表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無垢・Age17  作者: 美紀美美
9/13

冬休みの最終日

残った二回分の青春十八切符を使用して、再び東京へ来てます。

 冬休みの最終日。

私達は残っていた青春十八切符を使って、又新宿にいた。


西口の先から延びる舗道を歩くためだった。



三元日の雑踏を避けて明治神宮に参拝するためだった。

でも何処もかしこも人でいっぱいだった。



代々木駅のその先に緑の固まりが見える。



「ホラ其処が神宮だ」

アイツの手に力が入る。



「やっと巡り逢えたのに、又離れるのは辛いから」

アイツは泣いているように思えた。

私はロングマフラーを外し、アイツに寄り添いながら二人の首に巻き付けた。



「これが本当の首ったけ。なんちゃって。ちょっと古いか? だってもう離れたくないもん」

私はちょこんと舌を出しながら、アイツの腰回りに抱き付いた。


アイツは大胆な私の行動に驚きながらも、私の体を自分の方に抱き寄せた。



参拝が終わったらラブホ代わりにアイツのマンションへ行く。

本当は契約を解消するためだった。


アイツったら、クリスマスイヴの日に私を追い掛けた以来持ち主に連絡していなかったのだそうだ。



でもその前にロマンチックな一時をアソコで送ろうと思ったのだ。





 バスルームのガラス越しに見えるアイツの手が私を誘惑する。

私は素直にそれに従った。


本当はずっと待っていたんだ。

そんな素振り見せないように気を遣いながら。

だって、アイツに笑われる。

私の気持ち知ってるくせに意地悪なんだ。



タオルで女性の部分を隠し、バスタブの側面に背を凭れた。


私も悪戯したんだ。がっちりガードして。



でもアイツは場所を移動させると、無理やり私の背後に回った。



何時かこの手に取ったアイツの愛用シャンプー。

今、二人の香りに変身する。



アイツの手が私の髪に触れる。

その精細な指先が私の髪を洗い出す。


私は驚いてアイツの手首を掴んでいた。



「辞めてほしい?」


アイツの言葉に首を振る。

でもドキドキが収まらない。

これ以上遣られたら、私は悶え苦しくなる。


それでもそれに耐えようと思った。

アイツの吐息を首筋に感じながら、私は静かに目を閉じた。



「じっとしてて……」

妙になまめかしいアイツの言葉に心臓が跳ね上がった。


ドキドキなんてもんじゃない。

息すら出来なくなる。

それはあの……

過呼吸症候群さえ追い抜きそうな気配だった。



「このままでいさせて、みさとの柔らかい髪が好きだ」


アイツはそう言いながら私を優しく包み込んだ。





 今度は私の番だった。


私はアイツの髪に指を通して、地肌をマッサージするように髪を洗い出した。



「あっ、其処……気持ちいい」

顔が近いせいか、吐息が妙にくすぐったい。


二人でお互いの髪を洗い合うなんて想像もしていなかった。


私達は泡だらけになりながら、愛の行為に酔っていた。



甘い優しい時間。

私は冬休みの最後の昼下がりを満喫していた。



アイツの腕が背後から私を抱く。

本当は待っていたくせに困った顔をする。



アイツがもっと優しくしてくれることを期待しながら……



そんな幸せを噛みしめていると、何故か涙になった。



「みさとの涙は綺麗だ。でももう泣かせたくない。だけど泣きたくなったら無理しないで泣いていいよ。俺はみさとの涙を拭うために遣わされたナイトだから」


アイツはそう言いながら、もっと強く抱き締めた。



「だから一人で抱え込まないで。辛いって字を思い出して。それを俺が変えてあげるから」


アイツはそう言った。





 アイツの寝室に初めて入って驚いた。


其処にはやはりベッドしかなかったんだ。



アイツは週刊誌の記事が出ることを知って、身辺整理をしたのだと言った。


父親の元か、田舎に帰るか悩んだそうだ。

そんな時に、私が現れたのだ。

だから迷わず追い掛けたと言ってくれた。





 アイツはベッドまで私をエスコートした。


それがあまりにも様になっていて、ホストだった事実が頭を掠めた。



(――ジンか、神って呼ばれていたのよね)


私は少し戸惑いながら恐る恐る顔を上げた。


さっき、アイツは私のナイトだと言った。

でもそこにあったのは、想像さえ通り越した王子様の姿だった。



「王子様……」

思わず口に出る。



「だったらみさとはお姫様だな」

アイツは悪戯っぽく言うと、私の背後に回った。


優しく抱き締めてほしかった。



でもそのままベッドに押し倒される。

うつ伏せ状態で無抵抗にさせたアイツは、私の項に唇を押し付けた。



「あっ……」

心臓がちぎれそうに波打つ。


私はたまらずにシーツを掴んだ。





 長く深い一瞬が始まる予感。


そうなのだ。

今日は時間がない。

それでもこの一時に、アイツは自分の愛の全てを私に伝えようとしていた。



でも、だからこそ私は悪戯をする。

バスローブの下に洋服を着ていたのだ。


アイツの困った顔は見えない。

でもきっと目を輝かせているはずだ。

私はただ、アイツの指先を待っていた。



服が一枚ずつ剥がされていく。

その度に重なる肌が熱くなる。



項から背中にアイツはキスをする。

肌を滑る様な愛撫は私を震え立たせる。


姿が見えない分、私は感覚を研ぎ澄ます。


くすぐったいのは通り越して、快感に酔いしれる。



アイツの愛がやってくるまで、私は何度も身もだえた。


でも、アイツはそれを楽しんでいるようだった。


やはり、アイツは私の仕掛けた悪戯さえも楽しんでいたのだった。





 そして、ベッドの上にさっきの辛いと言う字を指で書き始めた。



「良いかい。この字に一を加えてごらん」


私はその横に辛と言う字を書いて上に一本棒を引いた。


それは……

幸と言う字だった。



「これって……」



「辛い時は支え合えば幸せになれる、ってことだよ。だからもっと頼っていいんだよ」


アイツは涙ぐみながらそう言った。



どちらともなく唇を求め合う。

そしてそれはもっと激しいキスに変わっていった。





 「みさとのお義母さんに幸せになってもらいたいな」

背中から回された手に力がこもる。

私はそっと振り向いた。


アイツは泣いていた。



「父は今、東南アジア諸国を回りながら技術者を育成しているんだ」



「え、東京じゃなかったのですか?」


そう……

私は東京にいるものだとばかり思っていた。



「心配すると思って、何も話さないで出向したんだよ。勿論俺も一緒に。でも俺は大学に行くために帰ってきたんだ」



「お義父様は凄い技術者だって聞きましたが、やはり……」



「ああ、だから一緒に行った俺はかなり優遇されていたんだ」



「あっ、もしかしたらさっきの寮って」



「うん、其処だった。どう言う訳か、男ばかりにもててさ……。だから本当にみさとが初体験なんだ」

アイツは頭を掻き掻きベッドの隅に座った。





 何故アイツがそんなことを言い出したのかは解らない。

でもそれは思いやりの心で溢れていた。



私の母とアイツの父。

二人がまだ愛し合っているなら……

きっとそんなことを想像しているのだと思った。



(――私はいいよ。お母さんが幸せになるんだったら。だって私は母に楽をさせるために就活していたんだもん)





 私はきっと、ううん絶対に世界で一番幸せ者だ。

だって大好きな人が、飛びっきり優しい旦那様になってくれた。

私の匂いが気にならない職場に就職してくれた。

その上誰よりも、家族を大切に思ってくれている。

こんなに素晴らしい人生を過ごせる人間はそうはいないだろう。


何よりアイツは歌舞伎町のお堅いクラブのナンバーワンホストだったのだから、心だけじゃなくて顔もイケメンなのよね。



でも以前母が言っていた言葉を思い出した。



『イケメンって言うのは顔が綺麗なんじゃないの。イケてるメンズって略語だから』



(――イケてるメンズ……か?


――うん。やっぱりアイツのことだ)

私はそう思った。





 「実はこれ……」


部屋を後にする時、アイツはそう言いながら一冊の週刊誌をバッグから取り出した。



「これは?」



「きっとみさとにとって大事な人なんじゃないのかなーって思ってさっき此処に来る途中で買った」


アイツはそう言いながら、指でページを捲った。


それは……

橘遥さんの記事だった。



「橘遥さんは、モデルになるんだってさ。ホラ、みさとが気にしていただろう?」


私はそんなアイツの声を聞きながら、その記事に目を移した。





 橘遥さんが、あの美魔女社長の元でモデルデビュー。


その話に触れて、私はもうこれ以上の幸せはないと思われるほどの絶頂にいた。



優しいキスと愛撫に満たされた体。


そして心配していた方の嬉しい便り。



タイトルは【アラサー橘遥。新たなる決意!!】

だった――。



私は早速読み始めた。



「ぷっ!!」

でも私は、其処に書かれているある一言で吹き出した。



「ガッ、ハハハ……」

そのお陰で笑いが止まらなくなった。



「どうした?

一体何が書いてあるんだ!?」


アイツはキョトンとしていた。


それは私にしか解らないことだった。



「いいの。橘遥さんの、ううん女性の秘密」


私はその場を繕った。




「あ、駄目だ。ガハハハハ……」

又、思い出して笑う。

アイツは困って、私の唇をキスで塞いだ。


それでも結局私はずっと笑い転げていた。





 アイツは仕方なく、私の肩を抱いてマンションを後にした。


もう二度と見られなくなるその愛の巣に思いを馳せる。

それでも私は笑いが止まらずにいた。



「それにしても個性的な笑い声だな。聞いててコッチも愉快になるよ」


そう言われて見ると、アイツも笑っていた。



「開けっ広げとか、大ざっぱとか言いたいんじゃない?」

私は悪戯っぽく聞いた。



「いや、おおらかなんだよ。きっと色々吹っ切れたんじゃない?」


アイツは嬉しそうに言った。



そう……

確かに私は吹っ切れた。


ハロウィンの悪夢も、パニック障害からも……


だから嬉しくて、あんな笑い方になったのだと思った。





 でも冬休み中の小旅行はそれだけでは終わらなかった。


アイツはその後、美魔女社長のオフィスに立ち寄ってくれたのだった。



「お久しぶりでーす。社長ー!!」

私は、興奮していた。


目の前に新宿で会ったまんまの美魔女社長が居たからだ。


社長はあの時と同じ、十代だと言っても過言ではない美しさを保っていた。


でも、橘遥さんの顔を見るなり又吹き出した。



「何よいきなり。気色悪い」



「だってー。社長と橘遥さんが同期生だったなんて知らなかったんだもの」


私のその言葉を聞いて、橘遥さんの顔に焦りの色が見えた。



「三十路ねえー。アラサーねえー」

私は挑発していた。





 そう、あの週刊誌に書いてあったのは嘘だった。

アラフォーの社長の同期生がアラサーってことはないのだから。



「どうせだったら一回り。そうすれば干支も一緒ですよね?」

笑いを堪えて言う私。

口をトンがらがす橘遥さん。

二人は本当は親子ほど歳が違う。

だって社長と橘遥さんは同期生で私の母とは一つしか離れていなかったのだ。

橘遥さんも美魔女だったのだ。



「アンタ良く記事を読みなさい!! 同期生で同級生とは書いてないでしょう? それに、そもそも社長が若過ぎるのよ!!」


橘遥さんが週刊誌の記事を指差しのながら、私に迫る。


私は思わず仰け反った。



「私達が大学の同期生になった時、社長はアメリカから帰国したばかりで……年齢は一緒じゃないのよ!!」


橘遥さんはそう言って部屋を出て行った。



「えっ!?」


私はとんでもない勘違いをしていた。

確かに同期生と同級生は違うのだ。





 私は言葉を失った。

すぐに謝ろうと部屋を出て橘遥さんの姿を探した。


でも見つけることは出来なかった。


アイツは私の後を付いて来てくれた。

私はその優しさに涙ぐんでいた。



「社長がもうすぐアラフォーだって聞いてたの。だから記事読んで笑っちゃったんだ」

アイツの耳に内緒ごと。



「早とちりと慌てん棒も加わったか? これじゃ、俺の奥さん無敵になるばかりだな」

アイツはそう言って笑った。





 アイツは悄気ている私の手を引きながら、部屋に戻った。



(――えっ!)

私は一瞬見間違えたかと思った。

橘遥さんは其処にいてコーヒーの準備をしていた。


さっき部屋を出たのは、コーヒーカップを持ちに行っただけだったのだ。



「驚かせないで」

思わず口から出たのは泣き言だった。

私は本当に慌てたのだ。大切な方を怒らせてしまったと思って……



「社長の特製コーヒーだから、飛びっきりのカップ……」

橘遥さんの声も上ずっていた。それは明らかに泣き声だった。



「ありがとうございます」

それだけ言うのがやっとだった。


橘遥さんの思い遣りが、注がれるコーヒーに漂っていたからだ。

私のために……

こんな私のために特別なカップ&ソーサーを準備してくれた。

その優しさに、私は又泣いていた。





 「ご無沙汰してます。あの時は本当にありがとうございました」


突然アイツが言った。

そして、社長をまじまじと見つめた。



「ジン……やはり貴方だったのね」



私はそんなアイツの行為に何故か不安になった。



(――えっ!?)

その時私は社長に嫉妬していた。



『俺のことをジンと呼んだ人は大得意先なんだ。その人を怒らせたから……、本当は辞めてきた』

あの時アイツはそう言った。



『やはり私のせいじゃない』

私が申し訳なさそうにしゃべると――



『違う。俺のことをリークしたのはあの人だ。ホストには永久指名権ってのがあって、一度付いたらずっとそのホストを指名しなくてはいけないそうだ。あの人は前任者にスキャンダルをでっち上げた。そのお陰で俺がナンバーワンになれたんだ』


週刊誌を丸めてギュッと握りしめたんだ。



(――ねえジン。社長はジンにとっても大事な人なの?)





 私はさっきまで、もうこれ以上の幸せはないと思われるほどの絶頂にいた。


ところが今、ジェラシーの炎に胸を焼かれている。



アイツと社長は一体何時から知り合いだったのだろう?



(――確かに社長はジンと呼んだ。


――昔からの知り合いだったのよね?


――イヤだ。イヤだ。何故私はこんなに取り乱しているの?


――ジンは私を愛してくれているのに……)



初めて覚えた感情。

私もただの女だったのだろうか?

嫉妬に狂った私を、無垢などとは呼べない。

もう、その言い訳も通じないだろう。


私も歌舞伎町にいた、年配の女性と変わらないのではないのだろうか?





 私の心配を他所に、二人は親しそうだ。

思い出話に花が咲く。そんな雰囲気だった。



「私達は、ニューハーフのコンテスト会場で知り合ったのよ」


私を気遣うように社長が言った。



「えっ!? 社長もしかしたらニューハーフなんですか?」


私はとんでもない質問をしたことに気付いた。

でも、言ってしまったものはしょうがない。


私は開き直ったように聞き耳を立てた。



つい最近。

日本のニューハーフの人が、コンテストで優勝したとかで騒がれていた。


東南アジアでは、今急増しているらしいとは聞いていた。

でもアイツはどうして其処にいたのだろう?

そっちの方がヤケに気になった。





 「前に話したろ。俺に言い寄った彼のこと。彼奴がニューハーフになってコンテストに出場したんだ。俺は何も知らずに呼び出され迫られた」



「偶々私が其処に居て、彼を助けた。……と、言ったら大袈裟だけど、本当に危機迫るって感じだったからね」



「彼奴は、男だから相手にされないんだと思い込んで女性になっちゃったんだ。それが日本に帰るきっかけだった。だって自分のせいで、一人の人生を変えさせたんだよ。その事実が怖くて仕方なかった」



(――凄い……)

それ以外出てこない。

アイツには……男性も迷わすオーラが備わっているらしい。





 「お前のチェリーを捨てさせてくれ。って彼迫られていたのよ。だから未経験だと思ったの。その通りだったでしょう?」

社長が笑いながら言う。

私はそっと頷いたた。

でもその時、チェリーと聞いてピントきた。


それはあの週刊誌にあった、チェリーボーイだった。



「あの……、チェリーボーイって何ですか?」

私は明け透けに聞いていた。



「ぷっ!!」

其処にいた全員が吹き出した。



「田舎の高校生が、普通知らないわよねー」

橘遥さんは笑いを堪えながら言う。


みんな大笑いしている姿を見ている内に、とんでもない質問をしたのではないのかと思った。





 「チェリーボーイって言うのはね。日本だと未経験者という意味かな? でも英語では違うのよ。同性愛者での未経験って言う意味なのよ」



「週刊誌にゲイだと書かれていただろう? それも未経験だからチェリーボーイってタイトルだったんだ。ま、知ってる者は知ってるって感覚かな?」


アイツは笑いながら、私の疑問に真っ直ぐに答えてくれていた。



「みんな知っていたんですね」



「それが売りって訳ではないけど、誰が先に落とすかって賭けになっていたのかな? だから、沢山指名されちゃった訳よ」

私の質問に社長が答えてくれた。



(――ああーん。やっぱり羨ましい)

私は相変わらず、社長にジェラシーを感じていた。

そうやってナンバーワンは生まれたのかな?



「オーナーが残念がっていたわ。彼ね、本気でジンにあのクラブを任せる気でいたからね」


社長が意味あり気に笑っていた。





 「私はジンに、知り合いのホストクラブを紹介したの。働きながら勉強したいって言うからね」

社長はアイツの様子を気にしながら続けた。



「あっ、そのオーナーがこの前此処にいた子の父親よ。アメリカで成功した人なの。アメリカンドリームって言うのかな? 物凄くお金持ちでね。日本に帰ってお店をオープンさせたの。そのオーナーが丁度ボーイを探していたから紹介しただけなんだけどね。」



「ボーイと言うのはホストの身の回りのお世話や、お客様にドリンクを提供する裏方の仕事だよ。昔は引退したホストの人がやっていたらしいけど、今は見習いも兼ねているようだ」



「彼は十八歳だったから、何とか土日だけ働けたの。お酒の相手は出来ないけどね」



「でも、キツイの飲まされたんだ。お陰で急性アルコール中毒にさせられたよ。大学にも酒を飲まされたこと知られて……」


アイツは胃の辺りをおさえた。



「ノンアルコールのドリンクだったから一気飲みしちゃって」





 「私知らなかったわ。オーナーに厳重注意ね」

社長が言うと、アイツは首を振った。



「オーナー、知らないんです。悪戯で仕掛けられたので」



「悪戯?」



「誰が入れか解らないんです。ソーダにテキーラか何か混ぜられて……気が付いたら病院だった」


アイツの話を聞いていたら泣けてきた。

そんな思いまでして頑張ってきたのに、私のせいで辞めたんだと思って。



「みさとのせいじゃないよ。俺が彼処を辞めたのは汚い陰謀のせいだからね」


陰謀とアイツは言った。

あの年配の女性が、脳裏を掠めた。





 「ところで、ねえジン。大学はちゃんと卒業したの?」


社長の言葉に私は戸惑った。



「実は今年卒業の予定でした。単位は獲得してあります。後は卒論だけですが、もういいか……なんて」



「そんなのダメー!!」

私は大声を張り上げた。



知らなかった。

アイツが大学生だってこと。


本当に何も知らなかったんだ。


まして、卒業を目の前にして、退学するなんてことまで考えていたなんて。



「行って。ちゃんと大学卒業して。私のために諦めたなんてイヤだ」


私は号泣した。

私だって今年卒業する。

勉強は出来なくても何とか頑張ってきた。

でも高校と大学は違う。

雲泥の差……

って言うのかな?

物凄く待遇も違うはずだから。





 『父は今、東南アジア諸国を回りながら技術者を育成しているんだ。心配すると思って、何も話さないで出向したんだよ。勿論俺も一緒に。でも俺は大学に行くために帰ってきたんだ』


私が尋ねると……

アイツはそう言っていた。

私はただ受け流していただけなんだろうか?



「ねえ、ところで一体何時勉強してたの?」


取り繕ってそう聞いた。

考えてみれば不思議だった。


一緒に暮らしていた時、アイツは昼頃には戻っていたのだ。大学は午前中だけの授業ってことはあり得るはずもないから。



「実は夜間大学なんだ。授業料も割安だしね。第二部とも言うんだ。五年制のと四年で卒業出来るのもある。俺は四年制で今年卒業予定だったんだ。それに、クラブはラストに入れるしね。だからそのまま仮眠させてもらったんだ」


夜間大学と聞いて、私はアイツが勉強が本当に好きなんだと思った。

だからやはり、卒業させて遣りたいと思ったんだ。



「でもそれっておかしくない。クリスマスイブの時はお店に居たでしょう?」



「おいおい。肝心なこと忘れてないか? みさとは冬休みで此方に来たんだろ? 大学だって休みだよ。今度はおっちょこちょいまで加わったか?」

アイツはそう言いながら笑った。





 結局。

クリスマスイブの日にと同時刻に発車する列車で田舎に帰ることになった。

きっと又、午前零時少し前に最寄りの駅には着くだろう。

私は目まぐるしい一日を振り返り、そっとため息を吐いた。


それと同時に、安堵していた。

社長との関係や、オーナーとの関係が拗れたからホストを辞めた訳ではないと知ったから。

ましてや、私のせいでもないと知ったから……


私は安心して、不覚にも居眠りをしていた。



ふと、目が覚めて驚いた。アイツの顔が目の前にあったからだった。


アイツも相当びっくりしたようで、慌てて視線を外した。



勘だけど……

とか言って、本当は願望なんだけど。


アイツはキスをしようとしていたのではないのだろうか?


あの慌てぶりは尋常ではないと思ったんだ。





 明日から新学期。

でもきっとバレることなく卒業出来るだろう。

私は神野みさとのままでジンの奥さんになったのだから。



でも本当のことを知ったら、みんなきっと驚くだろうな。


私の旦那様は、歌舞伎町の元ナンバーワンホストだったのだから。



アイツは私に約束してくれた。

卒論だけは仕上げて提出すると――。


私はそれだけで満足していた。






美魔女社長は、神野海翔にとっても恩人だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ