染み入る味
ウィリアム達が竈の前まで戻ると、ふわりとある匂いが漂った。
『この匂いは――』
『史郎! 味噌だ! 味噌汁だよ史郎! あの小さな女の子が味噌を持ってたんだ!』
同じ船で何度も旅をした事のある馴染みの元船員が、涙を浮かべて史郎に飛びついて来た。
『米だけでも嬉しかったのに――味噌が、味噌があるなんて』
二人の腹が同時に音を立て、ウィリアムは笑った。
『さぁ皆さん! お昼ご飯にしましょう! お皿はありますか? あれば持って来て下さい。無ければこちらで準備しますよ!』
皆が手に木彫りの器とスプーンを持ち、玉子粥の鍋の前に並ぶ。スープを入れる様な深皿は皆一枚しか持っていないのだろう。味噌汁と粥のどちらにしようかと悩む姿も見られた。ドランがすぐに馬車からスープボウルを持って来て、味噌汁を注いで配った。
小屋の前に集って、地べたにそのまま腰を下ろし食事をする。玉子粥と味噌汁なんて水分ばかりの炊き出しになってしまったが、皆の顔が嬉しそうに綻んでいる。中には食べながら号泣している者も居た。
『おかわりもたくさんありますからね! でも無理に食べないで下さい! お腹を壊しますよ!』
ウィリアムとレイチェルは住人の間を回って食事の進み具合を見たり、「ゆっくり食べて下さい」「明日も食べられますから無理しないでください」と言い含めた。皆が感謝を述べ、土下座しそうな勢いなのを押し留めるのが大変だった。
「にぃに、かぼちゃのにものどうする?」
「んー…食べても大丈夫かなぁ?」
「だいこん食べてるし、たぶん…」
それならと、竈の陰に隠れて空間収納からかぼちゃの煮物が入った小鍋を取り出し、ドランに配って貰った。久しぶりの味付けに、またもや涙を流す者や、二人を拝む者が後を絶たなかった。
二人ほど寝込んでいる者も居たが、粥と味噌汁を食べ大層喜んで居たと教えて貰った。
『ほんとうに、本当にありがとうございますっ…この御恩はいつか必ずお返しさせて頂きますっ』
食事を終え、史郎を先頭に皆が深く頭を下げた。
『はい、皆さん頭を上げてください』
『おとこの人はこっちにきて手つだってください』
レイチェルがドランを伴って手招きする。なんだ、なんだと数名が後に続いた。
『そのふくろはお米です。みんなで食べてください』
麻袋を指差したレイチェルに男たちが目を見合わせる。
『おもいのできをつけてください』
一袋二十キロ分の米が入っている。それが二袋だ。ヒョイ、と男が肩に一袋担ぎ上げた。
「ああっ! ぎっくりしちゃう!」
『ああ――これが米の重さなんて…嬉しい重さだ。お姫様、ありがとう』
船乗りの一人だった男は痩せてはいたが、何とも無いように持ち上げ小屋へ運んで行く。その後ろに居た男も同じ様に持ち上げ、一人で運んで行った。
『あいつらは元船乗りだから心配無いよお姫様』
『そう…あなたはそのつぼを。それはみそです』
『おお! 味噌まで貰えるのか! 本当にありがとうお姫様!』
『そっちはしょうゆよ』
『醤油!』
男達は何度もレイチェルに感謝を述べ、ドランにも頭を下げて壺を大事に抱えて小屋へ運んで行った。残った掌サイズの小壺はレイチェルが胸の前に抱えて持って行く。
レイチェルが食糧の受け渡しをしている間、ウィリアムも史郎にある物を手渡していた。エヴィニスには竈の底を少し上げて貰い、多少の雨が降っても平気な様にして貰っている。竈を消そうとしたら、このまま残しておいて欲しいと懇願されたのだ。
『これは――まさか』
『そう、蕎麦の種だよ』
『ソバの実!』
『これを植えてみて。確か強い実だから育ちやすいはずなんだ』
『農民だった者がいます! そいつに聞いてみます!』
『うん。それともし失敗しちゃっても種はあるから、何回でも挑戦してみて』
『ウィル様…あなたという方は――』
『すぐには無理だけど…この状況を改善しよう?』
『はい、はいっ――この史郎必ずや、この身を尽くしウィル様に、サビール家様に恩を報わせていただきます』
史郎が土下座をすると、他の者達も土下座する。
『だから土下座は止めてーっ! 分かってるから! 感謝の気持ち伝わってるからーっ!』
皆が顔を上げ、苦笑する。感謝してもしても、し切れない程なのに。
『それじゃあ、また来ます。もし何かあったら屋敷に来てください』
『お心配りに感謝致します』
『うん! じゃあね! また!』
『しばらくはおかゆを食べてくださいね!』
ウィリアムとレイチェルが別れを告げ、馬車がポクポクポクと進み出す。
『またねー!』
ウィリアムが振り返って手を振ると、史郎は一度顔を上げてまた深く腰を折った。皆が同じ様に深く腰を折り、頭を下げている。馬車が見えなくなるまで、彼等はずっと頭を下げ続けた。
「お腹空いたねぇ」
「そうだなぁ」
「すきましたわー」
グーっとお腹を鳴らし同意したのはドランだった。
「大変失礼を…」
「あははは! ドランにもそんなとこあるんだ!」
「あっはっは! ドランの腹の虫が返事をしたなぁ!」
「ふふふふふっ…アリゼにおしえてあげましょ」
ウィリアムが空間収納からクラッカー缶を取り出した。
「みんなで食べよー」
「おっ? それはなんだウィル」
「クラッカーだよ」
「クラッカー?」
「ビスケット? 甘くないクッキー? まぁ食べたら分かるよ!」
缶を開け、袋を取り出す。レイチェルが嬉しそうに一枚取った。
「エヴィ兄さまもどうぞ」
「ああ、ありがとう」
「ドランも」
「いただきますウィリアム様」
ウィリアムも一枚手に取り、パクリと食べた。軽い食感が懐かしい。
「うまい…」
「これは美味しい――」
「もっとあるからいっぱい食べてー」
ウィリアムは缶の中に残る二袋をドランとエヴィニスへ一袋ずつ渡した。喉が渇いたら空間収納から水を出せば大丈夫だ。レイチェルも美味しそうにサクサク齧っている。
「ふふふっ」
自己満足かもしれないが、それでも良い。自分の手の届く範囲内にいる人くらい、お腹いっぱいにしてあげたい。
「にぃに、せんべい食べたい」
可愛い妹の為、ウィリアムは空間収納からせんべい缶を取り出した。