カバンの中身
ウィリアムとレイチェルが目覚めて二週間経った。お腹いっぱい計画始動の日から数日続けてお粥を食べ、固形物を少しづつ摂取し、最近ようやく皆と同じ食事を食べられる様になった。なりはしたが、黒パンの硬さにレイチェルは絶望していた。余りの硬さに千切るだけでも一苦労し、スープに浸しても食べづらい。パン好きだったいち花にとって、この黒パンは大変許し難い代物であった。
ミネストローネスープ、ポトフ、玉子スープと、今ある食材で作れるスープをラーダに伝授した。空間収納内にあるレタスと人参ドレッシングで生野菜サラダも食卓に上がる様になった。レイチェルがまだ調理場へ行く許可が下りない為、ウィリアム一人でラーダにレシピを教えている。しかし、いかんせん実里が料理下手だった為、レシピを知っていても応用が利かない。それに空間収納内の食材が、大分日本食寄りなのだ。黒パンに合うメニューが思い浮かばず、そこは食材内容をレイチェルに言って何か良いレシピが無いか尋ねたりもしたのだが、返って来たのは「もう日本食で良いんじゃない?」だった。ウィリアムも出来るならそうしたい所ではあるが、白米も味噌汁も一定数苦手とする外国人が居たのを知っている為、踏み切れずにいる。家族も使用人達も皆優しいので、口に合わずとも無理して「美味しい」と食べてくれそうなのだ。本当に食うにも困る状態であったならお粥でも何でも食べて貰う所だが、今はギリギリ食べていけている。
朝食を終えたウィリアムとレイチェルはレイチェルの自室に二人で居た。つい先日、もう看病の必要も無いからとそれぞれの部屋に戻ったのである。
レイチェルの部屋はクリーム色の壁紙が上部に、下三分の一程が薄いピンク色をした可愛らしい部屋だ。天蓋付きのベッドと子供用の机は木材の特徴を生かした、柔らかな白色。二人掛けのソファー二台とローテブルは猫足のデザインで、ミセリアーテのお下がりだ。部屋の隅にドレス等の大物を入れるチェストと、普段着や小物類を入れるチェストが並んでいる。この世界ではハンガーがまだ使用されておらず、ドレスはトルソーか、薄い木箱に入れて保管するのが主流だ。
ウィリアムとレイチェルは、朝食後に魔力を体内で循環させる練習を二人で行うのが日課となった。一時間程続けたら休憩、また一時間続け、その後は自由時間。二人でお喋りをしたり、少しだけ邸内を散歩したりする。
本日は、空間収納内にある食材以外の荷物を全て出してみる事にした。
長野へ一泊二日の小旅行をしていた為、車のトランクには実里の大きなトートバッグといち花のボストンバッグが入っていた。車載用防災セットと雨傘二本も入っていたのは幸運だ。
「わたしのカバン! 良かったぁ」
お金を貯めて買ったお気に入りのショルダーバッグが手に戻り、レイチェルが嬉しそうに抱き締める。その中には財布、スマートフォン、タブレットに専用ペン、ポーチ二つとハンドタオル、ペンケースと落書き用のB6サイズのノートが入っていた。
「これでやっとお絵かきできる!」
「良かったねぇ。しかもノート買ったばっかりだったでしょ?」
「そう! 新品! 大事に使わなきゃー」
実里のリュックの中にも財布とタブレット、ポーチ二つにハンドタオルが入っていた。
「あれ? なんでスマホ無いの?」
「車で使ってたからじゃない? 音楽流すのに」
「あー。それでか。まぁ電池切れしたら使えないしいっか」
リュックの前ポケットを開け、ごちゃっとした中身を取り出す。要らないレシートにミントタブレット、そして――
「こっ! これは!」
ウィリアムは細い紙筒を持ち上げ歓喜に震えた。
「砂糖!」
「スティックシュガー!」
二人が同時に叫ぶ。
「砂糖って食材に入ってないの?!」
「ちょっと待って」
ウィリアムが暫し空間収納リストを思い浮かべる。
「入った! スティックシュガー入った!」
今朝までリストに無かったスティックシュガーがポン、と追加されていた。
「神様マジでありがとう!」
「感謝します!」
二人は両手を合わせ、神を拝む。日本式で。
「って事は――」
ウィリアムは二つあるポーチの一つを手に取り、ジッパーを開けた。
「飴ちゃん! チョコレート! パイ!」
フルーツのど飴が数種類と個包装のチョコレートが四つ、一口サイズのジャムパイが三つ入っている。
「これも入れ! 空間収納!」
数秒後、ウィリアムは両腕でガッツポーズし高く掲げた。
「おねえちゃん!」
テーブルを回り込み、レイチェルがハシッと抱き着く。
「ねぇ、食べちゃう?」
「食べちゃう?」
二人はこっそりチョコレートを口にした。ウィリアムとレイチェルの体が、初めて口にした甘味に震える。
「美味しっ――」
「んーっ…」
しばらくチョコレートの余韻に浸り、二人はとりあえずカバンの中身を片付け、空間収納へ戻した。レイチェルはノートとペンケースだけ机の引き出しに仕舞った。
続いて旅行用の荷物をそれぞれ検める。下着類に着替え、メイク用品等が入っていた。
「あっ!」
レイチェルが短く叫ぶ。
「どうしたの?」
「これ――」
その手には、黒いハードケースが握られていた。
「それって…」
二人の声が重なる。
――スパイスケース!
「なんで持ってるの⁈」
「長野行くちょっとまえに、友達とバーベキューしたときのだ。車かりたでしょ? そのときカバンからトランクに落としたみたいで、にもつ入れるときに見つけてこっちのポケットに入れたんだった」
「でかしたぞ妹!」
スパイスケースには六本の調味料が入っていた。オリーブオイル、ごま油、ぽん酢の液体系と某有名アウトドアスパイスの辛口、肉屋の作ったこちらも某有名スパイス、それと粗挽きの黒コショウの粉末系。
二人は目を見合わせ強く頷き合った。レイチェルの手からウィリアムにスパイスケースが渡る。レイチェルは祈る様に両手を握り込んだ。
「――入った」
「やったぁ!」
二人は立ち上がり、両手を取り合いスキップしながらクルクル回った。
「これでマヨネーズ作れる!」
「コロッケも! 野菜いためもおいしくなるね!」
その後、車載用防災セットの中にクラッカー缶とビスケット缶、醤油せんべい缶、二リットルの水二本と経口補水液二本も見付け、二人がはしゃぎまくったのは言うまでも無い。