ユニコーンとペガサスの子
柔らかで新緑が芽吹くような匂いの溢れる季節である。
湖面を渡るそよ風、
音もなく散る木の葉、
それらがアイダと獣を穏やかに包んでいる。
精霊アイダは獣の青い眼をじっと見つめ、声を掛けた。
「あなたはユニコーンなの?」
「…………」
獣が先ほどまで喉を潤していた辺りの水辺の波紋がゆっくりと消えて行く。
首筋に添うたてがみが時折吹く風に微かに揺らいで、白く雄々しい四肢を際立たせている。
歩み寄るアイダに、獣はその場を動かず静かに尋ねた。
「なぜそのような事を聞くのだ」
「背中の翼を広げたらさぞかし美しいでしょうね」
「…………」
ユニコーンに翼は無い、有るのは海神ポセイドンとメドゥーサの間に生まれた伝説の生き物ペガサスだけで、空を飛ぶことが出来る。ポセイドンの子を身ごもったメドゥーサが英雄ペルセウスによって倒された際、メドゥーサの首から滴る血から生まれたとも言われる。その後は天に上り、全知全能の神であり雷神でもあるゼウスのもとで、雷鳴と雷光を運ぶ役割を受けたとされるペガサスである。
「わたしの母はペガサスだったのだ」
獣はユニコーンとペガサスから生まれた聖獣ユニスであった。村人からカルタゾーノスと呼ばれているユニスは魂の純粋さ、純潔の象徴とされた。だが一方その怒る際の荒々しさから憤怒の象徴にもなっている。そして一旦その怒りを買えば、何人も抗う事は出来ない。
「おまえは精霊のようだが、ひょっとすると村人から何か頼まれてやって来たのだな」
「もう村の人達を襲うのを止めて欲しいの」
「あの村の男は私にロープを投げ捕らえようとした不心得者で、儂を怒らせたのだ」
「でも他の村人たちには何の罪も無いわ」
ユニスは少し眼を細めると、
「おまえに何の関係も無いであろうが」
「あなたの名声に傷が付く行為なのよ。それが私には残念なの」
「…………」
ユニスに反論は無い。
「神聖な力を持つと信じられているあなたなのよ。畏敬の念から、神聖視され崇拝されて神の使いでもあるとされるのに、そんな事をするなんて」
「…………」
首筋にそっと手を添えるアイダをユニスは許している。乙女の膝の上に頭を置き眠り込んでしまうと噂されるユニスは、アイダを見つめたまま翼を左右に大きく広げ始める。羽と羽が触れ合い、強く張った絹同士のこすれるような音がする。成長した重い馬ほどの体躯を飛び立たせる翼は、空を覆うほどの広さである。アイダの精神を高揚させるには十分であった。
「わたしの背に乗るがいい」
ユニスの言葉を受け、その純白の毛並みをした背中に跨るアイダに迷いは無い。そしてそのユニスの言葉にさえ一片の迷いも無かった。翼が二度三度と羽ばたき、アイダを背に優美な弧を描いて天に向かい昇って行く。ユニスはユニコーンであり、ペガサスでもあった。
「アイダは大丈夫なのかな」
「…………」
日が暮れても戻ってこないアイダに、皆は心配し始めている。
「見に行った方が良いんじゃないか」
トゥパックの言葉にワイナも声を掛けた。
「レイラ、何か分かるか?」
「……多分まだ何も問題は起こって無いと思うわ」
アイダに何かあれば、風に乗って知らせが有るはずである。何も無いと言う事は、まだ大丈夫なのだろう。皆はアイダを信頼して待つ事にした。
風の無い静かな翌朝である、
「おれは見に行くぞ」
いつまでも戻らないアイダを心配したトゥパックの発言に、皆もついに立ち上がった。
その時、
「心配させてしまったわね」
「アイダ!」
朝もやの中からアイダがやっと姿を現し、ゆっくりと歩いて来たのである。水蒸気に朝日が斜めに当たり、綺麗な虹が背景を彩っている。その中を飛び立って行くのは翼を広げたユニスであった。皆呆然とその優美な姿を見上げている。
アイダは多くを語らなかったが、その後ユニスが村人を襲う事は無くなった。
そして後々、秋の綺麗な星々を見上げる村の人々は、ペガスス座の足元で大きく輝く星に注目する。中心部は明るく、周辺部が星の砂粒を撒いた虹のように見える事から、ユニスに寄り添う精霊アイダに違いないと噂しあった。




