強がり悪役令嬢は ヒロインから推されヒーローから溺愛される
悪役令嬢ものを書いてみたくて。
大した設定もなく、書きたいことだけ書きなぐりました笑
よくある話として楽しんで頂けたら嬉しいです(*^^*)
わたくしは、エリザヴェータ=コトフ。
コトフ公爵家といえば、この国で一二を争う有力貴族で、その長女であるわたしくしには、幼い頃から結婚相手が決まっていた。
そして十年に及ぶ厳しい妃教育を経て、三年前、十五歳の誕生日に、わたくしは正式に婚約した。
そんなわたくしを差し置いて、目の前で可憐な令嬢と寄り添う、アレクシス=ヴォルコフ様。
この国の、王太子殿下と。
* * *
「エリザヴェータ=コトフ公爵令嬢、貴女との婚約を、終わりにしたい」
今日はコトフ公爵令嬢、エリザヴェータの十八歳の誕生パーティーが開かれる。
それが始まる少し前、というには随分と余裕のある時間に、自室で身支度を整え終えたばかりのエリザベートの元へ、アレクシス王太子殿下が訪ねてきた。
パートナーを務める相手だ、なんら珍しいことではない。
しかし、いつものように侍女たちを下がらせ、ふたりきりになったところでアレクシスが放ったのは、そんな予想もつかない言葉だった。
エリザヴェータは、はじめ何を言われたのか理解できなかった。
呆気にとられてアレクシスを見つめる。
くせのないサラサラの金髪に、理知的な深い蒼の瞳。
理想の王子様だと、誰からももてはやされる美貌と、その能力の高さ、さらには温厚な性格。
黒髪にアイスブルーの瞳の、冷たい印象しか持たれないエリザヴェータのことだって、とても大切にしてくれていた。
厳しい妃教育に心折れそうな時は、頑張ってくれてありがとうと励ましてくれた。
難しい魔法を習得できた時は、まるで自分のことのように喜び、褒めてくれた。
素直に喜びを表せなくて、当然ですわとそっぽを向くようなエリザヴェータを、温かい目で見守ってくれていた。
それなのに――――。
「アレク様」
これは夢だろうかと呆然とするエリザヴェータの前に、高度な転移魔法でひとりの少女が現れた。
本来ならば、婚約者でもないのに許されるはずもない、王太子を愛称呼びして。
その少女は、アリサ=メドヴェージェワ男爵令嬢。
アレクシスやエリザヴェータも通う、貴族たちのための学園。
その学園で、アリサはアレクシスよりもふたつ年下、エリザヴェータの同級生だ。
アリサは元々男爵の愛人の子で、元夫人の死をきっかけに、母とともに男爵家へと引き取られた。
ふわふわのストロベリーブロンドにエメラルドグリーンの瞳の可憐な容姿に加え、明るい性格と高い魔力で、誰をも魅了してきた。
アレクシスもその内のひとりで、学園でもよくアリサと親しげに言葉を交わす姿を、エリザヴェータは目にしてきた。
胸が痛まないわけではなかったが、アレクシスは自分のものではない。
彼には彼の交友関係があり、それに口を出して良いほど、自分はアレクシスと親密な関係ではない。
親が、国が決めた婚約者。
それなりに良い関係を築いているとは思うが、心を通わせ、愛し合っているわけではない。
だから、この痛みは自分の中に閉まっておかなくてはいけない。
そう、嫉妬の心に蓋をして、見て見ぬ振りをしてきた。
しかし、それももう限界だ。
淡いピンクのドレスに身を包んだアリサは、とても儚く、守りたくなってしまうような表情でアレクシスに近付き、その腕を取った。
対するアレクシスもまた、無礼だとその手を振り払うこともせず、むしろ守るようにアリサの背に手を回した。
「分かってくれ」
その一言で、エリザヴェータは全てを悟った。
ああ、アレクシスが選んだのは、可愛げのない自分ではないのだと。
とんでもない裏切りだ。
国を、コトフ公爵家を、そんな女のために裏切るのかと、罵れば良い。
自分には、その資格がある。
何年もの間、厳しい妃教育に耐え、王太子妃として相応しい振る舞いを身につけ、周囲からも認められる存在になった自分を捨て、そんなポッと出の女と?
魔力は高いかもしれないが、それだけで未来の国母が務まるほど、その立場は甘くないと、鼻で笑えば良い。
祝福する者もいるかもしれないが、眉を顰める者も多いだろう。
許されない恋を貫く、そんな物語のような結婚をして、現実で上手くいくとでも?
そんな夢物語を紡いで、何になるというのか?
そう言葉にしようとして口を開いたが、ぴたりとエリザヴェータは動きを止めた。
――――違う。
国だとか裏切りだとか、そんなことを言いたいんじゃない。
ただ―――――自分は悲しいんだ。
アレクシス様を、お慕いしていた。
好きだった。
だから、厳しい妃教育にも耐えられたし、令嬢たちの棘のある言葉も笑って聞き流すことができた。
いつか隣に立って、ふたりで笑い合う日が来る、そう信じていたから。
『いずれこの国の王妃となるお方が、無闇矢鱈に涙など見せてはいけませんよ』
『絶対に泣いてはいけません。辛いことも笑って受け流すくらいの器量がなくては、王太子妃は務まりません』
そう、教えられてきた。
だから絶対に泣くわけにはいかない。
これは、わたくしのプライドでもあるのだから。
そう考えながら、開きかけた口を、エリザヴェータはぐっと閉じた。
震える体を叱咤し、崩れ落ちないように足に力を入れる。
そして、真っ直ぐアレクシスを見据えたのだが、アリサと互いに支え合うようにして佇む姿に、涙腺が緩んでしまった。
『君が十八歳になったら、私は君に求婚するからね。それまで、私以外の誰のことも見てはいけないよ』
「そう、言ってくれたじゃありませんか……」
つうっと頬を涙が伝えば、もう我慢はできなかった。
とめどなくぽろぽろと零れていくものを、抑えることはできなくて。
みっともなく、子どもみたいに、声こそ押し殺してエリザヴェータは泣いた。
そんなエリザヴェータを見て、アレクシスとアリサは目を見開いた。
高嶺の花ともてはやされる一方で、氷の理性とも言われてきたエリザヴェータが、初めて涙を見せたからだ。
「――――っ、や、」
そして、それを見て最初に口を開いたのは、アリサだった。
「やりましたね!アレクシス様!!」
…………。
「ふぇ?」
その言葉に、エリザヴェータは思わず気の抜けた声を上げた。
「あ"あ"あ"あ"あ"ー!リザたんの涙!尊い!可愛すぎて変な声出たヤバーっ!!」
しかも、可憐な令嬢とは程遠い、妙な台詞を早口でまくし立てて、アリサは身悶えている。
「スチルなんて比じゃない!実物万歳!リザたん最高!!」
ハァハァと荒い息遣いのアリサに、エリザヴェータは少しだけ後ずさった。
アリサが言っていることも、この状況もよく分からないが、何となく身の危険を感じたからだ。
そうだ、アレクシス様は……とエリザヴェータがアレクシスの方を見ると、何故か彼は右手を口元にあてて俯いていた。
そうか、アリサの急変ぶりに驚いているのかもしれない。
そう思ってエリザヴェータは声をかける。
「だ、大丈夫ですか?アレクシスさ……「かわい
い」
自分の言葉に被せるようにして響いたのは、誰のものなのか。
エリザヴェータは空耳だろうかと思いながら、涙をためた瞳でアレクシスを見つめた。
「予想以上に可愛い、可愛いすぎる。直視できないレベルで可愛い。いやしかし、見ないのも勿体ない。脳内に刻み込まなくては……」
……アリサといいアレクシスといい、彼らは一体どうしてしまったのだろう。
ぱちぱちと目を瞬くエリザヴェータの頭の上には、ハテナマークがいくつも浮かんでいた。
よしと気を引き締めてアレクシスが顔を上げた。
……が、目を潤ませて首を傾げていたエリザヴェータを間近で見てしまい、ゔっ!と変な声を上げて悶絶した。
「あ"あ"あ"あ"!!俺の嫁が可愛い!可愛いすぎる!尊いとはこういうことか、アリサ嬢!」
「そうです!分かって頂けましたかアレクシス殿下!リザたんの魅力はこれだけではありませんよ!これからあんな表情やこんな表情も、殿下だけの独り占めということです!」
「そ、そうか……そうだな!あんな表情やこんな表情……くっ!」
「ちょっと殿下!妄想で鼻血出さないで下さい!ティッシュティッシュ!」
今度はアレクシスまでもがおかしくなってしまった。
そしてアリサとともに、あーだこーだとエリザヴェータの魅力について語りだした。
……多少卑猥な言葉が飛び交っている気がしたが、エリザヴェータには半分以上が分からないものだった。
そんな調子で盛り上がるふたりの話に口を挟めるわけもなく、エリザヴェータはただ呆然と黙ってそれを聞くのみだった。
そんなふたりの会話を聞き、また事の次第を説明されたエリザヴェータは、何となくではあるが、なぜこのような事態になったのかを理解した。
* * *
私は、熊野亜梨沙。
日本の女子大学生だった。
過去形なのは、事故で死んじゃったから。
大好きな乙女ゲームアプリ、それに集中しすぎていたのが悪かったのよね。
信号無視して突っ込んできた車に気付くのが遅れて、そのままズドーン……ってね。
転生したんだって気付いたのは、お母様と一緒に男爵家に引き取られた時。
あれ?なんかこの光景見たことがある……って思ったら、いきなり色んな記憶がぶわぁっ!って頭に流れ込んできた。
その衝撃に耐えられなくて、二日間寝込んだっけ。
でも、そんな私にも、初めて会ったお父様や使用人の人たちは良くしてくれた。
お父様、顔は恐いけど、本当はすごく優しいのよね。
顔は恐いけど……。
とまあ、お気付きのように、私ってば異世界転生しちゃったの。
しかも、前世で私がやり込んでいた乙女ゲームアプリ、“シンデレラは守護獣たちに護られる”の世界に。
そんなラノベみたいなこと、って最初は思ってた。
でも、どう鏡の中の自分を見ても、どう考えても私はヒロインのアリサ=メドヴェージェワだった。
そしてゲームの世界の登場人物たちが、きちんと存在している。
……これはもう、信じるしかないわよね?
だったら、前世の自分の不注意を嘆くなんてことはせず、思い切り楽しもう!そう思った。
なんて楽観的な……と思われるかもしれないが、それくらい私にとっては、このゲームがとても大切で、大好きだったのだ。
それに、私がヒロインなら、あの人を救える。
私の最推し!悪役令嬢の、リザたんこと、エリザヴェータ=コトフ公爵令嬢を!!!
「ああ……ヤバい。リザたん綺麗。美人。かわいい。女神」
記憶が蘇って数年後。
私は、ゲームの通りに貴族たちが通う学園へと入学した。
もちろん最推しのリザたんと、婚約者のアレクシス殿下も在籍している。
あ、その他諸々の攻略対象者たちもね?
その入学式、新入生代表で挨拶をしたリザたんは、神々しすぎて涙が出た。
いや、冗談でなく本気で。
神絵師様のイラストも素晴らしかったが、実物には及ばなかった。
それくらい、現実のリザたんは綺麗で、かわいくて、美人だった。
それ以来、こうして影からリザたんを盗み見……いや、見守るのが私の日課となっている。
ちなみに今は昼休み。
木陰で読書をしているリザたんを、近くの草陰から覗……見守っているところだ。
「はうぅ……本当にリザたんって勉強熱心。これもアレクへの愛ゆえなんだよなぁ」
アレクとは、メイン攻略対象である、この国の王太子、アレクシス=ヴォルコフ殿下のこと。
ゲームの中のリザたんは、このアレクのことが大好きでたまらなくて、割って入ってきた私に嫌がらせして、断罪される。
まあ、よくある悪役令嬢モノよね。
だけど正直、冷静な目で見るとリザたんは悪くない。
むしろとても常識的な言動だったし、おかしいのは私とアレクの方。
まあ、大抵のご都合主義な乙女ゲームはそうなんだけどさ。
そんなリザたんが断罪されてしまうアレクルート、可哀想すぎるんだけど、選ばずにはいられない理由があった。
「スチルの泣き顔もヤバかったけど、実物はもっとかわいいんだろうなぁ……。ああ、リザたんを不幸にはしたくないけど、泣き顔はちょっと見たいのよね……」
そう、鉄壁の表情、氷の理性と言われているリザたんの、泣き顔を唯一見ることができるのが、アレクルートだったからだ。
私に意地悪をしていたことを断罪され、アレクから婚約破棄を言い渡された時に、リザたんはそれまで誰にも見せたことのない涙を、ボロボロと流す。
ゲームならば、ごめんねと思いながらもアレクルートを選択することができたが、現実となればそうはいかない。
リザたんを深く傷つけてしまう上に、やり直しはきかない。
何より私自身、アレクと結ばれたいなど、これっぽっちも思っていないのだ。
アレクが好きなわけでもない、王太子妃としての覚悟も教養も才能もない、そんな私がそれを望むわけにはいかない。
「はぁ……。リザたんが幸せになれて、しかも泣き顔を拝めるルートはないのかなぁ?」
麗しくてかわいすぎる泣き顔を諦めきれない私が、そんな自分の欲望丸出しな呟きを零した時、近くの茂みから、見覚えのある金髪が覗くのを見つけた。
あれ?ひょっとして?と思って近付くと、やはり思った通りの人物が、ため息をついてそこに潜んでいた。
「え〜っと、アレクシス殿下?」
「うわっ!お、驚いた……いや、すまない。こ、これは何でもないんだ」
いつだってキラキラスマイルで、完璧な王子様キャラのアレクが、なぜこんなところに隠れて、しかも私に見つかってソワソワしているのだろう。
アレクの見ていた方向にちらりと目をやると、そこには麗しのリザたんの姿が。
「エリザヴェータ様が、どうかされたのですか?」
もしや、すでにリザたんの好感度が下がっていて、悪事を暴こうと見張っていたとか?
いや、リザたんは何も悪いことなどしていない。
もしそうならば、私が誤解を解かなくては!
泣き顔はのことは、まあ泣く泣く我慢できるとして、アレクとリザたんの婚約破棄は、絶対に阻止しなくてはいけない。
リザたんを不幸にするルートなんて、ありえないのだから!
そう思ってきゅっと表情を引き締めたのだが、アレクから返ってきた答えは、予想外のものだった。
「い、いや!まさか覗いていたなんて、そんなことはないぞ!エリザヴェータがいくらかわいいからって、まさかそんなこと……!」
アレクが顔を真っ赤にして、あたふたしながらそんなことを言った。
あれ?この反応、ひょっとして……。
「……もしかして殿下って、エリザヴェータ様のこと……」
「愛している」
きっぱりと答えが返ってきた。
「それはそうだろう。立場上、デレデレするわけにはいかないから、普段は平静を装っているのだが」
そう語り始めたアレクの口からは、次々とリザたんへの思いが紡がれていく。
「あんなに綺麗な女性、この世にいるか?あの流れるような深みのある黒髪、まるで雪の結晶のような理性的な瞳。そんな整った美貌が、恥ずかしげに綻ぶ様なんて、もう言いようがないほどにかわいくて……!」
「うんうん、分かります!エリザヴェータ様、すっっっごい神々しいですもんね!」
共感するところが多くて、思わずアレクの話に乗ってしまった。
でもまあ本心だし、良いか。
「分かってくれるかい!?その上、努力家で献身的で、素直じゃないけど優しくて。好きにならないわけがないだろう?そんな彼女が、私の妃になるなど……!選んでくれた父上と母上には、感謝しかない!!」
「うんうん!殿下、エリザヴェータ様のこと、よく見てらっしゃいますね!あのちょっぴりツンデレなところも、魅力なんですよねぇ……」
「分かる、分かるぞ。君とは意見が合うな!」
そこで、同志を見つけたと言わんばかりの勢いで、がっしりと手を取られた。
あれー?一緒に盛り上がっちゃってたけど、ゲームとはかなりキャラが違うかも。
そう思うには十分すぎるほどの熱量で、目の前のアレクはなおも、リザたんについて語ってくれている。
「えっと……殿下がエリザヴェータ様のことが大好きなのは、よく分かりました。ですが、もう婚約されている相手なのですから、こんなコソコソとしなくても、堂々と声をかければよろしいのでは?」
「婚約者、ね。そうなんだ、彼女は私の婚約者だ。ただし、王家の中では、仮のだがね」
王家の中では?仮の?なに言ってるんだろう。ちょっと良く分からない。
首を傾げる私に、アレクははあっとため息をついた。
「君は確か……メドヴェージェワ男爵令嬢だったね?」
「あ、はい。好きな人はエリザヴェータ様、今一番興味のあることはエリザヴェータ様の日常、やりたいことはエリザヴェータ様を助けること。アリサ=メドヴェージェワです。よろしくお願い致します」
ぺこりと今更ながら挨拶をする。
全力で、興味があるのは貴方ではなく、エリザヴェータ様だとアピールして。
「ふぅん。……君になら、話しても良いかもしれないな」
?何を?
今度は逆側に首を傾げる私に、アレクはふふっと魅力的に笑って口を開いた。
* * *
私は、この国の王太子、アレクシス=ヴォルコフ。
私には幼い頃に決められた婚約者がいる。
ただし、今は仮の、だが。
なぜ仮が付くのかと言えば、代々王家に伝わる伝統の試練があるからだ。
それをクリアして、やっと本物の婚約者となり、婚姻を結ぶ許可が得られる。
最初に婚約者候補として立ち、妃教育を経て十五歳で婚約(ただし王族内ではまだ仮の)、そして十八歳から試練に挑戦でき、クリアできればやっと正式な婚約者となれる。
大抵の歴代国王たちはこの試練を乗り越えてきたし、もちろん父王もそうだ。
その試練を乗り越えたからかは分からないが、夫婦仲はとても良い。
これは、何代か遡っても同じことが言える。
王家が継ぐ“ヴォルコフ”とは、狼を指している。
だからとは言わないが、王家の、特に男たちは非常に獰猛な内面を持っている。
――――まあ、言い方を変えれば、心を決めた女性を愛しすぎる傾向にあり、情熱的で嫉妬もすごい。
そんな内面をさらけ出していては、一国の王として立つことは難しい。
そんな理由で、幼い頃から上手くその本性を隠すよう、厳しく躾られている。
私ももれなくそうだ。
そして、同じくして王太子妃となるべく、婚約者候補にもまた、幼い頃からある教育がされている。
もちろん私の婚約者である、愛しの公爵令嬢、エリザヴェータにも、それは施された。
そしてそれが今、私を悩ませている。
「今日も私のエリザヴェータは綺麗だ……」
茂みから、エリザヴェータの読書姿をうっとりと見つめる。
これは断じて覗き見ているわけではない。
ひとりの女性を情熱的に愛しすぎてしまう傾向にある、私たち王族の男子は、普段からかなりの我慢を強いられている。
まだ仮とはいえ婚約者なのに、そうそう触れ合うことが許されていない。
だからこうして、密かに恋い慕う女性を物陰から見守るのも、仕方のないことなのだ。
父上だって、やったことがあると言っていた。
「だからってエリザヴェータに近付き過ぎると、我慢が限界突破してしまうからな……。少し話しただけでも触れたくなってしまうのだから、これくらいの距離が良いのかもしれない」
だからと言って、我慢することに違いはないのだが。
早く試練を越えてエリザヴェータに触れたい。
王太子といっても、ひとりの健康な男子、好きな女性とそうなりたいと思うのは、何らおかしなことではない。
はあぁとため息をつきながら、木漏れ日の中で、真剣な顔で本とにらめっこしているエリザヴェータに視線を戻す。
彼女が王太子妃として相応しくあろうと、こうして勉学にも熱心なことを、とても好ましく思っている。
恥ずかしがり屋で素直になれない性格のため、そうそう自分と目を合わせてくれないことは少し不満だが、照れた表情や時折見せる笑顔は、とてもかわいらしく、自分の胸を高鳴らせる。
「涙、か……」
どうしたら、それを見せてくれるだろうか。
ふうっともう一度、悩ましげに息を吐くと、後方から声をかけられた。
「え〜っと、アレクシス殿下?」
しまった、エリザヴェータのことで頭がいっぱいで、気配に気付けなかった。
振り向けばそこには、ふわふわのストロベリーブロンドにエメラルドグリーンの瞳の可憐な令嬢がいた。
こんなところを見られるなんて、完璧な王太子としての仮面を被ってきたこれまでの努力が……!と焦る。
予想外のことに、上手く取り繕うこともできずあたふたしてしまったが、私のこのような姿を見て、令嬢は戸惑いこそすれ、幻滅した様子はない。
ならばと止まらないエリザヴェータへの想いを言葉にすれば、行き過ぎだと自覚しているそれすらも、この令嬢は受け入れてくれた。
それどころか、目を輝かせて同意してくれ、その上。
「好きな人はエリザヴェータ様、今一番興味のあることはエリザヴェータ様の日常、やりたいことはエリザヴェータ様を助けること。アリサ=メドヴェージェワです。よろしくお願い致します」
お礼をしながらてへっと笑った彼女ならば、協力者として私の力になってくれるかもしれない。
そう直感的に思った私は、ふふっとひとつ笑って、彼女に悩みを打ち明けたのだった。
「……本当にそんなことで、エリザヴェータが涙を見せてくれるのかい?」
「はいっ!私には分かるんです、殿下。大船に乗ったつもりで、どーんとお任せ下さい!」
私の悩みの解決策を提示してくれたこの令嬢――――アリサ=メドヴェージェワ男爵令嬢は、自信満々にそう言い放った。
彼女の策とは、いわゆる偽の恋人を彼女が演じて、それに傷付いたエリザヴェータに、「わたくしをお捨てになるの……!?」と涙を流してもらおうというもの。
そうは言うが、彼女には嫌われてこそないと思うが、愛されているかと言われれば、自信はない。
私に他に想い人が現れたからと言って、果たして泣いてくれるだろうか?
「せいせいしますわ!」とか「願い下げですわ!」なんて言って捨てられた日には、泣くに泣けない。
それに……。
「あれ?どうしました殿下?」
「どうしても言わなくてはダメかい?その、『婚約破棄』という言葉……」
彼女の策では、「他に想う人ができた。婚約を破棄してほしい」と言ってアリサ嬢の肩を抱かなくてはいけないらしい。
だが、嘘でも、冗談であっても、その言葉をエリザヴェータには言いたくない。
彼女には、いつだって自分のこの愛しい気持ちだけを言葉にして伝えたい。
そうアリサ嬢に伝えれば、驚いた表情を浮かべたものの、彼女も同意してくれた。
「……そうですよね。殿下ってば、誠実な方なんですね。私、見直してしまいました。だけど、エリザヴェータ様が間違いなく泣いて下さるのは、その状況なんですよねぇ……。うーん。あ、そうだ。それなら――――?」
そうして良い事を思いついた!という顔をして、アリサ嬢は新しい提案をしてくれた。
「――――なるほど。それならば、嘘は言っていないことになるな」
「はい!エリザヴェータ様には泣いて頂いて、私におふたりのハッピーエンドを見せて下さいねっ!」
その言葉が少し可笑しくて苦笑するが、ぱあっと花が咲くような笑顔を向けるアリサ嬢に、必ず、と約束をした。
そして、エリザヴェータの十八歳の誕生日。
コトフ公爵邸では、愛娘の誕生を祝おうと夕方からパーティーが開かれる。
もちろん、婚約者である私も、招待されている。
約束の時間よりも少し早く、私はコトフ公爵邸へと向かった。
――――エリザヴェータを泣かすための、芝居を打つために。
そうして案内された、エリザヴェータの私室。
何度か入っているが、相変わらずいい匂いがする。
シンプルに整えられているが、可憐な花が飾ってあったり、繊細な細工の小物が置いてあったりと、彼女の可愛らしさがチラリと見られる。
それでいて、本棚には整然とたくさんの歴史書や魔法書などが並べられており、勉強家な一面も覗える。
――――ああ、やはり私の妃には、エリザヴェータ以外、考えられない!
心の中でそう叫んだが、表情には出さず、爽やかに挨拶を述べる。
頬を染める侍女たちを下がらせ、ふたりきりになると、鼓動がうるさく鳴った。
泣いてくれるだろうかという、期待と不安。
そして、一時とはいえ、彼女を悲しませてしまうのではという罪悪感。
そんな迷いを振り切って、アリサ嬢と打ち合わせた言葉を紡ぐ。
「エリザヴェータ=コトフ公爵令嬢、貴女との婚約を、終わりにしたい」
そう告げた時、いつも涼やかな目元が、大きく見開かれた。
呆然とするエリザヴェータに、これはどちらだ!?と心中で戸惑う。
この表情では、まだどちらか読めない。
仕方がない、次の段階に――――。
本当は、ここで涙を見せてくれたら良かった。
そう思いながらも、合図を出す。
すると、ぱあっと床が光り、ひとりの少女が姿を現した。
そう、アリサ嬢だ。
「アレク様」
淡いピンクのドレスを揺らし、私の元へ駆け寄るアリサ嬢は、私の腕を取ると、横へ並んだ。
その背を支えるように腕を回して、エリザヴェータに向き直る。
「分かってくれ」
そう言い放った時の、エリザヴェータの表情。
侮蔑、怒り、蔑み。
――――その奥にある、深い哀しみ。
泣き崩れまいと、手足に力を込めているのが分かる。
「殿下、もうちょっとだけ、我慢です」
咄嗟にエリザヴェータに手を差し伸べようとした私の腕を、アリサ嬢がぐっと引っ張る。
だが。
エリザヴェータが……。
「そう、言ってくれたじゃありませんか……」
私が葛藤していると、徐に口を開いたエリザヴェータから、微かな声が漏れ出る。
それとともに、その涼やかな瞳からも、一雫の涙が流れた。
そのあまりの美しさに、私は視線を奪われ、身動きが取れなくなった。
ぽろぽろと止めどなく流れていく、光の粒に、魅了されて。
「やりましたね!アレクシス様!!」
アリサ嬢のその声で我に返るまで、私はエリザヴェータの涙の虜となっていた。
* * *
「すまなかった、エリザヴェータ」
「ごめんなさい、エリザヴェータ様!」
「ひっく……。も、もう、絶対に、こんなことしないでくださいませね!ふえっ……」
一度泣いてしまったら、エリザヴェータの涙はなかなか止まらなかった。
アレクシスとアリサから、事情を聞いてもなお。
そんな自分に謝りつつも、顔が緩んでいるふたりを、エリザヴェータはきっと睨む。
「もうっ!おふたりとも、本当に悪いと思っているんですの!?」
「それはもう!心から、悪いとは思っているんですけど……。リザたんの涙が尊すぎて、頬が勝手に緩むと言いますか……」
「すまない、もう二度とこんなことはしないと誓う!……しかし、私のために泣いてくれているエリザヴェータが愛しすぎて、勝手にこんな顔になってしまうんだ」
話が通じているようで通じていない、エリザヴェータはそう思った。
尊いだの愛しいだの、このふたりは自重という言葉を知っているのだろうか?
先程からそれしか言っていない気がする。
そして、いつの間にかリザたん呼びされているのは、何故なのか。
そんなにやけ顔のふたりが教えてくれた真相は、次のようなものだった。
代々王家を継ぐ男子に与えられている試練。
それは、人前で泣いてはいけないと厳しく教育されている婚約者を、泣かせること。
ただし、それは王太子を想うが故に流す涙でなければいけない。
そしてもうひとつ、証人を兼ねた協力者をひとりだけ作ること。
アレクシスの場合、アリサが協力者兼、証人ということになる。
これだけを聞くと、なんて婚約者を馬鹿にした試練だと思うだろう。
罪悪感を持ちながらも、婚約者を欺くことに変わりはないのだから。
だが、その罪悪感が、妃を生涯大切にしなければという心に繋がる、大切なものだとアレクシスの父は言った。
その父も、試練の際には、死にかけたふりをして、当時王太子妃だった王妃を泣かせたのだとか。
そして、あんな顔は二度とさせない、と誓ったという。
対して、決して泣いてはいけないと言われてきた婚約者の令嬢も、自分可愛さの涙ではなく、王太子を心から思うがゆえに涙を流せるか。
また、ただ唯一の泣ける相手として、王太子を慕っているかを試す機会なのだという。
そして、そう思ってもらえるだけ、今まで王太子が婚約者に心を砕いてきたかが分かる。
つまり、互いに思い遣り合えるかを問う試練なのだ。
「事情は分かりましたわ。そ、それはつまり……殿下が、その、わ、わたくしのことを……」
やっと泣き止んだエリザヴェータだったが、今度はアレクシスの心を知って、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになり、顔の赤面が止まらなくなった。
(幸せすぎて死ねる)
(死んじゃダメです殿下。カメラもスマホもないんですから、目に焼き付けないと)
アレクシスとアリサが目で会話しているのには気付かず、エリザヴェータは、あうあうと言い淀んでいた。
「つまり、私は君を妃として、一生涯大切にしたいということだ!」
そんなエリザヴェータに、アレクシスはきっぱりと言い放った。
「で、ですがわたくし、怒っているんですのよ!試練のためとは言え、あんな酷いこと……」
「確かに、そう思わせるような言葉を使ったのは確かだが、嘘は言っていない」
怯むエリザヴェータに、追い打ちをかけるようにしてアレクシスは説明を始めた。
「『分かってくれ』は、君を想うこの気持ちを、分かってほしいという意味だ」
少々強引だが、確かにアリサとの関係に対してだと自分が思ってしまっただけで、どうとでも取れる言葉だと、これにはエリザヴェータは納得した。
しかし、思い出すだけでも胸が痛むあの一言。
『エリザヴェータ=コトフ公爵令嬢、貴女との婚約を、終わりにしたい』
張り裂けそうだという意味を、身を以て知った、アレクシスの言葉。
また目に涙が溜まるのを感じながら、エリザヴェータはアレクシスを見た。
その責めるような、はたまた拗ねたような視線に、ゔっ!とアレクシスは後ずさったが、こほんと咳払いをして冷静さを保つ。
「それは、婚約を終わりにして、結婚したいという意味だ。破棄したいとは言っていない」
こじつけではないだろうか、そう思いながらも、胸を張って言われると、非難しにくくなる。
「……私だって、君に冗談でも婚約破棄など突きつけたくはなかった。だから」
『それなら、破棄という単語を使わずに言い回しを変えれば良いのではないですか?』
アリサの提案に乗ったのだと、アレクシスは答えた。
「……では、アリサ様とは……」
「ただの友人、兼、エリザヴェータを愛でたい会の同志、だな」
「……っ!?えと、その、わたくしのことは……」
「好きだ。愛している。もう、この上ないくらいに」
「っっっ!?そ、そういえば、試練って……」
「もちろん、合格だ。証人もいる。これで、やっと君を妃にできる」
心の中の、ドロドロしたものが、全部綺麗に流されていく。
目の前のこの人を、愛し、愛されることを許された。
それがたまらなく嬉しくて。
エリザヴェータは、今度は嬉しさで大粒の涙を流した。
「はぁ私ってば、いい仕事したわね!しかもリザたんの嬉し泣きなんて、ゲームにはないバージョンも拝めたし、満足満足♪」
折角だから、パーティーに参加していって下さいと、エリザヴェータからの招待を受け、アリサはパーティー料理をひとり堪能していた。
ちらりと会場の中央を見れば、そこには顔を綻ばせて見つめ合いながらダンスを踊る、アレクシスとエリザヴェータがいた。
「ほんとに、おめでとう。リザたん、アレク」
ゲームの中ではなく、現実に存在している友人たちの幸せそうな表情に、アリサは向日葵のような晴れやかな笑顔を贈った。