第89話:勇者の現在(4)
イーノックは過去に超一流武人のシャルロットに手も足も出ていなかった。
シャルロットと同じ領域のロゼに勝つのは極めて難しいだろう。
しかし、勝負は必ずしも強き者が勝つとは限らない。一瞬の油断が原因で格下に負ける場合もある。
イーノックの強さを下手に知っている分、ロゼが油断しないか少し不安だ。
俺の考えを読んだのか、隣に座っているロゼがさらりと答えた。
「心配しないで。アナタに勝つまでは誰にも負けるつもりはないから」
そのままロゼは立ち上がり、ステージまで風のように走って華麗に着地する。
剣を構えたまま悠然とステージの上からイーノックを待ち構える。
その立ち振る舞いは強者としての格を感じた。
ロゼの覇気はステージの外にいるイーノックにも伝わったようで、イーノックはこわばった表情で冷や汗を垂らしている。
「団長……」
「だ、大丈夫だ。問題ない。相手が強いのはわかっていたことだ」
イーノックもステージに上がる。だが、その表情には普段の余裕が宿っていない。
勝負が開始する前からどちらが勝利するのか観客にもわかってしまうほど、二人の間には圧倒的な差を感じた。
二人が揃ったタイミングで、戦いの合図が下りる。
先に動き出したのはロゼ。
「悪いけど、一瞬で消えてもらうわよ。暗花神剣『雪花一閃』」
ロゼは剣式を展開し、漆黒の魔力をその身に纏う。
ゆっくりと、剣を振り上げる。
剣の刀身を包み込む形で、闇の魔力が激しく渦巻き状に絡みつき、その全長は何百メートルも膨れ上がる。
地形が変わる神の一撃。
ロゼが剣を振り下ろした瞬間。
勝敗が決した。
結果だけ述べると、イーノックは生きていた。
ロゼが剣先を直前で変えて、直撃を避けたからだ。
しかし、イーノックは今の一撃で完全に意気消沈し、魂が抜けたような白面の表情になっていた。
当然ながら、戦いを観戦していた者は全員ロゼの強さに驚愕し、誰もが彼女を新しい巨魔と認めていた。
三回戦の時点で優勝者が決まってしまう異常事態。
その後の試合はすべて消化試合となった。
ロゼの相手が全員棄権したからだ。
「「「「「あんなのと戦うなんて死にに行くようなものだ」」」」」
対戦相手は口を揃えてそう答えた。
ロゼが強すぎるせいでトーナメントが成り立たない。




