お腹いっぱい計画始動④
庭先でメイドのヒランを捕まえたウィリアムは、洗濯物を取り込むのを手伝ってヒランを部屋へ急かした。早く、早く、と後ろから背中を押す。
「そんなに慌てなくてもお洋服は逃げませんよう」
「チェリーも多分お昼寝から起きてるから! 早くー!」
「はいはい、わかってますってー」
クスクス笑いながら背に添えられたウィリアムの手を掴むと、自分の隣に優しく引き寄せた。
「さぁ行きましょうウィル坊ちゃま」
繋いだ手を大きく前後に揺らしながら歩く。ヒランは手を繋ぐといつもこうするのだ。
「ああー、チェリーお嬢様が居なくて左手が寂しいですー」
「じゃあやっぱり急がなきゃ!」
キャッキャと笑い合いながら、二人で並び歩く。部屋に着くと、やっぱりレイチェルは目覚めていて、一人でベッドに腰掛けて居た。
「ただいまチェリー!」
「おかえりにぃに」
「わたしはお部屋からお洋服をお持ちしますね」
ヒランは扉の前で一度腰を折り、二人の本来の自室に着替えを取りに向かった。
「何してたの?」
ヒョイ、とレイチェルのベッドサイドに腰掛け尋ねる。
「魔法のれんしゅう?」
「えっ⁈ 僕もまだなのに! 一人でやったら危ないよ!」
「大丈夫だよ。魔力を体内でじゅんかん? するだけだから。ほら、異世界モノでよくあったでしょ。魔力の流れをかんじるんだぁ~…みたいなの」
「あー確かにあったぁ。えー、僕も後でやってみよ!」
「にぃにはなにしてたの?」
「それ聞いちゃう?」
フッ、とわざとらしく片方の口角を上げ、ウィリアムはラーダとの夕食作りの出来事を話した。
「え――それ大丈夫? 暗黒ぶっしつ生み出してない?」
「大丈夫だよ! ほとんどラーダが作ってくれたから!」
二人の着替えを持って来たヒランに礼を述べ、ウィリアムは一人で着替えた。白い長袖シャツにベージュの膝丈ズボン、サスペンダーを肩に通せば着替えはお終い。簡単な事だ。
家の使用人は限られているし、自分で出来る事は自分でやるのがサビール家の家訓の一つの為、普段着くらいは皆自分で着替えられる。
「じゃあラーダのとこ行って来るね! 今日の夕食楽しみにしてて!」
言うが早いか、ヒランが返事をする前にウィリアムは部屋を飛び出して行った。
「あらまぁー。サリー様に見付かったら叱られますよぉ」
「ふふっ。聞こえないわよヒラン」
「そうですねぇ。チェリーお嬢様のお着換えお手伝いさせて下さいねぇ」
「ありがとうヒラン」
「お嬢様を更に可愛くするのが私の楽しみですよ!」
実際本当にその通りなので、レイチェルは大人しくヒランに身を任せた。サーモンピンクのワンピースは子供らしいふわりとしたデザインで、レイチェルにとてもよく似合う。この客室に鏡が無いのが至極残念で堪らない。
「御髪は軽く編み込んで、リボンで纏めますね」
両サイドの髪を緩く編み込み、ハーフアップにして緑のリボンを結ぶ。母親譲りの赤く、柔らかい巻き毛がふわふわ揺れる。
「んがぁいっっっ――!」
ヒランは両膝を着いてキュッとレイチェルを抱き締めた。
「ふふふふっ、もうっ、ヒランったら」
***
「ラーダお待たせ!」
調理場にウィリアムが駆け込んで来る。
「ウィル坊ちゃま! 邸内を走り回ってはいけません!」
途端にサリーの叱責が上がった。
「ごめんなさぁい」
ササササッ、とラーダの隣に移動し、体の陰に隠れる。
「はははっ! ほら、どっちも火の番してたけどどんな感じだい?」
「ありがと! どうかなー。お粥は大丈夫そう。一回火止めるね」
背伸びをして鍋の中を覗き込んだウィリアムは、両方共火を消した。空間収納から味噌を取り出し蓋を開ける。スプーンで掬って、それをラーダへ差し出した。
「こ、これは、なんだい?」
「味噌ってゆー調味料だよ。美味しいから大丈夫! これをスープの方に入れて溶かして。ちょっと溶けづらいから、フォークで少しずつ溶かして」
「とても良い香りがしますね」
サリーも興味深そうに鍋を覗き込んだ。
「ホント? 嬉しい。美味しかったらもっと嬉しいなぁ」
「ウマいに決まってるさ」
ラーダが味噌を溶かす間に、空間収納から卵を二つ取り出して小さなスープボウルに割り入れ溶きほぐす。お粥に入れてふわふわ玉子粥にする予定だ。
「ラーダ、こっち火付けるね」
「ああ。その卵はどうすんだい?」
「お粥に入れるんだよ」
「この、ミソ? ってのも溶けたよ」
「しばらくグルグルかき混ぜてて」
「分かった」
「お粥がふつふつして来たらこの卵をグルグルグルーってフォークを伝わせて入れて貰える?」
「ああ」
お粥に卵が入って期待通りのふわふわ玉子粥になった。火が入り過ぎない様にすぐさま消し、今度はスープにもう一度火を入れる。
「ラーダ、味見用に少し分けて」
小皿にほんの少しスープをよそい、ラーダと二人スプーンを持つ。ゴクリ、とラーダが咽を鳴らした。
二人同時にスプーンを口に運ぶ。
「んんんっ!」
ラーダが大きく目を見開き、ビョンと背を震わせる。
(美味しいけど、やっぱコンソメ無いからちょっと物足りないなぁ。ベーコンも入って無いし。せめて鶏肉とかあればなぁ)
ラーダの驚きとは反面、ウィリアムは冷静に分析していた。
「こんなウマいスープ食べたこと無いよ!」
小皿に残ったスープも平らげ、目を爛々と輝かせる。そんなラーダをサリーが羨まし気に見詰めていた。
「サリーにも味見させてあげて」
「ああ、いいよ!」
「あ、いえ、私は」
「いいから、いいから! 毒見だと思えば良いから!」
小皿によそわれたスープを、恐る恐る一口分スプーンで持ち上げ、意を決したかの様に口に入れる。サリーの目が未だかつて見た事の無い程見開かれた。
「どうだい⁈ 今まで食べたこと無いだろ⁈」
無言でコクコク頷きながらも、残ったスープを口に運んでいる。
二人の反応に嬉しさを浮かべながら、ウィリアムはふつふつし出したスープの火を慌てて消した。
「じゃあ次はオムレツだよ。ラーダに頑張って貰うしか無いからね!」
「ああ頑張るよ!」
鉄製のフライパンを火にかけて、油を垂らす。油もまぁまぁ高いらしいので、揚げ物はしばらく出来そうに無い。
「温まった? そしたらこのボウルの中身を全部フライパンに注いで。注いだら木べらで底から全体的にかき混ぜて。そうそう良い感じ」
しばらく待っていると、淵が少し固まって来る。
「周りが焼けて固まって来たら蓋をして上の方の火で焼いて」
またしばらく焼けるのを待ち、フライパンの蓋を使ってひっくり返す、それを説明したら、ラーダがまた驚いていた。そんな使い方はした事が無いらしい。確かに、フライパンいっぱいの焼き物料理なんてそうそう無いかもしれない。一枚目は少し焦げてしまったが、二枚目は完璧に仕上げた。ラーダを見守っていたサリーとウィリアムは「おお~」と感嘆を漏らし惜しみない拍手を料理長へ送った。
「なんかスゲェ良い匂いするー!」
バン! と扉を開けたのはフォルティスだった。その後ろからエヴィニスもひょこっと顔を出す。
「ご馳走かな?」
「ご馳走とまではいかないかも!」
「扉は静かにお開け下さい!」
我に返ったサリーが喝を飛ばす。フォルティスは肩を竦めて小声で謝罪した。
「さぁ、坊ちゃま方、食堂室へどうぞ。お食事をお運びしますよ」
「ウィルおいで」
エヴィニスの差し出した手に駆け寄って掴まる。反対側の手をフォルティスと繋ぎ、ウィリアムは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「ラーダ、サリー、あとお願いね。みんなもあったかい内に食べてね!」
「お心遣いありがとうございます、ウィル坊ちゃま」
「みんなの驚く顔が思い浮かぶよ」
サビール家の息子三人が食堂室へ着くと、両親と姉妹はもう席に着いていた。
テーブル奥に一人で腰掛ける当主バルナバート、その右手側に母サンテネージュ、長女ミセリアーテ、次女レイチェルと並ぶ。左手側には次男エヴィニス、長男フォルティス、三男ウィリアムの順で席に着く。エヴィニスの方が当主席に近いが特に意味は無い。双子の中で自分達の立ち位置が物心着く前から右にエヴィニス、左にフォルティスで決まっていたそうだ。逆になると誰も居ない方向に向かって話し掛けてしまうらしい。
「ウィルの手作りなんでしょ? 楽しみだわ」
「ミリー姉さま、作ったのはラーダです」
「調理場スゲェ良い匂いしたんだよなぁ」
「楽しみだねぇ、ネージュ」
「ええ、バル」
両親がニコニコ見つめ合っている。五人も子が居てまだラブラブか…いや、ラブラブだからこそ五人も居るのか? 実里との年齢は然程変わらないであろう両親に、なんだか心の柔らかい部分を抉られた様な――気がした実里でありウィリアムだった。
木製のカート二台が食堂室へ入る。一台はミリー、もう一台はアリゼが押している。サビール家では、使用人達の給仕の手間を省く為、テーブルの上に料理が全て並べられる。スープボウルと平皿がウィリアムとレイチェル以外の前に置かれた。
「なんだこの赤いスープ!」
「まぁ、初めて見るわ。赤ワインでも入っていて?」
サンテネージュの問い掛けにウィリアムが小さく首を横に振る。
「この赤いスープはミネストローネスープです。トマトという真っ赤な野菜が入っているので赤いんです。他にもきのこや野菜がたっぷり入っています。具沢山の食べるスープです」
「この黄色いのは?」
エヴィニスがパン? と小首を傾げた。
「これはスパニッシュオムレツと言って、卵料理です」
「卵⁈」
「まぁっ!」
「卵かぁー…」
皆の反応に次はレイチェルが小首を傾げた。
「最近じゃ卵は手に入り辛いのよ。何年振りかしら、卵…」
レイチェルに説明しながらも、ミセリアーテはうっとりオムレツを見詰めている。
(お、オムレツに向けるしせんじゃない…)
横から覗えるミセリアーテの視線が、恋する乙女の様だ。レイチェルはそっと目を逸らし、自分の前に置かれた深皿を見て自然と笑みを浮かべた。
「ウィルとチェリーのはなんだ? パン粥か?」
「お粥って言う、うーん…穀物の一種なんだけど、向こうの世界で僕とチェリーが主食にしていた食べ物なんだ」
「こんなドロドロのをか?」
フォルティスが憐憫の目を二人に向ける。
「これは病人食だよ。僕もチェリーもまだ固形物はそんなにいっぱい食べない方が良いかなって。ドロドロにしてあるの。いつも食べてたのはちゃんと形のある物だよ」
「そうか、良かった…」
「それじゃあ、戴こうか」
バルナバートの声で食事がはじまる。ウィリアムは皆の反応が見たくてスプーンも持たずに様子を窺っている。レイチェルも同じだった。
スープを一口食べた途端、目を見開いて驚きを表したり、感嘆の声を溢したり、皆が大層驚いている。その様子にウィリアムは満足そうにレイチェル向かってにっこり笑った。
「ウマい! 今まで食べて来た中で一番ウマい!」
「俺もそう思う」
双子は感想を述べながらもスプーンを動かす手は止まらない。
「ああ、本当に美味しいねぇ。すごいなウィルは」
バルナバートもうんうん頷きながら頻りに「美味しい、美味しいなぁ」と呟く。サンテネージュもその隣で相槌を打ちながら、ゆっくり咀嚼していた。
ミセリアーテは黙々と、礼儀作法を失しない程度に素早く手を動かし、家族の中で誰よりも早くスープを完食した。
「美味しいっ……!」
スープを完食し、ようやく感想を呟いたミセリアーテの目から一滴の涙が伝い落ちる。
「ミリー姉さま⁈」
それにギョッと驚いたのはウィリアムだ。さて、玉子粥を食べようかとレイチェルと「いただきます」と両手を合わせ、スプーンを手にしいざ実食! となった矢先である。
「美味しい、美味しかったわウィル。すごく美味しかったの……」
(そう言えば家族で一番の食いしん坊はミリー姉さまだったな…)
「ミリーお嬢様、おかわりは如何ですか?」
壁際に一人控えていたサリーがミセリアーテの側でそっと尋ねる。ミセリアーテは困った様に皆の顔を見回した。
「おかわりしなよ姉さん」
「オレらは大丈夫だからさ」
「みんなおかわり出来ますよ! 大きな鍋にいっぱい作りましたから!」
「はい、使用人達も皆食べられる量を作って頂けましたから」
「それじゃあ…」
ミセリアーテが嬉しそうに微笑む。サリーがササッとおかわりを用意すると、満面の笑みを浮かべた。
「サリーも食べておいで。こんなに良い匂いがするんだ、お腹が空くだろう」
「そうね、給仕は大丈夫よ。スープのおかわりくらい自分達で出来るわ」
「とても美味しいのよ。サリーも早く食べて来て頂戴!」
次々と言われ、サリーは困った顔をしながらも「それでは失礼致します」と食堂室を後にした。心なしいつもより歩きが早かった気がする。
レイチェルとウィリアムは久しぶりの米にホッとしながら美味しく食べていた。ほんのり甘く、ふわふわの玉子と薄い塩味が染み渡る。
「これはスパニッシュオムレツと言ったかな? これもとても美味しいよ」
「良かった!」
「この赤いのがトマトかしら?」
「はい、それがトマトです。スープに入ってるのとは品種は違いますが」
「美味しいわウィル。本当にとっても美味しいわ」
「母さまに喜んで貰えて嬉しいです!」
双子も両親もスープをおかわりし、黒パンを浸して食べている。スパニッシュオムレツも大きく分厚いので食べ応えがあるだろう。
「ウィルはスゲェな。こんなウマいもん作れるようになって!」
「作ったのはラーダで、僕は作り方を知ってるだけだよ」
「それでも充分すごいよウィル」
「本当に! 姉さまもとってもすごいと思うわ!」
「えへへへへっ」
食事を十分に楽しみ、皆が満ち足りた顔をしている。ミセリアーテはウィリアムとレイチェルの食べていたお粥にも興味を示し、鍋に残っていたお粥を全て平らげ「優しい味がするわ!」と大層喜んだ。
使用人達も調理場で揃って食事をし、美味しさに驚き興奮していた。この日大鍋いっぱいに作ったスープは一滴残らず皆の腹に収まった。
ウィリアムの【お腹いっぱい計画】の走り出しは順調、いや、大成功を収めた。