表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳥人間  作者: 正坂夢太郎
鳥か人間か
18/22

第十八羽 「二年前:β.人間」

「どうしたの?こんな時間に、こんなところに呼び出して」

 珠緒は、さも不思議そうに私を見た。その顔には全く私に対する警戒の色が窺えない。

「槙についてのことなんだけど」

 珠緒は、屋上のへりに座っていた私の隣に座る。

「槙がどうかしたの? もしかして、死霊の呪いの正体がわかったとか?」

 私は首を振る。死霊の呪いの正体が玉置だということはわかっているが、今問題にしているのは、そんなことじゃない。

「槙の本名フルネームって、何だったかな」

 できるだけ平静を保って問う。

「え? 槙の本名フルネーム? なんだぁ、そんなこと聞くために読んだの? もーう、真美ったらおちゃめさん!」

 珠緒は私の頬をつんつーんとタップを踏むようにつつく。


「槙の本名フルネームは、秋田槙あきたまきだよっ!」


 それを聞いて確信した。

 私は、二日前に河原で思い出した記憶を、再度思い出す。


 ◇◆◇◆<二年前>◇◆◇◆


 私は、河原の草むらの影に隠れて二人を観察していた。

 二人は、河原で揺れ動く一つのダンボール箱に近寄る。


「わぁ、これ、黒犬だよ! かわいい~~!! ねぇ、この仔、飼おうよ! かわいそうだよ!」

「善意の押し売りは好きじゃないんだ」

「えー、でも、かわいいでしょー?」


 私は、親指の爪をガリッ、と齧る。

 あの女、許さない。

 私の槙を、横取りするなんて。

 私の彼氏の槙を、横取りするなんて。


「名前、何にしよっか」

「飼う前から名前を付けるのかい?」と槙は苦笑した。

「私と槙の名前からとって、『たま』っていうのはどうかな?」

「なるほど、中川珠緒なかがわたまお秋田槙あきたまきの両方に共通する文字、“た”と“ま”をとって『たま』か。中々いいな……って、そうじゃなくてだな、珠緒」


 珠緒。


「何、どうしたの、槙」

「実は、俺は犬アレルギーなんだ」

「えーっ! 猫じゃなくて!? そっかー、あたしの家は、動物飼うの禁止だから、あたしたち、この仔飼えないねー」

 珠緒は物欲しげに槙を見る。「どうしよう」


 私は、草むらから出た。

 もうこれ以上、あの二人が楽しそうに見ている姿なんて、見たくはなかった。

 そのときもう既に、槙はすでに、私の彼氏ではなくなっていた。


 ◇◆◇◆


「いいよ」

 犬を飼ってほしい、という珠緒の申し出を、私は朗らかに受け入れた。

 表面上は。

「ありがとう! じゃあよろしくねっ! あ、ちなみに、その子の名前、『たま』だからっ!」

 また明日、部活でね、と言って、珠緒は去って行った。私は、自分の腕の中で縮こまる仔犬を見つめる。

『たま』だなんて馬鹿げている。

 どうして、私が、あの二人の名前が入った犬なんて、飼わなくてはいけないのだ。

 この犬は、槙と珠緒が愛し合っている、何よりの証拠だった。



 私は、たまをずっと部屋の押し入れに閉じ込めておくことにした。私が外出するときだけ、部屋から出してやる。そうしないと、父や母や弟に、勘づかれてしまうかもしれないからだ。

 私が『たま』を虐待していることを。

「あんたなんか見たくもないのよ」

 たまを押し入れから引っ張り出し、背を殴る。たまは鳴かない犬だった。それが無性に苛立った。

「珠緒なんて死ねばいいの」

 全力で尻を蹴る。犬は弾き飛ばされ、畳に力なく転がった。

「あの裏切り者」

 右足で畳に押し付ける。犬は必死にもがくが、無力だ。

「許せない」

 私は決心した。

 携帯電話を取り出し、電話をかける。


 ◇◆◇◆


 ある日の夜。私は、槙を呼び出した。

「どうしたんだい、真美」

 第三校舎の屋上に、私は立っていた。槙は、頭を掻く。

「私と話するのなんて、久しぶりじゃないの?」

 平静を保ちつつ、言う。

「あの女と別れて」

「……珠緒のことかい? 彼女は、別に、俺の彼女ってわけじゃ」

「嘘つき」

「え?」

 槙は虚をつかれたような顔だ。

「河原で座り込んでるのを見た。一緒に下校してるのを見た。バスで隣に座ってるのを見た。あなたがあの女に、ほほ笑むのを見た」

「真美、君は――――――」

「本当って言うなら、どうしてそんなことをしてたの。どうしてあの女はあなたと一緒に歩いてるの。どうしてあなたはあの女を名前で呼ぶの!」

「真美、落ち着いてくれ、俺は―――――」

「どうして私から離れたの! 私のことは最初から、捨てるつもりだったの! あなたは最初から、私のことなんて好きじゃなかったの!」

「そんなことはない、俺は、今でも君のことが好きだよ」

「嘘をつくのはもうやめて!」

 虚空に叫び声が響く。

 私は息切れした肩を押さえる。一筋の雫が頬を伝う。

「それが本当なら……あの女を殺して」

「えっ?」

「珠緒を……殺して」

「冗談、だよな」

「冗談なんかじゃない!」

 私は槙に詰め寄った。槙は両手を挙げ、後ずさる。

「私のことを本当に愛しているのなら! 私があなたの彼女なら! あの女はこの世界に必要ない! そうでしょう!」

「何言ってるんだよ、珠緒は真美の友達じゃないか。それを殺すだなんて、真美、どうかしてるぞ」


「友達!? ふざけないで!」


 私は槙を突き飛ばす。槙はぐらりとよろめいた。

「人の彼氏を横取りするようなヤツが、友達……の…………わけ……が………………」

 目の前で、槙が後ろに傾いていた。

 驚きに目を見開き、一瞬に絶望し、人生を後悔し、己に欲をかいた。

 そしてそのまま槙は落下し、潰れた。



 ◇◆◇◆<現在>◇◆◇◆



「で、どうしたの?」

 珠緒は安穏とした声を出す。

「……私が鳥になった理由が、ようやく分かったの」

「え、そうなの? じゃあ、もしかしたら、治るかもしれないの? よかったねー!」

 珠緒はそう言って私の肩をたたく。

 以前は優しく聞こえたその声は、今では嫌味のように聞こえる。

「私は、多分、あのとき、槙と一緒に落ちてたんだと思う」

 珠緒は一瞬考えた。

「槙と一緒に、って、もしかして、二年前のこと?」

「そう。私は落ちかける槙の手を取ろうとして落ちた。そのときに、神様がこの力を与えてくれたんだと思う。今死ぬべきじゃない、って、神様が言って、そしてこの力を授かった。

 そして私は翼を得て空を飛んだ。本来の目的を果たしに行くために。

 ただ、そこで問題だったのは、翼が生えたときに、何かのはずみで、記憶が飛んだこと。そのせいで、私は今まで、その目的を忘れたまま、二年間も森で暮らしてた」

 珠緒はごくりと息をのんだ。

「その、目的って、何のことなの?」



「あなたを殺すこと」

 そして私は、珠緒を突き落した。



 ◇◆◇◆



 死、というものは、案外呆気ないもので、時間がかかることでもない。高い場所から見下ろすと、それはまるで、潰れたプチトマトのようにも見えた。

 私は、達成感に身を包まれ、縁に立った。ゆっくりと、しまっていた翼を広げた。

 この死体が見つかれば、私は捕まる。この町から、逃げなくてはいけない。

 私は、逃げた先にあるまだ見ぬ街に思いをはせた。

 逃げた先では、私は人間として生きていこう。

 翼を引き裂き、腕をとって、中途半端な鳥人間でなく、れっきとした人間として、生きていこう。

 それはどんなに楽しいだろう。

 それはどんなに自由だろう。

 私は、そう考えながら、翼を動かし、飛び立った。夜の風が肌に突き刺さる。

 これが最後の飛行だ。

 これが終われば、私は自由になれる。

 逃げ切れば、私の勝ちだ。

「よう」

 人間のものでない声が聞こえた。

 振り向くと、何か後方から飛来するものがあった。

 目を凝らすと、それは鳥であった。どこかで見たことがある。

「鷹さん」

 それは鷹だった。森にいたときに、その地の鳥たちを纏め上げていた、あの鷹だ。

「えらく久しぶりじゃあないか。三か月ぶりくらいか」

「そうですね。鷹さんは、どうしてここに?」

 鷹は縁に降り立ち、翼を折りたたんだ。

「ここらへんは俺の縄張りなんだ。飛んでいたら、偶然お前を見つけてな。今回は、尾行してたわけじゃあないぞ。……なんだか、お前、さっぱりした顔をしてるな」

 私は自分の頬に触れる。

「そうですか?」

「ああ。すごく綺麗だ」

 鷹は、私と以前会ったとき、私のことを、愛していた、と語った。あの感情は今もまだ生きているのだろうかと、少し、考えた。

「『俺もお前も、等しく孤独なんだ』」

「ん?」

「鷹さんが、前言っていた言葉ですよ。覚えてませんか?」

 鷹は頭を捻る。「そう言えば言ったな。それがどうしたんだ」

「私にも、やっとその意味が分かったんですよ。私たちは、最初から、この世界とは違う世界で生まれたのかもしれない。そんな気がするんです」

「よく分からないことを言うな。俺は世界と無縁なわけじゃない。森には鳥たちがいるし、食事だってする」

「だけど、孤独、なんですよね」

 鷹は目を瞑った。「あぁ……そうだな」


「鷹さん」


 鷹は私の顔をみつめる。おおらかで、優しい、そんな瞳だ。

「鷹さんも一緒に、行きませんか」

「どこへだ」

「この世界のどこかに、です。行けるのなら別の世界でもいいですけど。二人で、一からやり直しませんか」

「……あぁ、それも悪くない。お前と一緒なら、どこへでも行こう」

「その場合、私は人間に戻りますから、鷹さんは私のペットってことになりますけど」

 私がそう言うなり、鷹は吹き出した。

「はははっ! 俺がペット、か! 今まで森を守ってきた鷹に、ペットになってくれと頼むとは!」

 鷹さんは嬉しそうに笑う。

「成長したな、お前! いいだろう、ペットにでも何にでも、なってやる!」

「ありがとうございます」

 私と鷹が、ほぼ同時に翼を広げた。いつの間にか、月は沈み、朝日が顔を出している。

「西へ東へ、どちらへ行く?」

「風の吹くまま、気の向くまま、で」

「頼もしいな!」

 そうして、私たちは飛び立った。




 そのときだった。

 突然、世界に銃声が鳴り響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ