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鳥人間  作者: 正坂夢太郎
旧い記憶
8/22

第八羽 「鵜飼家の食卓」

「ちょっと」

 母は弟を諫める。

「いィだろ、べつに。本当の事なンだから」

 弟は、ご飯の入ったお碗を一つ、盆からとり、誰もいない壁に投げつけた。恐らく、先程話題に上がった、弟が中学生時代に使用していた碗だろう。碗は、跡形も無く砕け散り、欠片が米粒を纏って飛び散り、その一つがたまに当たり、たまは痛そうに鳴いた。弟は眉を寄せる。

「俺がよくねェッつッたらやめろよ、すぐによ。ほら、こいつの皿はたまが持ッてきてくれただろうが」

 弟は、先程たまが持って来た“たまのいれもの”と書かれた皿を拾い上げ、机に置いた。

「米は自分で拾えよ、鳥女」

 私はギリッと歯を鳴らした。ギザギザに尖った歯が、噛み合った歯の表面を強く削る。

 何様だ、この人間は。

「早く残骸片付けろ、飯が不味くなる」

 母は盆を机に置いてから、床にしゃがみこみ、皿の残骸と米粒を拾い集め始めた。私はこの人間を吊し上げて、遥か空の高みから落下させ、今まで過ごしてきた人生の過ちに後悔させながら殺してやりたい、などというような悪魔的な考えに襲われかけたけれども、何とか堪えた。母が堪えているのだから、私も堪えなくては意味がない。

 母の涙が落ちる音が部屋に響いても、弟は眉一つ動かさなかった。


 ◇◆◇◆


 母が私達の右側の、入口を背にした席に座ってからしばらくして、父がやって来た。父は入口から一番遠い、私達の左側の席に座った。父が「いただきます」を言ったのに続いて、母、弟が「いただきます」と言う。私も手を合わせ、食べ始める。

 静寂が空間の大部分を支配し、野菜の噛む音、汁物を啜る音と、時折食器がぶつかり発せられる音のみが空間にこだました。結局、私の碗は、大鉢のどんぶりであった。母が食器棚から引っ張り出してきたのだ。大きな器に少量のご飯が盛られているので、みすぼらしく、他の人の碗より入っている量が少なく見える。

 皆、黙々と下を向いて、ひたすらご飯を掻き込んでいる。これも、普段からそうなのだろうか、と思い、母を見ると、目が合った。すると母は素早く目を逸らした。いや、母は私の目を見てはいなかったので、目は合っていなかった。母は私の腕―翼のついた腕―を見ていたのだ。

 そうか、と私は納得した。今は食事中であり、私は箸を持つために、必然的に腕を出さなくてはいけない。皆は、私の、翼のついた腕を見ないように、わざとずっと下を向いてご飯を食べているのかもしれない。

「ところで」

 父が口を開いた。

「真美の進路はどうする」

「進路も何も…」

 母は箸を静かに机に置いた。

「まずは高校に挨拶に行かないといけないわ」

「どこの高校だ」

樋川といがわ高校よ、真美が通っていた学校」

 樋川高校。またしても記憶に無い情報だ。私に関係のある情報のようだけれど、何の事だろうか。

「何故今更、真美があの高校へ行かなければならないんだ」

「なぜって…真美が無事帰ってきたことを、知らせないといけないでしょう?」

 父は顔をしかめた。

「…そうか」その言葉とは裏腹に、父はどこか納得していないようだった。

「けれど」母は私の目を見る。「少し休まないといけないと思うわ」

「何の事だ」と父が言う。

「真美のことよ。まだ記憶も戻っていないし、言葉もうまく話せないじゃないの」

「放っておけばいいだろう」

「放っておくって…どうして」

「そんなものは、勝手に治るだろう。鳥と一緒に暮らして人間の言葉が話せなくなったならば、人間と暮らしていれば、いつかは元の言葉を話せるようになるだろう」

「そういうものかしら」

 母はそう言った。

 そういうものなのだろうか。

 私は首を捻った。

「そういうものだ」

 父はそう言って、茶を啜った。


 ◇◆◇◆


 それから、最初に弟が席を立ち、次に父が席を立った。母は二人が上の階へ上がっていったのを確認し、机に無造作に置かれた空の食器を片付け始めた。弟と父が使っていた食器だ。

『真美』

 たまが私の足に爪信号をつけた。

『何』

『俺の食器にさっきの碗の破片が入ってるんだ、カリカリご飯に混じって取れない。取ってくれ』

 私はたまの足元の“たまのいれもの”と書かれた赤い皿の中を覗く。茶色をした固形状のものの中に、光輝く何かの破片が埋もれている。たまは私達がご飯を食べている間ずっと、この破片を取りだそうとしていたのだろうか。

『いいよ』

 私は翼についた指を伸ばし、たまのいれものから破片を取り出した。

『ありがとな』

 たまはそう言うと、その固形物をカリカリと小気味良い音を立てながら咀嚼そしゃくし始めた。私は破片を自分の着ている服のポケットに収める。

『ねえ、たま』

 私はたまの背中に爪信号をつける。たまは食べることに夢中なのか、反応しない。

『この家族って、ずっとこんななの』

 たまの咀嚼が止まった。私は続けて言う。

『私がいた頃も、ずっとこんなだったの』

 たまはゆっくりと私を見上げる。たまは、何を考えているのだろう。

『ずっとこんな調子で、毎日を過ごしてたの』

 たまは咀嚼を再開した。

『私はこの場所にいたんだよね、たま』

 たまは固形物を食べ終えると、私に爪を立てた。

『ああ』

 それだけ言うとたまは、たまのいれものをくわえて、部屋から出ていった。

 部屋には私と母と、静寂だけが残された。


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