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星の穴  作者: 鳥野彫像
10/17

10話:再び、穴の中へ

 曇りがかった空の隙間から、幾筋かの朝日が漏れ出ている。建物の数だけは増えたらしいけど、その形や機能でいえば二十一世紀初頭からほとんど変わっていないどころか、ただ錆びつき垢に塗れただけの街が、夜の帳の中からひっそりと顔を出す。

「昼前には、天気が崩れて雨が振り出す模様で――」

 傘を持ってお出かけください、という落ち着いた優しげなお姉さんの声がカーラジオから聞こえてきた。

 豊島区某所の穴を目指して高速道路をひた走るハイエースの車内、ネボスケの緒川だけでなく井沼さんも一柳さんもシートに身体を預けてぐっすりと眠っている。僕も何度か眠ろうとしたのだけど、これからまた穴に入るんだって思うと胸が高鳴りうまく寝入れず、仕方なしに窓の外を流れる道路外壁の彼方に見える町並みや、たまに通り過ぎていく車を眺めていた。

 段々、背の高いビルが増えてきたと思ったらもう新宿で、高速を降りて池袋方面へ社長はハンドルを切る。確か池袋から少し行ったところにある住宅街と聞いていたので、この辺りの人々はみんな避難しているのかなと思っていたのだけど、池袋駅前の大通りは、忙しなく行き交う通勤中の人々で溢れていた。

「この辺りの人も、避難はしないんですか?」

「まぁ1000メートル級の穴って言っても、ここまでは避難させやしないねぇ。多少、危険だからって働かないわけにはいかないしさ」

 言って社長は欠伸を一つ、車を走らせる。ツチクレによる年間死亡者数は、五百人とちょっと。交通事故が四千人程だとして、その数字が多いのか少ないのかはわからないけど、それだけの人が訳の分からないものに殺されてるんだから、もうちょっと警戒してもいいんじゃないかなとは思う。いや、僕も秋葉原で直接それを目にするまでは、そんなものは教科書やニュースで聞くだけの絵空事って認識で、まるで警戒なんてしてなかったんだけど。

 ビルが立ち並ぶ区域を抜け、住宅街に入ろうかという所で『止まれ』というフラッグを持った警察官に車を止められた。住宅街への道を塞ぐためポールが並べられている様子を見るに、どうやら検問所になっているようだった。

「ここから先、交通規制かかってますんで、通れませんよ」

「封穴事業者でーす。よろしくー」

 警察官は、社長に手渡された書類を確認すると「ご無事で」と言って道を塞いでいるポールをどけてくれた。

「あっ、もう着いたんっすね!」

 今のやりとりで目を覚ました一柳さんが、後ろの席から身を乗り出してくる。

「いやー、人っ子一人いないっすね」

 この辺りの人々は皆、避難したのだろう。さっきまで辺りに満ちていた物音や、人々の気配が一切なくなる。

 人が捨てた街を堂々と、一匹の猫が横断していく姿が目に入った。



 自衛隊の人に案内されてやって来た小学校の校庭には、仮設テントが設置されていて、僕達はそこでまたIDの確認や着替え、銃器受け渡しの手続きなどを行った。

「これは……重いっすね」

 『緒川封穴』の作業服を着込んでから、試しにトーチが入ったザックを背負ってみたのだけど、その重量感に思わず声が漏れてしまう。前に穴に潜った時のザックより、なんだか一回りは大きい気がする。

「なんせ今回の穴は1000メートル級だからね。トーチもそれだけ必要だし、水や食料だって、それなりに必要になってくるからさ。まぁ、若いんだし大丈夫でしょ?」

 社長はけらけらと笑う。僕にとって当面の問題は、ツチクレなんかじゃなくて、こいつを背負ってみんなに付いていけるかって所になりそうだな。

「それより学校の屋上から、穴が見られるらしいよ。お昼ついでにどう?」

 お弁当片手に屋上に上がっていくと、社長の言うとおり住宅街にぽっかりと開いた穴が上からよく俯瞰できた。穴が開いた場所にあったと思われる家々の残骸が、直径40メートルほどの穴の中へと流れ込んでいて、瓦礫を除けて作った道が一本、穴の奥へと通じていた。

「うわぁ、あそこの半分だけなくなってる家、新築ですよぉ。可哀想にねぇ」

「あーいうのって災害保険、効くのかねぇ?」

 弁当を摘まみに一杯ひっかけている井沼さんと、社長がのんびりとした様子で話していたところ、緒川が急に立ち上がって穴を指差した。

「あそこに、人がいる」

「どこ? 自衛隊の人じゃないの?」

 鉄柵に手を掛けて指し示された方を見るが、それらしき人はいない。

「違う、普通の人。駐車場の所にいて、もう逃げた」

「あーそれ、火事場泥棒でしょ。避難区域になってる所に入り込んで、盗みを働く不逞の輩が増えてるらしいよぉ」

「へ、へへ……火事場泥棒って撃ち殺してもいいんですかね?」

 井沼さんの話を聞いて、黙々と弁当を食べていた一柳さんがぼそりと呟く。どうやら穴を目の当たりにして、テンションが上がっているみたいだ。

「ダメだよ!? そんなことやったら君も僕の会社も、一発でアウトだからね!?」

 もう一度、緒川が指差した方を見たけれど、やはりそこに人はいない。まぁ、僕も宇井町に穴が出来たときは、こっそり忍び込んだ前科があるし、忍び込んでわざわざ穴の近くまで来たそいつの気持ちも分からなくはなかった。気にならなければニュースでどんな流れていても無関心でいられたのに、一度気になってしまったら確かめずにはいられなくなる。お弁当を平らげながら、なんていうか穴ってニキビみたいだな、なんて思ったりした。



 穴へ向かう道すがら、空を覆う厚ぼったい灰色の雲からぱらぱらと雨が降ってくる。一柳さんは例の骨董品もののアサルトライフル――九二式小銃を、我が子のように抱きかかえて濡らさないようにしていた。

「それでは、いってらっしゃい」

 瓦礫にまみれた穴の手前まで案内してくれた若い自衛隊員が、びしっと敬礼を決めて声をかけてくれる。

「いってきます!」

 と、敬礼を返そうと右手を上げた時だった。

 突然、穴の向こう側の駐車場に私服姿の男女が現れ、そのグループの代表らしき女がスピーカーで、僕達に向けてがなりたて始めた。

「我々地球人類は、長きに渡り大地を汚し、罪を犯してきました。この裁きの穴は、罪人たる我々人類への神々からの警告なのです。全てを受け入れなさい。そしてこの神聖なる裁きの穴から立ち去りなさい、不浄の者達よ」

 穴の周囲で警備についている自衛隊の人達が、皆一様に苦笑いしている。

「あれって、なんなんですか?」

 その演説を肴に一杯始めようとしていた井沼さんに尋ねる。

「環境保護団体と宗教団体をミックスしたような団体らしくてね、穴が開くようになったことを神による試練だの、裁きだのと神聖視してるみたいよ。たまーに仕事に行こうとする時に現れて、ああやってご高説を述べて送り出してくれるんだよぉ」

「低賃金で雇われ、死地へ送られる封穴作業者の皆様! 我々はあなた方を解放するために来ました! さぁ、その野蛮な殺人兵器を捨て、この地から立ち去りましょう! 私達がしっかりと、あなた方の生活をサポートいたします。あなた方はもう自由なんですよ!」

「うちの大学でも、アレに勧誘してる奴いたっすよ。まったく……」

「ダメだよ!?」

 さりげなく銃口を彼らに向ける一柳さんの挙動に反応し、社長がすぐさま取り押さえる。あの人達から見ると、僕らは国に無理矢理、穴に向かわされている奴隷にでも見えるのだろうか。

「まぁ、ああいう霞食ってる人達は気にしないで、穴の中へ……」

 ズガンという強烈な衝撃音が、穴の奥から聞こえてきたかと思うと、根元から折られた洋式便器が僕の方へ飛んできた。状況を理解できないままポカンとしていると、目前で便器は粉々に砕け散る。横にいた緒川が、小指と人差し指を突き出したポーズをとっていたので、辛うじてまた命を助けられたのだ、ということだけは理解できた。

「あ、ありがと」

「来る」

 緒川が向けている視線の先、穴の奥。崩れた家々の残骸を蹴散らして、二足歩行型のツチクレが現れた。例によって顔には、二つの漆黒の窪み。二足歩行といっても腕はなく、頭と思わしき所からは巨大な岩で出来たツノが生えている。手無し鬼とでも言えば良いのか、そいつはその鋭いツノをこちらへ向けて徐に駆けて来た。

「撃てェー!」

 穴の周囲に配備されていた自衛隊の人達が、一斉にツチクレ向けて銃撃を開始する。雨あられと銃弾を受けツチクレの身体は、みるみる削られていきボロボロと崩れ散っていくが、ひた走るその勢いは止まらない。

「やめなさい! 彼らこそ我々が犯した罪を裁くために、神々が、この地球が送ってくださった贖罪の獣。その存在を受け止め、いますぐかの者への攻撃をやめ……」

 スピーカーを持った女が、ふらふらとこちらに近づいて来て射線に入って来たせいでツチクレへの攻撃が行えなくなる。近くで見ると、まっすぐで、意志の強そうな目をした化粧っけのない美人さんで、言っていることはともかくその振る舞いは勇敢な行動に見えた。よく分からないけど、歴史的な人物で言えばジャンヌ・ダルクってのはこういうタイプなのかなって思った。

「そこをどきなさい!」

 と自衛隊の人に忠告を受けた矢先、その女は駆けて来たツチクレの角に胸を突き抜かれてしまう。返り血に染まるツチクレは、女の身体を持ち上げたまま跳躍し、街の中へと走り去っていった。

「君達は穴の中へ。上でのことは、僕達に任せて下さい」

 思わずツチクレを追おうとしていた僕や緒川に、自衛隊の人が声をかける。

「早く、封じて来てくださいね。これ以上、犠牲者を出さないためにも。いってらっしゃい!」

 そして通りに置かれたジープに乗り込んで、彼らは颯爽とツチクレを追っていた。

「行こう」

 土谷さんの一言を受けて、突然のツチクレの襲来に戸惑っていた僕達は、穴の中へ向けて足を動かし始める。暗がりの中に入る前に一度振り返ったら、「頑張ってきてね」と手を振る社長と、突然の仲間の死を受け止められず呆然と立ち尽くす例の団体の人達の姿が目に入った。

 一本一本トーチを岩壁に差し込みながら、光を灯し緩い坂道を下っていくと、直に穴になだれ込んだ家々の瓦礫が途切れ、黒くぎらついた岩肌が地面に現れてきて、しんと澄んだ静寂が辺りを包み込んだ。


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