二人だけのクリスマスエキスプレス
田舎へ戻るために待っていたホームに走り込んで来たのは意外な人だった。
今日はクリスマスイヴ。
だから何処もかしこも賑やかだ
これから、夜通し過ごすと見られるカップルが辺り構わずキスをしている。
見た瞬間に気恥ずかしくなり、目を反らせた。
そんな現存を見ながら、ホームに入ってきた田舎方面に向かう列車に乗り込んだ。
始発駅だからこの列車は暫く此処で停泊する。
時間はあるのに、すぐ乗客になった。
あのホームにいることが怖かったんだ。
それでも私は何気に窓際に座っていた。
クリスマスの風景が見たかったからではない。
第一、幸せオーラ全開なカップル達が犇めくホームなんて心が寒くなるだけなのに……。
それでも私はアイツのことを思い出しながら、その風景を見つめていた。
時々涙で目の前が霞む。
それでもそれを拭おうともしないでただ幸せそうな恋人達を目で追っていた。
私は自分とアイツの姿をそのカップルに投影させていたのだ。
その時私はあの週刊誌を持って来てしまったことに気付いた。
私慌ててそれをボストンバックの下に入れた。
ふと此方側のホームに目を移す。
其処もカップル達で賑わっていた。
でもそれは少し違っていた。
人波が別れたりくっ付いたり……
何だか右往左往しているように見えた。
目を凝らすと、一人の男性が掻き分けて走っているのが解った。
その人は……
見知った顔だった。
「嘘……」
私は目を見開きながら、その人の姿を追った。
信じられないことだった。
それはアイツだった。
アイツが私を追って来たのだ。
アイツは私と目が合い、そのまま乗り込んで来た。
信じられるはずがない。
アイツが同じ電車に乗って来るなんて。
「やっぱり此処だったか」
アイツは息絶え絶えに言った。
(――やっぱりって……何よ?)
私はアイツの言葉が判らず呆然としていた。
「もしみさとちゃんがあの切符を使うとしたら、きっとこのホームだと思ってね」
アイツはそう言いながら私の隣に座った。
「ごめん。俺これだけなんだ。あの切符の使用回数が余っていたら便乗させてくれないか?」
アイツはそう言いながら山手線の切符を見せた。
「うん、あるよ」
私はそう言いながらボストンバックを開けて、中から青春十八切符を取り出した。
アイツはそれを受け取ると、改札口まで全速で走った。
五個のマスの一つに改札印を押してもらうためだった。
青春十八切符。
言わずと知れた、学生向けの格安切符だ。
JR全線の鈍行や快速だけで利用出来るため、以前はその利用する殆どが卒業旅行などだった。
和気あいあい、仲間意識を高めるには絶好のアイテムだったのだ。
でも今では、ファミリーのお出掛けなどにも使用されるようになっている。
一枚で五回分使用出来る枠があり、料金は一万一千五百円。
一人でも大人数でも利用出来る。
あくまでも学生向けなので、春夏冬の休みに合わせて販売される。
今年の冬休み分は年末までの販売だった。
私が用意したのは西日本限定チケットで、普通のとは違うらしい。
改札口で念入りに確かめられたのを思い出した。
私はアイツが戻って来るまでホームで待つことにして一旦下車した。
だって私のチケットはアイツが持って行ったから、もし出発でもされたら無賃乗車になるからだった。
私はこの線の途中の駅で下車する予定だった。
其処から田舎まで快速が出ているんだ。
きっと今日中に最寄り駅までたどり着けるだろう。
もし間に合わなかったらもう一日分あるからいい。
そう思っていた。
でも思いもかけないアイツの登場で、そんなのはどうでも良くなった。
そんなことより、発車時間までにアイツが戻って来れるかの方が心配だったんだ。
息急きかけてアイツが戻って来る。
その姿に私は思わず涙ぐんだ。
アイツの視線と私の視線が絡み合いながら、徐々にその距離が縮まっていく。
その時ホームに発車の合図を知らせるベルが鳴り響いた。
私は一旦乗車して、ドアの真ん中にボストンバックを置いた。
こうすることで、ドアを閉めさせなくするんだ。
咄嗟の私の判断は、正解だったかのようにみえた。
でも本当はそんなことしなくても良かった。
ドアが全部閉まるまでには、アイツは私の目の前に居たのだ。
「良かったー。間に合ったー!!」
二人同時に言った。
さっき私のいた席まで戻って驚いた。
例の拾った週刊誌が座席に置いたままだったのだ。
私はアイツに気付かれないように、そっとボストンバックの下に隠した。
(――疑惑のチェリーボーイか?
――でもその部分、何も書いてなかったんだ。
――チェリーボーイって一体何なんだろう?)
「仕事は?」
青春十八切符を受け取りながら、一番気になったことを聞いた。
「辞めてきた」
アイツは苦しそうにそう言った。
走ったので息が上がったからだった。
「私のせい?」
それでも私は聞いた。
一番聞かなくてはいけないことを。
その言葉にアイツは首を振った。
それを見ながら、ホッとする。
それでもドキドキが収まらない。
(――きっと私のせいだ。
――そうに決まってる)
私はアイツの優しさが本当は怖くて仕方なかったのだ。
「俺のことをジンと呼んだ人は大得意先なんだ。その人を怒らせたから……、責任取って辞めてきた」
「やはり私のせいじゃない」
「違う!!」
アイツは少し声を荒げた。
それは私を庇うためだった。
「みさとのせいじゃないよ。こうなるように前々から仕掛けられていたからね」
アイツはそう言いながら例の週刊誌をバックから取り出した。
「えっ!?」
私は慌ててさっき隠した週刊誌をボストンバックの下から取り出した。
アイツが目を丸くした。
「読んだの?」
その言葉に頷いた。
「じゃあ解っているね。此処に書かれていることは全てデタラメだ。俺のことをリークしたのはあの人だ」
「……」
「ホストには永久指名権ってのがあって、一度付いたらずっとそのホストを指名しなくてはいけないそうだ。あの人は前任者にスキャンダルをでっち上げた。そのお陰で俺がナンバーワンになれたんだ」
アイツは週刊誌を丸めてギュッと握りしめた。
「さっきのキャッチもきっとそうだ。店の前で騒ぎを起こせば俺が出て来ると思ったのさ。だからみさとの責任じゃない」
アイツがみさとと呼び捨てにする度に胸の奥が痛む。
(――妹だと思っているから言えるんだよね?)
私は落ち込んでいた。
それでも必死に取り繕ろうとしていた。
「あ、だから敢えて禁止行為をしたのか?」
咄嗟に出た言葉に私は慌てふためいた。
アイツも私の発言に驚いたようだった。
「調べたのか? そうだよ。其所までして俺を追い出そうとしてたのさ。だからみさとが悪い訳じゃないんだよ」
アイツはそう言いながら窓越しに駅のホームを見つめた。
「以前、遠距離恋愛をしている恋人達がクリスマスに電車に乗ってデート現場に向かったんだ。クリスマスエクスプレスのキャッチフレーズに憧れて」
「昔から恋人達にとってクリスマスは神聖だったのね」
「新幹線のコマーシャルだったけど、これは……」
アイツは列車の天井を見ながら言った。
「これは二人だけのクリスマスエクスプレスだ」
と――。
今から十年以上前にあったというクリスマスエクスプレス。
今日此処に復活する。
私とアイツだけのクリスマスエクスプレスとなって。
でも私達は……
恋人同士ではない。
私は何故アイツがそんなことを言い出したのか判らずに駅の構内を見ていた。
本当はアイツを見つめていたかった。
でも恥ずかしくて……
所謂照れ隠しだったのだ。
『二人だけのクリスマスエキスプレス』
アイツが何でそんなことを言ったのかは判らない。
でも私は嬉しい。
痛み抱えたままで田舎に帰るしかないと思っていた。
母にどんな顔をしたら良いのかも解らなかった。
だけど今疑問が沸き上がる。
何故アイツが此処に居るのか判らないのだ。
これから数時間。
私はアイツと隣り合わせで座っていなくてはならない。
此処にいなくてはならない。
正直言ってそれが一番怖い。
私は醜態をさらけ出しそうなのだ。
『この子は何!!』
『アンタ何様のつもり!!』
歌舞伎町の路上で言われた声を思い出し、私は又突然震え上がった。
『妹だよ。妹だったんだ。大好きなのに……』
アイツの前で言ってしまった言葉。
もう取り繕うことなんか出来ない。
出来っこない。
だってアイツはみんなの前で、私のことを妹だと言ったんだ。
兄弟って認めたんだよ。
だから今更何なんだ。
何故此処に居るの?
私は嬉しいくせに、悪いことばかり考えていた。
『お騒がせして申し訳ございません。この子は私の妹です』
アイツはその場を取り繕うために私を妹だと言っていた。
(――でもそれだけ?
――本当の妹だと知っていたからだよね?)
私の心は爆発寸前だった。
これ以上耐えられないほどに。
二人だけのクリスマスエキスプレスでみさとの恋は何処へ向かって行こうとしているのだろうか?