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鳥人間  作者: 正坂夢太郎
鳥か人間か
20/22

第十九羽 「天地:α.鳥」

 弾丸は、まっすぐに私に飛来し、右翼を切り裂いた。紅の鮮血が、朝闇に迸る。私は体勢を崩し、翼を開いた。


「真…………美っ」


 鋭い叫び声が耳を突く。下を見ると先ほどまで私の背中に乗っていたはずの玉置が私に向かって手を伸ばし落下していくのが、見えた。彼の胸から夥しい血流が流れ出る。

 私は滑空し彼の腕を掴む。が、私の鳥の爪は彼の腕を無情に切り裂き、そこから血が飛び出した。捲れた皮膚が私の顔に張り付き視界を奪う。

 私が皮膚を除いて下を見ると、そこにはもう動かなくなった彼が横たわっていた。


「ア……アァ……ァ……アァアアアアアアァァアア!!」


 私は彼にすり寄る。彼はもう、どちらが頭なのかも分からないほど粉々に砕け、人と言うよりはモノのようだった。滴る血液が薔薇の花のようで、白い花瓶を思い起こさせた。


「ガ……アァ」


 いつのまにか私は、声が出なくなっていることに気付く。人間としての声を。そして腕からは爪が生え、頭からは髪の毛が無くなっていた。体のいたるところから羽毛が揃い、脚は細く、口はまるで嘴がそこにあるように出っ張っていた。

 血だまりに映る私の顔を見る。そこにいたのは私ではなく――――一羽の鳥だった。 顔は、ところどころ、味噌みそをつけたように斑で、嘴は平たく、耳まで裂けている。


 ――――これが私の望んだ姿とりなのか。


 辺りを見回す。銃弾が飛来した方向、100Mほど離れた別校の廃校舎の上に人影があった。青い煙を吹き出す人影はゆっくりと銃を下す。その銃の形に見覚えがある。“父”が使っていた火縄銃だ。


 ――――アイツの所為せいだ。


 ゆっくりと、翼が開く。銃を持つ人間は、私に狙いを定めた。

 彼が引鉄を引いた瞬間に飛び立つ。紅の月が揺れる。

 弾丸が当たらないよう旋回しながら彼に急接近する。彼は月の影が自分を覆うのを見逃さなかった。

 彼の弾丸が左翼に食い込む。弾丸は私の翼肉を抉り取り、貫通した。幸い血管の損傷は少ない。

 私の両爪が彼の肩の肉を削ぎ落とした。銃が離れる。彼は何かを喚いている。


「――――真――――――ど――――――鳥――――」


 煩いので口を切り裂く。面白いことに、彼の顔は、私と同じくらいに裂けた。醜い。当然の結果だ。

 私は声にならない嘶きをあげ、彼を掴み持ち上げる。そしてそのまま、校舎の上から放り投げた。そして地面が彼を押し潰す。



 ◇◆◇◆



 私は月に向かって飛んだ。誰に向かって感情を吐き出せばいいのか、何に向かって飛べばいいのか、もう分からない。

 空は青黒く、一面の星が瞬いていた。遠くの山焼けの火が彼女を体躯を照らす。彼女はその火と星明かりを頼りに上昇し、雲を突き破った。冷たい星明りの中、彼女は幾度となく飛び巡る。

 ある時はオリオン座を目指し、次に大犬座を目指し、大熊や鷲を目指した。しかし彼らは、彼女には目もくれず、美しく青や紫や緑に瞬き、灼熱の焔を散らすだけだった。


 彼女ははばたきを弱め、翼を閉じ、地面へと落下していった。そしてあともう一寸で地面というときに


『どうした真美』


 頭の中に声が響いた。それに声はないのに、あの犬の声が確かに響いた。


『もう死ぬの。止めないで』

『愚痴なら聞くぞ』

『聞いたところで、私が死ぬのには変わりない』

『だけど、真美には感情があるだろ』

『だからどうしたのよ。私は死にたいの。それに私は、あなたを虐待してた』

『些細なことさ、そんなもの』

『どうして許せるの』

『そりゃあ、俺は犬だからな』


 たまはにっこりと笑った。


『何があっても御主人を信じるのが、俺たち犬の仕事だからな』

『……馬鹿』

『よせやい』

『……ありがとう、“たま”』


 鵜飼真美は翼を震わせ、にわかに狼煙のろしのように天へ飛び上がった。天のなかほどへ来て、彼女はまるで鷲が熊をおそうときするように、ぶるっと体躯をゆすって毛を逆立てた。

 それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫んだ。その声はまるで鷹のようで、山や町に眠っていた生き物は、皆目を覚まし、訝しげに星空を見あげた。

 彼女は一羽の鳥となり、どこまでも、どこまでも、真っ直ぐに天へ昇って行った。もう山焼けの火は煙草の吸殻すいがらのようにしか見えない。彼女はひたすらに昇って昇って行った。

 寒さに息は白くこおり、空気が薄くなった為に、翼は忙しく動かされた。しかし、星の大きさは依然として変らない。寒さやしもがまるで剣のように彼女をした。彼女は翼が痺れて、涙ぐんだ目を上げ、もう一度天を見た。


 これが彼女の最後だった。もう彼女は落ちているのか、昇っているのか、逆さになっているのか、上を向いているのかも、分かってはいなかった。

 ただ、心安らかに、その血のついた大きな嘴は、横に曲がりながらも、確かに少しほほ笑んでいた。


鳥:完

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