3話:何者にもなれない僕らの夏休み
期末試験もこれで最後だ。
まぁ、いつものように僕は平均よりちょっと下くらいの成績で終わるんだろう、と期待も絶望もせずに、最後の数学のテストを前の席の奴に渡す。
緒川にこの間のことを聞こうとは思ったのだけど、ただでさえ苦手な女子に、あんなことを聞くなんてハードルがちょっと高すぎる。「血まみれで穴から出てきたよね、緒川さん」って、そんなの聞けない。
「こら、緒川。答案用紙を渡せ」
緒川は、今日も今日とて試験だというのに居眠りを続けていて、先生に怒られていた。なかなか起きない緒川の下から、無理矢理、答案用紙を先生がひったくる。
若干人付き合いが苦手な僕と違い、クラスメイトとも円滑なコミュニケーションを取れている新井場にでも聞いてみようとも思ったけど、十中八九「お前、緒川のこと好きなの?」等と、鬱陶しい話を振ってくる気がして止めた。
「うおっ! すげぇ!」
試験が終わり夏休みを目前に控え、開放感に満ちた教室に新井場の声が響き渡る。
「なにやってんの?」
見に行くと新井場は折れた鉛筆を握りしめて、興奮した面持ちで「すげぇすげぇ」と喚いている。
「おっ、康平。いやな、昨日テレビで超能力やってたろ」
「ごめん。うちテレビない」
「あ、そうか。あのな、超能力を自分で開発する方法ってのをやってたんだ」
超能力。確か正式な名前では干渉能力と呼ばれるその存在が、確かにこの世界にあると正式に日本で認められたのは今世紀になってかららしい。前世紀まではなんていうか、いかがわしい宗教とかオカルト、そういう類のものとして扱われていたという。
「それでな、実際に試してたわけよ、さっき。そしたらこれよ」
新井場は、自慢げに折れた鉛筆を差し出す。
「手で折ったんだろ? 試験のストレスを鉛筆にぶつけんなよ。もったいない」
「おいおい勘弁してくれよ。この新井場を疑うってのかよ」
新井場は頭を抱えて、大げさに天を仰いだ。
もしかしたらと思って、僕だってスプーン曲げに挑戦したことはある。この世界には、数少ないけどそういう能力を持った人々がいるんだ。自分も気が付いていないだけで、そんな才能があるんじゃないかなんて思ってさ。だけど結局、スプーンは曲がらなかった。
「ちょっと待ってろ! 見せてやるよ」
新井場は筆箱から鉛筆を取り出し、ジッと睨みつける。ハイテンションな新井場の話し振りを聞きつけて、数人のクラスメイトが周りに集まってきていた。
「超能力?」
野球部の田辺が僕にいきさつを聞いてきたから、「鉛筆、折るんだって?」と呆れ気味に教えた。その間も新井場は鉛筆を凝視し続けていた。
「折れろォ!!」
新井場の声が教室に響き渡る。
しかし、鉛筆は折れない。そんなものだ。僕達は、何の力も持っていない凡人だって事実を、受け入れて生きていかなきゃならないんだ。
周りの連中が「馬鹿だ馬鹿」などと言って、離れていった。
「気にすんなよ」
僕はうなだれる新井場の肩に手を置く。僕たちは超能力者にはなれないけど、きっと何か一つくらいは役に立つ能力があるはずさ。何ができるかは、さっぱり今の僕にはわからないけど。
コンビニにファーストフードの店員。プールの監視者にビルの清掃員。夏休みまでにはバイトを見つけたいといくつか面接を受けてみたのだけれど、あっけなく全滅。この世の中そのものに、あなたは必要のない人間ですよって言われてるみたいで、かなり脆い僕のメンタルは、立っているのもやっとってくらいボロボロになっていた。
砂埃舞う校庭に降り注ぐ強烈な太陽の光を受けて、ふらふらとした足取りで体育館に向かう。
「今日帰り、岩田屋行こうぜ」
後ろからやってきた新井場が、いつもと同じ調子でゲームセンターに誘ってくる。ゲームをしてるだけでお金が貰えるような仕事でもあれば、僕だってそれなりに役に立つのに。
「今日はパス。バイト探す」
「まだ見つからないのか」
新井場が同情の眼差しをむける。「同情するなら、お前のパソコンくれよ」と言おうと思ったけど、惨めだからやめておく。
「今日こそ見つける。なんだってやってやる」
とは言っても、当てなんて何もない。
「そういや、駅前のビルにバイト募集の紙貼ってあったぜ。これ」
新井場が取り出した携帯電話の画面に、薄汚れたビルの外壁に貼られた『アルバイト募集』と書かれた紙が写し出される。拘束期間は『一週間くらい』で、バイト代は『十万円以上』と、汚い字で書かれている。仕事の詳細は書かれていなくて、ただ『条件:二十歳以上』とだけ記されていた。
「年齢ダメじゃん。それに怪しすぎる」
「だよな。ケツ掘られたりして」
前言撤回。なんだってやってやるとは言ったものの、女の手も握った事もないうちに『はじめて』をそんな形で失うなんて絶対に嫌だ。
「でも十万だぜ十万。思わず写真撮っちった。送っとく」
言うと新井場は携帯をいじって、その画像ファイルを僕の携帯に送信する。
体育館に入ると、じめっとした熱気が体中にまとわりついてきた。体育館にもクーラーはあるにはあるのだけれど、省エネのために今はほとんど使われていない。人類が22世紀まで生き延びるための切実なエコロジーとかいうやつの前では、僕たち小市民の苦しみなんて考慮されない。
「まじかぁ、夏休み前に殺す気かよ」
うんざりとした顔で、新井場はシャツの袖口をパタパタと扇いだ。
白神中央高校の全生徒、百数十人が集まり、拷問のような終業式が始まる。先生方のどうでもいい話を玉のような汗を浮かべて聞いていると、立ったまま寝ている緒川の姿が目に留まった。器用な奴だな。僕にもその技を教えて欲しい。
「……慎ましい生活には、健全な魂が宿るといいます。千年後の未来を守る為に、みなさんもよりいっそうの常識ある行動を心がけましょう……」
節制節約節電と、何度も繰り返し聞いたお決まりの校長先生の話が、延々と続いていた。
「あ、セミ!」
開け放たれた入り口から、激しい羽音をたてながらミンミン蝉が入ってきて、校歌が書かれた紫色の布切れにしがみついた。そのまま蝉は盛大に鳴きはじめて、校長先生の声を完全にかき消してしまう。
先生達が長い棒を持ってきて、てんやわんやで蝉を追い払おうとしている。疲れきっていた僕らだったけど、そんなちょっぴり愉快な光景を見て生気を取り戻し、声をあげて笑った。
立ちながら眠っていた緒川も、さすがにこの騒ぎで目を覚ましたようで、顔を上げて飛び回る蝉を凝視している。
「いい仕事するな、あいつ」
新井場がけたけたと笑いながら、蝉をリスペクトする。
「だな」
なにはともあれ一学期は終わり、僕達の夏休みが始まる。そんな僕達を祝福するかのようにミンミン蝉は僕達の頭上で高らかに鳴き続けた。
年代物の家具が置かれた古びた喫茶店。窓の外から差し込む光が、良い感じで薄暗い店内を照らしていて雰囲気があって、働くとしたらなかなか良い環境のように思えた。無人の店内で、この店の店長であるエプロンを着たおじさんと向かい合い、僕は窓際のテーブルに腰掛けていた。
「高校生かぁ。部活とかやってないの?」
「あっ、はい」
「君ね、いまのうちだよ、みんなで好きなこと打ち込めるのなんて」
「えっと……学校でやりたいこと、あんまりなくて」
「もったいないねぇ」
店長は溜息をついて、やれやれ若い人は、といったような態度を取る。僕のやりたいことが学校にないだけで、やりたいことがないわけじゃないんだ。大体、面接でなんでそんなことを聞かれなくちゃいけないんだ、って話だ。僕は思わずムッとしてしまう。
「なんでうちでアルバイトしようと思ったの?」
「えっ……と」
思わず僕は口ごもる。
「買いたいものがあって、お金を貯めたいんです」
「買いたいもの?」
「あの……パソコンを、欲しくて」
「ふぅん。この無駄な消費は、地球資源を削り取る罪ってご時世に、贅沢な話だねぇ」
「はぁ……」
批判されてるのだろうか? 僕だってただ何も考えずパソコンを欲しがってるわけじゃないんだ。だけど、そんな想いを説明するのが面倒臭くなってきてそのまま口を噤む。
「……そうだなぁ。コーヒーは好き?」
「えっと……」
好きではないけれど、なんとなくそう言ってはならないと思い黙り込んでしまう。
いまいち話が噛み合わないまま、喫茶店の面接は終わった。結果は後日、連絡すると言っていたけどきっとダメだろう。
うな垂れて商店街を歩いていた僕は、仕方がないので岩田屋にでも行くかと思い顔を上げる。すると商店街の片隅にある古ぼけたお店の前で、ぼーっと立ち尽くす緒川が視界に入ってきた。
「……」
僕は、さっと電柱の影に隠れて、緒川の動向を探ることにした。ストーカーまがいの探偵ごっこで、面接で傷ついた心を癒そうという算段だ。店はどうやらアンティークショップのようで、緒川は店頭にある何かをじっと見つめていた。ここからだと、何を見ているのかはよく見えない。
緒川はしばらく店先でうろうろとしてから、意を決した様子で店内に入っていった。五分くらいすると、彼女は大きな椅子を担いで出てくる。骨董品と思われるその木製の椅子には、高級感醸し出す立派な革張りのシートが張ってあって、中世の貴族が使うような厳かさがあった。
椅子も凄いがなによりもその馬鹿でかい椅子を、軽々と片手で持ち上げて歩いていく緒川の、その細身の身体からは想像もできない腕力に驚いた。僕はふらふらと緒川の後を追っていく。
「偽りつわりの母胎転生、革命前夜の滅法殺。殺されたのは本物の椅子!本物の椅子~」
不気味な歌を歌いながら椅子を背負って通り過ぎる緒川を、道行く人々が見やっていた。
「ねぇ、大丈夫? 重そうだし、手伝ってあげようか」
緒川が信号待ちをしている隙を狙って、茶髪のホスト風の顔をした兄ちゃんが、緒川に声をかけた。
「君、可愛いねぇ。名前、なんていうの? この辺に住んでるの?」
明らかに迷惑がっている緒川を助けてやりたいとも思ったが、出て行ける状況でもないので、お前は迷惑だ、帰れ! と念を送る。信号が青になり茶髪の兄ちゃんは緒川を追っていくが、何かに躓いたのか派手に転んでしまった。僕の念が届いたのかもしれない。
緒川は、そのまま駅前の繁華街の片隅にある、四階建てのビルの中に入っていく。
ビルの一階には『しょんべん』という名の立ち飲み屋があって、昼間だってのに既に赤ら顔のおっさん達がたむろして、喉を潤していた。
そして立ち飲み屋の横にあるビルの入り口には、大きな張り紙がしてあった。『アルバイト募集』と描かれたそれは、新井場が見せてくれた画像と全く同じもの――いや、よく見ると給料の欄にガムテープが貼られていて、その上に『十五万円』と値上げした額が書かれていた。あんなに高額な給料でも人が集まらなかったのだ。
「お兄ちゃん! 興味あるのかい!?」
突然、野太い声が後ろから響いてくる。
振り返るとそこには、グラサンをかけた浅黒い肌のおっさんがいて、目が合った途端いきなり僕の肩をがっしりと掴んできた。
「いやぁ、そんなに難しい仕事じゃないんだよ。まぁ、とりあえず中で話でもしようじゃない」
「いやっ! そうじゃ……」
問答無用でぐいぐいと奥へ引っ張っていかれる。新井場が言っていた「だよな。ケツ掘られたりして」という言葉を思い出し、必死に抵抗を試みるのだが、おっさんの力は思いの外強く「まぁまぁ」等と窘められて二階の事務所へと引っ張り込まれてしまった。
犯される。僕はこのまま、すっぽりと犯されてしまうのだ。通された大部屋は雑然としていて、部屋の隅の棚には登山道具のようなものが山積みにされていた。壮絶にマニアックなプレイが、それらを使って行われるのかと想像するだけで身震いする。いや、勿論、恐怖を感じる、って意味で。
「座って座って」
部屋には大きなテーブルと、いくつかのパイプ椅子が置かれていて、僕はそのひとつに座らされる。目の前にあるホワイトボードには、無数のメモや領収書が雑然と貼られていて、その下に汚い字でゴチャゴチャとメモの説明なんかが書かれていた。
おっさんは、どうやら足が悪いようで右足を引きずりながら台所へ行く。
「まぁまぁお茶でも飲んで」
おっさんは、お茶が入った紙コップをテーブルに置くと、「よろしく」と言って取り出した名刺をぐいっと握らせる。名刺には『緒川封穴(株) 社長 緒川雄山』と書かれていた。
「あの……すいません。これって、どんな仕事、なんですか?」
「いやね! 危ないことはないんだよ! 君の安全は絶対に保証するから!」
にこやかな笑顔を浮かべ、身体を乗り出し、大げさな身振り手振りを交えて話すおっさん。いかがわしさ100%、脳が全身に「早く帰れ!」と信号を送っている。
「この十年、穴がぽこぽこそこら中に開いて問題になってるよね?」
「……はい」
「単純に言えば、それを塞ぐだけの簡単なお仕事! しかも難しいことは社員がやってくれるから、アルバイトの君は、後ろから荷物を持ってついてくだけ! それで週に十五万円。仕事ぶりによっては特別手当も出るから。いや、出すから、特別手当!」
田んぼの中に開いた、深い穴。その横で、強い夏の日差しを浴びた血塗れの緒川。そして、ごろりとした何かが入った袋。
「それって……」
おずおずと口を開きかけたその時だった。緒川が何食わぬ顔で、あの大きな椅子を担いで部屋に入ってきて、どかんと僕の横に置く。
「おいおい、いさり。今は面接中だから……」
「……うん」
僕のことなど眼中にないようで、そのまま緒川は出て行った。
「えっとね、それで仕事の話なんだけど……」
結局僕は、そのまま社長の話を最後まで聞いて帰った。犯されるわけではないようだし、十五万円も貰えればパソコンを買う資金の大きな足しになる。さっきのやりとりで、緒川と親しい人だということも分かり、少し安心できたのもあったんだろう。
『康平君、やめたほうがいい』
丸っこい字でそう書かれた便箋が、いつの間にか僕のポケットに入っていたことに気付いたのは、家に帰ってからだった。きっと椅子を持って入ってきた時、緒川が僕のポケットに入れたんだ。
あの穴の中を知る、緒川からの警告。身が引き締まる思いがしたのと同時に、あの眠ること以外には何も興味が無いような緒川が、僕の名前を覚えていてくれたことがちょっとだけ嬉しかった。