一 夜間訓練
一 夜間訓練
昭和三十一年六月五日、兵庫県小野市にある『青野ヶ原演習場』にて『幹部候補生の鬼頭勝』は、後期訓練課程に入り『深夜における地図判読』訓練に参加、二十一時、教官から候補生達に夜間訓練の趣旨説明がなされた。概要は、現地点演習場の北端より南に進み、約4km先の『青野ケ原病院』西側、公道出入り口付近、松林の中にある『千代の墓』を経て、青野ヶ原外周一般道路を使用、走行距離約12km前後の行程で参加者総勢八十名、基幹要員を除く七十二名を八ヶ分隊に分け、各分隊各々、五分間隔で現地を出発、私し『鬼頭』も最後の分隊員八名と共に、午後九時四十分現地を出発したが、空は水無月と言う言葉どおり『漆黒の闇夜』演習場南端にある『青野ヶ原病院』の明かり以外何も見えない状況だった。
隊員の装備は、第二種軍装で小銃携行、背嚢及び水筒ヘルメットを装着、重さ約3kg、各自8m前後の横隊間隔で目標の『千代の墓』に向かっていた。
『教育隊長以下基幹要員』は、最後の分隊員の出発を見届けた後、数台のジープに分乗して第二目標地点に向け現地を出発した。
私は横隊体形、最左翼に位置し、4km先の『千代の墓』迄に設けられた数ヶ所のチエックポイントを地図上で確認、出発して2km余り進んで?ある地点に来た時、突然病院の外灯が眩く目に入り、幻惑の状態となったが直に慣ると思いその儘進んでいると不意に足元がすくわれ、宙に浮いたと同時に冷たい井戸に落ち込み、もがき苦しむパニック状態…この動きで井戸底に沈殿していた堆積物が水中に舞い上がり井戸の中は異臭漂う状態、水面に顔を出し大声で「助けて呉れ!」と幾度も叫ぶも?他の分隊員に声は届かず孤独と不安が襲ってきた。
演習場内に点在する『井戸』の話は聞いていたが…まさかこの井戸に私が落ち込むとは…苦しい時間の経過と共に、不安が募るものの『水深は幾らか?』170cmの私の身長でも足は池底に届かず、深さは2m以上?懐中電灯闇は水没して使えず。井戸の周囲壁面を手で触れてみると土は柔らかい粘土の層、壁面は全てオーバーハングの状態、井戸の開口部は萱草で覆われ昼間見ても井戸の存在に気付かない状態だろうと思われた。
とにかく今は装備を解き、身体を軽くする事に集中、幾度となく水底に潜り靴と、被服を脱ぐ事に努め…この作業中、前回昇任試験の時『試験担当官』が出した『口答試験の解答』が閃き対応する事にした。
「問題!君達が『分隊長』で分隊員の指揮をとり、川向こうの敵情を探れと『斥候任務』を受けた。
その川幅は50m、水深2m、如何にして敵に察知されず渡河するか応えよ」
受験者は総員70名、5名単位の『団体面接』で受験者の解答は、
『被服を膨らませ浮輪にする』
『流木を使い、筏を作る』
『石を抱え、川底を歩く』
『夜陰にまぎれ行動する』
『流木の下に潜り渡河する』
この様にさまざまな解答が出たが、全て『試験官』の意図するところでなく、痺れをきらした試験官は、カービン銃の銃身の長さは幾らか?」と聞かれたので、受験者の一人が「38cmです」と答えると『試験官』は、遊底(小銃の部品の名称)を開放し銃口を口にすれば、2m位の水深ならシュノケールとして使えるだろうこれが答だ!」
私はこの言葉を思い出し『遊底』を開き銃口を口に当て不安定ながらも呼吸を確保、次の考えを試みた。先ず呼吸の確保である。それには、水面に顔を出すに足りるだけの足場作りだが、方法は『背嚢とズボンを利用』背嚢から偽装網及び下着類を取り出し土を入れる、ズボンも裾を縛って土を入れ土嚢を作る。この二点が浮かび『円匙』(小型スコップ)で壁面の土を削り取り土嚢作りに没頭、三十分程悪戦苦闘した結果土嚢が完成したので、これを積み重ねる事で足元が安定、この土嚢の上に立ち上がり水面上に顔が出せる状態となり気分的に落ち着き脱出方法について考えた。
即思い付いたのは、井戸内部に伸びている草木の根ッ子の利用?と考えたものの、真っ暗な井戸の中、それらしき場所を銃剣でつつき調べたが全て頼れる物も無く…考えた末、下記の案が浮かんできた。
一 『円匙』を使い井戸壁を斜上に堀進み、出口を作る。
二 『偽装網』をロープ状にして両端を固定、この上に立ち上がり這出る。
三 『壁面』数か所に足場の穴を掘り、これを利用して出る。
四 『偽装網』の端に重りを付け、外に放り投げ樹木にからめ出る。
この作業工程で確実性が高いと考えられるのは『二案』と思い下記方法で着手した。
『偽装網』を折畳み束めて約2m前後の仮ロープを作る。
不足部分はバンド及び小銃のベルトを使う、これを壁面に固定した杭に結び付け水面上に延長、この上に立つ事で脱出可能と思い、ロープの両端を固定する支柱が必要…井戸底に可様な物体があるのか?足の指先で探ると、幾本もの硬い棒状の物が触れてきたので、直ちに円匙を鍵型にして掬いあげて見ると、重さ太さから『動物の骨?又は人骨??』等の恐怖に併せ、潜る度に聞えてくる『異様な音声』に驚き、精神的に滅入りつつ状態だったが…今は我が身の安全確保が優先、この不気味な事柄について、深く考える余裕も無く作業に没頭した。
この時、頭に閃いたのは、高校の授業で習ったアルキメデスの法則…水面下に身を沈める事で、支柱に掛る重量負担の軽減を思い出す程…心は落着きを取り戻していた。
井戸の中は蚊の大群と多くの蛙が棲み付き、作業を止めると、俄かに蛙の合唱が始まり…私の行動を嘲笑うように煩く聞こえ…又露出している顔面と腕は、蚊に刺され苦しい作業が続く中、井戸底に潜る度に聞こえる声に?心が動いたのもこの頃であった?
「いったい何の声だろう?ここには人も動物も居ないのに?」それは途切れる事なく続き、又は小さくボソボソと呟く様に聞こえ…話の内容は意味不明?明らかに人間の会話だろうと思い安堵したものの、この場所を考えると断じて人間ではないと否定もしたが?…怖さ見たさも手伝い、小銃を水中に沈め銃口を利用して会話が出来るだろうと思い試みると、数人の話声が?聞こえてきた。
「人が落・込んだ・?」
「そのよ・だあわて・いる」
「さき・・いろ・・とが・・いた・だ・・おち・の・」
「ど・やら新人・きた・・うだ…」
「兵の・・だな…」
「そう何・慌て・いるら・い?」
一部言葉が抜けて聞き取りにくいが?銃の『遊底』を開放して水中に沈め、水面上に出ている銃口に耳を当て聞くと明らかに自分の事を云っている様子?瞬時悪寒が走ると共に、不安が益々つのり「こんな事があるのか?井戸底から人の声??…これが事実なら此処は墓場か?…」今度は今迄と違った新たな恐怖が襲ってきた。
子供のころお祖父さん達から、お化けや幽霊の話を聞かされ、この世にそんな怖い所があるのか?怖い人もいるのか?幼心で悩み、夜になるとそれらの話を思いだし、トイレに行くのも怖く恐ろしい日々を経験したが、今の私には『心霊現象、心霊写真、お化け屋敷等』それに青森県恐れ山の『イタコ』の話とか?霊能者が故人を降霊させ会話する現実的要素を含めた話を聞かされても全て想像の世界と思っていたが…?然し今、井戸底で死人?の会話を聞く異常現象を体験している事自体が不思議で、正に別人のよう…この不気味な環境の中でも、自分なりに心を落ち着つかせ冷静な判断と、行動をしている積りの己を、自から疑い恐怖と不安で理性を失う程だった。
この恐怖の中、今は事実確認に心が動き、銃を水中に沈め銃口に口を当「其処に誰か居ますか!?」…と尋ねると、瞬時会話が途絶え静寂の空間…霊気漂う不気味な井戸は、蚊の羽音のみ聞えていた。