殺し屋は偽物聖女と逃げることにした【コミカライズ】
レティシアは聖女として育った。
美しい白銀の髪と晴天の空のような瞳を持った聖女が産まれる。そんな神のお告げ通りに、レティシアはこの世に生を受けたからだ。
自由などはなく、一度も教会の外には出して貰えなかった。十六の誕生日に聖女としての力が目覚めれば、レティシアは大々的に国民にお披露目される筈だった。
端的に言うと、力は目覚めなかった。教会も王家もそれはそれは慌てふためいた。今更、聖女はいなかったなどとは言えない。
上手く扱えていないだけ。その内、目覚めるはずだ。そもそもが聖女ではなかったのでは。様々な憶測がレティシアの周りを飛び交った。
教会と王家は焦れてお伽噺に手を出した。【聖女召喚】異界から聖女を呼び寄せようというのだ。それが何と、成功してしまった。
日本という国からやって来た少女は、レティシアと同い年で名は“マコト”と言うらしい。艶のある黒い髪に新月の夜のような黒い瞳をしていた。
少女はまさしく聖女だった。強力な聖力を自由自在に扱えた。マコトは聖女としてお披露目され、レティシアは“偽物聖女”として教会から追い出されたのだった。
手荷物一つで教会から出されたレティシアは、初めての外に恐怖した。何処をどう行けばいいのかも。どこで食事をすればいいのかも。何も知らなかったのだから。
レティシアは大勢の人から逃げるようにして、人通りの少ない方へと歩くしかなかった。幸運な事に、ゴロツキのような者達に出くわすことはなかった。
陽が完全に沈み、夜になったがレティシアはいまだ外にいた。行く当てなどなかった。足が疲れて、裏路地で座り込む。
何のための人生だったのだろうか。レティシアはぼんやりとそんな事を考えた。聖女ではない自分に価値などない。捨てられたのが良い証拠だった。
「お前、何してんだ」
不意に声が聞こえて、レティシアは顔を上げる。暗闇でよく見えなかったが、フードを目深に被った男のようだった。
「その服、教会の人間か? んで、こんな薄汚ねぇ路地裏に丸まってんだ」
「追い出されたのです」
「あ? 追い出された? なんで」
「偽物なのだそうです」
再び顔を俯かせたレティシアに、男は思案するように黙る。暫くの間のあと、「それは、災難だったな」とだけ言った。
男は力尽きたように壁に凭れると、そのままズルズルとその場に座り込む。よくよく聞くと、苦し気に短い呼吸を繰り返していた。
「どうされたのですか?」
「仕事で、ヘマしたん、だよ」
風に乗って、鉄臭い匂いがレティシアに届く。男は怪我を負っているようであった。
「ほんと、クソ、だな」
遂には、座っていることも出来なくなったらしい。男が冷たい地面に横たわる。レティシアはただ見ているだけしか出来なかった。
「死んでしまうのですか?」
「知らね。でも、そう、だなぁ」
「……?」
「しにたくは、ねぇ、な……」
男が静かになる。レティシアは、助けてあげたいと思った。だって、彼は死にたくないのだから。自分とは違って。
「どうすれば良いのですか。神よ。お助けください。どうか」
祈った所で何も起きなかった。レティシアはフラフラと男に近寄る。男の手を取って、両手で握り締めた。
「お願いします。どうか死なないで」
瞬間、いつか見た聖女と同じ眩い光に包まれた。
******
ラウルは貧民街で育った。
黒い髪に金の瞳。そして、黒い狼の耳としっぽを持った、ラウルは獣人と呼ばれる種族であった。獣人は差別の対象だった。
物心付く頃には親は既に居らず、一人で生きていくしかなかった。死にたくなかった。ただそれだけ。それだけの理由でラウルはナイフを握った。
十八になる頃には、ラウルは凄腕の殺し屋になっていた。その頃には、獣人の差別も落ち着きだしてはいた。しかし、既に遅かった。もう普通にはなれなかった。
信頼の置ける奴だった。だから、普段は一人でやる殺しの仕事を二人でやったのだ。その結果、裏切られてラウルは怪我を負った。
世界はどこまでもクソだった。救ってくれる神などいやしない。だから、こうやって少女が薄汚れた路地裏に一人でいるのだろう。
酷く寒い。朦朧とする意識の中で、ラウルは人生で一番だと断言できる。そんな美しい光を見た気がした。
「は? 生きてる?」
朝日の眩しさにラウルは目を開けた。どうやら自分は生き延びてしまったらしい。何故か大量の血溜まりはあるのに、怪我は綺麗に治っていた。どうなっているのか意味が分からない。
「おはようございます」
寝惚けたような声に挨拶されて、ラウルは咄嗟に腰のナイフを抜く。そこには、昨日の少女がまだいた。
「お前、ここで寝たのかよ」
「行く当てがないのです」
「世間知らず過ぎんだろ。よく無事だったな……」
「どういう意味ですか?」
少女の透き通るような空色の瞳に見つめられ、ラウルは説明しようとした言葉を飲み込んだ。何故だか如何わしい事を教えてはならない気がしたのだ。純粋過ぎると、逆に恐ろしい。
ラウルは深々と溜息を吐くと、立ち上がる。少女の傍まで行くと目線を合わせるようにしゃがんだ。
「お前、名前は?」
「……レティシアと申します」
「ふぅん。俺、ラウル」
「ラウル様」
「うげぇ……。様とか勘弁してくれよ」
「え? えっと、その……」
少女、レティシアはオロオロとしだした。ラウルはそんなレティシアを眺めながら、本気で箱入りか? と半目になる。
そこで、もしかしてと思い当たることがあった。教会の人間で。世間知らずで。何よりもラウルの怪我が治った理由。
「お前、聖女か?」
「……違います。私は偽物で」
「じゃあ、俺の怪我は何で治ってんだ?」
「わ、分かりません。急に光って」
「んだそれ、怖えぇよ」
ラウルの耳が、ペタッとへたり込む。
「貴方は、何のお仕事をされていらっしゃるのですか?」
「あ? あぁ、裏稼業だよ」
「では……。では、私を殺して下さったりしますか?」
切羽詰まったような声音だった。それに、ラウルは目を瞬く。レティシアの視線が、ラウルの持つナイフへと注がれていた。
「金は? あんのか」
「え? 少しだけなら……」
「悪りぃな。俺はそんなに安くねぇんだわ」
ラウルはナイフを仕舞うと、レティシアを肩に担いだ。レティシアの口から悲鳴が漏れる。
「な、何をなさるのですか!?」
「どうせいらねぇ命なんだろ? 喚くな」
その言葉に、レティシアは大人しくなる。レティシアは本気らしかった。それに、ラウルは無性に苛立つ。人の命勝手に救っといて、自分は死ぬ気かよ、と。
ラウルはまだ人がいない道を走り抜け、仮宿に使っている小さな家へと向かう。足で扉を開けて、中へ入るとそのままシャワー室へとレティシアを押し込んだ。
「あ、あの?」
「暫くは湯浴みなんて出来ねぇからな。今の内にしっかり洗っとけ」
それだけ言って、シャワー室の扉を閉めた。流石に一人で出来るよな? と一抹の不安を抱えつつ、ラウルは逃亡の準備を始めた。
ターゲットと裏切り者はきっちり始末したので、特に逃げる必要はラウルにはない。この逃亡は、偽物聖女のためのものだ。
服や金など、必要なものを鞄に詰め込む。そして、もしもの時のために残しておいた依頼人名簿やら証拠の数々を床に一つにまとめた。まるで焚き火をするように。
「あ、あがりました」
「おー、ゆっくりでき、はぁ!?」
レティシアの髪がそのまま出てきたのかというほどに、ずぶ濡れだった。それに、ラウルは呆れた顔になる。
「拭いたのかよ、それ」
「その、いつも拭いて頂いていたので……。不慣れなのです」
「タオル貸せ。髪に触んぞ」
「は、はい」
ラウルは出来るだけ優しい手つきを心掛けて、レティシアの髪を拭いてやる。このままいくと、確実に野垂れ死ぬ。ヤバい。ラウルはそう確信した。
それにしても、綺麗な白銀の髪だ。ここまで伸ばすのは面倒だっただろうなとラウルは感心する。しかし、逃げるには邪魔でしかなさそうだ。惜しいが、切ってしまった方がいい。
「髪切るぞ」
「え!? は、はい。どうぞ」
ラウルはレティシアを椅子に座らせると、手早くレティシアの長い髪を切っていく。肩上まで切り、器用に整えた。
レティシアは鏡に映った自分を見て、目を丸める。そして、「お上手なのですね」と溢した。
「手先の器用さには自信がある」
「お仕事に出来そう」
「貧民街の小汚ない獣人のガキを雇ってくれる物好きなんて、いやしねぇよ」
ラウルが自嘲気味に笑う。それに、レティシアは何も言えずに口を閉じた。何と返すのが正解なのだろうか。
「俺も血を落としてくるから、そこで大人しくしてろ。いいな?」
「はい」
ラウルはささっとシャワーを浴びて、血を落とした。いつものように出ようとして、ふと止まる。血生臭くないだろうかと思わず確認してしまった。
獣人の鼻はいい。ラウルにはまだ血の匂いが感じられて、何とも言えない顔になる。まぁ、完璧には取れはしないかと諦めた。
「よし! 行くぞ!」
「あの?」
「お前の依頼は引き受けられねぇけど、助けてくれた礼に一緒に逃げてやるよ。この国にいたくねぇだろ」
「そ、れは……」
「つべこべ言うな! 出発!」
ラウルはマッチに火をつけると、それを証拠品の山の上に放った。紙に燃え移り、火が大きくなる。
驚くレティシアの手を握って、ラウルは家を飛び出した。ラウルに手を引かれて、レティシアは半ば引き摺られるようにして走る。
「い、いけません! 他の家に燃え移ったりしたら!」
「あ? あー……はいはい」
ラウルは朝と同様に、レティシアを肩を担ぎ上げると大きく息を吸った。
「火事だーー!!」
その声に、周りの家から人々が飛び出してくる。それを見て、ラウルが悪い顔で笑った。
「証拠品が燃え残ったらお前のせいな」
「え? え?」
「まぁ、俺らは困らねぇから! 困るのは依頼人だけだな!」
「そんな!」
品行方正な聖女様には、過激だったか。偽物扱いで追い出されたくせに、まだ人の心配をするレティシアにラウルは苦笑する。まともに生きていけるのだろうか。
「忘れろ忘れろ」
「……私、どうやって生きていけばいいのでしょうか?」
「俺に聞くなよ。俺は、ただ死にたくないから生きてるだけのろくでなしなんだから」
レティシアが黙り込む。ラウルは特に何も言わずに走り続けた。
「神は許してくださるでしょうか」
「はぁ!? バカじゃねぇの!?」
「ばか……」
「神なんてモンいやしねぇよ」
暫しの間のあとレティシアは「そう、なのでしょうか……」と、ただそれだけを呟いた。
******
扉を蹴り開けるとレティシアが煩いので、ラウルはちゃんと手で扉を開けて家の中へと飛び込んだ。野菜が沢山入った篭を手に持って。
「見ろ! レティシア!」
「わぁ!? どうされましたか!?」
「野菜が! 沢山! 実った!」
ラウルのしっぽが嬉しそうに左右に揺れている。レティシアはキラキラとしたラウルの瞳を見て、嬉しそうに笑んだ。
「まぁ、凄い! 本当にラウルさんは何でも出来るのですね!」
「そうだろ! 褒め称えてくれても良いぜ」
ラウルは照れたように冗談めかしてそう言うと、自家栽培の野菜が入った篭を机の上に置く。近くにあった椅子に座ると、レティシアを見上げた。
ここは、隣国の端。小さな村の小さな家。あれから二人は国境を越えるために、山を登り川を渡り。祖国から出来るだけ離れるために、隣国を横断してこの村へと辿り着いたのだ。
「レティシアの薬、評判いいぜー。高値で売れてる」
「はい! 裕福な方にはお金を出して頂いて、そのお金で作った薬は貧民街の方々に無償で配らせて頂いていますから。助かってます」
「逞しくなりやがって……」
ラウルはレティシアの作った薬が入った瓶を指先でつつく。レティシアの薬が評判なのは、当たり前だった。何故ならレティシアは、聖力を自由自在に扱えるようになったのだから。
ラウルは潮時かと目を細める。レティシアはもう、一人でも生きていけるだろう。
「なぁ、街に薬を売りに行った時に聞いたんだけど……」
「何をですか?」
「異界から来た聖女いただろ?」
「マコトさんですか?」
「帰ったらしいぞ。元の世界に」
「え!?」
そのせいでラウルとレティシアの祖国は、再び大騒ぎになっているのだとか。聖女に見捨てられた国として、失笑されているようだ。
「そう言えば……。マコトさんは『私、意地でも元の世界に帰るから。方法がないなんて、喚んだ奴等の言葉なんて信じられるわけがない!』と大変怒っていらっしゃいました」
「ほんとか。んで、有言実行で帰ったのかよ」
「マコトさんは悪い方ではありませんでした。ただ、私もマコトさんも余裕がなかっただけで……」
「まぁ、いきなり変な所に喚ばれたらな」
「もう二度と喚ばれないように、関連する文献を全て抹消してから帰ると」
「んだそれ、最高だな!」
ラウルが爆笑する。それにレティシアが拗ねたように、むくれた。急にレティシアがラウルに顔を近付けてきたものだから、ラウルは驚いて椅子ごと後ろにひっくり返る。
「うおわ!?」
「ラウルさん!?」
ラウルはそのまま距離を取るために、横に転がっていく。壁にぶつかって鈍い音が鳴った。
「いって!?」
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫だから、こっちに来んな!!」
ラウルが壁に背中を張り付けて、出来るだけ距離を取ろうとする。それに、レティシアは更に拗ねた顔をした。
「何でですか!」
「近いんだよ! 気を付けろ!」
「それでよく、裏稼業など出来てましたね!」
「うるせぇ! ハニトラ余裕だ、舐めんな!」
「は、はにとら……」
レティシアがショックを受けたように、しょんぼりとする。それに、ラウルは焦ったように目を泳がせた。
「金持ちの女には、物好きがいんだよ。めちゃくちゃ耳とかしっぽとか触られたりする」
「じゃあ、私にもしてください」
「無理!」
「こっちも嫌です!」
レティシアがジリジリと距離を縮めてくる。ラウルの耳が困ったように、へたり込んだ。
「うぐっ、はつ、初恋なんだよ。悪かったな」
ラウルの視線が明後日の方へとフラフラ逸らされる。今日に限って何でこんなに聞き分けないんだよと、ラウルは顔を赤くした。まぁ、どうせもうお別れなのだから、潔くフラれてやると半ばやけくそでラウルはそう白状する。
「本当ですか?」
「ほんとだよ!」
「嬉しい……」
「は!?」
油断した。ラウルがレティシアに視線を戻した時には、既にレティシアは目の前まで来ていた。そして、ラウルに抱きつく。
「おま、おまえは! 何を考えてんだ!?」
ラウルの両手が不自然に宙をさ迷う。引き剥がすことも出来ずに、結局宙ぶらりんで止まった。
「ラウルさんとずっと一緒にいられる方法を考えてます!」
「おあぁ……。本気かよ」
「本気です。ラウルさん、大好き」
至近距離で目が合って、ラウルは首まで赤くして固まる。はっきり言って、嬉しい。しかし、本当にそれで良いのだろうか。
「いや、待て待て。お前は聖女なわけでだな。俺みたいな血生臭い奴といない方が」
「ラウルさんは、私のことが嫌いなのですか?」
レティシアがしゅん……とした顔で首を傾げる。誰だ。レティシアにこんな事を教えた奴は。殺す。ラウルの頭が混乱で、まともに働かなくなってきた。
「ラウルさん」
「え、あ、す、好き」
白旗を振ったのは、ラウルだった。レティシアの空色の瞳が喜色を滲ませ細まる。
「大丈夫ですよ。だって私は、“偽物”ですから」
「この国、レティシアが来た頃から気候が安定したり良いこと尽くめらしいぞ」
「気のせいです」
「祖国の連中も探してるって」
「ラウルさんは強いので、安心してます」
本当に、逞しくなったものだ。ラウルは諦めて溜息を吐いた。ラウルとて離れなくて良いのなら、その方が嬉しいのだから。
「分かったよ。誰が来たって返り討ちにしてやる」
「ありがとうございます」
「つーか、聖女ってキスとかしていーのか? 怒られねぇ?」
「怒られません。“偽物”なので」
出会った日は、あれ程までに落ち込んでいたというのに。今では、偽物よろこんで状態だ。寧ろ、レティシアは偽物でなくては困るとさえ思っていた。でなければ、ラウルと一緒にいられない。
「それに、神なんてモンいやしねぇのです」
ラウルがいつか言った言葉だった。それに、ラウルは満足そうに笑む。
「よく分かってんじゃねぇか」
レティシアにとって、あの日手を引いてくれたラウルだけが、唯一の救いだったのだから。
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