拝啓、バスタブの中より。
寒風吹きすさぶ駅のホームで、私は1人立っていた。時刻は20時少し前。濃紺の夜空に満月が良く映える3月の夜。
最寄り駅から、近くの工場から流れてくる出稼ぎ労働者たちの波に乗って、1駅先で電車を乗り換える。小さな住宅街、真っ暗な田園地帯、そしてまた住宅街を越えると、申し訳ばかりの商業ビルと居酒屋で乱雑とした地方都市に出る。この吹けば飛ぶ様なネオン街が、私の夜の世界の入り口だった。
人生初の体入(=体験入店)は、大通りから一本入った、寂れた飲み屋街のガールズバーだった。身分証明に持ってきたパスポートも確認しないような、いま考えればずさんな店。韓国アイドルのDVDを何度もリピートさせる店内。午前3時の閉店までに16杯を呑んだ私は、1万と少しばかりの歩合給を貰うとほろ酔いのまま夜明けの街に出た。
いつの間に降っていたのか、雨に濡れた裏通りのアスファルトを、信号のやけに鮮やかな赤色が照らしていた。向かいのソープランドからは、もう朝だというのに下世話な声が聞こえてくる。
酔っ払いサラリーマンのナンパを無視して、イヤホンを耳に突っ込むと、大通りに向かって歩き出す。イヤホンの向こうで、さっき店内でスマホに入れたばかりの曲がかかっていた。永遠なんてあるわけない、なんて反骨精神剥き出しの曲。今の私にはピッタリだ、と思うと少し笑いが出た。
そう、夜職をするきっかけなんて、この1ヶ月前までは無かった。派手なファッションが好きだった私は、雑誌を見てキャバ嬢風の格好をしたり、冗談でキャバやる!なんて言ったりはしていたけど。
きっと普通に大学生になるんだろうな、なんて思っていた。何より、愛する彼氏がいた。
でも、嘘だった。言動を調べる度に嘘が見つかる、ただの見栄っ張りで虚言癖の構ってちゃん。それが私の元彼だった。
気づいた途端、吐き気がした。何より、それに気付かないまま高校生活の半分を奴と過ごした自分が馬鹿らしくなった。
地元を出る前、誰にも内緒で行った体入は、単にお金が欲しかっただけじゃない。ひとりでも頑張れる度胸をつけるためだったんだ。
始発に揺られて家に着くと、私の早すぎる帰宅に父親が驚いていた。この日、私は友達、ジュリの家に泊まりに行っている設定だったのだ。
「ジュリ、今日教習所だから。早く帰ってきた」と父親に笑いながら言って、風呂に入った。もう、窓の磨り硝子からは朝日が降り注いでいる。微温い湯に鼻まで浸かると、もう昨夜からの事が嘘のようだった。アルコールを入れすぎた胃の違和感だけが、現実味を帯びてぬるま湯の中で浮かんでいる。
両親に、ごめん、と心の中でちょっと思った。