第47話:聖女の白刃(完)
ふと気がつくと私は、太陽の下で仰向けになっていた。
雲一つない快晴で青々とした大空が広がっている。
私は上体を起こして腹部に目線を落とす。
傷跡がなくなっていた。それだけでなく、着ている衣服も違っていた。
一体なにが起きたのだろうか。
私はたしかにロベルト達に殺された。あの斬られた感触は本物だった。
それなら、私が気を失った後に誰かが私を助けたのか?
それが一番現実としてありえそうだが、あの状況でロベルト達を止められる者がいるとも思えない。
そもそも、この場所がよくわからない。
視線の先には大きな桜の樹が一本生えている。
こんな場所はあの街には存在しなかった。
死者が行く場所。
いわゆる天国か地獄。
この平穏な風景を見てここが地獄だとは到底思えないが、天国に行けるだけの善行をした覚えもない。
大体、天国や地獄というものは、後世の人々が勝手に考えたものだ。
エメロード教の原典では死後の世界についての記述はない。
その場でボーっと座っていると、背後から足音が聞こえてきた。
私はゆっくりと振り返る。
丸眼鏡をかけたおさげの少女が駆け足でこちらへと向かってくる。
「お嬢様。こんな場所にいらっしゃったんですね。まったく、勝手にお屋敷を抜け出すなんて、ご主人様が知ったらお怒りになられますよ」
「……どちら様ですか?」
私は首を傾げてそう尋ねる。
すると、彼女は「まあ!」というような驚いた表情を浮かべ、プンスカと怒り始める。
「とぼけるだけでなく、意地悪までおっしゃるなんて悪い子! わたくしはお嬢様にお仕えするメイドのマチルダです!」
本当に誰?
すると、マチルダは両手で私をひょいっと抱え上げた。
私はギョッとなり、彼女の腕の中で思わず慌てふためいてしまう。
私とそんな身長が変わらないはずなのになんて怪力なんだ。
と驚愕してると、私はある事に気づいた。
私の体は彼女と比較してみると、自分でもよくわかるほど縮んでいるのだ。
彼女の青い瞳を通して自身の今の姿を認識する。
彼女の瞳に映る私の姿は私のよく知っている自分の顔ではなくなっていた。
外見も小柄な女の子になっている。
おおよそ7~9歳くらい。
「うふふ、捕まえましたよ『セレナード様』。これでもう逃げられません」
彼女は笑みを浮かべる。
続けてマチルダは、出会った事がないはずなのに、私の名前を口にした。
と同時に、私の頭の中に、私の知らない記憶が一気に流れ込んできた。
「…………ッ!?」
膨大な情報が流れ込んで頭がパンクした。
私はしばらく茫然となる。
突然私が大人しくなったのでマチルダは不思議そうな顔を浮かべている。
にわかには信じられなかった。
現在の私の状況。
この不思議な体験。
しかし、まったく心当たりがないわけではなかった。
エメロード教の基本原理となる代行者。
これは、その身に神が宿るという意味を指す。
それは言い換えると魂の憑依。
そして、それによく似た現象が、神霊種族にはまれに存在しており、こう呼ばれていた。
転生。
その二文字が脳裏を掠めた。
死後の平穏ではなく第二の人生へと魂が移行する。
意識を集中させると、この少女の記憶が鮮明に思い出されていく。
まるで本当にその場にいたような錯覚さえ覚えた。
「この子の名前はセレナード?」
私は確認の意味を込めて尋ねる。
すると、私の質問にマチルダは呆れた。
小言を口にしながらも、丁寧に私の紹介をし始めた。
「ええ、そうでございます。アナタ様はこのクエム地方の領主たる旦那様の一人娘のセレナード様でございますよ」
どうやら私は本当に転生してしまったようだ。
それも前世の記憶を維持した状態で。
それにしても、さほど珍しくない名前とはいえ、前世と同じ名前とは、運命とは誠に皮肉なものだ。
残酷な偶然とも言えるが、一方で贖罪の機会が与えられたとも受け取れる。
ただの転生ではないのは感覚的に理解できた。
今世の記憶が流れ込んできたのは、おそらく当人の名前を聞いたからだと思われる。
名前と魂は密接に繋がっているため、セレナードという名前が起爆剤になったのだろう。
あくまで予想の範疇なので真実はわからないが、記憶を引き継いだ事に何かしらの意味があると信じたい。
マチルダは私を抱いたまま来た道を引き返していく。
視界に広がる景色はとても穏やかで、遠くから見える桜の絶景は奇跡のように美しかった。
それを見ていると無意識のうちに涙が頬を伝った。
「セレナード様。もしかして泣いているんですか?」
「悪い夢を見ていた気がするんです」
「それなら忘れないといけませんね」
「いいえ、忘れる事なんてできません。むしろ忘れてはならないのです」
私がそう呟くと、私の正体を知らないマチルダは怪訝な表情を浮かべる。
一方で、私はこれまでの自分を見つめなおし、今後の自分について考えていた。
前世では、私は多くの善人を殺めてしまった。
エメロード教に固執して、自分の道を見失っていた。
正しい道が現れても、自分の罪を受け入れられず、そこから目を背けてしまった。
ルクス。
アナタは私が最後に出会った白道の武人だった。
本当はアナタのように白道を歩みたかった。
都合がいい事を言っているのは自分でもわかった。
それでも私は、この奇跡を手放したくなかった。
また昔のように、罪から目を背けたくなかった。
もし、私に罪を償うための機会が与えられるなら、今までの過去を清算して人生をやりなおしたい。
だから……。
この奇跡が無駄にならないように今度こそ正しく剣を握ろう。
こうして、私の第二の人生が始まった。
これにて第一章は完結となります。
次回より主人公視点に戻ります。
余談になりますが、主人公が向かっている先もクエム地方なので、もしかすると二人は再会するかもしれません。




