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異世界幸福生活譚~幸せへの帰り道~  作者: 宮城 円


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キョウダイの事情

差別的表記と暴力的な描写があります。

ご注意下さい。




 ——鈴木実里すずきみのりは泣きじゃくる弟を前に唇を噛み締めた。

 

 冷たい態度の両親と怒りを露わにする二つ上の兄に殺意を抱きながら。




 家族で話し合いたいことがあるからと、突然実家に呼び出された実里は金曜の仕事を定時で切り上げ電車に飛び乗った。就職を機にはじめた一人暮らしだが、職場から実家まで電車とバスを乗り継いで、二時間程度の距離だ。

 実家を出て三年。周りに比べれば実家に顔を出す頻度は高い方だと思う。月に二~三回は実家に顔を出し、そのまま泊まって行くことも多い。実家が恋しいとか、両親が心配だとか、そんな微笑ましい理由では無い。

 ガタンと大きく揺れた電車の中で、不安が募って行くのを止められない実里はスマートフォンをギュッと握り締めた。何度連絡しても返事も応答も無い、年の離れた弟が心配で仕方ない。


(早く……もっと早く)




 実家の最寄り駅に到着した実里はタクシーに飛び乗り、帰路を急いだ。支払いも煩わしく、数千円をトレイに置き釣銭は不要だと告げて降りる。

 実家の玄関扉を開けると、微かな泣き声が聞こえた。焦る気持ちのままリビングへ駆け込むと、床に倒れ伏して泣く弟が目に飛び込んで来た。

「——いっちゃん!」

 バックパックを放り出し、両親や兄から庇う様に弟を抱き締める。

「お、ねぇちゃっ……ぅっ……」

「酷いっ……なんてことっ——!」

 怒りに全身の毛が逆立つのを、実里は人生ではじめて体感した。弟を抱き締めたまま、振り返って家族を睨み付ける。

「自分達がなにしたかわかってんの?!」

「親に向かって偉そうな口を利くな! 誰が大学まで卒業させてやったと思ってるんだ!」

「私がっ、育て方を……間違えたのかしらっ」

 ダイニングテーブルの椅子に腰かけ、項垂れる母が両手で顔を覆い涙ぐむ。

「弟がホモだオカマだなんて恥晒しもいいとこだ! 俺は絶対に許さないからな!」

「実里! お前が【いっちゃん】なんて呼ぶから女みたいに育ったんじゃないのか?!」

「そ、そうなの? みのりの……実里のせいなの?」

「違っ——!」

 否定しようとする弟を、実里はギュッと抱き締め首を横に振った。

「おねえちゃん」

「いいから。大丈夫」

 この家族にはもう何も期待していない。

 只、弟だけは守りたかった。だから頻繁に実家に顔を出していた。

「ごめんね。もっと早くこうしたら良かった」

 実里は弟に微笑みかけ、ぐちゃぐちゃに刈り上げられた頭を優しく撫でた。頬を叩かれたのだろう。赤く腫れ上がり、唇の端は切れて血が出ている。髪を切られる時に抵抗したのか、Tシャツの襟は破れ、ボロボロ。腕や首にも痣や擦り傷が散乱していた。

「いっちゃん、立てる?」

 弟を抱き支えながら、ゆっくり立ち上がる。実里は背に庇いながら、ゆっくり家族と向き合った。

「いくら親だからって、家族だからって。殴ったり髪を切ったりすんのは虐待だから」

「躾だ! 女になりたいなんて意味の分からないことを言う愚か者に対する躾をして何が悪い!」

「ほんっっっと! 時代錯誤! いつの時代生きてんの?!」

「じゃあオマエは弟がホモでもカマでもいいのか?!」

「いいに決まってんでしょ! いっちゃんにはいっちゃんの生きたいように生きる権利があるんだから! そんなに気に入らないなら縁切ればいいじゃん!」

「実里っ!」

「オマエは昔っから生意気だな! 女のクセに勉強ばっかりしやがって! そんなんだから男も寄って来ないし結婚もできないんだろ!」

 二つしか違わない兄の価値観に実里は頭が痛くなった。この人と結婚した義姉は大丈夫なのだろうか?虐げられていないだろうか? 相手をするだけ無駄だと踏み、実里は後ろ手に弟を庇いながらジリジリ扉の方へ後ずさった。

「いっちゃんは私が面倒見ます。もうこの家には置いておけません。荷物を纏めたら出て行きます。私ともいっちゃんとも縁を切って下さって結構です」

「何を偉そうに!」

 顔を真っ赤にして怒る父を、実里は冷めた目で睨み付けた。

「いらないんでしょ? こんな恥晒し達は」

「実里っ! お父さんに向かってなんてこと言うの!」

「事実だけど?」

 リビングの扉に辿り着き、実里は自分が投げ出したバックパックを引っ掴んだ。

「女らしくないって。だから彼氏もいないし結婚もできないって私に言ってたじゃん? お父さんだけじゃないよお母さんもね」

「お母さんは……みんなの幸せを思ってっ」

 傷付いた顔をする母に、実里は反吐が出そうになった。

「もしも私といっちゃんが出て行くのを邪魔しようとしたら警察に通報します」

「なっ! 警察なんてっ!」

「本気だからね。このやり取りも全部録音してるから」

 実里の発言に両親と兄が押し黙った。

「それじゃあ、さようなら。私といっちゃんが出て行くまでこの部屋から出ないで下さいね」

 パタリとリビングの扉を閉め、実里はフッと肩から力を抜いた。

「早く荷物纏めちゃおうね」

 痛々しい弟の姿につい眉を顰める。泣きたくなるのを堪え、なんとか笑顔を浮かべた。泣くのは後だ。この家を出てからだ。弟の部屋に行き、手分けして必要最低限の荷物を纏める。ボロボロになった衣服を着替えさせ、顔を隠せるようにフード付きのパーカーを羽織らせる。

「もういい? 行ける?」

「うん。この部屋にそんなに必要なものないから……」

「じゃあ、行こっか」

 リビングの様子を窺いながら廊下を歩いていると、リビングの扉が開いた。実里は弟を背に庇いながら警戒しつつ玄関へ急ぐ。開いた扉から、涙を浮かべる母親が二人を見ていた。その後ろに怒りと呆れの表情を浮かべた父と兄が立っている。

「謝るなら今の内にしろ」

 痛む身体を庇いながらスニーカーを履く弟を守る様に立つ実里。二人に向かって父が言った。弟の肩がビクリと跳ねる。

「大丈夫だから。行こ?」

 ローファーを雑に履き、両手に鞄を下げて家族を一瞥する。

「私達が謝ることなんかなにも無い」

「おいっ!」

 兄がまだ何か言っていたが、実里は玄関から外に出てそのまま扉を閉めた。

 もう二度と、この家の敷居は跨がないと心に決めて。




***


 鈴木伊都久すずきいつひさは三兄妹の末っ子として生まれた。姉とは十歳離れ、兄とは一回り離れている。両親は仕事で忙しく姉が母親代わりに世話をし、遊んでくれた。両親や兄が相手をしてくれた記憶は殆ど無い。そして、物心が付く頃には自分の存在に違和感を感じる様になった。

 自分が女の子じゃない事に、男として生まれた事に違和感を感じる。しかし、それを誰彼構わず問い掛ける程子供でも無かった。

 姉が迎えに来てくれた保育園の帰り道、伊都久は手を握る姉を見上げた。

「ねぇね」

「うん? なぁに?」

 腰を軽く折り話しやすい様に顔を近付けた姉に、伊都久は周りをキョロキョロ見回した。その姿に内緒話なのだと察し、歩道の端に寄ってわざわざしゃがみ込んでくれる姉に、この人なら大丈夫だと伊都久は決心した。

「あのね」

「うん」

「いっくんね……なんで女の子じゃないの? いっくんね、女の子がいい」

 弟の小さな小さな声に、姉は目を見開き困った顔をして笑った。

「そっかぁー。じゃあ今からいっちゃんって呼ぶね? それで、この話はおうちに帰ってから、お姉ちゃんと二人で内緒話しよ? いっく——いっちゃんも、内緒話がいいんだよね?」

「うん、ねぇねにしか言わないまだ」

「偉いねいっちゃんは。おりこうさんだね」

「おりこう?」

「うん、おりこうさん。ちゃんと考えてておりこうさん」


 その日、二人っきりで夕食を食べ、お風呂に入り、同じベッドで寝ながら姉弟は話し合った。


「いっちゃんのね、気持ちは間違ってないよ。でもね…お姉ちゃんが大人になって、いっちゃんがお姉ちゃんくらい大きくなるまでね、お姉ちゃん以外には内緒がいいと思うんだ。お母さんにも、お父さんにも、お兄ちゃんにも内緒」

「うん。ねぇねだけね?」

「そう、ねぇねだけ。お友達と先生にも内緒ね? お母さんたちに言っちゃうかもしれないからね」

「わかった」

「いっちゃんはおりこうさんだね」

 何度も頭を優しく撫でられ、伊都久は嬉しくてふふっと笑った。

「ねぇね大好きよ」

「ねぇねもいっちゃんが大好きよ」


 微かな寝息を立てる弟の姿に、姉は悔しくて涙が零れた。

 まだ五歳の子供に、自分の事を他人に話してはいけないと約束させてしまった。

 けれど、この判断は絶対に間違っていない。両親と兄の性格をよく知っているからこそ、弟を守る為には必要な事だ。


「ごめんね、いっちゃん————」


 眠る弟にポツリと謝罪を零した。








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