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トゥパックの死


 砂塵の下から現れ触手を伸ばして来るそれは、セトの率いる有象無象の軍団である。荒ぶる疾風の神が、逃げ惑う人々を打ちのめし、侵略して来るのだ。簒奪し、征服して村々を焼き払う。少しでも抗う者達への扱いは残忍をきわめ、殺される。

 イシス神が振り向いた。


「オシリス、貴方の真の敵が現れたようね」


 粗暴な性格を持つセトは砂漠の神であり、戦争を司る神でもある。植物の神でもあるオシリスと王位を巡って争い敗れ、太陽神ラーは王位をオシリスに譲った。その逆恨みからオシリスを謀殺し、エジプトでは嫌われ者の神となり、悪神として捉えられてしまった経緯がある。だがその殺されたオシリスは現在、イシス神の尽力で冥界の主となり蘇っている。

 ジャッカルの頭をしたセトはオシリスと同じ護符のアンクを手にし、権力を意味するウアスと呼ばれる杖を持っている。先端は二股になっており、蛇避けの魔力を持つとされる。


 セトの前にオシリスとイシス神が姿を現した。


「セト、何ゆえに罪なき人々を殺すのだ」

「ふん、この儂に歯向かおうなどと、愚かな者どもよ」

「誰も歯向かってなどおらぬではないか」

「問答無用!」


 次の瞬間、セトの呪文が地を震わせた。神々の放つ敵を攻撃する呪文は、あらゆる物質の裏に潜むダークマターを震わせ、天地をも切り裂く。


「アラカザンヴォアラホートシャザムスヴァー」


 直ちにオシリス、イシス神の応酬が始まった。


「アラカーー、シャーーヴォアシャザムァーハースヴァーハー」

「アラカザーー、アラカザンヴーー、トシャスヴァーハ、トシャザムスヴァーハー」


 三者が放つ凄まじい呪文により、地は引き裂かれ、天からは雷鳴がとどろき、神同士の戦いは空中戦となる。地上に残されたセトの軍団も気勢を上げて侵略を再開した。

 牙をむいて迫って来る軍団の魔物どもに対し、剣豪のワイナは長剣で応戦、トゥパック、キイロアナコンダも剣を抜く。しかし限りなく襲って来る魔物どもには、剛勇無双のワイナも次第に苦戦を強いられてゆく。トゥパック、キイロアナコンダも同様である。


「アラカザンヴォアラホートシャザムスヴァー」

「アラカーー、シャーーヴォアシャザムァーハースヴァーハー」


 突然降り掛かって来た呪文に、ワイナたちの周囲にいた魔物どもがギクッと首をすくめ振り返る。アイダとレイラ、二人同時の呪文攻撃を受け、魔物達がじりじり後ずさりを始めた。神ではない精霊界に属する者が使う呪文は相手の心に打撃を与える事が多く、昆虫や小動物にはあまり効かない。また身体が負ったダメージからの回復を目的とした呪文などは、自然治癒能力を飛躍的に増幅させるのである。

 

「ふん、逃がしはしないぞ」


 トゥパックが引き下がって行く魔物に一太刀を振るおうとしたその時、


「トゥパック、危ない!」


 一匹の魔物が放った槍の前にレイラが身を投げる。だが同時にトゥパックも動いた。


「うぐっ」


 槍はレイラの脇をかすり、逆に身代わりとなったトゥパックの胸を深々と刺し貫いていた。


「トゥパック!」


 レイラはすぐさまトゥパックの胸に手をかざし、


「アラカザー、トシャスヴァーハ、トシャザムスヴァーハー」


 トゥパックを抱き寄せ、必死に呪文で命脈を繋ごうとするが、弱弱しい声が、


「レイラ、これは、もう、だめだ……」

「トゥパック、しっかりして、死んじゃいや!」


 アイダもやって来る、


「レイラ……」

「トゥパック」


 やがてトゥパックの首が後ろに倒れると、レイラの泣き叫ぶ声が周囲に響いた。







「あなたも付いて来きてくれるの?」

「ご主人様を蘇らせる為なら、もちろんです」


 レイラはなにがなんでもトゥパックを現生に蘇らせようと決意する。ノラを従えて行動を起こすと、元魔女の召使だったというカラスがレイラの指示を待っているのだ。

 風の悪魔少女レイラと犬のノラ、トゥパックを新たなご主人と呼ぶカラスは冥界に向かう。残されたアイダたちはまだセト軍団に対処しなくてはならない。





「赤い夕日の差し込む洞窟が冥界への入り口になります。金の枝はその時現れるはずです」


 前回と同じようにカラスが案内する。真っ赤な夕日がひとつの洞窟を差し照らすと、ギンバイカの枝が金に変ってゆく。無事洞窟に入ったレイラたちである。


「川だ」

「アケローンよ」


 嘆きの川とも苦悩の川とも呼ばれ、渡し守カローンが死者を冥界へと渡す、地下世界の川であるという。


「お前らごとき生者が何ゆえに参ったのだ」


 突然洞窟にしわがれ声が響いた。


「この声はカローンだわ」


 櫂を持ちぼろを着た長い髭の無愛想な老人で、死者の霊を小舟で彼岸へと運んでいる。基本的に迷い込んだ生者は、船に乗せずに追い払う。


「おまえはたしか」


 渡し守のカローンはレイラを覚えていた。


「どうやらまた事情が有りそうだな」


 カローンはすんなりと船に乗せてくれ、川を渡る事が出来た。

 渡し舟から降りたそこは地底であって地底では無かった。

 太陽が有るようで無い、

 昼と夜の区別が有るようで無い、

 草木が生えているようで無い。

 そこが現実世界なのかそうで無いのか分からなくなってしまう。

 天空は薄靄がかかったようにぼんやりとしている。

 まるで死者が生きているような気配を感じるのだ。但しその死者は目には見えないが、存在らしきものを感じるのである。


「後ろを見ろ」


 レイラたちの見つめる先には異様な頭の怪獣が2匹いる。


「ケルベロスよ」


 冥府を守護する番犬であるケルベロス、三つの頭を持つ猛犬である。ノラもこの二匹を相手には出来ないだろう。ただし甘い物が大好きで、蜂蜜と小麦の粉を練って焼いた菓子を与えれば、通過することが出来る。

 前回と同様、甘いトロピカルフルーツ・チェリモヤをケルベロスの前に置いて時間稼ぎをする。


「走るの!」


 レイラの号令を合図に、全員が猛ダッシュで走り抜けた。


「ここは……」


 走る先に壮大な宮殿が現れる。


「冥界の王ハーデースとその后ペルセポネーに会えるわね」


 だけどこの宮殿も実態では無い。

 全ては人の心が作り出した幻想なのである。


「あのケルベロスや渡し守のカローンだって本当は実態かどうか分からない」

「じゃあ……」


 ノラの疑問にレイラが答えた。


「あえて実態と呼べるものはと言えば、冥界の王ハーデースとその后ペルセポネーだけね」

「何という所だ……」


 ついに玉座に座る冥界の王ハーデースとその后ペルセポネーが、レイラたちの前に姿を現す。細身で長身の美しいペルセポネーは、背中が大きく開いた黒いドレスでスパンコールがキラキラと輝いている。レイラが単刀直入に言った。


「お后様。この枝をお持ちしました、どうかトゥパックを返して下さい」


 ペルセポネーの傍に歩み寄ったレイラが伝説で捧げものとして知られる金の枝を差し出すと、


「あなたはアイダの時にも来たわね。名前は、そう、確かレイラだったかしら」

「はいその通りです。トゥパックを地上に帰しては頂けないでしょうか」

「なに、冥界に参った死者を地上界に帰せというのか」


 后の隣でレイラの願いを聞いたハーデースの声がきつく響いた。


「その方、前回のベリアルに続いてまた死者を蘇らせて欲しいと言うのか」

「…………」


 レイラも虫のいい話だと言う事は分かっているから何も言えない。

 ここでペルセポネーが助け船を出してくる。


「あなたはトゥパックを愛しているんでしょ」

「……はい」


 うつむくレイラを見たペルセポネーはハーデースに向き直ると、その手を引きレイラの前を離れて行く。


「あなた、ちょっと」

「なんだ」


 ペルセポネーの耳打ちにハーデースが声を張り上げる。


「なに、お前までそんな事を言うのか。冥界の秩序は、儂の立場はどうなると思っているんだ!」

「あなた」

「いいや、だめだ。そんな簡単に死者を蘇らせるわけにはいかん」

「……あなたの立場ですって」


 とペルセポネーが語気を強めた。


「…………!」

「これまでさんざん地上の女たちをさらって来ているくせに。貴方の女狂いを気が付かない私とでも思っているの。渡し守のカローンも貴方の好色ぶりにはあきれているわ。何処に冥界の王の立場が有るっていうのよ」


 思いもかけないペルセポネーの口撃にハーデースは顔を真っ赤にして口ごもっている。そしてついにペルセポネーの圧力に屈したハーデースは妥協案を提示してきた。


「レイラ、そんなに願いを聞いて欲しいと言うのなら、おまえにどれほどの覚悟があるのか見せてもらおうではないか」

「…………」

「ただし、振り向かないなどという生易しいものではないぞ。トゥパックの命はお前の命と引き換えに戻してやろう。どうだ、それでも願うと言うのか」

「…………!」

「あなた」

「おまえは黙っているんだ」


 更に何か言おうとするペルセポネーをハーデースは押しとどめた。


「――――!」


 だが、そこには毅然としたレイラの顔があった。


「ハーデース様、トゥパックの命を返して頂けるのなら、私の命は差し出します」




 ハーデースは、ギリシア神話の冥府の神である。オリンポス内でもゼウス、ポセイドーンに次ぐ実力を持ち、二叉の熊手のような槍バイデントを持った姿で描かれる。ペルセポネーに説得されたハーデースはレイラの願いを聞き届け、レイラの魂はトゥパックの横に並んでいる。

 だがレイラが冥界の仲間になると、予想もしない事が起こった。並んだレイラとトゥパックの霊がなぜか激しく口論を始めたのである。ハーデースが声を荒げた。


「止めないか、二人とも」

「あなた」

「やはりな、分かっておったわ、これも予想通りの展開じゃよ」

「…………」

「レイラ、其方の心意気は十分に分かった。トゥパックと二人で冥界を出て行くがいい」


 ハーデースはさらに、


「ケルベロスや渡し守のカローンにも、その方達の帰りの邪魔をしないよう注意をしておこう」

「ありがとうございます」


 とノラが答えた。


「但し、冥界から抜け出すまでの間、決して振り返ってはならないぞ。分かったな」

「はい」


 ノラとカラスは先を歩き、トゥパックとレイラの霊が後から付いて行く。

 横を歩くカラスにノラが横目で睨み厳命した。


「いいか、途中絶対に振り向くなよ」

「分かってます」


 ハーデースの言いつけである。せっかくここまで来たのに、振り向いたら全てが駄目になるのだ。

 そしてついにケルベロスの妨害も無く冥界の出口に着く、すると渡し守カローンが洞窟の出口を開けた。ノラとカラスが外に出て行く。


「やった、外に出たぞ」

「まだだぞ、絶対に振り向くなよ!」


 前回はトゥパックが途中で振り向き、大失敗をしているのである。ノラとカラスは互いに振り向くなと言い合いながら、

 洞窟を出た後も、

 前を向いたままどんどん歩いて行く。

 どこまでも、どこまでも――


「おい、お前たち、何処まで歩いて行くつもりだ」


 突然後ろから声が掛かった。


「ご主人様」

「レイラ」


 ノラとカラスがやっと振り向くと、そこにレイラとトゥパックが並んで立っていた。


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