13話:童貞の道程
ビーフジャーキーと乾パンを胃袋に流し込んで、星型の穴から僕らは這い出ていった。
広場を出て行く前、崖に描かれた幾何学模様の壁画を見上げて、僕は「ありがとう」と、ここに来ていたツチクレと同じように祈りを捧げた。なんだかこの壁画に宿る神聖な何者かが、僕達を守ってくれたような気がしたからだ。
「それにしても暑いな」
気温だけでなく、風が吹かない穴の中はかなりじめじめとしていて、緒川も僕も汗だくになって険しい坂道を登っていた。二人だけでいると、より穴の中特有の時が止まったような静けさが際立って気持ちが張り詰めてしまうから、たまにどうでもいいことでも口にしたくなる。
「お風呂……」
「入りたいよなぁ」
トーチを突き刺す。白っぽい岩に囲まれた幅2メートル程の道は、トーチの明かりを反射して遠くまで良く見通すことができた。どこまでも続く坂道、うだるような暑さ。気力も体力も、みるみる奪われていくのが分かる。僕らは残りの量を気にしながらも、水筒の水を口にして喉を潤した。
「なぁ、それにしても井沼さん、なんでこんなことを?」
反響し、坂道の奥まで響いていく言葉。なんだか言葉が、穴の奥底へ飲み込まれていくような感じがした。
「分からない……。とても怖い顔をして、いきなり後ろから押してきた」
僕達を崖に蹴り落とそうとしていた時の血走った目。必死だった。地上に出たツチクレみたいに無我夢中で、僕達を殺そうとしていた。
「だけど、理由はあるはず……」
緒川が、悲しそうに視線を落とす。僕なんかよりずっと長く井沼さんと付き合ってきて、穴の中で一緒に戦ってきたんだ。優しくて、僕らにまで自分を曝け出してくれるあのダメな大人に裏切られたキツさってのは、僕の何倍も感じているはずだ。
「そうだな。早く上に戻って井沼さんに会ってさ。理由、聞かないとな。もしかしたら酔っ払って混乱して、訳わかんなくなっちゃってただけかもしれないし」
緒川はふっと優しく微笑んで、こくんと頷いた。
「お父さんに井沼さん、それに私と土谷さん。緒川封穴を、みんなで頑張って大きくしてきた……椅子を支える四本の足みたいに」
一時間程進むと坂道は下りになってしまい、上をひたすら目指している僕らに軽い絶望感を与えた。だけど進むしかない。汗でびしょぬれになったタオルをぎゅっと絞って額を拭ってから、また歩を進める。
徐々に道幅が広がってきて坂道が大空洞に行き当たったので、まず空洞の形状を把握しようとトーチを闇の中に刺した瞬間、僕は目の前に広がる光景に声を失った。奇妙に捻じ曲がった形をし、無数の穴が開いた小山――巨大な蟻塚のようなものが幾つもあって、その中心には同じく穴ぼこだらけの太い柱が天井までそそり立っている。それらはまるで天然の城のようで、圧倒的な存在感を持ってそこに佇んでいた。
「凄いな。ちょっとした遺跡みたいだ」
規則的に立ち並ぶ蟻塚は、中央にある大柱と併せて見ると古代の街のようにも見える。最初から地下にあったのか、コアが穴を作り出した時に生み出したのかは分からないけど、ある種の意志を感じさせる統一性のある作りをしている。
「ここ危険……早く行こう」
呆然と立ち尽くす僕の服の裾を緒川が引っ張っるや否や、幾つもの蟻塚からツチクレの放つ重低音が聞こえてきて、大きな不協和音が空洞に響き渡った。
咄嗟に後ろを振り返ると、例の角突きのツチクレがそこに立っていて、僕らの退路を塞いでいた。仕方なく緒川の手を取って、不協和音を奏で続ける蟻塚の方へと駆けて行く。
「なんだよここ!」
「深淵の座、深き者どもの原初の大海、死を内包した母胎」
「いや、意味わかんないこと言ってる場合じゃないから!」
「……ツチクレの巣。大きい穴だと、たまにある」
緒川は急に立ち止まり、角を突き立てて後ろから突進してくるツチクレに向け、両拳を合わせて向ける。拳を横に振ると、僕らの目前までやってきたツチクレの角が轟音を立てて折れ、岩壁に突き刺さった。角を失ったツチクレは、よろめいてはいるがまだ動けるようで頭を振って体勢を立て直そうとしている。
穴ぼこだらけの大柱――城の中枢を横切ろうとした所で不協和音がぴたりと止む。僕は見通しを良くするために、恐る恐るトーチを柱に突き刺して明かりを灯した。
ごろん、ごろんとあの球体のツチクレが幾つも蟻塚の小山に空いた穴から落ちてきて、表皮に無数に生えた棘が、回転運動を始めるために蠢きだす。
「緒川、まだ力は使える?」
「ちょっと眠いけど……もう少し頑張れる」
緒川に頼りっきりってのはやっぱり情けないけど、僕じゃあいつらに傷一つつけることも出来そうにない。
出来ることは逃げ道を探すくらいだと周囲を見渡すと、大空洞の奥の方が上へと続く坂道になっていて、その先の岩壁に穴が空いているのが見えた。
「あの穴の所まで行こう!」
岩壁の穴へ続く道は、巨大な岩に塞がれているような形になっていたので僕らは大岩を勢いつけて登っていく。大岩を登りきった辺りで、球体のツチクレが猛回転してこちらに迫ってきていたけれど、緒川が次々と拳を突き出し跳ね返してくれた。
「はっ?」
次の瞬間、僕らは、バランスを崩して後ろに転倒してしまっていた。
訳の分からないまま身体を起こすと、短い四本の脚で立ち上がる大岩の姿がそこにあった。道を塞いでいた大岩は、巨大なツチクレだったのだ。亀のような姿に、二つの漆黒の瞳が刻まれていた。
「ふぁあ……あれは、ちょっと一人じゃ無理」
欠伸を一つ緒川が言う。瞼はとろんとして、今にも眠ってしまいそうだ。
「もう少しだけ起きててくれよ」
解決策も見当たらないまま後ずさって行くと、穴ぼこだらけの大柱に行き当たってしまう。後ろにはツチクレの巣、前には巨大な亀型ツチクレと無数の球体ツチクレ。柱には無数の穴が空いていたけど、どれも余裕でツチクレが入ってこれそうな大きな穴で、逃げ込んだところであの星型の穴みたいな避難場所にはならなそうだった。
「ねぇ……あそこ」
緒川が指差した先、大柱の壁面に、ちょうど人一人通れるか通れないかぐらいの亀裂が走っていた。
「ナイス、緒川」
大きく息を吐くと、僕達は全速力でその亀裂へと走っていった。
「康平君、先に」
「いいから! 早く行けって!」
こんな所まで、必死に戦ってくれた緒川を危険に曝すわけには行かない。追ってくるツチクレを確認しながら、手を振って、緒川を先に亀裂の中へと入らせる。
「荷物、通らない」
身体を捻らせてようやく通れるようなその細い亀裂に、ザックを持ち込むことはできなそうだったけど、緒川は無理にザックを押し込もうとしてもたついていた。迫り来るツチクレ。僕は緒川に「捨てるんだ!」と叫んで、背負っていたザックを肩から外した。
球体のツチクレが飛び上がり、凄い勢いで僕に向かってくる。咄嗟にザックを盾のように前方へ突き出してその体当たりを防ごうとしたけれど、猛烈な勢いにザックは弾き飛ばされ、僕の身体もその衝撃で宙を舞い大柱に叩きつけられてしまう。
「いってぇ」
衝撃で詰まった息を吐き出して顔を上げると、次の瞬間、僕を跳ね飛ばした球体のツチクレはぺしゃんこに潰れていた。緒川だ。
「早く!」
亀裂の中から声がする。僕は這って立ち上がり、亀裂の中へと身体を滑らせ入っていき、ヘッドライトの小さな明かりだけを頼りに、暗がりの細道を奥へ奥へと進んでいく。徐々に道幅は広がり、座り込めるくらいの広さになっていった。
「限界を越えた先にあるものは、存在否定の限りなき幻想」
言って緒川は、すとんと倒れ込むようにして眠りに落ちた。
激しい衝撃音が聞こえてきて、大柱が震える。ツチクレ達が、僕らが逃げ込んだ亀裂に向かって、何度も何度も執拗に体当たりをしているみたいだった。
殺してやる。絶対にお前達を殺してやる。衝撃音から読み取れるツチクレの意志。
ツチクレと相対していたときの興奮で、うやむやになっていた恐怖感みたいなものが一気に背中に圧し掛かってきて、僕は緒川の隣にへたり込み「こえぇ」と一言、さめざめと泣いた。
亀裂は、大柱の中を通る一本の穴の通路に繋がっていた。その通路は、ツチクレでも通ることができそうな全長5メートルほどの大きなもので、曲がりうねって柱の方々へと続いているみたいだった。
それだけ確認すると、すぐに亀裂の中へと戻り今度は柱の外へザックの回収に向かう。亀型の巨大なツチクレは相変わらず上へと続く坂道を塞ぐようにそこにいたけれど、球体型や角付きのツチクレはもうその辺りからは消えていたので、さっと外に出て大柱のすぐ傍に落ちていた緒川のザックを、亀裂の中へと引き入れる。内側から引っ張るようにして運べば、つっかえながらも何とか緒川が寝ている地点まで持っていくことができた。
ただ、ツチクレの体当たりを受けた時に、どこかへ飛んでいってしまった僕のザックを見つけ出すことはできなかった。食料だけは確保できたものの、この真っ暗闇の穴の中でトーチの明かりを失ってしまったのは正直きつい。これからは、懐中電灯とヘッドライトの明かりだけで、地上を目指さなきゃいけないんだ。
「いつ……」
わき腹に味わったことのない妙な鈍痛が走って、冷や汗が流れる。咄嗟にザックで防いでなかったら、あのツチクレの体当たり一発で大変なことになっていたかもしれない。明かりはなくなっても、命が助かっただけでもラッキーだったと思っておこう。
「存在を規定するために……幻の椅子……悠久の時……悲しみの空を越えて……死はどこまでも続いていく……」
緒川の不気味な寝言が、しんとした闇の中に響き渡る。これからのことを真面目に考えてる所、邪魔だからやめて欲しい。
「お父さん……」
そんな言葉を掠れた声で呟いて、寝言は途切れた。
この眠り姫を守りきって、地上に戻るんだ。そのためには、あの亀型のツチクレが塞ぐ、坂の上の穴ぼこまで行く必要がある。わき腹が痛くたって例え骨が折れてたって、考えて考えて、その手段を導きださなきゃならない。
ツチクレ達が定期的に鳴らす、不愉快な不協和音が聞こえてくる。
身体がまた震えてくるけれど、そのたびに僕は、あの時に言われた言葉を思い出して心を奮わせた。
「私はさぁ。逃げっぱなしでこんな所まで追い詰められちゃったけど、君はしゃんとする時はしゃんとして、大切な人を守らないとダメだよぉ。それはさ、一度失っちゃったらもう二度と戻らない、取り返しのつかないものなんだからねぇ」
井沼さんが酔っ払って、うわ言のように言っていた言葉。位牌の前に飾られた写真に写っていた奥さんか息子さんか、それとも大切な友達か、仕事か。何かは分からないけれど、多分、多くのものを失ってきたんだろう。そしてそれらは、一つも井沼さんの下へは戻ってこなかったんだ。
「しゃんとしろ!」
両頬を叩いて、息を吐く。
後悔なく生き延びるため、限界まで考え抜いて、怯まずに進むんだ。
緒川が目を覚ましてから僕は、まず大柱の中を探索することにした。
坂道を塞ぐあの亀型のツチクレを退けて、なんとか上へ行くために僕が考え出した計画には、この大柱へのもう一本の出入り口が必要なんだ。緒川がたまたま見つけた、細くてツチクレ達が通れないような安全な道が、もう一つ。
曲がりくねった道は何本にも別れ、迷路のようになっていたので元来た所へ戻れるように、登山ナイフを使って矢印を刻みながら進んでいく。幸いなことに大柱の赤茶けた岩は柔らかく、小さな登山ナイフでも簡単に削る事ができた。
「緒川、はぐれたらダメだから」
意を決してその細い手を握ると、警戒心を顕にしてから、
「理性皆無のエロスの簒奪者に、何もかも奪われる……まるで椅子の脚を切り取る、実存のノコギリを持った死神」
と緒川なりの言い方でその感情を表して、手をさっと引いて胸を覆い隠した。翻訳すると「変態、触るな」ってとこだろうか。
「奪わないよ。そして、その件はごめん。本当にごめん」
どう思われても、一緒に行かなくちゃならない。トーチで道を照らしていくことができない今、数メートル離れただけでも緒川がどこにいるか分からなくなっちゃうんだから。
「だけど、本当に離れ離れになるわけには行かないんだ」
僕はもう一度、緒川の手を取る。気持ちが通じたのか分からないけど、今度はそのままにしておいてくれた。
緒川の手を引いて穴の中を歩いていくと、通路に走った細い亀裂を発見した。その亀裂から大柱の外に出ると、この空洞に入ってくる時に刺したトーチが遠くにあって、明かりを放っているのが見える。
うん。ちょうど向こうの亀裂と反対側にあるみたいだし、僕の考えた計画にはうってつけの出入口だ。
「単純な話なんだけどさ。あの亀型のツチクレをここまで誘導して、この大柱を通ってあっち側の亀裂から外に出て、坂道を通ろうって作戦なんだ」
とりあえず道筋が見えた所で、緒川に計画を説明する。ツチクレってのは、心臓の音を頼りに僕らを探しているせいか、「その道が通れなそうなら迂回して探す」って行動は取れないらしくて、向こうでは亀裂の中に入っていった僕らを殺そうと、何度も大柱の壁面に体当たりを続けていた。
「だからここまで亀型のあいつを誘導してから、亀裂の中に入ってしまえば、しばらく足止めできるはずだ。あいつが塞いでる、上への道だって通れるようになる」
これが僕が考え出した唯一のプランだった。もしツチクレが、僕が思っているより知能を持った連中だとしたらおしまいだし、ずっと穴に潜り続けてきた緒川からすれば稚拙な思いつきにしか見えないのかもしれない。僕は、不安げに緒川の表情を伺う。
「……ありがとう。それでいこう」
呆然と僕を見つめた後、なんだかとても嬉しそうに笑って緒川はそう言った。提案を受け入れてもらえたのはこっちも嬉しかったけど、突然そんな顔をされて僕は戸惑ってしまう。
僕らは大柱の中を、ナイフで刻んだ矢印を頼りに戻っていく。複雑に分岐した迷路のような道。ツチクレを誘導したらこの道を通って向こう側へ抜けるわけで、迷うわけにはいかないとしっかりと矢印が刻まれているかも確認する。
「あっ、それでさ。出来る限り――緒川の身に危険が及ばない限り、敵を誘導する時に干渉能力は使わないで欲しいんだ」
「どうして?」
「せっかく坂道を抜けられても、そこで眠くなっちゃったら終わりだろ。安全な所まで、逃げ切らなきゃいけないんだから」
「分かった」
その為には、今までみたいに緒川に頼りっぱなしじゃダメだ。僕が、緒川を守って道を切り開くんだ。幾つもの分かれ道を、右へ左と進みながら改めて覚悟を決める。
「手……痛い」
その言葉にはっとして、緒川の手を引いている右手の力を緩める。
目尻に涙が浮かんでいるのが分かる。緊張しまくって、びびって。最高に情けない顔をしているんだろうな。だけど幸い辺りは闇の中だ。向こうに着くまでには、もっとしゃんとしてツチクレと向かい合えるような状態にしてみせるんだ。




