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星の穴  作者: 鳥野彫像
16/17

16話:最後の戦い

 交代制の休憩時間。すっぱりと切り取ったような岩場に腰掛けて、静寂に耳を傾けツチクレの襲来に備えていると、片隅から緒川のいびきが聞こえてくる。

 電池を節約するために懐中電灯やヘッドライトの明かりは点けないでいたから、真っ暗な世界でそのいびきだけが緒川がすぐ傍にいるという証のように思えて、なんだか安心できた。

「こっちこっち」

 ジュージューと卵をフライパンで炒める朝を彷彿とさせる音と一緒に、父さんや母さんの声が闇の向こう側から聞こえてくる。そういえばサマーキャンプに行くって嘘ついてた期間もそろそろ終わりそうだ。戻ったら、また井沼さんに適当に誤魔化してもらわないとな。

 そんなとりとめのないことを考えて時間を潰していると、小さな重低音がぴりぴりと周囲の空間を振るわせた。

 驚きというより、ついに来てしまったという疲れきった思い。

「緒川、起きて。ツチクレが来た」

 と、鬱陶しい来客が我が家へ来たくらいのけだるげなテンションで声を掛けて、肩を揺らす。

「んあ……」

「まだ近くには来てないっぽいけど、すぐに来るよ」

 徐々に音が大きくなってくる。そいつが僕らを補足するのも時間の問題だ。まだ寝ぼけたままの緒川の肩を掴んで立たせて、ヘッドライトの電灯を点ける。

 懐中電灯をかざして、僕らが休んでいた直径二十メートル程の部屋を見渡す。横になるには比較的快適な平べったい地面の部屋なんだけど、どうにもツチクレと戦うには広すぎる。

「緒川ってツチクレを壊す時って、どれくらいちゃんと見ないといけないの?」

「今……5秒はかかる」

「5秒か……」

 ちっぽけな懐中電灯で照らせる範囲なんて限られているので、あの素早い動きで光の外へ逃げられてしまえば、緒川の干渉は途切れてしまう。手持ちの小さな明かりでは、どう見ても照らしきれないくらいの広さがあるこの広場で戦うのは、止めたほうがいいように思えた。

「それに一回。今は、それ以上は無理」

 無表情にそう言う緒川だったけど、その顔には疲労の陰りが見える。凄い能力を持ってたって、言ってみりゃただの文系の女の子なんだ。性格は、ちょっと異常だけど。水もろくに飲まずに歩き続けて、男の自分だって限界ぎりぎりだって時に普段どおりにできるはずがない。必ず一発で仕留められる形を作らなきゃいけない。

「上へ行こう。長いまっすぐの道なら、相手も光の外へ逃げられないし」

 緒川が「うん」と頷く。僕らも相手の突撃を避けられないってリスクはあるにせよ、どのみち緒川の攻撃が通用しなきゃ勝てない相手だ。

 背後の闇から逃れるように僕は、緒川の手を取って広場を抜けて坂道を駆け上がっていくけど、僕らの期待するようなまっすぐな道はなかなか現れず、道はぐんぐん左に曲がっていく。

 どこからか男の歌う、鼻歌が上から聞こえてくる。「上を向いて、歩こう……」というフレーズから始まる、古い歌謡曲だ。

 幻聴に付き合っている時間はないと無視して黒い岩肌に囲まれた道を走り続けていると、道はだんだんストレートに近くなってくる。

「この辺りなら行けそうかな」

 そんな言葉を口にして緒川を見やったのだけど、緒川は呆然と前方を指出して歩みを止めてしまう。

 ツチクレの鳴き声が、ちょうどすっと止まる。

 緒川の指差した先――トーチの灯火に照らされたそこには、鼻歌を歌って、岩壁に向かって立ちションをしている井沼さんがいた。相変わらずの赤ら顔。きっと今日も浴びるほど酒を飲んで、酔っ払っているんだろう。

 井沼さんは、ゆっくりとした動作でこちらに振り返ると、ためらうことなく懐からトーチボウを取り出して撃ってきた。咄嗟に緒川に覆いかぶさって地面に伏せさせると、頭のすぐ上をビュッと、尖端が鋭く尖ったトーチが通り過ぎていった。

「はぁー、生きてたんだ」

 井沼さんは、ゆっくりとこっちに近づいてきて、矢となるトーチをショルダーバックから取り出し筒に入れる。

「逃げるぞ!」

 僕は緒川の手を引いて、ツチクレに追われて走ってきた道を戻っていく。

「困るんだよぉ。せっかくこれで、穏やかな暮らしを手に入れられるはずだったのに」

 天井に井沼さんが放ったトーチが、次々と刺さっていっては、僕らの姿を光の下に暴き出す。僕らは、ツチクレから――闇から逃れようと必死になっていたさっきとは逆に、姿を隠す闇を求めてひたすらに走っていった。

「そう穏やかな暮らし。こんな窮屈で、恐ろしい穴の中へ潜らなくとも、毎日毎日朝から酒かっくらって、何も思い出さず、ただ緩やかに死んでいけるそんな穏やかな暮らし……」

 夢見るような調子で話す井沼さん声に、胸が掻き毟られる。僕らを襲った理由は定かじゃないけど、とにかく納得がいかない。裏切られたことが許せないとかそういう話じゃなくて、井沼さんの自分を貶めるような考え方が許せなかった。

「……まぁ、ラッキーだったよ。たまたま私が見張りをしてる時に、のこのこ顔を出してくれたんだから。これはアルコールの神様がくれた、最後のチャンスだね」

 結局、ツチクレの声を耳にした平べったい地面の広場まで戻ってきてしまった僕らは、部屋の隅に飛び出た岩の陰に身を隠して、明かりを消す。

「隠れたって無駄だよぉ」

 天井にトーチが突き刺さり、広場全体がおぼろげに照らされると、井沼さんに向かって突撃していく角突きのツチクレの姿が目に入った。

 井沼さんは、突然明るみになった状況をすぐに理解できていないみたいで、ワンカップ酒片手にツチクレをぼおっと見やる。

 鋭いツチクレの角が、井沼さんの胸を貫こうとしている。

「井沼さん、避けて!」

 岩陰から顔を出して声を張り上げる。けど酒を飲んでぼんやりとしてしまっている井沼さんは、「はぇ?」などと言って立ち尽くしてる。



 明かりが点いて、たった一秒の出来事。

 緒川は、五秒かかると言った。

 だけどその瞬間、僕が声をあげるのが精一杯だっただけの短い時間に、緒川は井沼さんに迫るツチクレに干渉し、繋いで、破壊したんだ。角突きのツチクレは砂と化し、突撃してきた勢いのまま井沼さんの足元に落ちていった。

 大きく目を見開き、合わせた両拳を突き出して僕の横に立っていた緒川の鼻から血が流れ出て、ばたっとその場に倒れる。そして激しい痙攣。あーという低い呻き声をあげながら震えて、しばらくして目を閉じて死んだみたいに動かなくなった。

「お……緒川?」

 僕は脈を取ったり、心臓の音を聞いたり思いつく限りの方法で緒川の命がまだ失われていない事を確認する。生きてる、多分。いつもみたいに眠っているだけだ。

「またいさりちゃんに命を助けられたか。一緒に穴に潜るようになって、もう何度助けられたか分からないねぇ。私みたいなダメな奴が、この仕事をして今もこうして生きていられるのは、何から何まで彼女のおかげだよ」

 そう言って、井沼さんはトーチボウの銃身を僕らのほうへ向ける。

「なら……なんで……」

 緒川の鼻から流れて線を作る一筋の血。多分、相当の無理をしたんだこいつは。井沼さんの命を救うために。

「なんでこんなことするんだ! 緒川は崖から突き落とされ後でも、ずっとあんたのこと心配してたんだぞ! 今だって、あんたのために無茶なことしてこうなったんだろ!?」

「ありがたいねぇ。だけど、心配してくれた人や思いやってくれた人をずっと裏切って生きてきたんだ。私はね。慣れっこさ。息子が病気で倒れた時だって酔っ払って道端でうずくまってた。そりゃ仕事も何もかも失っても、私と一緒に生きてくって言ってくれたアイツだって、呆れて去っていくよねぇ」

 自らの不幸を楽むように笑って、ワンカップ酒を体内に流し込む。

「飲むなよ! 真面目な話をしてるんだよ!」

「ははっ、懐かしいなそれ。見捨てられる前、アイツによく言われたよ」

 ザックの中から、もう一つワンカップ酒を取り出してキャップを開ける。

「理由なんて大したことじゃないだよぉ。ただ金が欲しかっただけ。あの永継のリーダーが、いさりちゃんを事故に見せかけて穴の中で殺せば一千万くれるって言うんだ。今回の競売でも負けちゃったわけだし、よっぽど穴の仕事を取る上で邪魔だったんだろうねぇ、いさりちゃんが」

「そんなものに仲間とか、全てを裏切る価値があるのかよ」

「あるある。確実にあるよぉ。君だってたかだか数十万のためにこんな危険な仕事してるんだろ? 一千万稼ぐためには何回、穴の中に潜る必要があると思ってるんだい? 君達みたいな好奇心で来る阿呆と違って、こっちはこんな仕事大嫌いなんだ。道を外さず生きてる人間の生活を守るために、私らみたいな道から外れた下の下の人間が命を賭けて働いてさ。はした金を掴み取る仕事。君は、この仕事にやりがいみたいのを感じてるようだったけどね。私らなんて、この社会のただのスケープゴートでしかないんだよぉ? 死んじまえばいいんだみんな。殺されちゃえばいいんだ、ツチクレにィ!」

 引き金が引かれて、トーチボウからそれが放たれる。トーチは、僕の後ろの岩壁に突き刺さり、煌々とした明かりを放ち、僕と井沼さんに大きな影を作った。

「この距離で外すなんて錆び付いたもんだねぇ」

 僕は、井沼さんに背を向けて、鼻血を出して横たわったままの緒川を抱きしめる。

「井沼さん、言ったじゃないか。しゃんとしろって。俺、何度も穴の中で心が折れそうになったけどその言葉思い出して……しゃんとして、ここまで自分なりに緒川を守ってきたんだ。そりゃ最終的には緒川に頼りっぱなしだったけどさ。一人じゃ何もできなかったけどさ」

「偉いねぇ。僕はね、そういう時――人生で何度か失敗して、それこそ穴のどん底に突き落とされた時、ことごとく酒に逃げてきたんだよぉ」

「今からだって出来るだろ。少しは頑張れよ、大人! しゃんとしろよ」

「それは無理だよぉ。何度か酒を辞めて人生を立て直そうとしたけど、やっぱり無理だった。無駄な足掻きは傷をえぐるだけ。出来るのは金を稼いで、酒を飲んで誤魔化すことだけ。しらふじゃ怖くて生きていけないよ、こんな世界」

 ぴたりと頭に、冷えたトーチボウの銃身が押し付けられるのが分かる。岩をも砕く威力があるんだ。僕の頭蓋骨ぐらい簡単に砕くことができるだろう。

「ここからならさすがに外さないねぇ」

 僕は死ぬんだ。半分諦めた気持ちになって目を瞑ると、ふと一度連れて行ってもらった井沼さんの部屋を思い出した。酒瓶だらけの汚い部屋。だけどあれが置かれたテーブルだけは、きれいに整えられていた。

「でも……本当に全部誤魔化したいなら、なんで息子さんの遺影を飾ってたんですか」

「なんでだろうねぇ」

 辺りは、岩肌に囲まれた洞穴特有の純度の高い静寂に包まれている。僕は、暖かな緒川の身体をぎゅっと抱きしめて、その体温をただ感じながら最期の時を待った。

「転がり落ちていく自分を見捨てないで、ずっと天国から責めていてくれてる気がしたのかもしれないね。今際の際まで酔っぱらってて、一緒にいてすらあげられなかったっていうのに……都合のいい話だよねぇ」

 自分の首を絞め続けるような言葉を、とことん吐き続ける。逃げるってことは背負うってことと同じくらい大変なんだなと思って僕は、そういう選択をした井沼さんを単純に否定できなくなってしまって、黙り込んでしまう。

 沈黙。しかし、静けさは打ち破られる。

 僕の頭蓋骨を打ち砕く破砕音ではなくて、遠くから聞こえてくる一柳さんの声によって。

「井沼さーん! どこ言ったんすかー!」

 反響してここまで伝わってきたその声は、どこか現実感のない幻聴めいた響きをしていて、井沼さんが押し当てていた銃身を僕の後頭部から離すまで、現実に存在するものだと確信を持てなかった。

「あーあ。君達殺して、死体をどこかバレなそうな所に捨てて……なんてね。もう間に合わないかぁ。一千万貰ったら、その金で死ぬまで飲み続けてやろうと思ったのになぁ。良い天気の日も、雨の日もさ」

 目を開くと、坂道を下っていこうとする井沼さんの背中が見えた。

「あの……僕達、何も言いませんから。一緒に上に帰りましょうよ」

「本当にお人よしだねぇ。それ止めたほうがいいよ。そういうのが原因で、とんでもない失敗をすることだってあるんだから」

 太っていて、後頭部も少し禿げ上がっているその後姿が、溶けるように闇に消えていく。

「そういえばさ。私の脳のレントゲンを撮ったらね、小っちゃくなっちゃってて……なんか穴だらけになってたんだよ。ずっとずっとお酒を飲み続けていたせいだね。お医者さんはそれを見せて、私にお酒を止めさせようって脅しをかける魂胆だったみたいんだけど……」

 結局、それが僕達が聞いた井沼さんの最後の言葉になった。返す言葉も、井沼さんを留める言葉も見つからなくて、僕はそのまま行かせてしまったんだ。

「……今の穴ぼこだらけの地球みたいだな私の脳味噌、なんて。医者の話を聞いている時ずっと、そんな見当違いのことを考えていたんだよぉ」


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