衝撃の光景 その1
人生でお世話になった師の1人、ワタナベさん。
彼は母の会社の上司で、溢れる知性と温厚な人柄で皆から一目置かれる「人気者の先生」みたいな人である。私自身、どこぞの予備校講師並みの熱血指導を受けた経験がある。
大企業の人事部長という立場で、もちろん仕事もデキる、頭も良い、若かりし頃はそこそこイケメンだったという、完全無欠のエリートサラリーマンなのだ。
完璧なワタナベさんだが、実はそこそこに磨き上げられた天然ボケである。
ある日、母とワタナベさん(当時は室長だった)は、東京で本社の偉い人に挨拶回りをしていた。
そこで事件は起こる。
母は「にっ」と笑う彼の口元に、あるはずの歯がないことに気づいたのだ。
「あれ……なんか抜けてる」
一度気付けば、もう後戻りはできない。母の視線の9割は彼の口に向かい、母は集中を妨害された。
「関西から来た自分の室長が歯抜けだと思われるのは嫌だ……」
昼休憩に入ると母とワタナベさん、本店の社員の計4人で食事をしていた。ワタナベさんが仕事やビジョンを熱く語っている間、母の視線は彼の口元に向かっていった。
その後も、上司の歯抜けは頭から離れず、母は歯抜けのフラッシュバックに苦しんだ。
間違いであってくれ…
あまりのショックに、そう願う母は、その後も何度も「本当に上司の歯が抜けているのかどうか」を確認する機会を探った。しかし、どう考えても歯は抜けていた。
帰阪後、母は友人Aから衝撃の話を聞いた。
ワタナベさんは、Aに挨拶しがてら
「抜けちゃったんだよ〜」
とかなんとか言いながらポケットから歯を披露したらしい。悲壮感漂う歯抜けにAはただ苦笑いするだけだった。
その後も、司会をしたバーベキューで前歯が2本抜けてたりと、何かとワタナベさんの歯抜けエピソードは尽きない。
今でも、私は時々この話を持ち出し、帰宅した母と爆笑してしている。