11話:高いところから落ちると死ぬ
「……ここもさっき通った場所ですね……」
道を折り曲がると、そこには煌々と光を放つトーチがあった。少し前に僕が刺した物だ。次から次へと分かれ道が続く、迷路状になっているエリアに入ってから二時間。僕達は同じ場所を行ったり来たりしながら、核がある下層へ降りる道を探していた。道は曲がりくねっている上に特徴がなく、しばらく進むと方向感覚がなくなってしまう。
「穴って、コアがある部屋まで本当に続いてるんですかね?」
「それは絶対だよ。だってそこでツチクレが生み出されてるんだからさ、地上まで続く道がなかったら、あいつらも外へ出てこれないでしょ?」
相変わらず酒をかっくらいながら説明してくれる井沼さん。僕達が穴の底へ下るように、あのツチクレ達も深い穴の底から、地上に向けて歩き続けていると思うと少しだけマヌケで笑えてしまう。
「早くツチクレでもなんでも出てきてくれ……」
一柳さんが懐中電灯で、トーチの明かりが届かない岩壁の窪みを照らすがやはり行き止まりだ。入り口でのツチクレとの交戦に触発されて、一柳さんはずっと早く暴れたくて仕方がないといった様子だった。
「まぁ、じっくり探そうよぉ。一つ前に、まだ行ってない分かれ道あったでしょ?」
一度戻って暗がりの道にトーチを刺しながら進むけど、結局また既に通った道に出てしまう。あの角付きのツチクレが通れるほどの道なら、そんな狭い道ではないはずなのに、なんでここまで見つからないんだろう。
何か見落としていたりするのかな、などと考えながらザックからトーチを取り出そうとしたその時だった。突然、ズシンという衝撃音が、振動と共に穴の中に響き渡った。
「気をつけろ」
そして、あのボーという低音に唸り声が聞こえてくる。音の大きさから言ってもそんなに遠くはないだろう。土谷さんが懐中電灯を取り出し前に出て、その後ろに緒川が続く。
それにしてもなんだろう、今のツチクレが現れた時の衝撃音は? どうでもいいことかもしれないけど、なんであんな音をたてて現れたのかが妙に気になった。
「この細い道でばったり会ったら厄介だねぇ」
「ああ。さっきの見晴らしのいい道まで戻る」
土谷さんの指示を受けて、僕達は近づいてくるその音から遠ざかるように、人一人分くらいしか通れないような狭い道を後ずさって行く。10メートルくらいの直線通路が出たところで、「ここでやる」と言って土谷さんは床に伏せてショットガンを構えた。
「一柳、通路にツチクレが来たら撃て。あのトーチがある所まで近づいてきたら、下がって康平君を守ってくれ」
ちょうど5メートル先の地面に道すがら設置したトーチが突き刺さっていて、この通路全体を照らしていた。
「イエッサー!」
伏せた土谷さんの後ろに座り込む緒川、その後ろにアサルトライフルを構えて立つ一柳さんと言った体勢で迎え撃つようだ。
「私達は仕事なさそうだね。ほら一杯、君もやる?」
「いいです……」
こないだはつい勢いで飲んでしまったけど、翌朝酷い二日酔いというものを初めて味わって、僕は井沼さんの飲む謎の液体は当分口にすまいと誓ったのだった。
ボォーという音が近づいてきて、一柳さんは嬉しそうに照準を通路の奥へ向ける。
「俺の目の前までツチクレが接近したら、お嬢は逃げろ」
「大丈夫。その前に絶対に破壊する」
すっと緒川が、人差し指と小指を突き出し合わせた拳を通路の奥へ向けると、「頼もしい」と珍しく土谷さんがにやりと笑ってみせる。二人の間に、幾つもの穴で一緒に修羅場を潜り抜けてきた、信頼関係みたいなものが垣間見えた。
無数の棘を身にまとった丸い岩の塊が、ごろりと通路に現れる。
「死ねェ、クソ野郎!!」
棘が蠢き、岩の塊が回転し猛スピードでこちらへ直進してくると同時に一柳さんが引き金を引くが、岩の塊は跳躍して銃弾を避けながら、どんどん近づいてくる。5メートルライン。バウンドしたツチクレが、ちょうどそこにあったトーチを跳ね飛ばし、通路から明かりが失われる。ヘッドライトの頼りない明かりだけでは、ツチクレの素早い動きを捉えることはできない。
「井沼さん!」
「ほいよ!」
井沼さんが例の白い筒――トーチボウを取り出し、天井に向けて撃つ。突き刺さったトーチは、ちょうど電灯のような形になって再び辺りを照らした。土谷さんは、バウンドする岩の塊を的確に、何度もショットガンで撃ち抜き、前進する勢いを削ぎ跳ね返す。
そして緒川。「繋がった」と呟き、拳を振り下ろすと空中にあった岩の塊は四散し、からんと一つ、黄色い宝石のような物が地面に落ちた。
「おっ、こいつもお金になりそうだねぇ」
井沼さんが宝石を拾ってにんまりと笑う。
「あーすっきりした! それにしてもコイツどこから来たんすかね。この先の通路って、あらかた調べたっすよね?」
「だよねぇ」
ツチクレと戦っている間も、ずっと気になっていた衝撃音について思索を巡らす。さっきの丸い岩石みたいなツチクレが現れる時に、なんでそんな音がしたんだろうか……。
「あっ、天井……」
僕は、ちょっとしたその思い付きを確認するためふらふらと歩いていく。
「康平君?」
眠たげに目をこすりながら、ついてくる緒川。
「いや、ちょっと確認したいことがあって」
「確認? 私達が限りなく形而上学的に最適化された存在だということについて?」
「そんなわけの分からない事、確認しないよね」
緒川の妄言を適当にあしらい念入りに地面を調べながら進んでいくと、やっぱり思った通り何か重たいものが落ちて、岩肌が傷ついている場所があった。見上げると天井は高くトーチの光が届いてない闇の先にあったので、懐中電灯で照らしてみる。すると天井脇には、思った通り横穴があった。多分、あそこからツチクレはやってきて、この下に落ちてきたんだ。
「お手柄じゃない?」
懐中電灯の明かりに照らされた横穴を見て、井沼さんが褒めてくれる。さっきの戦いでもまるで役に立たなかった僕だけれど、これで少しは役に立てたかな、とついにやけてしまう。守られるだけのお荷物なんて、やっぱり僕は嫌だったから。明かりを灯し、道を探し出すことくらいのことはきちんとやりたい。
すいすいと突き出た岩を掴んで天井脇の横穴まで登っていった土谷さんが、ボトルを打ち付け、そこから梯子を垂らしてくれたので僕らはそいつを利用して上まで登っていった。穴に入ると道はそのまま下り道になっていて、ようやくさっきまで迷っていた所より深い場所へ降りることができた。
「と、いさりちゃんが限界みたいだね。今日はここまでかな?」
最後尾を歩いていた井沼さんの言葉を受けて振り返ると、そこには立ちながら眠る緒川がいて、試しに肩を叩いてみたらバランスを崩しこちらに倒れ込んできた。重いザックを背負って歩き続けて体中が悲鳴をあげてたところだったから、これで休めると緒川に感謝しながら「どうします?」と土谷さんに聞く。
「広い所に出たら、そこで今日は休もう」
すぐにちょうどいい空洞が見つかったので、僕達はそこにテントを張って緒川を寝かせてから、簡単な夕食を取ることにした。今日の夕飯は、フリーズドライの野菜を混ぜた雑炊で、それだけだと味気ないということで井沼さんが持ってきた自家製の梅干を入れて食べる。
「しょっぱいけど、凄い美味しいですねこれ。お店で売ってるのと全然違う」
「でしょでしょ? こいつを焼酎に入れて飲むと、また最高なんだよぉ」
腹いっぱいになった僕達は、空洞の脇に地下水が流れていることもあり少し寒かったので、防水用の服を上に着込んでから寝袋に入り込んだ。
前よりは慣れたとはいえ、いつツチクレが襲ってくるか分からない穴の中だ。神経は逆立ち目を瞑っても熟睡することはできず、僕は、眠りと覚醒の狭間をずっとさ迷っていた。
「……I Never forgive you……Damn it!!」
そんな半覚醒状態の僕の意識を、突然発せられた叫び声が現実に呼び戻す。なんだろうと思って声のしたほうに身体をごろりと回転させると、壁を背にして眠っている土谷さんが、顔を歪めて寝言を呟いていた。英語なんで内容は分からないけど、差し迫った声の調子から物凄く苦しんでいることだけは理解できた。
「起きちゃった?」
土谷さんの代わりにショットガン片手に見張りに立っている井沼さんが、こちらに顔を向ける。
「ええ……」
「まぁ、よくあることだから。そのまま寝かせといてやって」
「なんて言ってるんですかね」
「土谷君、イラクでお仕事してた時に、とても悲しい目にあったみたいでね。そのことをきっと思い出してるんだよぉ。穴に入ってずっと暗闇の中に身を置いていると、過去とか、後悔とか、思い出とか、そういうのを鮮明に思い出しちゃう人、多いんだよ」
「……井沼さんも?」
ふっと井沼さんの部屋の仏壇に飾られたあの写真が頭をよぎる。多分、井沼さんの子供や奥さんがまだ井沼さんの隣にいた頃の写真。
「そうだねぇ……」
ぐびりとスキットルを呷る。
「まぁコイツがあるから自分は、今は、思い出さないでいられるかな」
穴に広がる圧倒的な闇に対して恐怖くらいしか感じられない僕の感受性では、その中で自分の過去を思い出す、といった心のあり方を理解することはできなかった。小さい時、夜闇に潜むお化けが怖くてトイレに行けずに両親に泣きついたあの時と、あんまり僕は、変わっていないんだろう。
「なんだか大人って大変なんですね」
「そう、大人ってのは大変なんだよぉ」
土谷さんの苦しげな寝言はそれからも続いた。どんなことがこの無敵の超人を苦しめているんだろうと考えていたんだけど、全く想像もつかないままにじきに僕は眠り込んでしまった。
翌日、リフレッシュした僕達は、意気揚々と穴を進んでいった。少し上にあったみたいな複雑な道はなかったけれど、度々崖に行き当たったので、念入りに懐中電灯で目前の道を探りながらトーチを刺していった。
「こっから崖っぽい道になるみたいです」
狭い洞穴を抜けると、また崖沿いに坂道が伸びていたので崖の縁にトーチを刺しながら、後ろを歩いていた一柳さんに注意を呼びかける。
「ほいほい。しっかし底見えないないな、これ」
崖下に明かりを向けても、その深い暗闇の底を照らし出すことはできない。一柳さんが、石ころを拾って投げ入れたけど、一向に地面に当たるその音は聞こえてこなかった。
怯え腰で、穴に向けて顔を出しているだけでも肝が冷えてくる。
「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」
「うわぁ!」
気配も感じさせずに背後に現れた緒川の呟き。びっくりしてのけぞり、尻餅をついてしまう。
「いきなり現れて意味不明なこというなよ! 危ないだろ!」
「……危ない? 精神的な意味で?」
「物理的にだよ! 落っこちたらどうすんだよ!」
「……落っこちる? 深淵の奥底で口を開いて待っている、エクリチュールの蛇の腹の中に?」
「……もういい」
一柳さんが「仲良いねぇ」と笑ってから「こんなとこでツチクレが出てきたらヤバそうだし、念入りにトーチを立てときなよ」とアドバイスをしてくれた。なんでも一柳さんは、僕が来る前は大抵、トーチを立てて歩く役をやっていたのだという。
「おっす」
と答えて、崖沿いの道の縁にトーチを立てていく。今度は、ツチクレに蹴飛ばされても大丈夫なように、たまに天井にもトーチを刺しておいた。
「そろそろ暑くなってきたねぇ。こういう時は日本酒日本酒……と」
小さな酒瓶を取り出す井沼さん。そういえば、今日になってからじとっとした熱さが気になるようになってきた。
「下ってもっと暑いんですかね?」
「100メートル下がるごとに3度くらい上がるっていうしねぇ。上で計測した感じだと、この穴は1000メートル前後って話だから……一番下は50度くらい?」
乾いた笑いが口から漏れる。
「それじゃあ……もっと深い穴が出来たらどうするんですか?」
「あの東京の大穴なんかは、1000メートル付近に拠点が設けてあって、そこから耐熱装備をした人らが探索に向かってるみたいだよ。まぁ、そうなるとうちらみたいな装備も揃ってない、小さいトコには無縁な仕事だねぇ」
そこに聞こえてきたボォーという例の低音が、僕らの会話を打ち切る。
「さぁて、お次はどんなのが来るのやら」
銃を構え、警戒態勢を取りながら進む一柳さんと土谷さんの行く道を、しっかりと照らし出すため先立ってトーチを刺し込んで行く。
静寂の大空洞に、ツチクレが放つ不快な低音と、ざくりざくりと岩に突き刺さるトーチの音が響き渡る。
角を曲がると今まで歩いてきた崖沿いの道から、岩壁の内部へ入っていく横穴が見えてきて、そこからごろり、と昨日も見た丸い球体のツチクレが現れる。
「またこいつか!」
井沼さんがトーチボウで、横穴の上から壁沿いにトーチを撃ち込んでいって明かりを確保すると、一柳さんがまっすぐこちらに向かって回転してくるツチクレを撃ちまくる。物凄いスピードでツチクレは向かってくるけれど、崖がある左手に避けることも出来ない僕らは、あの細い道での戦い同様、立ち止まってそれを迎え撃つしかなかった。
大きく跳躍したツチクレが先頭にいる土谷さん目掛けて体当たりを仕掛けてくる。が、土谷さんは冷静に、ショットガンでそれを打ち抜き跳ね返す。
「あっ」
ツチクレは、そのまま崖の下へと落ちていって、なんというか呆気なく戦いは終わってしまった。後ろで拳を合わせていた緒川も、その力の向かう先を失い拍子抜けしていた。
「いやー、さすが土谷さん……」
と、一柳さんが軽口を叩こうとした矢先、再びボォーという低い音が辺りの空気が震えた。
「今度は、一つじゃないな」
耳を澄ますと、確かにその音は複数あるようで、不愉快な不協和音を奏でながら徐々に大きくなってくる。
「とりあえず中に入るぞ」
土谷さんに続いて、僕達は駆け足で崖沿いの道を駆けていって横穴に入っていく。穴を少し進むと戦いやすそうな広場に出たので、今度はここで迎え撃つことにした。広場の中央にトーチを突き刺して、辺りを見渡す。
「……あれ……緒川と井沼さんがいない!?」
「なにやってんだおっさん!?」
照らし出された広場にいるのは、僕ら三人だけ。そこに球体のツチクレが現れる。そいつらも三体いて、この状況に、さすがの土谷さんの表情も曇る。
「僕、ちょっと見てきます!」
「頼んだ」
ツチクレと対峙している土谷さんは、そう言って僕の肩を握る。あまり感情を表に出さない土谷さんの手は熱く汗ばんでいて、その「頼んだ」という言葉に託す強い想いを感じさせられた。
やって来た道を戻り、穴を出てさっきの崖沿いの道まで戻る。するとそこには、崖っぷちに刺し込まれたトーチを握り締め、だらんと身体を崖下へと投げ出している緒川と、その手前に立つ井沼さんが目に入った。
「緒川!!」
とにかく僕は無我夢中で、今にも深い崖の底へ落ちていきそうな緒川の許に駆け寄り、跪いてその細い腕を握り締めた。
「ダメ……康平君」
「大丈夫! これくらい!」
ザックを背負った緒川の身体は、簡単に引き上げられるような重さではなかったけれど、僕はトーチを足元に突き刺し、そこを足をかけて引っ張りあげようとする。
「井沼さん、手伝ってください!」
救いを求めて振り返る。すると井沼さんは日本酒の小瓶を呷って、全て飲み干してから、徐に僕の背中に蹴りを入れてきたんだ。
前のめりに崖の下へと落下していくが、右手が咄嗟に動いてさっき刺したトーチを握り締めていた。緒川と二人並んで、崖っぷちで身体を投げ出す形になる。
「はぁ、戻ってきちゃダメだよぉ」
血走った目で井沼さんは、トーチを握る緒川の手を蹴り続ける。僕は、緒川がいつ手を離してもいいように、右手を背中に回して抱きかかえた。
「痛い。やめて……」
緒川がしつような蹴りに絶えかねて手を離すと、ずしりとした重量が右手に掛かってくる。歯を食いしばって、トーチを握り締める手に力を入れた。
「なんで、こんなこと……」
「昨日も言ったでしょ? 大人ってのは、色々と大変なんだよぉ」
井沼さんが、助走をつけて僕の手を蹴り上げる。気が付けば蹴られたその手は虚空を掴んでいて、重力は遠慮なく僕らを底の見えない暗闇へと落としていった。凄いスピードで井沼さんと明かりに照らされた崖が遠ざかっていって、すぐに辺りは真っ暗闇になり、僕らは音もない、光もない、虚無の闇の中をひたすら落下し続けていく。
「あっ」
共に落ちていく緒川の身体を強く抱きしめると、ちょうど手が緒川のおっぱいに当たっていて、こんな時だっていうのに、今まで薄々思っていたことを確信するに至ってしまった。商店街で緒川を背負った時も、穴の中で抱えたときも常にそんなことを考えていたんだ。
「なぁ……」
どうせ死ぬんだ。勇気を出していっそのことこの想い、緒川に伝えてみようと、僕は声を絞り出す。
「緒川って、意外とおっぱいでかいよな」
暗がりの中、緒川の表情は読み取れない。
そして僕の意識は、この闇の中に溶けるように消えていった。享年十七歳、最期の最期に脳裏に浮かんだものは、後悔でも死への恐怖でもなくただエロいことだけだった。




