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星の穴  作者: 鳥野彫像
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1話:遭遇しちゃったりして

 暗闇に映し出されるヘッドライトの丸い明かりが地球だとすると、僕が手に持った懐中電灯の小さな明かりは、差し詰めその周囲を漂う衛星。彼女と二人、その頼りない明かりに照らされた穴の中を、一歩一歩足元を確認しながら進んでいく。

 穴を構成する灰色の岩壁には、たまに切り裂かれたような大きな傷が刻み込まれていた。多分地上を目指す彼らが、通りすがりに残したものだろう。

「みんなどうしてるかな?」

「椅子は解体されようとも、不滅の四肢を持って矛盾せし生の観念を蘇らせる」

 静まり返った穴の中に響く、透き通った彼女の声。

 どうしてるかと聞いたら、どうかしてる答えが返ってくる。いつものことだ。だけど歩いているだけなのに、苦しそうに息をぜぇぜぇと吐いている彼女の様子からは、いつもの余裕は感じられない。

「一柳さんに土谷さんに井沼さん。またみんなで温泉行きたいな」

「……うん」

 渇き、疲労、痛み、そして彼らの襲撃に備え緊迫し、削りとられていった心。

 闇の中を進みながら過去に思いを巡らすと、色彩を放ち、ありありとした形を伴ったイメージが頭をよぎった。これが「穴は過去を呼び起こす」と井沼さんが言っていた現象なんだろうか。

 視界に広がる闇はさておき、溢れてくる懐かしい地上のイメージに脳味噌を委ねる。

「死を構成するのは時間、生を縛り付けるのは空間。冬の味覚は……? そう、蜜柑。これはただの冗談ではない。皮を裂いたその先に、全てを内包したそれが待っているということ」

 不気味なことをぶつぶつと呟いている彼女の手を無言で引きながら、僕は、アレと出会った日のことを思い返していた。結局あの一件からずるずると、僕は、あいつらに引きずり込まれるようにしてこの暗がりの穴の中へと潜ることになってしまったんだ。



  * * *



 炎天下に揺らめくアスファルト。錆び付いた信号が赤から青に変わると、人々が一斉に電気街に向けて歩いていく。前世紀からずっと、この場所にあり続けたケバケバしい電飾に彩られたビルの足元を、忙しなく人々が行き交っていた。

 取り残された僕は、ふとぎらつく太陽を右手で隠して空を見上げる。みんな目の前のことに必死になってばかりで、誰もあの空を見て夢を想ったりしない。空は、僕らの抱いた想いを、こんな風に軽やかに受け止めてくれるっていうのに……なんて。ちょっと小恥ずかしいポエムを心の中で読んでから前を向き、横断歩道を駆け足で渡る。頭上に架けられた高架橋を、山手線が音をたてて通り過ぎていった。

 東京の北西部外れにある白神区から、電車で一時間半かけて秋葉原にやって来た僕の右手には、三万円という大金が握り締められていた。ぐっとポケットに押し込んでその感触を確かめる。

「いらっしゃいませ、ご主人様ぁ」

 不意にメイド服を身にまとった女が声をかけてきたので、視線を合わさないようにして細い路地へと逃げ込んでいく。ちらっと見た感じ僕らと同年代かってくらい幼い顔立ちをしていて、結構かわいかったんだけどさ。今は、そんな誘惑にかまけてる時じゃない。

 路地には露店が建ち並んでいて、旧世紀の漫画を売る店や、パソコンのジャンクパーツを売る店なんかがあって、様々な商品が所狭しと薄汚れたビルの谷間で売られていた。

 店頭に並ぶ商品は、白神の街では見たこともないような珍しいものばかりで、例えばそこにあるテヅカオサムの鉄腕アトムなんて、悪友の新井場が前にしつこく薦めてきた漫画で、いつか読んでみたいと思っていたものだった。遥か昔の、2003年を舞台とした漫画だってのに、今よりずっと未来的で、SFっぽい世界が描かれている漫画なのだそうだ。

「はいはい、お兄ちゃん。寄っていってちょーだい!」

 中国系の小太りの男が、漫画を見つめる僕の熱い視線に反応して、声をかけてくる。店先に集まっている男たちにまぎれてとりあえず立ち読みでも……と、一瞬誘惑にかられたが、帰りに寄ればいい。とりあえずはパソコンだ、と我に返って早足で歩き出す。

 そう。僕は、この街にパソコンを買いに来た。とにかくパソコンが欲しいんだ。

 パソコンで何がしたい? と聞かれてもよく分からない。CGも描いてみたい。音楽もやってみたい。インターネットで色んなものを見てみたい。なんでもいいんだ、この頭の中のモヤモヤを、全部吐き出す事ができれば。僕の手はちっぽけで、パソコンがなけりゃなにもできないけど、パソコンがあればきっと何か出来る。人より立派なものが、何か出来る。そんな予感があった。

 新井場が親に買ってもらったという最新のパソコンを思い浮かべる。部屋中に自分で作ったホログラフィを投影できて、すこぶる映像感度もいい。本当に彫刻を作るように、ホログラフィを作っていた。

「パソコン買うなら、ピーショップ♪ 安いが一番、一番安い。あなたの味方、ピーショップ♪」

 通りに響き渡るその暢気な歌に、僕の心は躍った。

 八階建ての巨大パソコン販売店、ピーショップ。外壁は全てモニターになっていて、色んなパソコンやゲーム、アニメなんかの宣伝が流れていた。

 店の前に立つと自動ドアが音も立てずに開き、クーラーによってキンキンに冷やされた店内の空気が、汗だくになった僕の身体を優しく包み込む。まるで天国。周囲には無数のパソコン。いよいよ僕も、それを手に入れるのだ。



 パソコンは三万円では買えない。

 そんなことは僕だって分かってる。

 だけどここは秋葉原。その街で高らかに「一番安い」と歌っているのだ。あり得ないことがあってもいいじゃないか。

「進行の妨げですぅ」

 白いドーム状の頭を持った四足歩行のロボットが、僕の右足に何度も何度も体当たりをしながら、萌え声でそう繰り返していた。

 最初はパソコンが欲しいという僕を、店員はまるでお客様は神様だとでも言わんばかりの態度でリスペクトしてくれていた。

 新井場が持っているような超高性能なパソコンや、球体の超かっこいいデザインのパソコン。手の平サイズだけど、その場でホログラフを投影して、映像や音楽なんかを作れるパッド型パソコンなど色々お勧めしてくれた。

「それで、ご予算はおいくらで?」

 僕は握り締めた三万円の感触を確かめて、それを告げた。

 告げた途端に店員は、蔑んだ目で僕を見下し苦笑いを浮かべた。

「最低でも四十万円からとなりますね。三万円じゃハードディスクも買えませんよ」

 店員はそのまま軽く頭を下げて、どこかへ消えていった。

「進行の妨げですぅ、進行の妨げですぅ」

「うるさい」

 パソコン売り場で呆然と立ち尽くす僕に、何度も体当たりしてくる四足歩行のロボットを逆さにひっくり返す。逆さになったロボットは、反転することができずにもがき続けた。

「いたずらは止めて欲しいですぅ。ううぅ~」

「ばーか!」

 目端に涙を溜めながら、僕はピーショップを駆け出ていった。

 照りつける灼熱の太陽に外の世界は飲み込まれたまま。僕は、吹き出した汗をハンカチで拭う。天気予報じゃ今日の気温は四十四度と言っていた。どうかしてる。

 期末試験が終われば、すぐに夏休みがやってくる。アルバイトは、全面禁止という学校のルールを遵守して生きてきた僕だけど、どうこう言ってられない事態になった。飛び越えるべきハードルは四十万だ。小遣いだけではどうにもならない。

「アルバイトかぁ」

 僕に一体、何が出来るんだろうか?

 人付き合いも苦手で、体力もない。父は高校時代に新聞配達のバイトをしていたと言っていたけど、エコロジーと効率化の観点から、数年前に紙媒体の新聞は世の中から消えた。はたして僕に出来る仕事は、まだこの世界に残っているのだろうか?

 肩を落としながら、とぼとぼと歩いていたその時。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 と、街の賑わいを切り裂く、つんざくような叫び声が聴こえてきた。

 そのひとつの叫び声の後に、無数の怒号と絶叫が入り混じった混沌とした声が街に広がっていく。向こう側から怯えた顔をした人々が、走ってきては逃げていく。

 僕はふらふらと逃げてくる人波の流れに逆らって、叫び声がした方へと歩いていく。突然のことだからか、何か不味いことでも起きたのかな? くらいの軽い感覚でしか現状を捉えられないでいた。

 大通りに出ると、横断歩道の手前に『下半身だけのメイド』が立っていた。

 それは多分、秋葉原に来てすぐに、僕に「ご主人様」と声をかけてきたあのメイドだった。胴から輪切りになっていて、上半身がないのだ。下半身だけが、血まみれになって道路に立っていた。

 サイレンの音が遠くから聴こえてくるけど、なんだかその音に現実感が伴わない。

 ぼんやりと視線をメイドから外したその先に、体長三メートル程の巨大な土の塊が立っていた。蔦が絡まった黒い土が、まるで犬のような形をして立っているのだ。その口には血にぬれた石の牙が生えていた。

「ツチクレだ!」

 誰かがそう叫んだ。その土や石で出来た体躯は、まるで生きているかのように脈打っていて、教科書の写真で見たのとはまるで違う、不気味な存在感を持ってそこに佇んでいた。

 巨大な犬の形をしたそれは近くの人間に飛びかかり、鋭い石の牙で簡単にその人の首を噛み切ってしまう。その横にいた痩せた長髪の男は、腰を抜かしてツチクレの足元にへたり込んでしまっている。

 まるで眼のような、黒く沈んだ穴がツチクレの顔には二つあって、へたり込んだ男へと視線を向けていた。その眼の黒さは、黒を越えた黒というか、何かカラフルな僕たちの存在を真っ向から否定するような強烈な黒で、見ているだけで胸の中がざわめいた。

「助けて!」

 へたりこんだ男が、誰に言うともなしに声をあげる。近くにいた友人らしき男は、男を見捨てて走って逃げていった。

 助けようと駆け寄る人もいた。勇気のある人だ。だけどツチクレの振り下ろした右前足は、その人の身体を強烈に打ち、ゲームセンターの外壁に叩きつける。外壁からずり落ちたその人の首は、反転していた。

 あまりにも無力な人間を、圧倒するそれ。

 ああ、ここにいたら危ないんだな。僕は、やっとその単純な事に気が付いた。

 好奇心で集まってきた人々も、大体僕と同じタイミングでそう思ったらしく、弾け飛ぶように逃げていった。僕だって走った。目の前で転んだ女の人が、後から走って来る人に蹴飛ばされていたけれど、振り返ることなくただ前を向いてひたすらに走った。肉を裂くような嫌な音や、悲鳴が、背後から聞こえてくる。



 気が付けば秋葉原隣の駅、御茶ノ水まで走って来ていた。周りには、僕と同じように息を切らした人々がいて、今僕がこうして生きていられるのは、単にツチクレが僕に標準を合わせなかったから。ただそれだけの理由で僕は生き延び、そうでなかった何人もの人々があそこで殺されたんだ、と思った。

 駅には沢山の警官や自衛隊員がいて、スピーカーで何か呼びかけていた。

「秋葉原に、現在、犬型動体鉱物ロ-002302号が発生しています! 現在、自衛隊が対処しておりますので、秋葉原方面へは行かないようにしてください」

 その警告の言葉だけでは、全く事態を実感できていない様子のお茶の水に元々いた人々が、ぶつぶつと不満を口にしている。なんていうか、平和な光景だった。

 電車も止まってしまっていて、帰れるようになったのは、真っ赤な夕焼けに辺りが包まれてからだった。

 駅に設置されたテレビモニターに、ニュースが映し出されている。死者十七名。そこに僕が入っていないことが不思議で、何故だか涙が溢れてくる。

 荒川をぶったぎってできた、日本で一番大きな『穴』から出てきたツチクレが、自衛隊の監視の目を潜り抜け秋葉原までやってきたらしい。

 満員の電車に乗り込むと、僕は人々に押しやられて車窓に顔をぴったりとくっつける。窓の向こうを、夕日に焼かれた街が通り過ぎていった。

 マンションや家々がひしめく住宅街に、鉄柵に覆われた地区があるのが見えた。鉄柵に覆い隠されたその地区に目を凝らすと、深く、巨大な『穴』が存在しているのがなんとなくだけど分かる。巨大な穴だ、かなり遠くにあるはずなのに、ビー球くらいの大きさがある。

 街の中に不自然に空いた大穴。あの大穴は八年前、隅田川沿いに発生したものだ。当時は大騒ぎになったらしいけど「迷惑な話よね」なんて、カラスが大量発生したくらいの調子で母さんは話していた。

 その穴の深い黒さは、あの化け物の眼の暗さを思い出させる。これでもかってくらいに何重にも設けられた鉄柵が穴を塞いでくれているから、遠くからでもまだ安心して見ていられるけど、それがなきゃ視界にも入れたくないような不愉快なものだ。

 最初の『穴』が現れたのは、ちょうど十年前の事だった、らしい。まだ小さかった僕は、その時の事を覚えてはいない。今世紀に入ってから、日本が巻き込まれるような大きな戦争もなければ、飛躍的な進歩も進化もないこの穏やかな世界に、突如としてそれは現れた。

 最初はイギリス、次にアメリカ、その次は埼玉と、次々と出現した大穴は、さっき見たツチクレという土や石で出来た化け物を吐き出していった。原因は全く分かっていないらしいけど『穴』について教えてくれた中学時代の理科の先生は、こんな風に言っていた。

「それは、つまり虫歯みたいなものなんだ。いよいよ地球資源は枯渇し、資本主義社会は行き詰まり、逃げ場のない場所に来ているというのに、ただ停滞の中で生きていけばなんとかなる。人類は、なしくずし的に幸福になる。そんな甘ったるい幻想に支配された、僕たち地球に住む者が負った虫歯なんだよ、きっとね」

 科学的には、なんら解明できていないからって、そんなセンチメンタルな言い方で誤魔化しちゃってさ。理科の先生としては失格だなと思った。僕はその先生のことは、結構好きだったけど。

 僕らの時代、2061。鉄腕アトムのようにはなれなかった出来損ないの未来。とにかく原因不明の大穴は次々と世界中に現れて、ツチクレと呼ばれる化け物を吐き出し続けている。

 目を瞑ると、転んで蹴り飛ばされ、そのまま誰にも助けられずにいたあの女の人の、恐怖に歪んだ表情が鮮烈に浮かんでくる。後戻りして彼女を助けようという選択肢は、あの時はまるでなかった。僕に出来る事は、全ての恐ろしいものからただ逃げることだけ。

 家に帰って沢山眠って、忘れて、出来る限り心穏やかに月曜日を迎えよう。そう心に決めて目を開くと、車窓の外には夕闇に明かりを灯した、平穏な町並みが一面に広がっていた。幸いなことに、あの目障りなぽっかりと空いた穴は既に過ぎ去り、見えなくなっていたので、僕は張り詰めていた緊張を解くように、ふぅと大きく一息吐いた。

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