第二羽 「森の中」
第一章 旧い記憶
1
皆さんは夜鷹という鳥をご存知だろうか。夜に空を飛び、昆虫類を食べて生きる、鳥だ。夜鷹、という名前から、鷹の一種だと連想する人も多いだろう。
だがそれは違う。彼は鷹よりも格段に小さく、弱々しく、何より夜にしか飛ばない。
かく言う私も、人目を忍び、羽虫を食べ、体躯は細い。その点では、夜鷹と非常に酷似した鳥人間であると言えるだろう。
その日の夜、私は、いつものごとく森の樹上すれすれを飛び回り、羽虫を食していた。少し喉に引っかかる食感がやや気になるところではあるが、私のような弱い鳥は、海へ突っ込んで魚を捕ったり、烏のように街中のゴミを漁って食べたりすることなどできない。一歩間違えば死が待ち受けているからだ。私にもう少し力と勇気があれば、空を飛ぶ鳥を喰うこともできるのだが、私の人間の頃の良心がそれを許さないこともあり、私は羽虫しか食べられないのだ。 私は翼を休めるため、森の開けた場所へと降り立った。翼を閉じ、ふぅ、と息を吐き出す。かれこれ二百匹は食っただろう。もう本日定量だ。
と、そこで私はあるものに気付いた。開けた部分の、丁度中央辺りに、何か私より小さな生き物が、寒さに小刻みに体を震わせながらうずくまっている。頭についた一対の耳は力無く垂れ下がり、頬から生えた幾本もの白いヒゲは、泥にまみれて黒く染まっている。その生き物は、私の存在を視界の隅に確認すると、私を見上げ、グルルルルと喉を鳴らした。
余程疲れているのか、目には目やにだらけで、体毛はぐちゃぐちゃ、足の爪も伸びっぱなしで鼻水が垂れ下がり、目も当てられない。
しかし私は、この生き物をどこかで見たことがあるような錯覚に襲われた。種としてのこの生物ではなく、個体としてのこの生物を、昔見た気がするのだ。
私はじりじりと、慎重にその生き物に近づく。本能的に、この類いの生物は、危険を察知すれば逃げ出すと判っていたから、なるべく自分の存在が危険なものでないと、アピールするためだ。
結果から言えば、その生き物は逃げ出すことは無かった。私が抱き抱えると、その生き物はゴロゴロと喉を鳴らし、私の翼に頭を擦り付けた。尻尾がゆさゆさと揺れている。
その時私は、その生き物が、首に革を巻いているのを見つけた。確か、首輪と呼ばれるものだ。この生き物は昔人間に飼われていたのだろう。
その首輪の繋ぎ目の部分に、「たま」と書かれた楕円形のプラスチックのカードが付けられていた。裏を見ると、どこかの住所が書いてある。ただ、少し塗り潰されたような跡があって読みづらかった。私はその「たま」という名前にも、裏の住所にも、覚えがあった。だがそれは、鳥の記憶ではなく、私が人間の頃に植え付けられた記憶だと、私は直感的に感じた。思いだそうとしても、何かが阻んで、覚束無い。
たまは、私を見上げた。
何の疑問も感じていない、真っ直ぐに透き通った瞳で。
◇◆◇◆
2
私はたまの為に、たまが食べられそうなものを探した。まずは、近くに落ちていたネギを与えてみたが、頑として食べようとしなかった。好き嫌いがあるのだろう。
次に、私は人里近くまで山を下り、畑に植わっていた芋を二、三個頂戴し、たまに与えた。たまは美味しそうにはぐはぐと芋を平らげた。
たまは私を物欲しそうに見つめ、キョロキョロと辺りを見回す。まだ存分に体力が回復した訳ではないらしく、歩こうとすると後ろ足が引きずられる。たまの向かう方向には、この山の生き物たちの喉を潤す、一本の川がある。私はたまを持ち上げる。たまは驚いたのか、グルルルルと鳴き出した。私がたまの頭を撫でてやると、たまは大人しくなった。
私は川まで歩いて行った。たまを持っていなければ、一っ飛びに川まで行けるのだが、たまを持っている今は、そんなことは出来ない。
案の定、たまは川に着いた途端、私の翼から飛び降り、舌を出したり引っ込めたりして、一生懸命に舌で水を掬い、飲んでいる。
私は、すぐ側の大岩に腰掛けた。向こう岸にいる雀達のひそひそ話が聞こえる。
「見てみろよ…アレ」
「またアイツだぜ、あの鳥もどき」雀の一匹がこちらをチラリと見る。
「いつになったら出ていくんだよ」
「勘弁して欲しいぜ、アイツ俺達の面汚しだぜ」
「見てみろよ、あの歪な嘴」
「あんなもん鳥とは言えないな、化物だよ、アレは」
「頭に生えた気色悪い黒い毛」
「うぇっ、吐きそうだぜ、気分悪ぃ」
「悪ぃ悪ぃ」
そう言って二匹の雀は川から離れていった。私は、人間のものである、鳥にしては小さな口と、頭から生える、数万本の髪の毛を触った。ゴワゴワとした髪の毛が翼に絡み付き、私は絡み付いた髪の毛を引っ張り、頭から抜いた。毛が途中から千切れる音と共に、十本ほどの髪の毛が私の翼に絡み付いたまま残った。