自分
テントの外に出ると、やけに太陽光が眩しく感じられた。私は目を細め、虹彩が順応するのを待った。ようやく光に慣れた所で周囲を見渡すと、そこには眩しい程の草原が広がっていた。
陽の光を浴びてキラキラと輝くそれらは、暖かな風に揺れている。遠くに見える稜線には微かに雪が残っていた。
まさに大自然のド真ん中。マイナスイオンが視認できそうな勢いだ。
私のテントの真後ろに30メートル程度の飛行船らしき物体があった。らしき、というのは、普通ならばガス袋の下に人間が搭乗するスペースがあるのだが、その飛行船には存在しなかった。それどころか、本来ならガスを充填しておく場所から階段が伸びている。
弾丸のようなその船体はクリムゾンレッドに彩られており、非常に目を惹く。
船体の側面には「楽団 レッドツェッペリン」と右書きの日本語で書いてある。恐らく、赤い飛行船という事でレッドツェッペリンなのだろう。ちょっと惜しいな。RではなくLだったら某有名バンドと同じだったのに。
というか言語の問題は調整されると言っていたが、思いっきり日本語だ。それどころか、英語も存在する可能性が高い。
「あっ! 目覚めたんですね!」
眩しそうに目を細める私に駆け寄って来た一人の青年が言った。物珍しそうな瞳で私を見つめる。その様子はまるで珍獣でも見ているかのようだ。甚だ失礼である。
「シュナイダーか。船の修理は終わったか?」
シュナイダーと呼ばれた青年は、エンリケの問いに敬礼しながら答える。
どうやら、先ほどの飛行船らしき物体は本当に飛行船と見て間違いないだろう。いや、もしかしたら地中に潜るのかもしれん。だとしたらあの赤い物体は飛行船ではなく地中船と呼ぶべきだろう。ここは異世界なのだ。何があってもおかしくはない。犬が喋り出しても私は驚かんぞ。
「勿論です! 最終調整が残っていますが、明日には出発できるかと」
「流石だな。頼むぜ。それと、コイツの能力テストをしたいから魔塊持って来てくれ。サイズは……そうだな……削りカスでいい。そこらへんに転がってるだろ」
魔塊……また一つファンタジックな単語が飛び出してきたぞ。
「そんな小さいの、魔塊の効力って残ってるんですか?」
「いいんだよ。じゃないと大惨事になりかねん」
「なるほど。さすが姫が召喚された方ですね。少々お待ちを」
シュタイナーはそう言って駆け足で飛行船の方へと向かって行った。
「姫って誰だ?」
「私の事だよ。歌姫ってことね。私達は旅の楽団だから」
「そういえば船の横に書いてあったな。思いっきり日本語で、しかも何故か右書き」
「読めたの? じゃあエンマ君って地球の日本出身?」
「その通りだ。知っているのか?」
「当然。ちなみに世界共通語は日本語だよ。100年前、ある人がそう決めたんだってさ。その人は今でもこの国を実効支配してる人なんだけど、隻眼の悪魔って呼ばれてる。誰も逆らえないからね」
「100年って長生きな悪魔だな。いや、悪魔だから長生きなのか?」
「長生きなのは確かだけど、隻眼の悪魔って俗称だから本当に悪魔なわけじゃないよ。実は転生者で日本人だったらしいしね。なんでも、地球の軍人らしくて、緑色で斑模様の服を着て、複雑な造りの銃と小型のナイフと光るガラスの板を持ってたんだって。その板は通信装置なんだけど、写真を撮ったり音楽を鳴らしたり、何でもできる魔法の板だったって……」
写真が撮れて音楽も鳴らせる、ガラスが使われた板状の通信装置……?
「は? それはスマホではないか」
「スマ……?」
「基本的には遠くの人と会話する為の道具だが、文章も送れる。それ以外にも写真を撮ったり音楽を流したり。あと、お金も払えるしゲームもできるし、分からなかったらグーグル先生に聞けるし、そして中にはsiriさんが居る。ジョークも喋るぞ」
「ちょっと良く分からない……。でもそんな夢みたいなものが地球にはあったんだねぇ」
ちょっと待て。そんな現代技術の結晶が、100年前……?
「じ、時系列がおかしい。スマートフォンが登場したのは……10年くらい前だ。と言う事は隻眼の悪魔とやらは軍人ではなく自衛官であり、緑色の斑模様とは迷彩柄の事だ。つまり陸上自衛官。全てがおかしい。いや、しかし待て。転生するときには私のように姿が変わるものなのではないか? だとしたら色々な物を持っている事もおかしい」
そんな私の独り言を聞いていたエンリケが答えた。
「ここと地球とでは時間の流れがかなり違うらしい。ちなみに昔の転生は今と違ってそのまま引っ張ってくるからそうなるんだ。エリカ、隻眼の悪魔について習った事を言ってみろ」
「えーっと、名前がソーイチロ・イズミでしょ? あと、確か、第10師団の後方支援連隊って伝わってるよね。意味わかんないけど、教会で覚えさせられた。隻眼の悪魔に関する授業で。仕事中の事故で片眼が見えないまま転生してきたんだったんだよね?」
私の額から、汗がどっと噴出した。その連隊……そして事故で片目が見えない人間なんて、私は一人しか知らない。しかし、その人物が100年前のこの世界に存在するはずが無いのだ。何故なら……。
「エンマ。お前の本当の名前は何だ」
エンリケは、私の方をちらりと見た。その目は全てを知っている目だった。
私は震える腕を無理矢理抑え込み、その続きを言った。
「……泉、総一郎」
私の本名だ。