7話:暗がりの中のお仕事
ツチクレとの戦闘の後、急に眠り込んでしまった緒川を横にしてやれそうな場所を探していると、岩壁から突き出た高台が見つかったので、土谷さんの的確な指示を受けて、トーチを刺し、テントを設営し、眠り続ける緒川を高台まで引き上げた。
眠り続ける緒川をテントの中に横たわらせてから、バーナーコンロで飯盒を炊き始めると、甘いご飯の香りが漂ってきて涎が口の中に広った。
「それにしても、凄い力ですね」
実際に目にしたってのに、まだあの力をリアルなものとして捉えられずにいた僕は、バーナーコンロから立ち昇る炎をぼんやりと見つめていた一柳さんに、緒川のことを聞いてみる。
「言ったろ。絶対的な女神様がいるって」
「干渉能力って言うんだってね。モノそのものに干渉して、変質、破壊することができる力。こういうのって見たのは初めて?」
ワンカップ酒を、ちびりちびりと飲みながら話に加わってくる井沼さん。
「そういう人がいるって話は聞いたことありますけど……」
「力を持った人の中でも、いさりちゃんは特別だねぇ。僕は能力がある子を何人か見たけど、大抵はスプーンを曲げたり、コップを割ったり程度ってのがほとんどだったよ」
間抜けな寝息を立てて眠る緒川。そんな力を持った、特別な存在にはとうてい見えない。
「まぁ、その力が大きすぎるせいか、干渉能力を派手に使ったあとはこんな風に眠りこけてしまうんだけどね。脳に負担がかかるんだって」
いつも教室で眠っていた緒川。馬鹿でかい椅子を片手で担いでいた緒川。全てが干渉能力という一つのキーワードで結びついていく。
「何度か、ツチクレの動きが止まったのも緒川の力ですか?」
ツチクレの動きが、不自然に何度か止まった。その隙を突いて土谷さんはあいつの両足を破壊したんだ。
「違う。あれは土谷さんのすげー技! あの人こそ、このチームのナイトさ」
「技?」
一柳さんが、高台の端でアサルトライフルを小脇に抱え、見張りをしている土谷さんを尊敬の眼差しで見つめて、「そう技。あの人は、すげーんだ」と力を込めて言う。
「ツチクレは私達の心臓の音を聞き分けて攻撃してくるって話は聞いたよね? あのさ、土谷さん、数秒だけ意識的に心臓を止めることができるんだよぉ」
と、井沼さん。
「心臓を止めるって……土谷さん、何者ですか」
「何年か前まで中東で傭兵っぽいことをしてたらしいよ。あんまりその時のことには触れて欲しくないみたいだから、詳しいことは聞いてないけどねぇ」
「みんな、凄いですね……」
溜息が出る。自分がこの穴の中にいることが場違いに感じられた。
「安心しろって。俺は凄くない、ちょっぴりコイツが好きなだけのただの大学生」
土谷さんから預かったショットガンを、優しく撫でる一柳さん。
「私もただの酔っ払いだよぉ」
そうは言うけど、ツチクレを見ても全く怯まず立ち向かって行けるこの人達は、やっぱりプロだと思う。僕は比べ物にならないくらい素人だ。
「ま、いさりちゃんがいるから、永継みたいな資金も装備も人材も豊富なとこと渡り合って、こうやって穴の仕事を取ってこれるってわけだよ。普通なら、子請け孫請けならあっても、直請けでうちみたいな小さな会社が取れる仕事じゃないんだ。封穴作業ってのは」
こぽこぽと飯盒から沸騰したお湯がこぼれてきたので、井沼さんは慎重にバーナーコンロの火を弱めながら話を続ける。
「だからさ。いさりちゃんが力を使って眠っちゃった時は、ちゃんと守ってあげないとね。それが私達に課せられた、最大のお仕事なんだからねぇ」
優しげな口調でそう言うと、井沼さんは、寝返った時にめくれてしまった緒川の毛布を掛け直してあげた。
「焼かれた椅子、逆流する煙突から立ち昇る硝煙……」
不気味な寝言を漏らしながら、涎を垂らして眠る緒川の間の抜けた顔。人間離れした力を持ってるなんて到底思えないけど、緒川は確かに圧倒的な力を持って、秋葉原で何人もの命を赤子の手を捻るように奪っていった、あのツチクレを制したんだ。
六時間ほど休養を取ってから、僕達は再び、穴の中を進み始めた。
十分に睡眠を取ったせいか緒川はいつになくハイテンションで、息も絶え絶えにトーチが詰まったザックを運ぶ僕に対して、ロココ調の椅子の罪と罰が云々かんぬんという今確実に必要のない話を語り続けていた。
「空間を支配できると考えた人間の傲慢。それをある地点に腰掛けさせたのが、まさに文明の集約点にある椅子だったのである。つまり十七世紀の突き抜けたバロック様式がぎりぎり人間性を保つために必要だったものが椅子だったということである」
語り口が何故か重厚だ。やめてくれと言う気力も起こらず、額に浮かんだ汗を拭う。
「はは。君、随分いさりちゃんに気に入られたね」
酒の匂いをぷんぷんと漂わせた井沼さんが、スキットルを呷る。
「気に入った相手に、この念仏みたいな独り言、言い続けますかね。嫌がらせですよ」
次の瞬間、右足を踏み出した先の岩肌がぐにゃりと柔らかくなる。前につんのめって転んでしまいそうになったところ、ギリギリ踏みとどまった。
「こんなことで無駄に力、使うなよ!」
抗議するが緒川は「証拠は?」といった挑発的なムカつく顔をして、構わずまた念仏を続ける。前に教室で新井場が鉛筆を超能力で折ったって騒いでたのも、きっと緒川がした悪戯だったんだろうなとこの時、確信した。
「着いたぞ」
土谷さんが急に立ち止まり、ぼそりと言う。
何があるのかと辺りの緩い坂道を見渡したところ、土谷さんの手前にあるトーチを最後に、先の明かりが途切れているのにまず気が付いた。そして、その途切れかけの明かりの際に、大量の褐色の液体が飛び散っている。秋葉原の事件で目にした独特の色のそれ。血痕だ。
「これって……」
「ここで仲間が、やられたんだ」
土谷さんが悲しげに言うと、井沼さんが神妙な顔で手を合わせた。
「一ヶ月前に入った人でね。借金があるからって、身体の調子も良くないのに無理をして参加してね。死んじゃったよぉ」
しばらく黙祷してから、井沼さんは、いつものからっとした笑顔を浮かべてこっちを見る。
「ま、明日は我が身だよねぇ」
「もうこんなミスはしない。何があっても君の身の安全は守る」
僕はどんな表情を浮かべていたんだろうか。落ち着かせるように土谷さんが肩を叩いて言った。
「だから君も、俺達の行く道を照らしてくれ」
真っ暗闇の彼方。ようやく僕の仕事がここから始まるんだ。みんなのように勇敢に戦う事はできないけれど、せめて与えられた職務はきっちり果たそう。そう思った。
僕は、土谷さんと並んで先頭を歩き、リュックからトーチを取り出し、一つ一つそれを地面や壁面に差し込みながら、暗がりの道を照らしていく。
棒状のトーチは、後部にあるボタンを押すとプシュとガスが抜けるような音がして先端から鋭いニードルが突き出て、目の前のものに突き刺さり発光する。手元にあると明かりが結構眩しいので、片方の腕で溢れる光を遮るようにして刺す方法を、この間のトンネルでの演習で覚えた。
少し進んでプシュ。プシュ。プシュ。地味な作業だけれど、この一日で、どれだけここで光というものが大事か身に染みて理解できたおかげで、退屈さなど感じずに作業に集中できた。
「気をつけろ、崖になってる」
土谷さんがヘッドライトで前方を指し示す。背を屈めねば進んでいけないような狭い道を抜けると、天井が見えないほどの大空洞になっていて、道は崖沿いにS字カーブを描いて下へ降りていくような形で続いていた。
僕は崖の縁がしっかり照らされるよう意識して、一つ一つトーチを岩壁に刺していく。
「おっ、考えてるねぇ。いいじゃない、いいじゃない」
と、井沼さんが相も変わらずスキットルを呷りながら言う。褒められたのは無性に嬉しかったのだけど、井沼さんが酔っ払ってふらふらと崖から落ちていかないかちょっと心配だ。
長い崖沿いの坂道を三回ほど折り曲がると、トーチの明かりに照らされて大空洞の地面が見えてくる。もう少し下れば、この坂は終わりそうだ。
タタタタタタタタタ、と乾いた音が大空洞に響き渡った。
「銃声!?」
すぐさま土谷さんが暗視ゴーグルを取り出し、音のした方に目を凝らす。
「永継の連中が交戦してる。相手は……」
大空洞の奥の方が、銃声と共にチカチカと光っているのだけれど、細かいところまではここからは見えない。
「蜘蛛型のツチクレ――アイツだ」
「なら、俺達でやっつけないと! 仇討ちってヤツっすよ!!」
一柳さんがギラギラとした目付きで言う。どう見たって好き勝手に銃を撃ちまくりたいだけだ。だけどその言葉を聞いた土谷さんは、真面目な顔で深く頷く。
「急ぐが、慎重に進むぞ」
「そうだねぇ。転落死じゃ保険もほとんど降りないし。せめて死ぬならツチクレに殺されないと」
十分ほど早足で進むと、大空洞の最下層にたどり着いた。地面からは幾つもの柱のような細い岩山が伸びていて、僕達はその間をぬって銃声のする方へと向かう。
「あいつは石ころを銃弾のように飛ばしてくる。康平君は、岩山の影に隠れていてくれ」
永継警備保障の人達が見えてくると、僕は土谷さんに言われるがまま大き目の岩の柱の陰に隠れてみんなの戦いを見守った。
「ヘルプ! ヘルプ!」
そこらから英語で、悲鳴じみた声が聞こえてくる。見れば足がなくなっている人、うずくまっている人と様々で、どうやら永継警備保障の人達は窮地に追い込まれているようだった。
「えらいザマだな、実篤!」
土谷さんが、彼らのリーダーが隠れている柱に駆け寄って響き渡る銃声に負けじと叫ぶ。
「これからですよ」
「悪いがあいつには俺達も一人やられてるんだ。仕留めさせてもらう」
「……勝手にすればいいでしょう」
井沼さんがあの筒状の銃で、周囲の柱にどんどんトーチを撃ちこんでいく。辺りがふわっと明るくなるのだけれど、僕がいる場所からは遠すぎてツチクレがまだ見えない。勇気を出してもう一つ近くの岩山へと駆けていく。ここで何も見ないでいたら、ここまで来た意味がほとんどないような気がしたからだ。
「今度はぶっ殺してやるぜェ!! イヤッハー!」
一柳さんが柱の影から、それに向けてアサルトライフルを乱射する。
全長4メートルほどのそれのゴツゴツとした無数の石の塊から伸びる、八本の足。足は蔦が絡みついた土でできていて、銃弾を受けてもそのまま吸収してしまう。
ブッ、と何かを吐き出すような音がすると同時に、一柳さんが隠れていた岩柱の根元が炸裂し、柱はそのまま倒れてしまう。
「やっべぇ!」
と、一柳さんは破壊された柱を離れて、すかさず別の柱の影へと駆け込む。
ツチクレの身体には深い穴が開いていて、そこから銃撃するみたいに石を発射し続けているので、みんななかなか近づくことができないでいた。永継の人の中には、大きな鋼鉄製の盾を持っている人もいたけど、発射された石を盾に受けたもののそのまま身体ごと吹っ飛ばされてしまった。
土谷さんが、盾もろとも吹っ飛ばされた男の近くに緒川と共に走りこんでいき、何か倒れた男に言うと鋼鉄製の盾を拝借し、緒川を守るように立った。
「一柳! 井沼さん! 後ろ足に種が露出している! 回りこむから、引き付けてくれ」
土谷さんの指示を受けて、一柳さんは「了解!」とアサルトライフルを再び撃ちまくる。
「ちょっと借りるよぉ」
井沼さんは、倒れた永継の人の傍に落ちていたレーザーライフルを拾って、柱の影からツチクレを撃つ。そのレーザーライフルは、実際に米軍が使っているPLS42とか言う銃で、銃口から放たれた白い熱線は、ざくりとツチクレの身体を削り取った。
「おぉ! うちの銃みたいな前世紀の骨董品と違って、凄い迫力だねぇ」
しかしツチクレは、そんな攻撃などお構いなしに盾を持って駆けていく土谷さんの方を向き、石を発射する――が、土谷さんは物凄い勢いで飛んでくる石を盾でいなし、後ろに流して防いだ。駆けていく土谷さんと緒川の後ろで、次々と石弾が炸裂する。
「すっげぇ!」
一柳さんが声をあげる。
そんな中、僕はといえば、二人にツチクレの攻撃が集中してる隙に、柱から柱へと渡っていき、ツチクレの後ろ側へと回っていた。
ツチクレの後ろ足が見える場所までくると、削り取られた脚部の土から、白い針金のようなものに包まれた宝石が露出しているのが見えた。あれが『種』か。前に動体鉱物科学研究所で見せてもらった映像とほぼ同じ形をしている。
「潰します」
ツチクレの銃撃が届かぬ真裏に回り込んだところで緒川が、人差し指と小指を立てた拳を合わせる。また昨日みたいに一撃で決めるのか――そう思った矢先、ちょうどツチクレの尻に当たる部分に、いきなり穴が開いた。
「クソッ!」
ケツの穴から緒川に向けて放たれた石弾を、土谷さんは盾で防ぐが体勢が悪かったせいでそのまま倒れ込んでしまう。緒川を守る人はもういない。
僕は、咄嗟に助けに行こうとしたのだけれど、足が震えて動けなかった。
もう一度、石が放たれた。
緒川が、掲げた拳を上に振り上げる。猛スピードで緒川目掛けて飛んできた石の軌道が直角に折れ曲がり、石は、そのまま遥か漆黒の天井へと吸い込まれていく。
永継の人も、僕らも、皆がその奇跡ともいえる力の在りようをただ呆然と見つめていた。緒川は振り上げた拳をもう一度振り下ろす。種が一点に圧縮されるように潰れ、それと同時にツチクレの身体は呆気なく崩れ去り、消えた。
それからボロボロになった永継の人達は、穴の上へと撤退していった。最後まで実篤というリーダーの人が怪我人を切り捨てて前進を、と提案していたようだったけれど、その指示に従おうとする人はいなかった。
「給料分の仕事をしない肉の塊が」
撤退を懇願する外国人に対してそんなことを日本語で呟いた後、実篤さんは、僕らをじっと見つめていた。表情のない、心の内側まで覗き込むようなその瞳の不気味さが、印象的だった。
「おお、これはいいお金になりそうだね!」
大空洞の柱の下、僕らは力を使って眠り込んだ緒川に毛布をかけて、その傍で輪になって座り込んでいた。井沼さんが緑色の宝石のようなものを手にして大声ではしゃぐ。
「その宝石、なんですか?」
戦闘中に無数に設置された周囲のトーチの明かりを受けて、その宝石は異様な輝きを放っていた。
「種の中に入ってる結晶でね。研究所に持っていくといい額で買い取ってくれるんだ。それでまぁ、その分け前で私らにも追加ボーナスが出るんだよ。いやぁ今月、ちょっとばかり取立てがきつくってねぇ。助かったよぉ」
井沼さんがニコニコと宝石を見つめながら、ワンカップ酒をちびりを飲む。
「うん。こんな危険な目にあってんだからさ、少しでもいいお金貰わないと」
「でも井沼さん、稼いでもすぐ飲んで使っちゃうんじゃないっすか?」
一柳さんがアサルトライフルの弾倉を取り替えながら言う。
「君だってどうせ、モデルガンか何かに使っちゃうんでしょ?」
「いやいや。今、自分貯金してるんすよ。それで冬辺りにはまた海外旅行に行こうかなって」
「あら、またアメリカ?」
「そう。オクラホマで銃の愛好家達が集まって週末、ぶっ放し続けるってすげぇイベントがあるんですよ。いや、この98式みたいな骨董品だって味はあるけど、現役バリバリで戦場で使われてるやつ、徹底的に撃ちまくりたいじゃないですか?」
「君ってどこで間違っちゃったんだろうねぇ。見た目だけなら良い男なのに」
それから緒川が起きるまで、今回の給料が手に入ったらどうするという夢溢れる会話を僕らは続けていた。僕がパソコンが欲しいというと、その手の話にも詳しい一柳さんが上に帰ったら秋葉原の安売り店を教えてくれると言ってくれた。色々危うい人だが、悪い人ではないんだ。
「行こう」
土谷さんの一声で、僕らは再び穴の中を進みだす。大空洞をしばらく進むと、階段状になっている下へ向かう道が見つかったので、ひたすらトーチを刺しながら降りていく。
「いて」
寝ぼけ眼で付いてきていた緒川が、突き出た石に躓いて僕の背後で転んでる。
「大丈夫? まだ寝たりないんじゃないの?」
緒川を助け起こして、声をかける。
「いい。多分、もう少しだから」
「えっ?」
「もう少しで、終末を逆走する世界は、観念的支柱である隠された実存の四脚を曝け出すから」
えっ? 心の中で、もう一度疑問符を浮かべたままフリーズしていると、井沼さんが赤ら顔で振り返って僕に説明してくれる。
「あはははっ! いさりちゃんはコアのある場所を、なんとなく感じることができるんだよぉ。なんでも他の物質が発する電磁波とは違うんだってぇ。あははっ! 今私も電波的なものを感じられる勢いだけどねぇ!」
緒川が起きるまでの間、ノンストップでワンカップ酒を飲んでいたせいか完全に酔っ払っていた。笑い続けている。井沼さんの笑い声が響く穴の中、階段を登ったり降りたり、いくつもの分かれ道を行ったり来たりを繰り返していると、明らかに今までの穴の道とは違う空間が目の前に現れた。
その空間の岩肌は全て、あの種を包み込んでいたような白い針金に覆い尽くされていた。半径5メートルほどの白い空間の中央には、針金が束となり形作られてテーブルがあって、その上にはコアと呼ばれる骨のような物質が無数に突き刺さった赤い光の球が置かれている。
「ふぅ、到着!」
上機嫌で井沼さんが祝杯を挙げている横で、土谷さんがステンレス製のボトルをザックから取り出し、蓋を取る。
「それって海水ですか?」
「ああ」
土谷さんは、慣れた手つきで禍々しく煌く赤いコアに満遍なく海水をかける。するとすぐにコアは光を失い、部屋を覆っていた白い針金は緩やかに解けながら消えていった。中央に色を失ったコアの球だけが残されていて、土谷さんは手早くそれをジュラルミンケースに収める。
「これで終わりだ」
あまりの呆気なさに戸惑いながらも、徐々に一仕事成し遂げたという高揚感が沸き起こってくる。なんていうか、こんな風に何かを最後まできちんとやり終えたことって人生で初めてかもしれない。
「帰り道って行きよりだるく感じるよねぇ」
井沼さんが溜息混じりに呟く。
振り返ると、そこには険しい坂道。トーチが詰まったザックを背負い続けた身体は、既に「もう無理だ!」と悲鳴をあげている。
行きがあれば帰りがある。仕事ってのは一山終わった後もまた大変なものなんだな、と心の底から思いながら重くなった足を再び動かして、地上へ向けて坂道を登っていった。