草でふーっと息を吹くのを、ミセリアーテが愛おしそうに見つめる。その斜め前に座るエヴィニスも又、叫びこそしなかったが熱さに悶絶していた。
「うっまぁ! ウィル坊! これうまいなぁ!」
「シファ、うるさい」
「いや、うまいだろ!」
「美味しいけど、うるさい」
アリゼが軽く睨むも、シファは何も気にしない。アリゼの隣に座るヒランはクアトロフォルマッジを目を閉じゆっくり咀嚼している。
「ヒランを見習いなさいよ」
「ウマいねぇ――ウマいよ、ウィル坊! このマルゲッタ? 美味しいよーウィル坊」
「マルゲリータね! こっちのクアトロフォルマッジの方にはねぇ――」
フフン、と得意気に笑うとウィリアムは空間収納から透明プラスチックの小さなカップを取り出した。
「このハチミツをかけて食べても美味しいんだよ!」
ハチミツ⁈ と、数人の声が被さる。
「ハチミツがあんのかいウィル坊⁈」
「ねぇ、ウィル! ハチミツって言った⁈」
「ウィル坊ちゃま! ハチミツですか⁈」
「う、うん…ど、どうぞ」
まずはミセリアーテに、その後ラーダとヒランにハチミツの入ったカップを差し出した。
「試しに少しずつかけてみてね」
双子や両親にもハチミツを差し出し、ウィリアムもピザを一枚手に取った。まずはマルゲリータから。一口齧ると、溶けたチーズが伸びる。トマトソースとチーズ、バジルの味わいに堪らず「んーっ」と声が出た。モチモチの生地が、久しく黒パンしか食べていなかった口に懐かしい。向かいではレイチェルが美味しそうにかぼちゃのポタージュを味わっている。
「まぁ――この白いのにハチミツをかけたら美味しいわ! 不思議なお味よ!」
ミセリアーテが目を輝かせてウィリアムとチェリーを交互に見遣る。
「甘じょっぱいはおいしいの」
「甘じょっぱい――」
初めての味覚に、ミセリアーテは何度も「甘じょっぱい…」と呟きながらハチミツがけのクアトロフォルマッジを食べた。
「このスープとても美味しいですねラーダ」
「ああ、それ気に入ったかいサリー? マレンテとティカロを茹でて潰してね、ザルでまた細かくすり潰してさぁ。不思議だねぇ? こんなウマいスープになっちまったよ。 チェリーお嬢様は料理の天才さぁ」
「チェリーお嬢様もウィル坊ちゃまもスゴイですー」
ヒランはハチミツがけのクアトロフォルマッジを食べながら真実涙を流していた。
「おお、泣く程うまいか?」
「うう、うまいー。うまいですー」
泣きながらピザを頬張る妹にシファは苦笑を浮かべ、自分の皿に取り分けていたクアトロフォルマッジをヒランの皿へ移した。
「ほら、オレのも食っていいから」
「あっ! シファ! おかわりならまだあるから! 気にしないで食べてよ!」
使用人達の様子を覗っていたウィリアムが慌てて空間収納からそれぞれのピザを取り出す。
「ありがとなウィル坊」
「いっぱい食べてねみんな!」
「天使がいますぅ~」
ヒランは泣きながらも食べる手だけは絶対に止めなかった。
「ねぇ、ウィル。このハチミツとても質が良いわ…すごく美味しい」
サンテネージュはスプーンの先で少しだけ掬ってそのまま口にしたハチミツの味に驚きを隠せなかった。
「美味しいなら良かった!」
「チェリー、このマレンテのスープもすごく美味しいわねぇ」
「ふふっ、ラーダががんばってつくってくれたおかげです」
「とっても美味しいよチェリー、ウィル」
バルナバートも眦を下げ、頷いている。
「あら、ふふっ――やだ、もう」
サンテネージュは自分のナプキンを手に取ると、バルナバートの口端を拭った。
「ん? 何か付いてたかな?」
「ええ、赤いソースがね。ふふっ」
甘い雰囲気になり、イチャイチャし出す両親に子供達は皆目を見合わせ、小さく頷き見ない事にした。
「あー…ウマい。あー、学院戻りたくないなぁ」
「なー。俺も戻りたくない…」
フォルティスとエヴィニスは揃って溜息を吐いた。
「止めてよ。私だって戻りたくないわ」
「がっこうのごはん、おいしくないの?」
上三人が目を見合わせ、うーんと唸る。
「今までは普通にウマいと思ってたんだよなぁ」
「そうねぇ。贅沢は言えないしねぇ」
「でもなぁ――この味を知っちゃったんだよな俺たち」
「ウィルとチェリーの考える物ってどれもこれもウマいんだよ」
それはそうである。日本人の食への執着心を甘く見てはいけない。毒のある魚の毒器官を除いて食べ、灰汁の強い植物は工夫を凝らして食材へ変化させ、他国の料理を進化させ自国の文化にまでしてしまう。美味しい物に溢れた現代日本人の記憶と、チート能力を携えた二人が揃えば食事改革しない筈が無いのだ。
「学院ではどんなごはんが出るの?」
「あー、オレらは下級の方しか知らないんだけど」
「かきゅう?」
「うん。学院にはね、平民から高位貴族、王族まで通うから。食事内容も違うんだよ」
レイチェルにエヴィニスが説明する。
「普段俺たちが使ってるのは下級食堂なんだ。下級、上級、個室があるんだよ」
下級が平民や金の無い貴族、上級がそれなりに金のある貴族、個室は高位貴族や王族が使う事が多い。
「メニューは大抵決まっているわ。黒パンとスープ、茹でたゴジョモと何かのお肉を焼いたものね」
「時々豪華になる事もあるんだよ」
「式典の時とかな?」
「お腹いっぱい食べられてるの?」
「まあ、それなりには食えてるよ」
フォルティスは飲み干したスープのおかわりに立ち上がった。サリーが立ち上がろうとするのを手で制し、おかわりを注いで席へ戻る。
「フォル、私にも」
ミセリアーテに皿を差し出され、その皿にもたっぷりとおかわりを注いでやった。
「ありがとう」
「ええ、お姉さま」
「…やめてよ気持ち悪い」
双子は姉を愛称の【ミリー】と呼んでいる。お姉さまなんて普段呼ばれない呼び方に、ミセリアーテはわざとらしく身震いして見せた。
「しばらくこのウマい食事とはお別れか…」
萎れる三人に、ウィリアムとレイチェルの心が痛む。
「ま、その分今日は楽しむさ!」
「いっぱい食べて!」
ウィリアムはおかわりのピザを空間収納から取り出し差し出した。